「正しき事に従う心」。
これには勇気もいるし、忍耐力もいる。
煩悩の私等は、つい自我に走り易いものですが、日に日に新たにして、日にまたなりというように、たとえ一分間でも正しき事に従う努力をすることが大切かと考えております。
小林孝三郎。
明治30年(1897)6月、父伊三郎の三男として茨城県猿島郡岩井町(現茨城県坂東市岩井)に生まれた。
呉服屋の7人兄弟の三男坊に生まれた。
父親は、煙草が専売になる前、煙草製造工場をつくり、猿島のあたりの煙草を集め一手に製造していた。
しかし、これが専売制度ができて国に買い上げられると、こんどは醤油の製造をはじめた。
ところが、父親は仕事が大成しないうちに他界してしまいます。
長兄は東京の旧制中学三年を中退して醤油屋の後を継いぎ、当時の孝三郎少年は6年生で千葉の我孫子の姉の家にあずけられます。
我孫子の高等小学校では孝三郎少年は成績がよく、級長をつとめており、卒業のとき校長先生から「お前は中学に行け」とすすめられたが、運悪く兄が親族の保証人になったためそれが元で負債を背負うハメになり、中学進学は断念して、実業に入ることになります。
そこで親戚の釜屋化学と言う化粧品のビン類を製造していた小室新之助氏を頼って上京。
化粧品メーカー高橋東洋堂へ、小僧として奉公。
明治45年(1912)、16歳の時である。
終戦翌年の昭和21年(1946)までの35年間、化粧品の製造、販売、経営の各分野に携わった。
戦争が終わって時代が変わり、高橋東洋堂で培った人脈や経験、取得した知識を新時代にどう生かし、独立。
「50歳」にしての決断だった。
昭和21年3月、化粧品や歯磨剤等の製造・販売を掲げて「小林合名会社」を設立した。
のちの、株式会社コーセーとなる。
1964年埼玉県に狭山工場を設置。 東京都北区に研究所(現 コーセー製品開発研究所)を開設。
1965年東京都中央区日本橋に本社移転。
1968年香港に進出。
1969年に「コーセー高等美容学校」を設立し美容の専門家の育成に尽力。
1971年シンガポールに新加坡高絲私人公司(KOSE SINGAPORE PTE.LTD.)を設立。
1979年群馬県に群馬工場を設置。
1981年小林コーセー代表取締役会長就任。
1984年台湾に台湾高絲股有限公司を設立。
1988年東京都板橋区に板橋研究所を開設。販売会社、コーセー化粧品販売株式会社を設立。一般品ルートの化粧品販売会社、コーセーコスメポート株式会社を設立。
1990年(平成2年)化粧品学の進展のために私財10億円を投じて「財団法人コスメトロジー研究振興財団」を設立し、理事長に就任。
1991年(平成3年)株式会社コーセーに商号変更。
1995年コーセー名誉会長就任。
1995年7月他界。
尚、株式会社コーセーの社名の由来は小林孝三郎氏の「孝」=KOと、起業理念である「誠実」の「誠」=SEIを組み合わせたものです。
昭和45年勲三等瑞宝章を受章。
昭和48年フランスの国家勲章オードル・ナショナル・ド・メリットを受章。
昭和63年故郷岩井市に私財1億円を寄付し、奨学基金を設置。
平成5年岩井市より名誉市民の称号を贈られる。
実家に帰ってくると、家で叔父を相手によく将棋を指していました。格闘技が好きな人で、特に相撲は大好きでした。キックボクシングも好きでしたね。
いまにして考えると、親父という人は町会議員をしたりして野心家だった。それにおしゃれでフロックコートなど着ていましたね。そのころ岩井町の釜屋の家は天井や廊下が杉の一枚板で紫檀、黒檀、タガヤサンをつかったたいへんぜいたくな造りでしてね。毎日のように家を見に来る客がぞろぞろいたのを思い出します。父親は建築には目がないくらい凝っていた人だというから、自分がゴルフや絵画趣味に凝るのと、どこかつながっているんでしょうね。
20才を少しすぎた、ある時代に人間は何のために生まれたのかということを真剣につきつめて考えたんですよ。
慢心を退けよ。そして先取りを怠るな。
商売の道はそれぞれ違うけれども、商売で成功する道に変わりはない。やはり人並み以上の努力をしなければダメだ。人並み以上の努力を続けているうちに、機会、チャンスがくる、そして成功する。
最高よりも最良を。
「お陰さま」を忘れちゃいけないと。お陰さまでコーセーは、全国一流の方々に理解され、ご協力いただいております。若いセールスマンは知りません。コーセーの歩みを知らないので、それを教えなくちゃ、それがプロの道です。
良い商品を良いお店できちんと売る。
一気に伸びてきたというので、『コーセーさんは創業の時期がよかった』という人もいる。しかし違う。私は『いや、発展のチャンスはつねにある。いまもあるんですよ』と申しあげている。やり方によって、どんな時代でも発展できるのだ。チャンスはあるのだ、ということです。
人々に美しい夢と希望を与える化粧品に対する限りない情熱。
私が小林コーセー(コーセー化粧品)を創業したのは昭和21年3月のことで、数えで50歳で独立した。当時、日本は敗戦の混乱の中にあり、化粧品をつくろうにも原料、材料ともになく、また資金も乏しかった。文字どおりゼロからのスタートであった。しかし私にはいささかの不安もなかった。やり方さえ間違わなければ成功できるし、チャンスは常にあると考えていた。
思い立ったが吉日で、常に現時点をチャンスに好機と考えて行動すること。
チャンスは常にある。今もある。