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【決断と行動力!】仕事をすれば批判や反対があって当然。人気が悪くなったら仕事をしている証拠だ!


新しいことに挑戦する人、チャレンジする人にとって、何が一番重要でしょうか。

それは行動です。

思うだけでは実現しません。

決断し、行動することがなければ、何も始まりません。

今回は圧倒的な行動力を持った人物から、その行動力の秘訣についてお伝えします!



「decision」とは?

先日、ある会合で大手商社の電機プラントエネルギー海外担当の人と話す機会がありました。

「省エネ」をキーワードに、日本の省電力の優位性を活用し、東南アジアにエネルギーインフラを構築するミッションを担っている人でした。

今の日本のエネルギー外交について、その方曰く、「日本は確かに技術的優位性は、現時点ある。しかし、今のままでは、いずれ中国や韓国、台湾などに追いつかれ、追い越されるだろう。」 とのことでした。

そして、私が「それでは、日本は何が現時点で最大の課題ですか?」と聞きました。

その答えが 「decision」!

つまり、「決断」だそうです。

そういえば、今の日本、なかなか決断を下せる人物がいないのかもしれません。

国際社会は様々な思惑が入り混じっています。

省エネ技術を輸出するだけでも大変なんですね。

コンピューター付きブルドーザー

さて、この人物、誰だかわかりますか?

頭が抜群に切れる。

数字に滅法、強い。

記憶力の良さに秀才官僚も真っ青になる。

人の名前を上下、つなげて覚える。

顔も一度で覚える。

役人の年次も間違うことがない。

約束したら実行する。

できないことは最初から請け負わない。

蛇のナマ殺しはやらない。

面倒見と気くばりは天下一品。

かゆいといえば十メートル先から飛んできて、かゆくないところまで丹念にかいてくれる。

喧嘩上手だ。

勝てると見れば、一気にケリをつける。

根回し、談合の名人。

かなわないと見れば光よりも速く逃げる。

機関銃も腰を抜かすほど早口で雄弁。

ただし、しゃべり出したらとまらない。

酒は二升。

酒席は明るい。

浪花節、小唄、都々逸、なつメロ、何でもござれ。

女にもてる。

この人物は田中角栄。

そうです、あのロッキード事件で有名な、元首相です。

当時、その行動力に「コンピューター付きブルドーザー」という異名を持っていた人です。

23年間、田中角栄の秘書として身近で見てきた、早坂茂三という方が評しています。

(抜粋『早坂茂三の 田中角栄 回想録』小学館 1987.05.20)

田中角栄の最終学歴は高等小学校。

小学校卒業?!

当時、高等小学校は2年制で14~15歳で修了となっていますので、現代では中学校卒業に当たるそうです。

それでも、中学校卒業相当で首相とはすごいですね。

(その後、働きながら夜間学校に通い学制上の学校ではない中央工学校(現在の工業高校に相当)は卒業しているそうです)

幼少期には吃音(どもり)もあったようですが、その後克服したそうです。

簡単に田中角栄の経歴を見てみましょう。

18歳で建設設計事務所を設立

21歳の時、満州に兵役するも肺炎となり内地へ帰還

23歳で田中土建工業を設立

28歳で政界に転身するも落選

29歳で初当選

39歳で郵政大臣

54歳、1972年に内閣総理大臣に任命

総理大臣になるまでに、吃音どもり、肺炎、選挙落選など様々な苦難があったようです。

苦労人だったんですね。

ビジョンが未来を創る

田中角栄と言えば、「日本列島改造論」です。

池田勇人内閣の「国民所得倍増計画」もそうですが、このような明確なビジョンはリーダーにとって非常に重要ではないでしょうか。

政治家が方向性を明示することのリスクは計り知れません。

しかしながら、どんなに批判されようと、その時代、その背景を鑑み、未来を掲示することは、リーダーのあるべき姿かもしれません。

「日本列島改造論」も賛否はありますが、その時代、その背景において、方向性を明確に提示したこと自体、意義のある行動だったのではないでしょうか。

田中角栄が描いたビジョン、その多くは形になり、実現しています。

田中角栄が「土建国家」を作ったともいわれています。

しかしながら、それは昭和復興の時代では最善の施策だったのではないでしょうか。

当時の時代背景、状況は建築・土木による公共投資は有効な施策の一つだったと思います。

もちろん、現在の状況がそれに全く当てはまる状況とは言えません。

今、田中角栄が生きていたら、土建国家ではなく、金銭政治でもなく、この時代に合わせた「最善」の施策を打っているかもしれません。

いずれにしても、新しい時代を切り開くリーダーは、あるべきビジョンを提示し、その実現する姿勢、行動力を示し、皆に元気と勇気を与えてくれるものかもしれません。

時代を創る立法という考え方

立法とは、国会が持つ機能で議会の議決を経て法律を定立することを指します。

つまり「法律を作る」ことです。

田中角栄は生涯33本もの議員立法を成立させています。

他の提出法案にコミットした分を含めれば72本

さらに、自ら議員立法させた33本のうち、21本をまだ30代前半の役職のない一般議員時代、昭和25、26、27年の3年間に成立させています。

議員立法を成立させるのは、有力議員が生涯をかけて数本がせいぜい、大半の議員は1本も議員立法を成立させていないことは当たり前となっています。

国会議員が国家を創造し得るのか、その心がけ、そして行動力次第かもしれません。

秘書の早坂茂三は以下のように田中角栄について述べています。

以下、「おやじとわたし」著者:早坂茂三(集英社1987.01.20)からの抜粋です。


田中角栄は若いときから役に立たなくなった法律はどんどん捨てて、新しい法律をつくればいいと考え、実践してきた。

その発想はオリジナルだ。

東大出身の法学士が束になっても、田中のような知恵は出てこない。


そして田中角栄は、法律を作るだけではありません。

法律を作っても、実際にそれを現実社会に普及させるためには、多くの人からの支援がなければ実現しません。

田中角栄は誰に対しても威張らず、各省庁の公務員も大切にしていたそうです。

特に共に仕事をする国家公務員には、その弱点も理解しながら、その方々の能力も高く評価していたようです。

以下、再び「おやじとわたし」著者:早坂茂三(集英社1987.01.20)からの抜粋です。


田中角栄は、誰に対しても威張らない。

役人に向かって威張るおやじ(田中角栄)を私は見た事がない。

それどころか、彼は役人をいつも大事にしてよく立てる。

彼は役人が陥りがちな欠点も良く知っていた。

役人はすべて既存の法律を前提にして、その枠のなかで物事を考え行動する。

そして変化に敏感に反応できない。

法秩序の前衛と自認しているだけに、人民を見下しがちになる。

責任の所在があいまいで、責任を背負わされることを嫌う。

広い視野で物を見ることが苦手である。

しかし田中は一般論でいって、日本の官僚を高く評価していた。

「彼らは外国の役人に比べて比較にならないほど有能だ。仕事熱心で、良く訓練された専門家の集団である。」

これは田中が私にいった寸評である。


何事も実現するには周りの人たちの協力が必要です。

多くの支援を得る姿勢、そして、学び、未来を生み出す知恵、創造力。

このような素質を手に入れることで、さらなる行動力の源泉を身に付けていったのではないでしょうか。

圧倒的な行動力!

田中角栄の真骨頂はその行動力です。

当時の日本は、資源小国として資源の確保は最も重要な外交課題の一つでした。

特に当時「石油」は国を動かす中心的役割を担う重要な資源でした。

しかし、米国・英国を中心とした石油大企業メジャーが、世界の石油分配をコントロールしている状況下、日本の輸入はその石油メジャーの支配下にありました。

太平洋戦争も、もともと他国からの輸入資源が止められた日本が資源を求めて開戦した戦争でしたが、その流れが当時も大きな潮流だったのです。

田中角栄は、このままでは日本の経済成長がままならない、と独自の資源外交をスタートさせます。

田中角栄は1972年7月に首相となり、いきなり1972年9月には日中共同声明を発表します。

この国交正常化の背景には資源確保の思惑があったと言われています。

当時は中国側も反日感情が高く、さらに、日本国内も台湾との関係もあり、日中国交正常化は事実上不可能と言われている状況でした。

アメリカも勝手な国交正常化に強く反発しました。

その反対を押し切り、大きな決断、そして粘り強い交渉で日中正常国交化に結び付けています。

田中角栄の凄いところは、それだけではありません。

翌1973年には世界各国との独自の資源外交を展開しています。

まず1973年秋には、仏、英、西独、ソ連を次々と訪問し、石油、ウラン鉱石、天然ガス等の共同開発について議論を開始。

英国では北海油田、ソ連ではシベリアのチュメニ油田開発の話も出しています。

1973年11月には親アラブ政策を打ち出し、同年、当時親日国のイランとも共同開発をスタート。

中東最大の石油化学コンビナートの建設を目指して、イラン国営石油化学事情通になるための商社の歴史会社(NPC)と三井グループから成る日本側の事業会社・イラン化学開発(ICDC)が折半出資でイラン・ジャパン石油化学(IJPC)を設立させます。

さらに1974年1月には、ASEAN5カ国を歴訪し、インドネシアとの間で液化天然ガスプラント、石油基地建設の建設協力で合意。

1974年9月には、メキシコ、ブラジル、カナダを訪れ、メキシコ原油の開発、アマゾン開発、西カナダのタールサンド開発について、それぞれ協議を開始。

さらに、その翌月1974年10月には、ニュージーランドやオーストラリア、ビルマを訪ね、マウイ天然ガス開発やウラン資源の確保について合意しています。

なんと、1972年末に誕生した田中政権は、わずか2年でこれだけの資源外交を行ったのです。

凄いですね。

異論反論、賛否両論のある田中角栄。

しかし、この圧倒的な行動力は、私たちも学ぶべき点があるのではないでしょうか。

最後に

田中角栄はどのようにして、このような圧倒的な行動力を手にしたのでしょうか。

そのヒントとなる田中角栄の名言を贈ります。

確かにノーというのは勇気がいる。しかし、逆に信頼度はノーで高まる場合もある。ノーとイエスははっきり言ったほうが、長い目で見れば信用されるということだ。

私は小学校高等科の卒業である。しかし、いささか仕事のコツは知っている。われと思わん者は、遠慮なく大臣室へ来てくれ。上司の許可は要らない。何でも言ってくれ。できることはやる。できないことはやらない。すべての責任は、この田中角栄がとる。

結論が出たらすぐに実行するのが、私の流儀だ。決断と実行。

仕事をすれば、批判、反対があって当然。何もやらなければ、叱る声も出ない。私の人気が悪くなったら、ああ田中は仕事をしているんだと、まぁこう思っていただきたい。

田中角栄



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