大和ハウス工業の“三惚れ精神”
仕事に惚れろ。
会社に惚れろ。
自分に惚れろ。
石橋信夫。
大和ハウス工業の創業者で、元社長・会長。奈良県吉野郡川上村出身。
1921年生まれ。
1939年、奈良県立吉野林業学校(後の奈良県立吉野林業高等学校)卒業後、満州営林庁敦化営林署勤務。
1942年、前橋陸軍予備士官学校卒業。
1948年、満州営林庁敦化営林署復員。
1949年、吉野中央木材取締役就任。
1955年、大和ハウス工業を創業。
第二次世界大戦での大怪我や過酷なシベリア抑留を乗り越え、帰国。
戦争や災害で荒廃した故郷の山や町に奮い立ち、「木材の代わりに、強い鉄パイプで家をつくろう」と決意します。
それが「建築の工業化」でした。
パイプハウス、ミゼットハウス等を開発、国内初プレハブ住宅の道を拓く。
その後、大和ハウス工業を企業グループへと大きく成長させた。
スピードこそ最大のサービスだ。
天下の国鉄といえど、昔は駕籠(かご)かきだったではないか。今も日立から部品が入ってこなければ何もできない。日立だって社員40名からスタートしたと聞いている。どんな大きな会社も、小さな時代はあったではないか。
必要ならやれ!
どんなに売れる商品でも、3年後には墓場へやれ。
人に嫌われるのが嫌な者は、経営者にはなるな。
何をやったら儲かるか、という発想で事業を興したらあかんで。どういう事業が、どういう商品が世の中の多くの人々の役に立ち、喜んでもらえるかということを考えて事を興せよ
仕事をやる以上、仕事に惚れなくてはならない。仕事が恋人であるなら、成功せぬはずはない。
人間は、やろうと思ったら、なんでもできる。できないのは努力が足りないからだ。奇蹟が存在するのではない。努力と意志が奇蹟を生むのである。
樋口くん、“先の先”を見てくれよ。“先の先”やぞ。
未知の時代の勝利者となるには、まず既成概念を捨てることだ。そして新しい眼で、3年先、5年先、15年先を読むことだ。『サン・ゴ・ジュウゴ』の先を読むことができれば、さらなる将来の展望も開ける。