business

幻冬舎創業者、見城徹:作家の口説き落とし方とは?

作家の口説き落とし方とは?

 

見城徹/幻冬舎創業者

 

僕が入社したころは、角川はブランドでも何でもなくてね。

文藝春秋や講談社とは仕事をするけど、「角川とはちょっと……」という作家がほとんど。

そんな作家を一人ひとり口説き落としていくんです。

五木寛之さんもその一人でした。

とにかく五木さんの作品を読み込む。

全部読む。

書き下ろしや連載小説だけではなく、どんな小さなエッセイや対談も必ず読む。

そして、発表された5日以内には手紙を送るということを自分で決めたんです。

単に「読みました」という手紙じゃ意味がない。

書き手に新しい発見をもたらすというか、「ああ、そういう見方もあるか」と刺激になるようなことを書かなきゃいけないわけです。

大変でしょうって?

大変だよ、そりゃ(笑)。

人が寝ているときも寝ずに、手紙を書く。

人がくつろいでいるときも、悪戦苦闘しながら書く。

五木さんには、17通目の手紙でようやく返事をいただき、25通目の手紙でついにお会いできることになりました。

 

 

見城徹とは?

 

 

見城徹。

株式会社幻冬舎を創業し代表取締役社長として同社を上場させた(後にMBOにより上場廃止)。

 

株式会社ブランジスタ取締役。

エイベックス株式会社取締役(非常勤)。

 

1950年生まれ、静岡県清水市出身。

静岡県立清水南高等学校を卒業し、慶應義塾大学法学部に卒業。

 

大学卒業後、廣済堂出版に入社。

自身で企画した初めての『公文式算数の秘密』が38万部のベストセラー。

 

1975年、角川書店に入社。

『野性時代』副編集長を経て、『月刊カドカワ』編集長に。

編集長時代には部数を30倍に伸ばした。

 

つかこうへい『蒲田行進曲』、有明夏夫『大浪花諸人往来』、村松友視『時代屋の女房』、山田詠美『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』、景山民夫『遠い海から来たCOO』の5つの直木賞作品を担当し、森村誠一『人間の証明』、五木寛之『燃える秋』、村上龍『トパーズ』等々のベストセラーを手がけた。

 

このカドカワ時代に、坂本龍一、松任谷由実、尾崎豊など、芸能人、ミュージシャンとの親交を培った。

41歳で取締役編集部長に昇進。

 

1993年、取締役編集部長の役職を最後に、当時の社長・角川春樹のコカイン密輸事件をきっかけに角川書店を退社。

 

部下5人と幻冬舎を設立、代表取締役社長に就任。

社名は五木寛之の命名。

 

設立後、五木寛之『大河の一滴』『人生の目的』、石原慎太郎『弟』『老いてこそ人生』、唐沢寿明『ふたり』、郷ひろみ『ダディ』、天童荒太『永遠の仔』、梁石日『血と骨』、向山貴彦『ビッグ・ファット・キャットの世界一簡単な英語の本』、村上龍『13歳のハローワーク』、上大岡トメ『キッパリ!』、木藤亜也『1リットルの涙』、山田宗樹『嫌われ松子の一生』、劇団ひとり『陰日向に咲く』の14作のミリオンセラーをはじめ、小林よしのり『新・ゴーマニズム宣言・戦争論1 – 3』、白川道『天国への階段』、細川貂々『ツレがうつになりまして。』、村上龍『半島を出よ』、渡辺淳一『愛の流刑地』、宮部みゆき『名もなき毒』など、ベストセラーを送り出した。

 

幻冬舎としては、2003年1月JASDAQ上場。

同年2003年、日本スポーツビジョンを子会社化し、スポーツのライセンスビジネスに乗り出したが、5か月後の2004年3月、同社の民事再生法適用を申請、特別損失10億円を計上。

 

2005年2月に子会社の幻冬舎ルネッサンスが、ライブドアとの共同出資より出版社ライブドアパブリッシングを設立。2006年8月にライブドアパブリッシングの株式を売却し、同社はライブドアの完全子会社となった。

2005年5月にサイバーエージェント系の出版社アメーバブックスと業務提携を締結し販売業務を幻冬舎が受託。2007年11月にサイバーエージェントと幻冬舎の共同出資より出版社アメーバブックス新社を設立(2012年3月解散)。

 

2010年10月にMBO(マネジメント・バイアウト)の実施を発表。

しかし、投資ファンドのイザベルリミテッドが市場で買い進め、同年12月6日に筆頭株主になったことが、関東財務局に提出された大量保有報告書及び変更報告書により判明。

 

公開買い付け(TOB)を行っている、見城の所有する特別目的会社・TKホールディングスは、イザベルリミテッドに対抗して、同年12月13日にTOBの買付け価格を220,000円から248,300円に変更し、同時に買付予定数の下限を18,300株から13,725株に変更し、買付期間も9営業日延長し2010年12月28日までとすることを発表。
その後、MBOは成立。上場廃止となった。

 

2012年5月に子会社株式会社ジーエフエス(GFS)が、飲食事業を営む株式会社バンクエスト・フードサービスの事業の全てを譲り受け、飲食事業を開始。
同社は、飲食チェーン(粥麺茶房、香港粥麺専家)経営を行っていたが、2014年9月に閉店。

 

2013年4月には40代女性向けのファッション雑誌「DRESS」を創刊し同誌の編集子会社として「株式会社gift」を設立。
鳴り物入りでの話題を巻き起こして発売したが、売れ行き悪化による債務超過のため、保有株の大部分を同年12月26日付にて決済代行会社「パス」に売却。
2016年4月には、株式会社giftの事業をパス社の全額出資子会社に移管。幻冬舎の関与は消滅している。

 

 

厳選!見城徹の珠玉名言

 

 

抱えている仕事で憂鬱なことが3つ以上ないと不安になる。楽な仕事など、大した成果は得られない。憂鬱こそが、黄金を生む。

 

 

大学を出て仕事に就いたばかりのころは、「一番難しいことをやろう。誰もやり遂げていないことをやろう」と思っていました。子供のころから劣等感の塊だったから、とにかく人ができないことを成し遂げたいわけです。そうじゃないと、人に認めてもらえない気がして。1から5までの道があるとすると、一番難しい5の道を選ぶというのが僕のスタイル。

 

 

かけた電話は絶対に先に切るな。

 

 

異業種交流会やパーティー、催しと名のつくものは全部くだらないと僕は思っている。よっぽど義理のある人に頼まれない限り、参加しないよ。表面的な名刺交換をして、「いい天気ですね」って雑談をする程度で関係性がつくれるはずがないじゃないですか。人脈ができたと勘違いしても、実際は余計な名刺が増えただけ。

 

 

SNSではまともな人付き合いはできないよね。僕は見城徹の名前を背負い、責任をもって言葉を吐き出してきたけれど、一般の人はほとんどが匿名だから、発言も無責任。真摯な人はごくわずかだよ。血の流れも、鼓動も伝わらない人と、濃いつながりができるわけがないよ。余分な時間が増えて、身動きがとれなくなるだけ。

 

 

僕は回遊魚と同じで、動いていないとダメなんです。立ち止まって考えたりしていると、なんだか切ない気分になってしまう。じっとしていると、その切なさに押しつぶされてしまう気がするんです。だから生きているという実感が欲しい。生の実感、たとえば歓喜とか官能とか快楽とか、そういったものを味わいたい。そのために仕事で闘う。頑張る。たしかに闘うプロセスというのはつらい。圧倒的努力を求められますから。でも、つらければつらいほど得られる歓喜も大きいんです。

 

 

政治家、スポーツマン、芸能人、どの業種でも、その世界の3人の大物と3人の輝く新人を押さえろ。信用されろ。関係を築け。3人ずつ押さえたら、無理に人脈をつくらなくても、その中間の必要な関わりは自然と広がりますから。

 

 

圧倒的努力も、3~4か月ならともかく、1年中やっていたらそりゃぶっ倒れる。大きな果実を得たらしばし、甘美で官能的な休日を取ってね。そしてまた新たな難しいハードルに向かって闘っていくという繰り返しです。

 

 

圧倒的努力というのは、人が寝ているときに寝ないことなのである。人が休んでくつろいでいるときに、自分は仕事や勉強に取り組む。さらに言えば、人が諦めてしまうものを諦めないということだ。それをやるかやらないか。しかも決然と決意できるかどうか。仕事にしろ、勉強にしろ、結局は覚悟の問題だ。

 

 

成功している起業家とは3万人のうちの1人だ。頭角を現さなかった2万9999人は消えているから、歴史に残らない。成功した人たちだけが残っているから、成功した起業家がいっぱいいるように見える。だが、その背後は死屍累々の有り様で、成功した起業家になるのは奇跡に近いことなのである。

 

 

「この世にあらざるもの」をつくれ。

 

 

人間は必ず死ぬ。死ぬことをわかっていながら生きるのだから苦しい。その救いとしての小説や音楽といった表現も生まれる。

 

 

「上っ面」「思いつき」「小手先」「帳尻合わせ」「その場しのぎ」。これらが仕事や人間関係の5大悪。

 

 

「負ける」と「負けている」は、まったく別のものである。負けたと認めたときに負けとなる。

 

 

動くしかなかったわけで、望んでやったことじゃない。でも人生って、そういう風にしか動かないんだな、っていうのがよくわかりました。

 

 

「正面突破」という言葉が僕は好きなんですけど、どんな場面でもまっすぐ筋を通すことが一番の近道だと思う。

 

 

人と関わるうえで一番大切なのは、義理、人情、恩返し。頭文字をとって僕はGNOといっている。

 

 

私には人がそんなバカなということを選び、やり続けてきた自負がある。

 

 


arashioono