小池栄子の「大切な」言葉たち
デビューして3年目の頃、保育士になりたいと事務所に言ったことがあるんです。そう言えば仕事を辞められると思ったから。単にその時の状況がつらく、逃げ出したくて、保育士を口実にしてしまった。
デビューしたてのころに深夜ドラマに出演して、「演じるって面白い!」と思ったんですけど、その後はお芝居の話がまったく来なくなってしまったんです。オーディションにも落ちまくって、強烈な挫折感を味わいました。だから20代前半のころは、お芝居がやりたいとは言えない自分がいましたね。笑われたらどうしようとか、周りのことばかり考えていました。結婚したころから、やっと「人にどう思われても関係ない」と言えるようになったんです。
どんなに内面でもがき苦しんでいても、そんなそぶりなど見せない、という人が好きなんです。
一度事務所に頭を下げたんです。「どんな仕事でもやります」と。そうしたら自分の中の意識が変わりました。毎回グラビアを見てくれているファンの方からも、「表情が変わった」「真剣な感じがする」とお手紙をいただきました。そうしたら、バラエティーの深夜番組も決まったりして。やはりすべては自分の気持ち次第で動いていくものなんだと、その時学びました。
諦めることもあったかな。期待しない、求めすぎないで生きるようになったら、すごく肩の力が抜けて大事な人間関係も見えてきました。仕事に対してもパートナー対しても。自分の歩幅でゆっくり進めばいいんだって思えるようになりましたね。一個ずつ頑張ってきたら、気づいたらすごく中身が強い女になっていた(笑)。
周りがイエスマンばかりでは、成長もストップしてしまいます。
がむしゃら期があったから良かったなって。やっぱり10代、20代は目立ちたいとか、もっといっぱい仕事をしたいとか、もちろんお金を稼ぎたいとか思っていました。欲まみれでがんばって突っ走ってきたけど、自分のやるべきこと、やりたいこと、要らないものの整理がついてきた感じがしますね。若い頃の自分と一番違うのは、できないことを認められるようになったことかもしれません。無理しなくていいんじゃないかと。自分がそんなに強くないんだって思い知ってからの方が、バランスが取れるようになってきた感じがします。
バラエティをがっつりやっているときに、女優の仕事をもっとやりたいと思って、それなら両方一生懸命やればいいじゃん!と頑張ってみたんですけれど、そんなに自分の中で持ち出せるものってなくて、とにかく消耗しきっちゃったことがあったんです。そのときに、ちょっとシフトチェンジしてみようと。集中して女優業をやることに決めたんですよね。やっぱりアレもコレもできる体力はもうないなと(笑)
当時インタビューで『何がやりたいの?』って質問されることが多かったんです。それまでは見てくれる人が選べばいいと感ていましたが、どれも中途半端に映ってるのかなと自覚しました。覚悟を決めて一つに絞っていくのも必要なのかもと教えてもらっている気がして。いまあるものを手放すのは勇気もいるし、実際に仕事がなくなるんじゃないかって、すごく怖かったですけどね(笑)。でも、ひとつ手放してみたら、それによって舞い込んでくる新しい仕事や人間関係もあったりして。
前はプライベートが多少息苦しくてもいいと思うほど仕事が好きだったけど、それじゃあもう今の自分は持たないなって。忙しすぎると肌荒れしたり精神的に落ち込んだりしちゃうので、いくら仕事が好きでもそれじゃ駄目だなと。これからは自分のペースで、仕事の幅を広げられたらいいなって思っています。
うちは昔から男女の差がないんです。いつもお金を持っているほうが払っていたので、そういうことにはこだわらないんですよ。もちろん、すごいお金持ちと結婚して、趣味程度に仕事をするのもいいなと思ったことはあるけど(笑)、働いていないとフラストレーションがたまるでしょうしね。相手に期待し過ぎないというのが、スタイルなんです。
子供ってかわいいし「母になりたい」と思うけど、母親はこんな大変な問題と常に日々戦わなくちゃならないから「私には無理」という思いの繰り返し。感情がジェットコースターのように激しく揺れていました。でも、ドラマを見た私の母が「あなたを産んで、母親を体験させてもらって良かった」と言ってくれたんです。その言葉を聞いた時に、やっぱり母親になってみたいなとあらためて強く思いました。
夫は、例えば腹筋10回と決めたら12回やれと言います。しんどい、キツイと感じた後の2回が大きいし、それがモノを言うんだからと。仕事も同じ。苦しいと感じてからが勝負。もうちょっと先まで手を伸ばして頑張ってみる。そんなことを心掛けて女優の仕事を続けていきたいです。
“後で笑い話になるんだろう”と思いながら、過去にあった嫌なことを考えます。そして“あのときも、もう立ち直れない、って思ったけれど、今元気じゃん! どうにか乗り越えられるんだから”って言い聞かせます(笑)
たった数秒、数分のシーンのために、多くのスタッフがセットを作り上げてくれるんです。これはすごいことだなあって毎回思う。で、セットが完成すると、「あとは任せましたよ、頑張ってよ、あなたが僕たちの思いを全部背負ってるんだから」と無言で言われている気がして。プレッシャーなんだけど、同じくらい快感なんですよね。
私が苦手なのは、“ゼロからイチを生み出す”という作業です。与えられたものを、1から3に、1から5に、というのは大丈夫なんですけど。同世代には“こんな作品がやりたい”“この監督とやりたい”という具体的な目標を持ってやっている役者さんもいますが、自分は若い頃からそういうのがあまりなくて。20代の頃はそれがコンプレックスで、何か作らなきゃ、考えなきゃって思っていたんですが、歳を重ねて、いろんなタイプの人がいていいんじゃないかと思えるようにもなりましたね。
人の生き方に正解などないと思うし、いろんな人生があることをちゃんと認めてあげることで、周りの人たちにも優しい気持ちになれる気がするんです。
挑戦することが怖いなと思うような仕事もありますよ。でもある時、すごく信頼していた友達から『期待されてる、期待以上の結果を出したいと思うから、不安になるんじゃん?』って言われて、それが腑に落ちたんですよね。『どれだけ自己評価が高いんだよ。周りは大して期待してないって思えば、もっと楽になるんじゃないの』って。たぶん苦しくなってしまう人って、そのオファーを失いたくない、そのポジションにしがみつきたいと思いすぎているんじゃないかと思うんですよね。あと、すぐにモノにして評価されたいと思っているのかも。私自身、例えば『カンブリア宮殿』なんて、10年超えるぐらいまでずっと緊張しっぱなしでした。
自分の失敗やダメなところはちゃんと受けとめ、人の良いところは認めたいし、まねしたい。同時に、これは違うと思うことは正直にそう伝えたい。大人なんだから時には我慢した方がいいのでしょうが、相手にとって都合の良いことだけを言うのではフェアじゃない気がするんです。なので思ったことはできるだけ何でも話すようにしています。
他人の生き方に対して、とやかく言うもんじゃない、生き方に正解はない。
自分がこうしている間にも、違う場所で一生懸命生きている人がいる。そう思うだけで前向きになれる。
小池栄子とは?(人生・生き方・プロフィール・略歴など)
小池栄子。
本名、坂田栄子。
1980年生まれ、東京都世田谷区出身。
夫はプロレスラーの坂田亘。
小池が幼少期、実家は長野県でレジャーランドも経営していた祖父が創業したパチンコ店を営んでいた。
世田谷区立代沢小学校、和洋九段女子中学校・高等学校卒業。
中学1年生から高校3年生まで創作ダンス部に所属し、部活動に精進していたといい、今でもダンスは特技の一つである。
2005年にイギリスで開かれたブラックプールダンスフェスティバル(全英オープン大会 杉本彩・南原清隆組も)に出場する快挙も成し遂げた。
15歳のとき「バスト93センチGカップ女子高生」として、雑誌「ホットドッグ・プレス」(1996年9月10日号)及びテレビ番組『1億人の大質問!?笑ってコラえて!』(同年8月28日放送分)に出たことがある。
最初は保育士志望だったが、イエローキャブ社長の野田義治にスカウトされ、芸能界入り。
当初は女優を目指して芸能界入りした。
しかし最初のドラマ出演後のオーディションで「そんなに太っていたら映像では使えない」と言われ、なかなか次の仕事が決まらなかった。
そこへグラビアの仕事が舞い込む。
「スカウト時に水着はやらない条件(自分のスタイルに自信が無かった)で芸能界入りしたのに・・・」と思いつつ渋々グラビアを始めたが、「胸が大きいのはコンプレックスだけど、これを売りにすれば良いのでは」と考えを改め、それ以降は積極的にグラビアに取り組むようになる。
イエローキャブの系列会社であったサンズに所属していたが、2004年11月に両社の社長であった野田義治がイエローキャブを辞任したことをきっかけとして、親会社のイエローキャブへ移籍。
坂田亘とは5年に渡る交際の末、2007年8月29日に婚姻届出。
2008年『接吻』第30回ヨコハマ映画祭 主演女優賞、第63回毎日映画コンクール 女優主演賞、第18回日本映画批評家大賞 主演女優賞、第18回日本映画プロフェッショナル大賞 主演女優賞を受賞。
2012年『八日目の蝉』第35回日本アカデミー賞 優秀助演女優賞、第85回キネマ旬報ベスト・テン 助演女優賞を受賞。
2015年2月、所属していたイエローキャブの倒産に伴い、個人事務所を設立し、独立。
2017年『世界一難しい恋』第20回日刊スポーツ・ドラマグランプリ 助演女優賞受賞。
同年、『母になる』第93回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 助演女優賞、第8回コンフィデンスアワード・ドラマ賞 助演女優賞を受賞。