初めてバングラデシュでツアーを開催して以来、日本のお客さまが今まで100名以上、自社工場を訪れてくれています。
私たちのバッグを持ったお客さまが工員たちの前に訪れる、というのが、言葉では言い表せない教育なのかと思っています。
今まで彼らは頑張った結果を知りませんでした。
ダンボールに入れたらもうおしまいでした。
でも「僕たちが作ったバッグを、こんなに可愛い子たちが持ってくれているんだ」というのをリアルに見られたことで、顔つきが変わりました。
だから私は頑張った結果を見せるのが、教育に通じるひとつの本質だと思っています。
山口絵理子。
バッグや服飾雑貨メーカーのマザーハウス創業者。
国内フェアトレードの先駆者の一人。
埼玉県出身。
小学生時代、壮絶ないじめに遭い不登校に。
中学からはその反動で非行の道に走る。
中学2年で柔道を始め、更生。
中学3の最後の大会では、県で優勝、全国でベスト16の結果を残す。
中卒後、柔道埼玉県最強であった大宮工業高校に入学し、女子柔道部を1人で立ち上げ、男子部員のみと練習に励む。
関東大会で2位、全国大会7位に。
工業高校ながら独学で受験勉強し、慶應義塾大学の総合政策学部に合格。
卒業後、バングラデシュBRAC大学院開発学部修士課程修了。
大学院在学中、三井物産ダッカ事務所でインターンを経験。
2006年に「途上国から世界に通用するブランドをつくる」という決意のもとマザーハウスを創業。
バングラディシュをはじめ、アジアの貧しい国々に雇用を生むために現地工場を設立し、様々な支援活動を行っている。
主な著書に、『裸でも生きる 25歳女性起業家の号泣戦記』『裸でも生きる2 Keep Walking私は歩き続ける』など。フジサンケイ女性起業家支援プロジェクト2006最優秀賞受賞、Young Global Leaders 2008選出、シュワブ財団Social Entrepreneur of the Year in Japan 2011日本代表受賞。
やりたいことをやるために起業しました。でも、つらくなったのでやめる、というのはおかしいと思います。
いま、ネパールの事業は26歳の女性が統括しています。彼女は、以前は入谷店の副店長で、開発途上国で働いたことは皆無でした。それでも、海外で働いてみたいという希望を強く持っていたので、バングラディシュの工場にしばらく派遣して様子を見たところ、現地のマネジャーや工員たちとのやり取りから、コミュニケーションスキルが高いことがわかりました。海外で事業を行うには、コミュニケーションスキルが何よりもものをいいます。そこで、彼女なら大丈夫と、ネパールの担当に抜擢したというわけです。
何をやるのか決まっていないのにただ漠然と「起業したい」というのは、違和感がありますね。起業というのは目的ではなく、その先にあるものを実現するための手段だから。
会社を立ち上げて3年目ぐらいでしょうか。あるとき、スタッフの一人から「社長と私たちは違うんです」と言われて、ハッとしました。確かにこの会社は、貧困にあえぐバングラディシュの人たちの生活を、ビジネスを通じて改善したいというところから出発しています。しかし、組織が大きくなって来れば、その理念を全員が共有することも難しくなるでしょう。それよりも、当社が製造販売するバッグに魅力を感じ、それを売りたいという人が入ってきてもおかしくありません。逆に、そういう人に活躍してもらわないと、会社の成長も望めないのです。採用も、店舗なら接客というように、スキルを重視するようになりました。
頑張り方が間違っているから業績が上がらないスタッフを、感情的に怒ってもダメです。合理的に、丁寧に説明しないと、やり方を変えてもらうことはできません。納得しないと動かないのは日本人も同じです。
日本では「明日から毎朝8時に朝礼を行います」で済みますが、バングラディシュの工場では、どんなに口を酸っぱくして言ってもやらないし、無理やりやらせても3日と続きません。でも、生産現場で毎日、10も20も発生する問題の大半は、朝礼で確認したり注意を促したりしておけば防ぐことができるものです。だから、トラブルのたびに、そういう説明をちゃんとしてあげます。そうすると、やがて彼らの中にも、「朝礼には意味がある」という意識が芽生えてきます。すると、今度は彼らの方から、「モーニング・ミーティングをやろう」という声があがってくるので、それまでじっと待つのです。
スタッフへの言葉も、「ああしろ」「こうしろ」から、「ああしたいんだよね」「こうしたいんだよね」に変わりました。それを実行するのは私ではなくスタッフですから、方向性を伝えて、あとは考えてもらいます。
この国を本当に支援するにはビジネスを立ち上げるしかない、いいものを作って輸出できれば経済的自立の一助になると思ったんです。最初は、現地に行ってから辞書を片手に、みたいな(笑)。ちゃんと準備して行ったわけではないですし、途上国で本当にいいものが作れるか、チャレンジしたくて始めたという面もあります。それこそ、バッグの作り方さえ知らなかったんですよ。
私は自分をリーダーだとは思っていません。ただ、女性の従業員も多くなる中、この人たちはどうやってお母さんになり、家庭を持つのだろうと考えます。働くことと生きることの境界線をなくせるようなライフスタイル、それを示さなければいけないのだろうと漠然と思っています。「ここまでは仕事、ここから先は家庭」みたいなやり方では当社はやっていけないし、これからの日本もやっていけないはずです。
アクションを起こしたいと思うなら、起こせばいいと思います。行動しないと自分の底力は見えてきませんから。