たかのてるこの「大切な」言葉たち
旅人で食べていけるわけがないと思っていたし、何より会社員という安定、ステータスを失いたくなかった。だから仕事が忙しくて数年に1度しか旅に出られない状況に悶々としながらも、会社を辞めずに旅のエッセー本を書くという、二足のわらじ生活を続けた。
会社を退職しようと決意をしたのは、2011年3月、東日本大震災がきっかけだった。いつどうなるか分からないという無常を痛感したから。
だから、「会社を辞めたら、自分の人生は終わりだ」と思い込んでいたし、「好きなことで生きていけるワケがない」という呪いをかけられてた気がしますね。旅に出ると、魂が解放されて呪いが解け、本来の自分になれるんだけど、会社に戻るとまた元に戻ってしまう……の繰り返しで。
会社員時代は、自分の人生が自分のものだと思えなくて、自分が自分であることに安心できませんでしたね。長い伝統のある映画会社にいたから、ミスしたら迷惑をかけると思ってしまって。今思うと、「できないヤツ」と思われたくない一心で、「恐怖心」で仕事をしてた気がします。会社員時代はいつもどこか無理して、愛想笑いとかに慣れちゃってましたから。会社を辞めて、ようやく学生時代のような気持ちを取り戻して、「自分の心が気持ちいいかどうか」で生きられるようになりました。
会社員を楽しんでいるつもりだったんですが、最後の3年くらいは心身ともに「もう限界! 生きるのが辛い!!」と、もう辞めるしかない状況に追い込まれて。まさに、命綱のないバンジージャンプを飛ぶような気分でした。でも、飛んでみたら、降り立った先にはお花畑が広がってましたねぇ(笑)。長年悩まされた腰痛も、会社を辞めた3日後には、完治しててビックリ(笑)。病気の多くは、ストレスが原因なんだなぁとつくづく思います。今はおかげさまで、好きな教科の宿題しかしていないような夏休みが、ずっと続いているような毎日を送ってますね。
本当に怖いことは何なのか。本気で考えた末「自分らしく生きられないまま死ぬことではないか」と気づき「旅人として生きよう」と覚悟した。それは内なる恐怖心を克服した瞬間でもあった。
旅で出会ったロマの人々の影響も大きい。彼らは過去や未来を心配せず、今に全力投球して生きている。私もこんな風に生きたいと心底思いました。結局、自らが自分を縛っていた。そこには、会社を辞めたら何もない人間になってしまうのではないかという恐怖心があったんです。
元々は、「生きる意味がわからない」という教え子の学生に、前向きな心が湧いてくるような文章を書きたいと思ったのがキッカケでした。この本は、「生きるって、なに?」という問いかけに答えていく形で進むんですが、「人に迷惑をかけたり、迷惑をかけられることを恐れない」という文章が出てくるんですね。で、教え子にこの本の元になった文章をプレゼントしたら、彼が「今まで、母親にいつも『人に迷惑をかけるな』と言われ、誰にも甘えてこなかったし、助けを求めることができなかったけれど、『迷惑をかけてもいい』という言葉で救われました」と言ってくれたのが嬉しくて、ハートに火がつきまして。
自分の人生を振り返ってみると、今残ってる友達や仕事仲間は、お互い、めちゃめちゃ迷惑かけたり、迷惑をかけられたりした人ばかりなんです。つつがない人間関係や毎日は、記憶のブラックホールに葬られていきますから。記憶に残ることって、大変だった時に助けてもらったことや、迷惑をかけたりかけられたりしたことなんですよね。そうを思うと、犯罪はダメだけど、犯罪でなければ、「迷惑をかけることを恐れなくてもいいんだよ」と言ってあげたいと思って。親が子どもについ言ってしまう、「人様に迷惑をかけてはダメ」は、ある種の呪いで、「本当の友達のいない、薄っぺらーい人生を生きなさい」と同義だと思うんです。
私、人間には2つの“目”が必要だと思っているんですよね。それは“虫の目”と“鳥の目”。日常の没頭している時っていうのは、虫の目になっていると思うんですよ。家事をやっているとか、お仕事をしているとか、子育てとか勉強とか、それら全部は虫の目で、目の前の土をかくのに一生懸命っていう。もちろん、それも大事なんですけど、それだけだと学校とか職場でうまくいかなくなっただけで、もう絶望というか、辛過ぎる、みたいな……。過労自殺をされるかたのニュースを見ると、胸がぎゅーっとなるんです。会社に行くか死ぬかの2択とか、そのくらい狭まってしまうんですよ、虫の目って!でも、旅に出ると視野がぐっと広がって、本当に鳥が大空を舞いながら、下でいろんな人たちが生きている世界を俯瞰しているような。“あ、みんなで生きているんやなぁ。自分が生きている世界が全てじゃないんだなぁ”とか、“日本だけが地球じゃないんだなぁ”とか思えるようになるんです。本当に広い視野を持てるので、“辛かったら逃げろ!”って言いたいですし、人生を生きていくのに、いろんな知恵をくれるツールだと思いますね。
いじめは、学校や職場だけで起きているじゃなくて、自分自身にもやっていることなんですよね。人と自分を比較して、「自分なんて……」と思うのも、“自分イジメ”だとようやく気づいたんです。「あの人はすごいけど、私なんて……」「あの人ばっかり優遇されて」と、人と自分を比べることも、「自分にこんなことができるわけない」「自分に海外一人旅なんてできるわけがない」と、自分自身に制限をかけることも、自分イジメだったんだなぁと。私はこれまでさんざん自分をいじめてきましたけど、自分をいじめても、いいことなんて何もなかったですから。
自分をいじめないためには、どんな自分も丸ごと愛することだと思います。うまくいっているときだけじゃなく、うまくいっていないときも。私は講演でよく「今日で“自分いじめ”をやめると決めて、毎日、自分で自分を抱きしめてください」と言うんですけど、自分で自分を褒めていれば、人から褒められるのを待たなくてもいいんですよね。大切なのは、自分で自分を褒めてあげることなんだなぁと思います。
私も子どもの頃、小学校の教師たちからボコボコに殴られたことや、無実の罪を着せられた“言葉の暴力”がずっと心の傷になっていたんですが、彼らのこともゆるそうと思うことができたんです。人をいじめずにはいられなかった彼らも、幸せではない、かわいそうな人たちだったんだなと。幸せな人は、いじわるしませんから。
自分を大事にできるのは、自分だけなんですよね。自分自身と仲良くできていれば、人生は何の問題もない。自分自身と仲良くできていないからこそ、人は苦しいんだなぁと。そんなこと誰も教えてくれなかったから、ひとり旅は私にとって「地球最大の学校」でしたね。
人生で人と関わることを恐れたら、何もすることができないですよね。たとえば、人は誰もが赤ちゃんの時は、ヨダレもうんこもダダ漏れで人にお世話になりっぱなしの状態が何年も続く、迷惑の塊みたいな存在です。「オギャー!」と生まれてから、誰かが心をこめて子育てをして、自分で食べることもウンチすることも話すこともできない赤ちゃんに、言葉や知識を身につけさせて、育ててくれた人がいるおかげで大人になるんですよね。世の中のあらゆる場所に“働く人”がいるということ自体、「愛」だし、人の数だけ愛があるんだなぁと思います。
人は、すべては永遠に続くものだと、心のどこかで思っています。昨日に変わらない今日があって、今日に変わらない明日があって、そうやって毎日がずっと続いていくような気がしています。でも本当は、永遠なんてこの世にありません。人も自分自身も、変わり続けています。親や恋人や友だちとの関係だって、時を経て、少しずつ形を変えていくように、すべてはちょっとずつちょっとずつ、その変化に気づかないぐらいの速さで、変わり続けています。毎日は当然のようにやって来るから、ほっといても朝が来てほっといても夜になるから、日常の重みを時に忘れてしまいそうになるけど、本当はいつだってかけがえのない時間が絶え間なく流れていて、そんな中で私たちは生きています。胸が痛いほど、切ない時を。噛みしめる間もないほど、生き急ぎながら。私は、そのことを忘れずにいる人が好きです。実際に旅に出る出ないは関係なく、毎日のかけがえのなさを知っている人はみな、私と同じ「旅人」だと思っています。そして、私は精神が「旅人」の人としか、本当の友だちにはなれないような気さえしています。
「自分らしく生きないと、どんな人生になるのか」を突きつけられるんですよね。インドの人たちには「親の職業と同じ職業を継がなければいけない」という苦悩があるんですが、私たち日本人も「自分にこんなことができるわけがない」と思いがちなので、世界中の人みんなに共通する悩みなんだなぁと思いました。
「インドでは『おまえも人に迷惑をかけて生きているのだから、人の迷惑も許してあげなさい』と教えるといいます」と書かれていましたね。私もインドに行った時、あんなにも雑多で混沌としているのに、キレてる人がいないなって思ったんです。
「事件を起こす人や人を傷つける人は『愛が足りない人』。自分がすでに傷つけられているから、人を傷つけるハードルが下がってるんです」という話をしたんです。でもそれは、世の中に「愛が足りてる人」と「愛が足りてない人」の2種類がいるわけじゃなくて、「愛が足りてる時」と「愛が足りてない時」という2種類の状態があるだけなんですよと。私自身、会社員時代にヤサグレてた時は、駅とかでバーンと人に当たられたりすると、心の中で(ざけんなよ!)と激怒してたんです。でも、今ではバーンと当たられても、(きっとブラック企業で働いてて、余裕も愛もない人なんだな。ガンバレー!)とエールを贈れるようになって、昔の自分が「前世」のことのように思えます(笑)。で、「私だって愛が足りてる時と足りてない時がありました」という話をしたら、その彼女が「やさしい人がなる病気って言ってくれましたけど、傷ついた人が向ける刃の先が、私の場合は自分に向いてるから自分自身を責めて傷つけてしまう。事件を起こす人は、刃が外に向かっただけだと思います」と言ってくれて、やっぱり優しい人だなぁと思いましたね。その彼女に、これ以上自分をいじめないで欲しかったので、「体は、自分が寝てる時も、24時間365日フル稼動でがんばってくれてるから、お風呂入った時に、『私の手、足、頭、がんばってくれてありがとう!』と自分をほめてあげてね」と言ったら、彼女が「ほめるだけじゃ足りません、ほめちぎります!」と目に涙を浮かべて言ってくれて、私も胸に熱いものがこみ上げました。
私自身が自分のことを物凄くいじめていたんですね。いじめっていうのは、学校とか職場で起こっているだけじゃなくって、“あの人と比べて私は……”とか、“自分なんて……”って思うことも全部、自分をいじめてることになっていると思うんですよね。自分をいじめても全くいいことなんかないんで、もう辞めました。もう、今では誉め殺しです。お風呂に入ったときも、365日、24時間、自分の体はめっちゃ働いてくれているわけじゃないですか! だから自分の体とかを洗いながら、“ありがとう! 心臓も頭もありがとう!”って言って褒めちぎります。
「人に迷惑をかけるな!」って言うことは、「私には迷惑かけないで!」ってオーラを出すことになって、結局、みんなが生きにくい世の中になってしまうと思うんです。
すべてが、人生で1度しかない、一期一会だから、人にどう思われるかを気にせず、自分がどうしたいかで動くのが一番ですね。学校も仕事も、ずっと自分を押し殺すガマンの連続で「~しなければならない」で動いてるんだから、一人旅ぐらい自分の魂を解放して、行き当たりばったり旅をしてもらいたいです。
『逃げろ 生きろ 生きのびろ!』というタイトルが一番言いたかったことなんです。子どものときから大人になっても、「逃げたらあかん」ってずっと言われて続けて。私も会社が辛くて、最後のほうは上司と上手くいかなくて、人間としての尊厳が奪われてるような気持ちになって。電車に乗るのも辛いというときがあったんですけど、親は「絶対に会社を辞めたらあかん」「旅人で生きていけるのは中田英寿だけや。あんたがやったら無職や」と、悪気はないけど呪いをかけてくるんです。
「生きるとは、変わっていくこと」なんですよね。今まで自分にきびしく、自分をいじめていた人は、自分自身を褒めてあげられるようになってほしいです。「人はみんな、生きることを楽しむために生まれてきた」ので、楽しく生きてもらいたいです!
生きるとは、むずかしいことを考えず『今』を楽しむこと! 自分で自分をいじめず、自分を抱きしめてあげてください。
わたしは、なぜ生きてるの?生きるって、なに?生きるって「自分をまるごと愛する」こと。「自分をまるごと愛する」って?それは「自分を大事にする」こと。「自分を大事にする」って?それは「幸せになる」こと。「幸せになる」って? それは「自分をイジメない」こと。「自分をイジメない」って? それは「人と比べて自分をダメな人間だと思わず、毎日自分を抱だきしめる」こと。
たかのてることは?(人生・生き方・プロフィール・略歴など)
たかのてるこ。
本名高野照子(たかの てるこ)。
1971年生まれ、大阪府茨木市出身。
大阪府立北野高等学校で水泳部に所属。
屋外50mプールで、後の「ガンジス河でバタフライ」につながる泳法を磨く。
日本大学在学中、AV実習の折、同級生で現在脚本家の宮藤官九郎の監督映画に出演。
1990年、『紳助のとんでもいい夢』(日本テレビ系)に準ミス日本大学として出演し、司会の島田紳助に気に入られ、翌年『青春!島田学校』(TBS系)にも出演した。
1991年に香港とシンガポール、翌年にはインドへと初めての一人旅をし、旅に目覚める。
1993年、映画会社東映に入社、1996年にテレビ部に配属され、番組制作に携わる。
友人である吉本ばななの助言をきっかけに、自ら出演者となり各地を旅する紀行ドキュメンタリー番組を製作するようになる。
2000年、『ガンジス河でバタフライ』でエッセイストとしてデビュー。
現在も『銀座OL世界をゆく!』シリーズ(フジテレビ)などのテレビ番組を制作する傍ら、旅についてのエッセイを発表している。
2011年7月10日付けで東映を退職。
『生きるって、なに? ~自分らしく生きて、自分を好きになろう!』等のテーマで講演活動。
2012年より、大正大学に非常勤講師として就任(講義は「異文化の理解 」)。
2016年、欧州21ヵ国をめぐった鉄道旅エッセイ本、『純情ヨーロッパ 呑んで、祈って、脱いでみて〈西欧&北欧編〉』『人情ヨーロッパ 人生、ゆるして、ゆるされて〈中欧&東欧編〉』を出版。
2018年、日本旅エッセイ、『あっぱれ日本旅! 世界一、スピリチュアルな国をめぐる』を出版。
2018年春、大学の教え子の「生きる意味が分からない」という悩みから生まれた本、『生きるって、なに?』を自費出版。
“旅人・エッセイスト”として活動。