創業したとき、僕はアメリカに留学していたんですが、さぞかしアメリカ人は凄いんだろうなぁと思っていたら、全然大したことないし、仕事も適当だし、むちゃくちゃやなと思ったんです。
その後、シリコンバレーに行って気づいたんですが、アメリカという国は、1%の天才が99%を動かす国なんですね。
だから最初はなんでこんな奴らに負けてるんだという怒りから起業したんです。
それでいろんな人に「アメリカ倒す」と言いまくっていたら、ある経営者に「山本くん血気盛んでいいけど、こんな言葉がある」と言われ、色紙に「血気に老少ありて、志気に老少無し」って書いてもらったんです。
血気盛んなモチベーションは老いと共に減るけど、志によるモチベーションは老いと共に減りはしないという意味で、当時25歳の僕は、完全に血気盛んなモチベーションやなって思ったんです。
それで「志」ってどういうことやろうと考えたときに「アメリカ倒す」ではなく「日本がもっとよくなればいいんだ」ということで「ITで日本をよくする」になったんです。
山本敏行。
1979年3月21日、大阪府寝屋川市生まれ。
中央大学商学部在学中の2000年、留学先のロサンゼルスでEC studio(2012年にChatWork株式会社に社名変更)を創業。
2004年にEC studioを法人化。
2012年に米国法人をシリコンバレーに設立し、自身も移住して5年間経営した後に帰国。
2018年、Chatwork株式会社を共同創業者の弟に譲り、2019年「My CSO」をスタート。
同年ビジネスYouTubeチャンネル「戦略チャンネル」でこれまでの経験、ノウハウを配信している。
2019年東京証券取引所マザーズ市場へ新規上場。
「自分がいなくてもうまくいく仕組み」、「日本でいちばん社員満足度が高い会社の非常識な働き方」を出版し、いずれの著書もアマゾン売上総合ランキング1位を獲得。
もともと大阪の生まれで、両親が音楽スタジオを営む商売の家で育ったんです。現在ChatworkのCEOになった弟の正喜が2歳下で、昔からPCいじってゲームなんかを作っていました。PCを自分もいじったんですが、当時はインターネットも普及していない頃でしたから、パソコン通信で海外に住んでいる人とやり取りができることに衝撃を受けました。起業には自分を変えるような衝撃的な体験が必要だと思います。私の場合、この時の衝撃が他の体験と合わさって、後の起業につながっていきます。
高校生のときにオタクだった弟の部屋に初めて入ったことがあったんですが、弟はパソコンのなかで「この飛行機はアメリカ人、これはインド人」といった具合に対戦ゲームをしてたんです。今から20年以上も前のホームページもないような時代に、大阪の寝屋川という田舎から全世界の人にアプローチできるんかと衝撃を受けたんですね。これはモノが売れるかもしれないと思って、家にあった不要品を売りまくったのがはじまりです。その後も親父のアカウントを使ってお小遣い稼ぎをしていました。
学年で僕一人だけがセンター試験を受けないって宣言するもんだから、みんなから「あいつアホや、アホの山本」って言われてました。でもそのときの「センター試験受けろ」みたいな周りからの同調圧力はもの凄かったですね。周りが全員それだから俺がおかしいんかなって錯覚するくらいでした。おそらく僕と同じような人が、今の日本にはいるはずで、周りから「起業なんかやめとき」とか「地元のあの企業に行け」みたいに言われ、みんな潰されてると思ってるんです。
大学を出た後、就職せずに自分の会社をやります、と言ったんですが、親に大阪に連れ戻されました。実家の音楽スタジオを継いでほしかったんですね。一時的に父親の会社で働くことになり、親の会社の仕事と、親の会社の近くに拠点を作って、EC studioという会社名で自分のビジネスを続けていました。これなら良いだろうということで。音楽スタジオの仕事をやりながら自分の事業もするわけですから、時間がなくなりますよね。だから効率的にやる必要があった。連絡を取るにしてもメールだと遅いので、チャットでやる必要があったんです。
自分は普通のサラリーマンをしたことがないので常識がないと言えますが、逆に発想が絞られないという意味で、常識がないのが良かったと思っています。常識で考えたら、チャットを仕事の伝達手段のメインにするとか、考えられないですよね。当時はメールですら、企業では普及し始めですから。弟の正喜が、大学を卒業してIT企業に就職し、そこでSEOとかプログラミングとかをやっていたんです。その後、彼をウチの会社に引っ張んたんですが、今から思うと、なんとしてもジョインしてもらおうと、無茶苦茶やりましたね。自分も社員も必死でした。
会社は最初、業務効率事業をやっていましたが、方針転換をしてPCソフトを売り始めました。G suiteやセキュリティソフト、1ジャンル1ソフトを売り出すということをやっていました。G suiteを日本に広めて、有数の代理店になったり、けっこう儲かっていました。ただ、人が作ったものを売っていると物足りないんです。代理店として、他社の製品を扱っていると、メーカーの都合に振り回されることもあります。うちはマーケティングの会社だけど技術力もある。自分たちで作れる!という気持ちが常にありました。メーカーの都合で卸率を変えられるとか、求めていない機能がアップグレードでついて高くなりましたとか。そういう外部の都合で振り回されるのではなく、自分たちでできないかと。人のものではなく、本当に自分たちが満足する製品を作って、送り届けるということですね。
開発は最初弟一人に任せたんですが、社員全員がチャットはどういうものか理解していたので、こんな機能があったらいい、という要望が社内から出てくる。ヘビーユーザーで知り尽くしているわけですよね。社内から不満噴出すると、開発も強制的にがんばらないといけない状況でした。こうして製品としての完成度が上がっていって、今でいう働き方改革、業務効率化のツールとして、動画配信サービスで紹介番組を配信したんです。
もともと我々は一般のチャットツールを使って事業を行っていました。その中で、既成のツールの限界を実感しました。個人向けのツールだったこともあって、社員が辞めてもデータが消せない、検索機能が弱い、など会社で使うには複数課題がありました。同じ機能を持ったビジネス用のツールを開発できないか、と思ったんです。今でこそ働き方改革が注目されていますが、当時は、長く働けば良いという風潮でした。そんな時に、業務を凝縮して、効率的に働くためのツールを作ろうとしていたので、当時は社会的な背景や既成の概念からなかなか使ってもらえないのではないかという懸念がありました。Chatworkは、自分達が使いやすいものを作り、取引先とのコミュニケーションツールにして、外販もするということにしたんです。製品として上手く行かなくても、最悪社内ツールで良い、と割り切ったんですね。
「チャットワーク」は、先ほど述べた、従来、顧客が抱えていた3つの課題を解決している。第一に、フリーミアム(無料で使い始めることが可能なサービス)で提供している。第二に、農家や介護業界など、必ずしもITリテラシーが高くない業種の方々にも広く使ってもらえるよう、余計な機能をそぎ落とし、シンプルで使いやすいツールになっている。実際、利用企業の6割は非IT企業である。第三に、「チャットワーク」はどのような業種でもほぼ100%使われていたメールを代替し、コミュニケーションを効率化するツールであるため、どのような業種であっても、その効果を享受することができる。
「チャットワーク」は、「メールによる非生産性」を解決するツールとして利用されているが、次は「会議による非生産性」を解決していく方針だ。会議による非生産性は、パワーポイントやワードを使っていることに一つの原因があると考えており、その辺りの問題を解決していきたい。更には、「業務を効率化するツール」としてだけではなく、「売上アップにも貢献するツール」としても昇華させていきたい。具体的には、売上アップに貢献できるツールを提供している企業と連携し、「チャットワーク」のプラットフォーム化を進めている。
シリコンバレーから帰ってからは、グローバルカンパニーができないことをやろうということで、地方のエバンジェリスト発掘、地方創生をやりながらChatworkの代表をやっていました。例えば神戸の「谷上プロジェクト」。神戸の谷上という、神戸の中心街から少し行った山間の駅ですが、シャッターのしまっていた店を、クラウドファンディングで 2600万円集めて再生したんですね。オープニングの際は、谷上で見たことがないくらい人が集まって、地方創生の拠点にしようと考えました。ただ、帰国後に、Chatworkの社長から地方創生までたくさんのことをやりすぎて、個人的にパンク状態になり、燃え尽きてしてしまいました。今から思うと多くのやりすぎたのかもしれません。やりたいことを全てやって、真っ白に燃え尽きました。
シリコンバレーにはゴールドラッシュのときのように金を掘り当てたい人だけでなく、ツルハシやジーンズを提供する人もたくさんいる。あまり表に出てこないけど、この層の厚さがすごく助かります。アメリカに来たら、競合企業が腐るほどいて、ものすごい速さで他社サービスを組み合わせて、商品を改善していく。そこに自前で対抗していてもスピードで勝てるはずがない。考え方を変えないといけないと痛感しました。
よくシリコンバレーが凄いと言って、日本人はありがたがったりしますよね。でも、シリコンバレー流をそのまま持ち込んでも日本では役に立たない。根本にあるものが違うので、手法だけ持ち込んでも上手く行かなかったりします。「日本と海外でマネジメントの背景がそもそも違う」という当たり前のことをちゃんと認識するべきですね。
マーケティングにはプル型(ユーザーが受動的に情報を受け取る)とプッシュ型(ユーザーが能動的に情報を受け取る)2種類がありますが、アメリカはプッシュより、プルで徹底していますね。シリコンバレーにはシリコンバレーにしかないマーケティングというのがあります。日本だと作った製品を代理店で売ってもらう時は、独自に代理店制度を作って行う場合が多いですが、アメリカには、代理店施策を取りまとめている会社があるんです。BtoB代理店10万社とそれを取りまとめている会社があり、どう活用すると効果的かとか、代理店をどう評価すれば良いとか、インセンティブ設計はこうやると良いよいとか。代理店を使ったマーケティングの仕組を作る専門の人がいるわけです。プロがいて、その人に任せるという文化です。
日本の場合はソフトバンクの孫正義さんみたいな、職人的な経営者が特徴的ですよね。対してアメリカは、プラットフォーム、フレームワークで育て上げられた経営者が多い。失敗したら、誰かが失敗したら、解剖して分析する。フレームワークを作って共有する。創業して失敗したら、分析して、そこからスタートする。このサイクルが仕組み化されているので、ノウハウが蓄積していくんです。
(中国は)富裕層で生まれた人の中から、一人っ子政策の良い面で、お金というより、社会貢献したいという世代が現れ始めています。これは大きな変化だと思います。都心の生まれだが農村部を、救いたいみたいな。そういう中国では、ジャック・マーはヒーローです。子供が起業家に憧れるような国は当然伸びますよね。日本はアメリカと中国のいいとこどりでハイブリッドなやり方が、今後の日本のイノベーションには良いと思います。
日本人は戦略が弱いんです。戦術は得意なんですけどね。戦略とは「目的地に到着するためのシナリオ」です。そのシナリオを描くためには、全体を俯瞰したビジョンが必要になるんですが、日本人は俯瞰してみるのが苦手なんです。「木を見て森を見ず」みたいになりがちなんですね。会社でもCEO(最高経営責任者)やCTO(最高技術責任者)はいますけど、CSO(最高戦略責任者)は殆どいなくて、大体は社長が戦略も一緒に考えていることが多いんです。
シリコンバレーに行って「オレは日本を変えたいんだ」と言ったら、現地の起業家などから笑われたんですよ。「ハァ? 小っちゃいな」って。「お前は世界地図のなかにある、この小っちゃな日本だけを変えたいのか。ああ、なるほどな」。そんな風にバカにされました(笑)。シリコンバレーのいいところは、みんな大ボラ吹きなんですね。まだローンチすらしていなのに半年後にはユーザーが500万人になっている、とか平気で言っちゃう。だけど、目線の先に世界を見据え、大きな構想を描いて、大きなことにチャレンジしているから、Facebookみたいなメガ・ベンチャーが生まれるんです。だから、大ボラもむげにはできない。
僕の周りには頑張ってる人しかいないので、世の中の人はみんな頑張ってると錯覚してたんですが、どうやらそうでもないらしい。こりゃまずいなと思ったんです。頑張ってる人たちだけで頑張っても駄目で、頑張っていない人が頑張りたくなるような底上げをしなければいけないと思います。そのために何が出来るのかを今は考えています。
Chatwork時代の経営理念に「Make Happiness」というのがあって「私たちはITを通して幸せを創り出します」というサブタイトルがつくんですが、じゃあ幸せって何かというと「心のゆとり」のことを指していて、さらに心のゆとりって何かというと、①経済的な豊かさ、②時間的なゆとり、③円満な人間関係 の3つの項目として定義したんです。Make Happiness はいつも意識しているので、もしかしたら、それかもしれませんね。
多くの経営者とお話をさせてもらう中で、経営理念がいかに大切かを学んだ。しかしながら、会社の理念を掲げる前に、経営者である自分自身がぶれてはならないと思い、25歳の時、「自分理念」なるものを創った。「私は、身近な人を幸せにするために、自ら積極的に行動します」という自分理念を掲げ、「自分→家族→社員→お客様→地域→日本→世界」の順に人々を幸せにしようと決めた。
僕の人生ミッションは「頑張っている人が報われる社会をつくる」なんです。高校生でも頑張っていたら社会人と対等にビジネスが出来たんです。インターネットがあれば、障がい者でも主婦でも中小企業であっても対等に戦うことができるじゃないですか。それが家庭環境とか、地方だからとか、貧困とか、国が違えばカースト制度とか、環境のせいで諦めちゃってる人って凄く多いと思うんです。せっかく生まれてきたんだから諦めるなって思うんです。