株式会社GA technologies代表、樋口龍:日本で中古不動産が広がりにくい要因とは?

株式会社GA technologies代表、樋口龍:日本で中古不動産が広がりにくい要因とは?

 

 

日本で中古不動産が広がりにくい要因とは?

 

 

樋口龍/株式会社GA technologies

 

 

日本で中古不動産が広がりにくい要因は3つあります。

1つ目が、テクノロジー化の遅れ。

2つ目が、情報の非対称性。

3つ目が、人材(エージェント)レベルの質。

この3要素がベストプラクティスではないので、顧客が中古不動産を買いづらいイメージを抱くのです。

不動産業界のアマゾンを目指しています。アマゾンは流通を変えました。我々は不動産流通を変えようと思っています。

その為に中古不動産のプラットフォームである「RENOSY(リノシー)」を立ち上げました。

不動産を購入するプロセスには、学習、検索、購入、アフターフォローという4段階があります。

大手の不動産情報サイトは、学習と検索の部分を請け負い、その後の購入とアフターフォローは不動産会社にバトンタッチする分業制のビジネスモデルが従来の形でした。

 

 

 

 

 

 

樋口龍(ジーエーテクノロジーズ代表)とは?

 

 

樋口龍。

1982年東京生まれ。

 

小学校夢は「世界的なプロサッカー選手になること」。

高校 はサッカー全国大会常連の帝京高校に入学。

 

あえてクラブチーム(FC東京のユース)を選ばず、厳しい環境のほうが力が付くと考えた。

卒業後、ジェフユナイテッド市原の育成選手として5年間所属するも、プロになることは出来なかった。

 

24歳の時にサッカー選手としての夢を諦め、ビジネスマンへ転身し不動産会社へ勤務。

2005年ソフトバンクの孫正義社長の評伝「志高く」を読み、衝撃を受ける。

 

猛烈な努力を続け、7カ月でトップセールスになる。

最終的にはマネージャーのポジションに就きセールス部員50人をマネジメントする。

 

”巨大なマーケットを形成しながらも極めてアナログな不動産業界にテクノロジーで革命を起こす”と志し、2013年に株式会社GA technologiesを設立し、代表取締役に就任。

 

2018年7月東京証券取引所マザーズ市場に新規上場。

2018年11月よりイタンジ株式会社取締役に就任(兼任)。

 

中古特化型の不動産流通プラットフォーム「Renosy」を運営。

テクノロジーを活用したエンド・トゥー・エンドの不動産流通プラットフォームの構築を中心に、データドリブンでユーザー利便性の高い不動産取引を目指す。

 

また社内業務においても、AI・RPAによる効率化やデータ活用による業務改善に積極的に取り組む。

 

 

 

 

 

 

 

樋口龍(ジーエーテクノロジーズ代表)の「コトバ」

 

 

 

 

小学生の時から変わらない夢を持っていました。“世界的なプロサッカー選手になる”ことです。この夢を本気で追いかけていました。ひたすらボールを追いかける青春時代を送り、高校は全国大会常連の帝京高校へ進学しました。帝京高校へ進学を決めた理由は、とにかく厳しかったためです。当時はサッカーでプロを目指す場合、高校進学でなくクラブチームを選ぶ人が多かったです。私の場合は、FC東京のユースへ進む道がありました。でも私は帝京高校を選びました。なぜかというと、高校サッカーの方が全てにおいて厳しく力がつくと思ったからです。例えば、帝京高校は年間360日のハードな練習に加えて、電信柱にヘディング練習しろみたいな意味が分からない練習もあります(笑)。

 

 

 

 

 

 

私は人生においてほとんど勉強をしてこなかったですね。でも、本だけは昔から大量に読んでいました。親に「勉強はしなくていいから、本だけは読んでくれ」と言われて育ったんです。勉強は諦められていたのかもしれませんね(笑)サッカーで夢破れ、自分の中で何かきっかけを探そうと思った時も本屋に向かいました。ソフトバンク孫正義さんの『志高く』(実業之日本社)という本に出会いました。そうしたら、「テクノロジーだ」「今はITの時代だ」「情報革命だ」と書かれていました。今、農業革命、産業革命以来の革命が起きていて、それはまだ始まったばかりだと書いてあったのです。これには衝撃を受けました。だから、サッカーを辞めたときから絶対にITをやろうと決めていたわけです。ただ、起業するときには30歳手前だったこともあり、全く新たな業界ではなく不動産を扱おうと考えました。FinTechが既に盛り上がりだしていたので、不動産×テクノロジーのReTechもくるだろうなという感覚で道を選んだんです。

 

 

 

 

 

 

高校卒業後は、現在J2のジェフユナイテッド市原でサッカーに打ち込んできました。東京選抜・関東選抜には入れましたが、それでもプロにはなれませんでした。ある時、“世界的なプロサッカー選手になる”という目標から逆算すると現在の自分には厳しい事実に気がつきました。そして、23歳でサッカーをやめました。この決断は自分の人生の終焉のような感覚です。20年近くサッカー一筋で世界を目指してきて、夢破れ絶望しました。なぜ夢破れたかというと、理由は明確でした。サッカーの才能や実力の部分もありますが、人間的な部分が大きかったのです。私は、人間的に未熟でした。

 

 

 

 

 

 

 

サッカーをしていたときは、信じられないほどの生活をしていましたね。コーラは飲まない。マックは食べないとか(笑)小学2年生から毎朝6時にマラソンしていたんですよ。4年間サッカーの為にずっと続けていたら、いつの間にかかなり体力がついて、中学1年生のときに東京都品川区の大会の1500m走で1位になりました。優勝した後、陸上部でもないのに、陸上の都大会に出るように頼まれて、実際に出場したら東京都で3位になったんです。ストイック以外の何物でもないですよね(笑)。高校時代も、ずっと練習をしまくっているタイプでした。

 

 

 

 

 

 

最後は、“人間力とやりきる力”です。サッカーを辞めたときに、なぜ世界的なサッカー選手になれなかったのか死ぬほど考えました。つまるところ、人間的に未熟だったんです。お恥ずかしい話ですが、私は、監督やチームメートに怒られるとふてくされてました。本田圭介選手や長友佑都選手、長谷部誠選手がふてくされた姿を見たことはありません。ここが決定的な私の弱みだったんです。

 

 

 

 

 

 

上司に怒られてふてくされる人は絶対に損しています。ふてくされている理由は、失敗を周りのせいにしているからです。他責ですね。問題は自分だから起こっているわけです。マーケット・環境・上司のせいにして問題分析をしない。簡単なことなのですが、なかなかできない。人は自分ができていないと認めたくないですからね。私はサッカーでの反省を活かし、「仕事では絶対に他責にしない」と心に決意していました。次は、“人間力とやりきる力”という本物の実力をつけて、“世界的なビジネスマンになる”。これが私が掲げた第二の夢です。ビジネスマンとして誰よりも実力をつけるため、一番厳しい環境を探しました。

 

 

 

 

 

 

当時の私は、仕事を始める前に誓った「絶対自責」という精神があったので、「なるほど、これではお客さんとお会いする事なんて到底出来ないな。」と自省していました。私は本当に大雑把だったので、最初のうちお付き合いするお客さんはO型ばっかりでした。しかし、上司に指導を受けてからは、O型だけでなく、A型のお客さんともお付き合いが出来ました。面白いですよね(笑)、要は几帳面になれたんです。それからは見違えるように仕事できるようになりました。

 

 

 

 

 

 

上司も他の部下はすぐに辞めてしまうのに、そこで生き残った自分を可愛がってくれたのだと思います。ここで帝京高校の監督に言われていた言葉を思い出しました。「この経験は必ず生きるぞ。」と厳しい指導でいつもこんな事を言っていたのです。その意味が分かりました。仕事は大変でしたが、嫌だとは思わなかったですね。

 

 

 

 

 

 

厳しかったのですが、本当に嫌じゃなかったです。しかも私から上司に「厳しくしてください。」と言っていました。とにかく世界的なビジネスマンになりたかったからです。サッカーで夢を叶えられなかった分、仕事では絶対に夢を叶えたいと思っていました。毎日深夜というか朝方3時4時まで仕事をしてました。今では「働き方革命」もあり、褒められたことではありませんが、当時の経験は今の自分の糧になっていると強く思います。

 

 

 

 

 

 

 

当時、孫正義さんが好きで「次の時代はテクノロジーだ」という言葉を信じました。自分の得意な領域は、今までやってきた不動産です。不動産業界はアナログで、働き方もアナログだったので、ここにテクノロジーを持ち込む価値があることには気がついていました。この得意な領域にテクノロジーを加えることで、起業家として大成し、“世界的なビジネスマンになる”ことを決めました。そして、会社が何のために存在するか、何のために会社を立ち上げるのか、何がしたいのか熟考しました。そして、情報革命に生きているこの時代に、テクノロジーの力で人々に感動を提供する仕事がしたいと心に決めました。誰に頼まれているわけでもなくそれが使命だと思って仕事をしています。

 

 

 

 

 

 

面目ない話ですが、以前はプログラミング言語に違いがあることすら知りませんでした。そのため、最初のエンジニアマネージャーに「アプリ作って下さい。」といっても、「私にはできません。」となり、「え?なんでエンジニアなのにアプリも作れないの?」と一悶着起こります。新たなエンジニアはサーバーサイドの方だったのに、「Webサイトを作って下さい。」とオーダーし、「え?エンジニアなのにこれ出来ないの?」みたいな事を3回繰り返しました。エンジニアについて何一つ知りませんでした。全て私の責任です…。このままでは駄目だと、プログラミングの学校に通い勉強しました。また、エンジニアチームの近くに自分の席を置いたり、ラフな格好で出社したり、エンジニアとのコミュニケーションも心がけました。今では開発への理解度は高いと思っています。

 

 

 

 

 

 

我々は、ReTech、中古不動産領域でNo.1を目指していますが、その背景には、日本における不動産業界のいびつな実態があります。日本は人口減少の局面に入っているにも関わらず、毎年新築物件が100万戸も建っています。本来、OECD加盟国のような先進国であれば人口減少に対して新築物件の抑制がかかってもおかしくない。日本も40万戸ぐらい建てれば充分なはずなのです。加えて、アメリカやヨーロッパは、中古物件が8割で新築はたったの2割。対して日本は、中古が2割で新築が8割です。これは、市場構図として絶対におかしい。そこで、我々は中古不動産のカテゴリーを狙っていこうと決めたんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まずは、不動産の分野でReTechと中古市場で1番を取ります。その横展開として、親和性の高い分野にテクノロジーを入れていきます。業界的にアナログなんだけどリアルが介在する余地のあるところが弊社の得意な分野です。たとえば、ReTechと関連深いFinTechやInsurTech(Insurance Tech:保険テック)、そしてCon-Tech(Construction-Tech:建設テック)などです。その選択肢として、新規事業だけでなく、M&Aも考えています。この領域に我々が介在することで、どんな些細なことからでも構いません、テクノロジーを介して感動を増やしていきます。私たちのミッションは「テクノロジー×イノベーションで、人々に感動を。」です。私たちのゴールは、ビジネスで収益を上げることにとどまりません。人々に感動を与えることがゴールです。そのために、「世界のトップ企業を創る」というビジョンに向け、あらゆる困難に立ち向かい、挑戦し続けます。我々はビジネスで世界を取ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

私たちが目指しているのは、不動産業界のAmazon。1クリックで不動産を購入できるような世界です。それを実現する上でさまざまな課題があるのですが、特に不動産領域ならではの煩雑な業務プロセスを効率化し、不動産取引を滑らかにしたいと考えています。Amazonのすごさは、ECの黎明期に「インターネットで物が買えるのは当たり前になる」と予想し、リアルな倉庫や物流拠点に投資し続けたことにあります。その結果、予約した次の日には商品が届くという圧倒的なUXを実現し、ECの頂点に立ったのです。私たちは、このようにネットとリアルの垣根を超え、ビジネスを一気通貫する流れがすべての業界に広がっていくだろうと考えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上場後も手を緩めることなく、シナジーを生み出せる企業のM&Aを積極的に行ってきました。上場してまもなくイタンジ、リーガル賃貸保証の2社に参画してもらいました。2019年9月にはイエスリノベーション、また12月には、4社目のモダンスタンダードがグループ会社となりました。同社は高級賃貸領域のリーディングカンパニーで、業界最高水準の高級賃貸メディアを持っています。グループになることでのクロスセルを達成できる点も見逃せません。お互いの強みがお互いに効果を生み出すと確信しています。われわれがM&Aを行う際の判断軸は、その企業のビジネスモデルの重要性もさることながら、目指すべきビジョンに向けて、ともに力を合わせてやっていけるか、お互いシナジーを生むことができるか、そして、M&A先の経営メンバー・社員と一緒にビジョンを目指したいと思えるかどうかです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仲間集めに大切なことは、「言い続けること」でしょうね。セールスの交渉と同じだと思います。交渉が上手くいかない人は、お客様に「やりましょう」と言えません。「断られてしまうんじゃないか」「嫌われてしまうんじゃないか」と勝手にモヤモヤ考えて、言ってみないとわからないことを言えない。私がどうしてトップセールスになれたかというと、単純に「やりましょう」と口に出していたからです。これは擦りこみですね。あとは確率論、つまり何回交渉するかの問題なんですよね。仲間集めも「擦りこみ」と「確率論」です。熱意を持って言い続けること、そして、場数を踏む、打席に立ち続けることが重要だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

採用で見るポイントは、3つあります。1つめは、「いい人」2つめは、「成長意欲が高いこと」3つめは、「思考のハードワークができること」です。一言でいうと「人格者」ということになるのかもしれません。会社は1人ではできないですし、1人でできることはたががしれています。組織で戦わないといけない。組織で戦うにはチームワークは必要なので、そうなると人格はとても重要ですよね。更に、なぜ人柄や人格が重要かというと、私は能力は誤差だと思っているからです。本当の天才以外は、普通の人間の能力はほぼ変わりません。そう捉えると、本当に差が出てくるのは人間性の部分なんです。仕事をしていればうまくいくときと、いかないときが絶対にある。波がない企業や波がない人はいないですからね。そうなったときも、人格者であれば会社に感謝できますし、お客様にも感謝できます。感謝を重ねていくと、いつかパフォーマンスにつながります。長い目で見たときに人格者が成果を出すし、人格者が上司にならないと組織がおかしくなっていくということが言えるのです。だからこそ、人柄をすごく重視しているんです。

 

 

 

 

 

 

 

総合職とエンジニアが半々みたいな会社だと、エンジニア職とセールス職を分けて仕事をしていると言われますよね。しかし、我々のビジネスはマーケットインの考えが不可欠で、不動産の課題に対してどうテクノロジーを使っていくかという話です。ゆえに、エンジニア職とセールス職を分けることは得策ではないと考えています。実際に、セールスとエンジニアが、同じフロアで仕事をしています。しかし、以前は、専門性が違うということで、なかなかお互いにコミュニケーションを取ろうとしませんでした。例えば、セールス側の人間に、「ちょっとこのプロダクトを使って意見を聞かせて」といっても、全然出てこないんです。しかし、それで諦めるわけにはいきません。諦めずに接点を作っていったら、セールスからも「これは使いやすいと思います」「こっちの方がいいです」といった意見がでるようになりました。また、エンジニアは、ユーザー思考よりも自分の作りたいものを作る傾向があります。「ユーザーに聞きに行こう」といっても聞きにいかない。これについても諦めずに働きかけていたら、最近では、セールス側に「ユーザーの所に連れていってくれ」と言うようになってきました。現在は、セールスとエンジニアが一緒に訪問して、ユーザーヒアリングを実施しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分を俯瞰的に見て、必要なものは何かを焦点化し、努力をすることは重要です。大谷翔平選手、本田圭佑選手、さらにはイチロー選手もそうですが、非常に若い頃から自分を俯瞰的に見ることができています。大谷選手が高校1年生のときに書いたビジョンシートには、自分の人間的な課題や克服するポイントなどが事細かに書かれていました。俯瞰的に自分を見ることができているので欠点がわかる。欠点がわかっていれば、それを直していけます。多くの人は、自分の欠点が見えていないのだと思います。私は、サッカーをやり続けたことにより、自分の何が悪かったのかについて振り返ることができました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は、起業家には2タイプあると思っています。タイプ1は、起業当時からクリエイティブで確かな経歴や実績を持った人。楽天の三木谷さん、ソフトバンクの孫さん、外銀出身とかITメガベンチャー出身の方達です。そういう人たちには会社として実績が無い段階でも今までのキャリアに信用があるので、採用面で人が集まりやすい。タイプ2は、みなさん今でこそすごい方ですが、創業時キャリアがあったわけではない、日本電産の永守さんや、京セラの稲盛さんなどです。みなさん、採用面の共通項は、実績が無い人でも厳しく育てあげるという方針だったこと。いい人が採れるようになるまでは徹底的に育てあげています。起業時から自分は、完全にタイプ2の方だとわかっていたので、そうなると、実績がでて優秀な人材が採用できるまで、とにかく人材を育てるしかないと覚悟を決めていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

経営理念である「テクノロジー×イノベーションで、人々に感動を。」を達成して世界のトップ企業になることは、ものすごく果てしない展望です。そんな壮大な理念を機能させるには、日々の実績の重要性をどれだけ経営者が理解しているかが鍵になると思います。私はライト兄弟が好きなんですが、まだ飛行に成功していなかった当時、彼らは壮大な夢を馬鹿にされていたと思うんです。だって、いきなり翼をつけて飛ぼうとするわけじゃないですか(笑)。でも途中で、「こいつらならやれるかもしれない」と思われるようになる。なぜ周囲の見方が変わったかというと、実績を出していったからに他なりません。何が言いたいかというと、大きな理念を掲げることはとても大事ですが、それ以上に実績が伴わなければいけないということ。これについて、起業家が理解していることが何よりも重要です。近年、「大きなことを言う人が減ってきている」と言われていますが、大きなことを言うことが目的ではなくて、言ったあとの実績の方が大事ですよね。そこに責任があるはずですから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は、何事も3回は失敗するものだと思っています。事業も3回ぐらい失敗しながら今のビジネスモデルに行きついています。例えば、起業した当初は、ホームステイのマッチングビジネスにチャレンジしました。Airbnbは住人がいない時に家を借りてもらうサービスですが、ホームステイは住人がいることがメインです。その新規性が面白いのではないかと思いましたが、これは全くうまくいきませんでした。このホームステイのマッチングビジネスの失敗など、新規事業の失敗を2013年~2014年にかけて3つほどした後、やっと今の形になりました。

 

 

 

 

 

 

 

「夢中になるための努力」を大切にしてほしいです。3人のレンガ職人の寓話にある通り、同じ作業をしていても、「レンガを積んでいる」ではなく「大聖堂を作っている」と考えられる人の方が仕事に夢中になれるでしょう。楽しい時間はすぐに過ぎ去りますよね。目的意識によって仕事の楽しさが変われば、生きる時間軸が変わってくるんです。「自分の仕事が世界を変えている」と思い込んだ方が絶対に得です。

 

 

 

 

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