作家、村上龍:人生サバイバル!「転校生の論理」とは?

作家、村上龍:人生サバイバル!「転校生の論理」とは?

人生サバイバル!「転校生の論理」とは?

村上龍/作家

 

私は「転校生の論理」と呼んでいますが、孤独な転校生が新しい環境でよいところを見つけるように、何かいいところはないか、興味が持てる部分がないか、を考えることです。
ある場所で暮らさなければならなくなったとき、そしてその場所が快適でもなく、人間関係もよくないとき、いいところを探し発見できるかどうかというのは、サバイバルする上で、案外重要です。

 

 

村上龍とは?

 

 

村上龍。

本名「村上龍之助」。

 

長崎県佐世保市出身。

父は美術教師、母は数学教師。

 

佐世保市立御船小学校、佐世保市立光海中学校を経て、1967年長崎県立佐世保北高等学校に入学。

1971年佐世保北高校を卒業、それに前後してロックバンドを結成し、文化会館を借りてロック・フェスティバルを行なった他、8ミリ映画の制作や劇団を作って活動するなどした。

 

この年の春に上京し、現代思潮社の主宰する美学校のシルクスクリーン科に入学するも、半年で退学、同年10月から1972年2月まで、米軍横田基地に近い福生市に住んだ。

1972年、武蔵野美術大学造形学部基礎デザイン科入学。

 

武蔵野美術大学在学中の1976年、麻薬とセックスに溺れる自堕落な若者たちを描いた『限りなく透明に近いブルー』で群像新人文学賞、及び芥川龍之介賞を受賞。

エレクトーン奏者の女性と結婚。

 

男児をもうけ、大学を中退したのち、本格的な作家活動に入る。

1980年、コインロッカーに遺棄された孤児の破壊衝動を描いた『コインロッカー・ベイビーズ』で第3回野間文芸新人賞受賞。

 

2000年、引きこもりの青年が戦争に魅了されていく様を描いた『共生虫』を発表、第36回谷崎潤一郎賞受賞。

2003年、中学生へ向けて働くことへの興味を促す目的で『13歳のハローワーク』を発表。

 

2005年には日本への北朝鮮侵攻を描いた『半島を出よ』を発表、第59回毎日出版文化賞、第58回野間文芸賞を受賞した。

2006年日本経済新聞社の冠スポンサー番組カンブリア宮殿メインインタビュアーに起用される。

 

2010年11月5日、電子書籍を制作・販売する新会社G2010(ジーニーゼロイチゼロ)を設立。

2011年『歌うクジラ』で毎日芸術賞受賞。

 

2013年には、G2010から新たに電子コンテンツブランドとして「村上龍電子本製作所」を立ち上げた。

 

 

厳選!村上龍の珠玉名言

 

 

育児についてアドバイスがあるとしたら、「人生とは案外面白いものだ」と、言葉ではなく、生き方を示すことで、教えることですね。具体的に何かをするということではなく、単に、親が楽しく充実した人生を生きていれば、子供は自然とそれを学びます。

 

 

頭脳ではなく、内臓で書かれた小説だけがリアルなのだ。

 

 

アイデアというのは、まったく新しいことを考えつくことではありません。「組み合わせ」です。『13歳のハローワーク』でも、普通の職業紹介本は山ほどありましたし、子供のための絵本も何万冊もありました。けれど、「子供のための職業紹介の絵本」は多分なかったはずです。

 

 

本当に「必死で言葉を探して」いるのなら、いつか必ずいい言葉を発見できる。

 

 

独創性というのは努力すれば得られるのか。訓練によって独創性は育つのだろうか。「独創性を学ぶ教室」というものがあると仮定してみよう。独創性を持つ人は、そんな教室に入ろうと思うだろうか。独創性とは、特定の個人、組織に自然発生して、それを維持させていくという意志ではないのだろうか。

 

 

昔の話をするときは楽しいが、現実に戻ると楽しくない、というのはたぶん「老化」。そうなったら「すでに自分には老化がはじまっている」という意識を持つことがまず大切かも知れない。

 

 

話が通じない相手と渡り合うには、尋常ではない努力が必要。必死で業績を上げる、非論理的な上司が認めざるを得ないくらい結果を出す、それしかない。

 

 

僕は「日本を元気にする」という類の議論は無責任だ、と書いたことがあります。これだけ多様化し成熟した社会で、「日本をどうする」といってできるものではない。個人や企業が努力して、その個が集まって全体が変わっていくというのが本筋だと思います。

 

 

ユーモアは常識にとらわれない視点から生まれる。

 

 

我々は東日本大震災からものすごく大事なことを学びました。ひとつは小さなコミュニティで助け合うこと、もうひとつは既存のシステムや考え方に依存しないということです。

 

 

ユーモアというのは、「頑張ること」と、真逆です。ユーモアのセンスというのは生まれつきではなく、学ぶものです。ユーモアがまったくない生真面目な家庭に生まれ育った人が、豊かなユーモアの持ち主ということはあまり考えられません。だからといって、自分にユーモアのセンスがないと落ち込む必要はないです。

 

 

お金は後からついてくる、というのはどうやら真実らしいです。私がインタビュアーをつとめる番組『カンブリア宮殿』は、成功企業の経営者がゲストですが、彼らに共通するのは「利益を最優先しない」ということでした。

 

 

「カンブリア宮殿」という番組で多くの経営者の話を伺っていて感じるのは、時代の変化に直面した企業が自らの資源を再発見し、再構成することの重要性です。それを新たな時代に活かすことで、生き残った企業がたくさんあります。

 

 

給料が上がらないというのは「悩み」ではなく、「目の前に立ちはだかった現実」だということに気づいてほしい。

 

 

失敗を恐れずに新しいことにチャレンジするために必要なのは、考え方や決断ではありません。「前もって成功しておくこと」が重要です。新規ビジネスへの挑戦は、「成功のあとの絶好調のとき」にやるべきなのです。失敗を恐れずにチャレンジしろというのは、失敗しても会社が潰れない場合に限られるのです。

 

 

世の中には、好きなことを仕事にしている人とそうでない人の、2通りしかいない。

 

 

「まったく新しいことへの挑戦」ということではないということがわかっていただけるのではないかと思います。すべて、それまでに行ってきた作業の蓄積が元になっていて、また経験や人脈がなければ実現できなかったことばかりです。だから、私自身は、「新しいことに挑戦している」という意識がなく、これまでやってきたことをベースにして、それらを組み合わせているだけだと思っているのです。

 

 

お金で買えない物は沢山あるが、お金があれば回避できる不幸が多いのも事実だ。

 

 

番組スタッフから頂いた資料をそのまま鵜呑みにするのではなく、自分の意見や疑問を持ち、関連する資料を探しながら読んでいます。

 

 

勇気を持って「劣っている」と認めると、いろいろ具体的に考えなければいけなくなる。まず「どこが劣っているのだろうか」と、他の同期と自分の仕事内容・結果、あるいは社内でのコミュニケーションのやり方などを比べてみる必要が出てくる。

 

 

映画『フィラデルフィア』で、弁護士に扮したデンゼル・ワシントンが何度も使う台詞があります。「私を6歳の子供だと思って説明してください」というセリフです。要するに、「もっとわかりやすく説明してくれ」ということです。6歳の子供に何かを教えるのは大変です。6歳児の知識は限られていますし、むずかしい言葉もわからないし、つまらないと思うとすぐに飽きて話そのものを聞こうとしなくなります。覚えが悪い2人の部下に対し、折れるとか、持ち上げるとか、そんなことではなく、一度、「6歳児に教える」つもりで、話してみてはどうでしょうか。

 

 

この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない。

 

 

モチベーションというのは「努力して」身につけるものではありません。あまり好きではない異性や食事に対し、「努力して好きになる」のが無理なのと同じです。

 

 

自己嫌悪の感情を持つのは正常な証です。自己嫌悪というのはネガティブな感情ですが、理想あるいは目標とする自分自身をイメージできていなければ、湧いてきません。理想、目標とする自分自身をイメージして、現段階では実際の自分がそのイメージとは違う、という認識で自己嫌悪が生まれます。そして、当たり前ですが、自己嫌悪というのは決して心地よくないので、そういったネガティブな感情から脱するために、人は何らかの努力をはじめるわけです。

 

 

経営者というのは、安定した正三角形の頂点に君臨するのではなく、不安定な逆三角形の最下部で会社と社員を支えなければならない存在だ。

 

 

すべてのプレゼンターにも共通する大切なポイントはあります。それは「話術」ではなく「周到な準備」です。企画をスポンサー候補の企業などに説明するときには、あらゆる資料を準備します。あらゆるものを用意します。プレゼン素材全部そろえたら、あとは、説明する順番を決めます。これがとても大事です。一番最初に説明するのは、その企画・商品の特性と魅力ですが、できるだけシンプルに、また本質を表すことができる言葉を選んで、注目を引くように心がけます。

 

 

「気が合い、飲み込みも早く、教えていて楽しい」という部下のほうが特殊なのではないでしょうか。たいていの場合、「覚えが悪く、学ぼうという意欲もない」人を相手にするほうが「普通」なのだと思います。

 

 

部下の悪いところにばかり目が行くのは性格ではない。誰にでもそういう一面、そういったときはあります。私の場合、気持ちが落ち込んでいたり、いやなことがあったりしたときに、他人の悪い面に目がいきます。苛立ってしまい、他人に当たりたくなるわけです。逆に、充実した時間を過ごし、達成感とともに心身ともに安らいでいるときは、基本的に他人に対して、優しくというか、寛容になることができます。だから、性格を直したり、変えようとするのではなく、まず自分が充実した時間を過ごしているか、仕事で達成感を得ているかを考えてみたらどうでしょうか。

 

 

奴隷は実に楽だ、主人のいいなりに生きればいい。

 

 

「モヤモヤ」した感じの底にあるのは、「もっといい人生を送りたい」という正当な欲求。向上心の現れ。「自分にはもっと違う人生があるはずだ」とどこかで思うことが、向上や進化に結びつく第一歩。

 

 

私がインタビュアーをつとめる「カンブリア宮殿」という経済番組がありますが、そのゲストの一人が、ダメな経営者の典型として「グズとケチ」というのを挙げていました。グズというのは、重要な局面において決定が遅れるという意味です。経営者としては致命的です。ケチというのは、事業の拡大や新商品の開発、それに優秀な人材の確保や成果を上げた社員への報酬などにおいて、金を出し渋り、チャンスを逃すということで、これも経営者としては最悪です。

 

 

自分が全力で取り組める一生の仕事を持っているかどうか。人生はその一点にかかっている。

 

 

ユーモアのセンスというのは、なくても生きていけますが、あるほうがいろいろと有利です。極端な例ですが、アウシュビッツやシベリアなどの強制収容所で生き延びることができた人たちの特徴として、ユーモアのセンスがあったことがよく指摘されます。プロレスラーのような身体強健な人よりも、ユーモアのセンスがあり、どんなに辛くても周囲を笑わせることができた人のほうが、極限状態をサバイバルできたということです。それは、ユーモアが、人の心や、場を和ませ、たとえ一瞬でも、辛さを忘れさせてくれるからです。

 

 

競争社会は、能力を磨く社会であって、他人を蹴落とす社会ではない。

 

 

才能がないって自分で決めることの方が簡単なんだ。

 

 

いい大学に行って、いい会社や官庁に入ればそれで安心、という時代が終わろうとしています。それでも、多くの学校の先生や親は『勉強していい学校に行き、いい会社に入りなさい』と言うと思います。勉強していい学校に行き、いい会社に入っても安心なんかできないのに、どうして多くの教師や親がそういうことを言うのでしょうか。それは、多くの教師や親が、どう生きればいいのかを知らないからです。勉強していい学校に行き、いい会社に入るという生き方がすべてだったので、そのほかの生き方がわからないのです。

 

 

偶然と欲望と生理がからまって歴史ができる。

 

 

倒れまいとして次々に足を前に出す、それが走るということだ、最初に二本足で立ち上がったサルはきっと全力で走ったんだ。

 

 

唯一の復しゅうの方法は、彼らよりも楽しく生きることだと思う。

 

 

楽しいことを仕事にするのはいいことですが、楽しいというのは非常に定義が曖昧なので、何とも言えません。楽しいというのは、「やらないよりはマシ」から、「やっているとワクワクする」、そして「それを奪われると生きていけないかも知れない」まで、いろいろです。仕事というのは、それがどんな種類でもかなりシリアスなので、「奪われると生きていけないかも知れない」というような切実な「楽しさ」があるほうが有利です。

 

 

落ち込むより楽しむほうが何十倍も大変なんだ!

 

 

全てを失った日本が得たものは、希望だ。大地震と津波は、私たちの仲間と資源を根こそぎ奪っていった。だが、富に心を奪われていた我々のなかに希望の種を植え付けた。だから私は信じていく。

 

 

絶望した時に発狂から救ってくれるのは、友人でもカウンセラーでもなく、プライドである。

 

 

出来る出来ないじゃない、やるかやらないかなんだ!

 

 

 



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