林真理子の「大切な」言葉たち
高い望みを持ち、野心を胸に抱いて、目標にたどり着くまで地道に努力を重ねることがそもそも大事なのであって、野心はネガティブに捉えられるべきではない。
他人を妬んだり、不満を抱えてばかりの人生は空しいですよね。人を羨んでいると、自分の中の一番大切なものが削れていきます。そりゃ私だって、お金持ちの専業主婦や、旦那さんに大切にされている奥さんをみると「いいなあ」と思いますよ。でも、それぞれにいろんな人生があっていろんな悩みを抱えていることを、この歳になると知っていますから。
「今、幸せじゃないな」とか「ちょっと心が苦しいな」と感じた時は、ひとまず立ちどまって、「私は、本当は何が欲しいのだろう」と、自分ととことん向き合ってみる作業が必要だと思います。その上で、「欲しいものを手に入れるにはどうしたらいいか」を考える。得たいものが明確になれば、それに向かっていくしかないわけです。
女性の服装の差異というのは、からだの両極に顕著に表れる。ヘアスタイルと足元あたりに。
誇りがもてるような蓄積が必要だとも思います。あなたはもういらないよって言われて退場するわけではなくて、私が誇りをもって横に行かせていただきますという気持ちをもっていればね、全然惨めじゃない。
その人たちに負けない「何か」を持つことじゃないでしょうか。どんなことでもいいと思うんです。それがあれば、他人への妬む気持ちや不満は薄れていくはず。人を羨ましがってばかりいたら時間を無駄にしてしまうし、自分を消費してしまいます。
気をつけよう、手抜き一分、イメージ一生。
ちょうどコロナ禍の自粛警察がニュースになっている時に、なんて嫌な世の中になっちゃったんだろうって感じたんですよね。みんなそれぞれと言いながら、右向け右と言われたらみんな右向いて、少しでも左を向いた人を一斉に叩く。これまで日本社会の柱に宗教の代わりに“世間様”があって、今はそれがSNSに代わって、自分とは違う価値観の人をこれでもかと非難する。こんなに怖い世の中になってしまったのかと思いましたよ。
働く女性も、仕事を離れたら「隙をみせること」が大事です。時には、お酒の力を借りて、だらしなく運命に身を任せてみる奔放さが必要じゃないかしら。「彼氏がほしいのにできない」という人に限って、自分の生活パターンをなかなか崩そうとしない傾向があるように思いますね。例えば「今日、面白い集まりがあるから来ない?」と突然誘うと、「お稽古の日だから」とか「前もって言ってくれないと…」と断ったり。急な誘いや“ついで”に運命が隠れているかもしれないのにね。
結婚も仕事も、幸福になるためのひとつの手段にすぎない。
今、多様性が謳われる世の中でいろんな生き方があっていいんだよって言われますよね。それ自体はとても正しいことだと思うんです。でも日本における多様性って、私には空々しくって愛がないと思う。ちょうど(ウルグアイの『世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ』で知られる)ムヒカ元大統領が「人生を1人で生きるな。仲間を作れ。家族を作れ」とおっしゃっていて、古くさいかもしれないけど私は温かいメッセージだなと思った。
やってしまったことの後悔は日々小さくなる。でもやらなかったことの後悔は日々大きくなる。
私だってもっと楽に生きる方法を探してたんですけれどね、それはうまくいかなかった(笑)。勉強するのも嫌いだったしスポーツも習い事も何も続かなかったけど、作家として努力を持続することが嫌じゃないっていうのは天職なんだとは思います。
何かをやろうと思えば、やっぱり頑張らないきゃいけないのよ。そうすると必ず風景は違ってくるんですよね。階段を上がった人にしか見えない世界がいっぱいある。その風景を若い人たちに見せたいなとは思う。
人生のリセットは何度でもできる。でも自分でないとできない。
人間を成長させてくれるのは、やはり仕事だと思います。子育てももちろん大変だけれど、子供は自分を無条件に愛してくれる存在ですから、向き合うことは精神的にそこまで辛くはない。でも、仕事の場合、顔を見るのも嫌な人と一緒に働かなくてはいけません。時には罵倒されたり、人間性を否定されたり、罠にかけられて足を引っ張られることもある。誤解だってあります。そういったことを経験して、悔し涙を浮かべながら、みんな成長していくわけです。ですからはやり、仕事こそが人間の成長に最もつながるものだと思っています。
ちゃんと努力して続けていたかいいかげんにやっていたか。それを神様はちゃんと見ている。
日本でも、第二次世界大戦で負けた直後は、男性より女性が強かった、という話がたくさんあります。昭和天皇の第一王女だった東久邇成子(ひがしくにしげこ)さまが、物資の乏しい中で自らやりくりの工夫をなさったというのは有名な話。男性は戦う場を失って茫然とし、女性はそこで踏ん張ったんです。
人間は一生、幸せのままでいられるはずはない。と同じように、一生不幸のままでいるはずもない。
私は背伸びをしないと人間成長しないって思っています。うんと背伸びして知の巨人のような方々にお目にかかって、自分がいかに無知で無教養かを思い知って打ちのめされるの。布団かぶって自分自身にバカバカバカと言いながら不貞寝したいくらいに。でもそこでハタと何かをやらなきゃ、学ばなきゃって思うことが、私は人にとってはすごくいい経験だと思っているんです。
頑張ってキャリアを積んできたんだもの。それだけの努力をしてきた人には、内面からにじみ出る、幸せ感あふれる洗練された美しさを手に入れることができる。
私、現状に文句ばっかり言ってて努力しない人はキライなんです。「あなたはありのままでいい、生きているだけで素晴らしい」って最近惹かれる方が多いと思いますけど、それ本当?と思ってしまう。これを言うと冷たい人だとか指摘されますけど、でも101歳まで生きた母に「努力しないのは死んでるのと同じだ」って育てられましたからね。努力する人、特に女性に対してあの子ガツガツしてるねとかすぐに叩くけど、ガツガツして当たり前なんですよ。だって何かを成し遂げようと思うのに何の努力もなしで、というのは違うと思うから。
自分を信じるということは他人が自分をほめてくれた言葉を信じるということでもある。
林真理子とは?(人生・生き方・プロフィール・略歴など)
林真理子。
1954年生まれ、山梨県山梨市出身。
山梨県立日川高等学校を経て、日本大学藝術学部文芸学科を卒業。
大学卒業後、アルバイトをしながら宣伝会議のコピーライター養成講座を受講。
1979年(昭和54年)、秋山道男が編集していた西友ストアのPR雑誌『熱中なんでもブック』(のちに『青春評判ブック』)の編集スタッフとなる。
1981年(昭和56年)、西友ストア向け広告コピー「つくりながら、つくろいながら、くつろいでいる。」でTCC(東京コピーライターズクラブ)新人賞を受賞。
1982年(昭和57年)、エッセイ集『ルンルンを買っておうちに帰ろう』を発表して、エッセイストとしてデビュー。
同書はベストセラーになる。
1986年(昭和61年)、前年に発表した『最終便に間に合えば』『京都まで』で第94回直木賞を受賞、作家として認められる。
翌1987年(昭和62年)には、日米の交流を目的としたインターナショナル・ビジター・リーダーシップ・プログラムに参加した。
1993年(平成5年)から、初めて文芸雑誌『文學界』に連作を書いた(『文学少女』)。
1995年(平成7年)、『白蓮れんれん』で第8回柴田錬三郎賞を受賞、1998年(平成10年)、『みんなの秘密』で第32回吉川英治文学賞を受賞、2013年(平成25年)、『アスクレピオスの愛人』で第20回島清恋愛文学賞を受賞。
2011年にレジオンドヌール勲章シュヴァリエに叙された。
2018年、紫綬褒章を受賞。
2020年5月、日本文藝家協会理事長に女性として初めて選出された。
同年9月文部科学省文化審議会委員。
同年10月13日、第68回菊池寛賞を受賞した。
同年10月14日には、『週刊文春』で連載のエッセイ(「今宵ひとりよがり」「今夜も思い出し笑い」「マリコの絵日記」「夜ふけのなわとび」)の通算連載回数が1655回(同年7月2日時点)に達し、「同一雑誌におけるエッセイの最多掲載回数」としてギネス世界記録に認定された。