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自分独自の「勝利条件」を見出さなければなりません。~為末大名言集と軌跡~




新しいことに挑戦、チャレンジする人を応援したい。

私達日本人一人一人が、50cm前に一歩進むと、地球一周分に匹敵するのです。

それが、私の50センチ革命。

一人一人の個人が、一歩前に進むこと。

これが、新しい未来を生み出すのではないでしょうか。

元気になれる名言や格言、言葉や発言を「人物」にフォーカスしてご紹介いたします。

目の前にある、小さなものでも構いません。

新しい一歩を!

過去と他人は変えられない。

変えられるのは自分と未来だけです!

■為末大名言集

大阪ガスを辞めてから、賞金が出る海外のレースで走りました。日本の整備された練習環境で育った選手とは違い、海外の選手は貪欲で「しのぎを削る」という言葉がよく似合う雰囲気がありました。そこでの戦いは、やはり興奮します。高いレベルで戦いを挑まないと、成長しないと実感しました。

僕は米国で1人になる時間が多くて、「速くなって何の意味があるのか」などと、自問自答ばかりしていました。明確な答えが見つからないことの方が多いけれど、一体、自分の問題意識の矛先がどこに向いているのか、はっきりしてくる。そこには自分の軸となる要素があって、それを見つけるためにも、自問力は重要だと思います。

僕はスポーツ嫌いで有名な方に、「たかが五輪でしょう?」と言われたことがあります。自分が人生をかけてきたものだから、その瞬間はカチンとくる。でも、たかが五輪なんですよ、違う視点から見れば。五輪で負けても、人生終わらないですから、それは間違いではない。人は何に正しいと思い、正しくないと思うのか、そんな視点のサンプルを集めておくと、挫けそうになったときに、多様な思考で打開できると思います。

「自分がなぜそれを目指すのか」と認識している人は、失敗しても、この失敗が自分にとって何を意味するのか、どんな影響があるのかという解を見つけやすい。

一般的に言われる努力は、目標に向かって力を尽くして積み重ねる行為をイメージします。1時間の練習を2時間やったら、2倍努力したと言う。でも、行動前に、「自分が何をやるべきなのか」「何のために実行するのか」と考える努力は、日本人はあまりせず、人任せにする場合が多い。僕は、こうした自問する作業は、「努力」という行為の半分以上の領域を占めると思っています。

自分という存在を客観的かつ多角的に見る。その方法の1つは、「人生という長い時間軸」で物事を見るクセをつけること。

インターハイで好成績を目指す高校と、オリンピック選手を輩出する高校は比較的分かれているんです。いますぐの勝利を目指すか、将来伸びる選手を育てるかの違いでしょう。

究極の世界を覗いて認識を変えてみる。例えば、宇宙についての話を聞くとか、1000年後を予測する人の文献を読むとか、世界一に挑戦する選手の姿を見るとか、世界の貧困層について調べてみるとか。それで何かが急に変わることはないけれど、自分の悩みの内容の狭さに気づき、認識が変わる。無理にポジティブに考えようと思い込むより、自然と前向きになれると思います。

合理的であることが必ずしも幸せにつながるわけではない。

「挫けない力」に必要なのは、「ふてぶてしさ」だと思っています。マイナスイメージもある言葉ですが、マイナスになる時は、失敗を失敗のまま置いておくから。勝敗や成否の枠を超えて、何が一番大事なのかと本質を見いだすのが重要で、それができれば心は強くなる。

未知の領域で挑戦するからこそ、失敗の確率が高いのは当たり前で、サイコロを振るような話と同じです。勝率は低いと認識しながら挑戦し、失敗しても自分なりに完了して、次の挑戦に向かえる人。それが、挫けない人なのだと思う。

結果がすべての世界で生きていると、自分への要求はどんどん高くなっていきます。すると、満足できるレースがどんどん減っていく。そのなかで頑張るのは苦しい。1、2年もすれば誰でも燃え尽きてしまいます。大切なことは、自分の外側に目標を置くのではなく、自分の「モチベーションのフック」が何かを知ること。そのためには、まずは自分を観察することです。僕の場合、自分で立てた仮説を検証したり、人をビックリさせたりすることが、モチベーションのフックです。

欧州でレースを転戦したり、米国を本拠地に活動したりしてきた、これまでの経験からすると、日本人は議論で物事の問題点をあぶり出すことが弱いと感じている。そこで議論のできる人間を育てる場を作りたいと考えた。それが為末大学だ。

模索することは大事です。天分や天職まではいかなくても、「これを全うすれば、自分の人生に納得がいく」ものを見つけるためには、ある程度選択の幅は必要でしょう。幅を持つことで、人生の成功や幸福に近づけると思います。

いろいろ試してみると自分の天分にも気づきやすいと思います。やりたいことを10個ぐらいやれば、どれが自分に向いていて、何を全うすべきかというものが見える。一個やるだけではなかなか見つけるのがむずかしいでしょう。だから、たくさん経験をして、たくさん学ぶのです。

人を変えるには自分の人生をかける必要がある。

日本では早くて6歳、多くは12歳までにスポーツを始めます。たまたまその地域で盛んな種目を選択しただけなのに、指導者は「一度始めた以上、あきらめてはいけない。やりとおせ」と言う。日本で、本人の適性と種目のミスマッチが多いのはこの構図が原因で、しかもこのミスマッチは一生解消されません。ミスマッチの解消を「逃げ」とみなす文化は、実は日本の社会全体に強くあると思っています。

コントロールできないことに目を向けず、コントロールできることに目を向ける。体力の低下や世間の評価はコントロールできないことの代表格。ここだけに目を向けていると、苦しさがつのるばかりです。

最近、スポーツ界では体罰が問題になりました。あれは言葉力不足が原因だと思います。言葉で自分の意図や意思をしっかり伝える技能が発達していないために、伝わらないことによるイライラが爆発し、体罰が起きているような気がします。言葉によって人生が変わることがやはりあるはずです。

変わりゆく自分を受け入れ、常に新たな方法を創出する。その生き方は、心の安定だけでなく、豊かな人生をもたらしてくれる。

陸上に限らず、一番おもしろいのは仮説を立てることだと思っているんです。

僕がとても好きな言葉は「自在でありたい」というものです。競技者だったころから、そのとおりだなと思っていました。特に僕は社会の目から自在でありたい。元アスリートの話を聞いていると、なかなか目標を切り替えられない人が多いのです。ほんとうに周囲の目から自在になって、新しいものをきちんと見るようにすれば幸せ感も高まるし、もっと新しい人生が開けるはずです。

自由というのはリスクを伴うもの。

僕の競技者としての人生は失敗でしたが、人生はサドンデスのトーナメント戦ではなくリーグ戦です。僕にとっては、もう次のシーズンが始まったので、ここでまた勝負して、死ぬ瞬間にどう思えるかが大事だと思っています。

失敗や敗北はつきもので、それ自体に毒はないと考えられれば、心は軽くなる。

18歳で初めて経験した世界大会で、僕が勝てなかった日本人選手たちがみな予選落ちするのを目の当たりにして、日本での一番がひとつの島での一番でしかないことを痛感しました。そして、自分の目標が小さかったことに気づき、100メートルという世界に現実味を感じなくなっていったのです。そのときからは、僕にとっては「世界に出る」ことがとても重要になっていきました。

世界にはさまざまな価値基準があるのだということを、まずは知ることが大事です。そして自分なりの勝利条件を定め、その方向へ進んでいくのです。

私は100メートル走からハードル競技に転向しました。世界ジュニア陸上競技選手権大会に参加し、世界のトップレベルを肌で知ったことが一番のきっかけでした。「このまま100メートルで勝負を続けたら、日本では勝てても、世界でメダルに届く可能性はゼロに近い」そう痛感したのです。一方、ハードル競技なら世界との差は大きくない、という実感も得ました。だから私は、「世界で勝ってヒーローになる」という勝利条件を満たすには、ハードルに転向するのがいいと判断したのです。結果、世界陸上で2度も銅メダルを獲得できたのですから、理にかなった転身だったと思います。

挑戦した価値や、失敗からの教訓を重視できれば、立ち直りは早くなるはず。

400メートルハードルへの転向は、手段としての100メートルを諦めたのであって、「陸上で勝つ」という目的を諦めたわけじゃない。あの決断は、その後の陸上人生に大きな影響を与えました。好きか、嫌いか。カッコいいか、カッコ悪いか。そういう判断基準はすべて捨てて、勝つために必要なら取り入れるし、必要でなければ諦めるという思考が自然にできるようになりました。

他者の評価で満足を得ようとすると、世論から距離を置けなくなり、本来の自分の軸がブレる。

トレーニング法として、ロングワークとハードワークの2つがある。繰り返し練習するロングワークは最初のうちは技能が向上するが、一定水準になると伸びなくなる。ロングワークで強くなったコーチなどは成功体験を捨てられないが、短時間でもポイントを考えてトレーニングすればパフォーマンスは高まる。働き方改革をスポーツ界から理解すると、ロングワークをやめるということだ。ただ、成長にはハードワークが必要。短時間でも高い密度で働くことが大切になる。

「こうしたい」という強い動機を持ち、「すべての挑戦は失敗ありき」と考えられるかがポイント。

批判は攻撃だから反撃しやすいけれど、期待は応援だから無視しにくい。僕はいつの間にか人から期待されたい「いい人」になっていて、その自分を見てファンになった人の期待に答えるために、さらに「いい人」を演じていた。本当の自分は違うのに、期待に応え、それがまた人の期待を加速し、何が本当の自分なのかさえ、よくわからなくなっていった。

夢を追いかけ続けている状態こそ、ふり返ってみれば成功なのではないでしょうか。

成功か失敗かは死ぬまで分からない。突き詰めれば、成功と失敗は他人には評価できないとも思います。

失敗を「すべて」ではなく長い成功への道のりの「一部」としてとらえられるかどうか。それによって自分自身への自信の度合いが大きく変わる。

真の意味で幸せをつかむためには、しょせんは他人の価値観にすぎない社会的評価から自由になり、自分独自の「勝利条件」を見出さなければなりません。

成功したアスリートを見るとつい積み重ねた努力ばかりに目がいくけれど、彼らはまず頑張る前に選んでいる。

誰も答えは持ってないんです。あなた用の答えは。

■為末大とは?

為末大。

広島市立五日市中学校から広島県立広島皆実高等学校を経て法政大学経済学部卒。

父方の祖母が被爆しており、為末自身は被爆3世にあたる。

1992年 全日本中学校選手権2年100mで7位入賞。

1993年 全日本中学校選手権100m・200mで優勝。

2冠を達成。

国体少年B200mでは第2位。

ジュニアオリンピックではさらに日本中学記録(当時)を更新。

また、三種競技Bで3354点(12m68(砲丸投)-6m90(走幅跳)-49秒07(400メートル競走))の日本中学記録保持者でもあり、400メートル競走の49秒07は実施競技は混成競技ではあったが、この年の中学最高記録でもある。

1993年中学ランク1位であった種目は、100m、200m、400m、走幅跳、三種競技A(10秒7-12m64-1m83)、三種競技Bの計6種目。110mH、走高跳でも1993年中学ランク100位以内を達成している。

1994年 国民体育大会少年B100m・400mで2冠。

1996年 インターハイで400mの日本ジュニア新記録(当時)を樹立して優勝。

日本ジュニアでも400m優勝。

世界ジュニア選手権代表に選出され400mと、4x400mRに出場。

400mでジュニア日本新記録(当時)を樹立して4位に入る、マイルでも2走をつとめ3分06秒01のジュニアアジア新記録で準優勝。

10月に行われた地元の広島国体で400mと400mHでいずれも当時の日本高校新記録・日本ジュニア新記録をマークして優勝。

高校卒業後は法政大学に進学。入学直後の日本学生選手権では4x400mRの2走を務めて優勝。

1998年 日本学生選手権400mH優勝(以後3連覇)

2000年 日本学生選手権で48秒47の日本学生新記録を樹立し、シドニーオリンピック代表に選出される。

入賞が期待されたが、予選で先頭を走りながら終盤で強風にあおられて、9台目を引っ掛け転倒してしまい、準決勝進出を逸した。

2001年8月にはカナダ・エドモントンで開かれた世界陸上の400mHに出場。準決勝で48秒10の日本新記録を樹立。決勝ではさらにタイムを縮め、47秒89で日本新記録をマーク。

フェリックス・サンチェス(ドミニカ)・F・モーリ(イタリア)に次ぐ3位に入り、五輪・世界選手権を通じて日本人初の短距離種目の銅メダルを獲得する。

日本選手権では初優勝を果たす(以後2005年まで5連覇)。

2002年 釜山アジア大会では400mHで3位に入り、銅メダルを獲得。

2003年10月に大阪ガスを退社し、プロ選手として独立。

2004年 アテネオリンピックに出場。

準決勝で48秒46の好タイムで3着にくいこむが、タイムで4番目だった為末は末決勝進出を逸する。

2006年 400mHを封印しスプリント能力の養成に専念。5月には200mで、6月には100mで実に10年ぶりの自己新記録をマーク。

2008年 日本選手権に出場し、400mHを49秒17で優勝。A標準記録を突破し北京オリンピック代表に選ばれた。

しかし北京五輪本番での400Hは一次予選落ち、4x400mRで第2走者を担当するも予選落選に終わった。

2007年12月から3年間、APFグループのウェッジホールディングスの取締役も務め、タイへの投資に関する著書がある。

2010年、一般社団法人アスリート・ソサエティを設立し代表理事の一人となる。

2011年、地元の広島にクラブチーム、「a-meme(エーミーム)」を設立し、所属先も変更になった。

2012年6月、ロンドンオリンピック出場の可否に関わらず、今季限りで引退する旨を述べ、日本選手権男子400メートル障害予選にて、2組で出場した為末はいきなり1台目のハードルを越えられず、右足を引っ掛けて転倒。完走するも組最下位に終わり、準決勝進出も絶たれたことで、現役引退を表明。

2012年7月、地方地域の廃校や公共の宿泊施設を活用し、スポーツ合宿を中心とした宿泊事業を展開する株式会社R.projectの取締役に就任。8月、プロジェクト「為末大学」を開始。

2014年、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員。

2015年4月、ブータン五輪委員会(BOC)のスポーツ親善大使に就任。

同年8月、新国立競技場整備計画経緯検証委員会委員。

2015年12月、株式会社コロプラの社外取締役に就任。

2017年8月、V・ファーレン長崎のフィジカルアドバイザーに就任。

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