椎名林檎の「大切な」言葉たち
ロックであるとかないとか言ってるアンタが一番ロックじゃねえんだよ!
自分が嫌いな相手にまで好かれたいとは思わないですし。
女は変幻自在。それを面白がるしかないでしょ。もっと小気味よく生きる女性が増えたらいいなって、ずっと思っていました。
私は「わかってたまるか」っていうことをやるのも面白いと思ってます。いまだに。
生まれたとき、死んじゃう可能性のある病気の手術を受けて助かったことがあったからか、あたし、生きることにとても執着がある。
かつて“ロックスターは27歳で死ななきゃいけない”という手紙が送られてきて。でも私ドラッグはやらないし、自分のアドレナリンだけで絶対生き抜いてやると思ってますから。それがいかに新しいか、それを立証しなければいけないという使命感がものすごくあるんです。
「とりあえず、テレビのドラマに合った曲を書かなきゃいけない」とかって音楽の価値を下げることだと思う。
人生自体にも限りがあって、いつ終わるか分からなくて、その中で『たった今、美しい者を求めても構わないんじゃないか?』って思って、 『どうせそれが繋がって積み重なって美学というものになってんじゃないの?』と。
椎名林檎とは?(人生・生き方・性格など)
椎名 林檎(しいな りんご、Sheena Ringo、1978年11月25日 -)は、日本のシンガーソングライター。
埼玉生まれ、静岡・福岡育ち。血液型はO型。
有限会社黒猫堂所属。
レコードレーベルはEMI Records Japan。2004年から2012年まではロックバンド・東京事変のボーカリストとして活動していた。
2009年、平成20年度芸術選奨新人賞(大衆芸能部門)受賞。
2017年12月、東京オリンピックの『4式典総合プランニングチーム』に選出。
実兄はシンガーソングライターの椎名純平。
叔父はイラストレーター、ブックデザイナーの辰巳四郎。
またその娘であるイラストレーターの藤森玲子とは従姉妹にあたる。
「椎名林檎」という芸名は、高校1、2年生の時、「ここでキスして。」「ギブス」「茜さす帰路照らされど…」「虚言症」などの作品を初めてJASRACへ著作者登録をする際に筆名が必要となり、あくまで一時的なつもりで使用したのが始まり。
「林檎」の由来は、自身のバンド活動もドラマーから始まったということもあってビートルズのドラマーだったリンゴ・スターの名前を借用したと語っているが、実際は、子供の頃はかなりの恥ずかしがり屋で、学校で先生に指されるとすぐほっぺたが真っ赤になってしまっていたからとも言われています。
歌詞の旧仮名遣いや旧字体の使用などのせいで読書家だと思われがちだが実はそうでもなく、本人曰く「よく読んでいるのは辞書」とのこと。
トレードマークだった左の口元のほくろについては、「小学校時代に女優の沢口靖子やマドンナのように口元にほくろのある女性に憧れてペンで書いていたら本物になった」という噂を本人が肯定しており、また2003年に手術で除去したもののその後再び近い場所に新しいほくろが出来てしまったとも語っている。
デビュー当時からすでにシーナ・リンゴ名義で広末涼子やともさかりえに楽曲提供を行っている。
埼玉県浦和市(現・さいたま市)で生まれる。
2歳のとき静岡県清水市(現・静岡市清水区)に引っ越す。
4歳のときからピアノをはじめる。
11歳のとき福岡県福岡市早良区に引っ越す。
幼少時はピアノとクラッシック・バレエを習っていた。
中学時代は友人とバンドを結成して学祭に出ていた。
高校時代は軽音楽部に入部し学内、学外の友人とバンドを組んでライブハウスでも演奏するようになった。
1994年(16歳)、高校一年生のときに第19回ホリプロスカウトキャラバンに出場。この年のグランプリは上原さくら。
1995年(17歳)、高校二年生の時に、第9回TEENS’ MUSIC FESTIVALに出場。この年のグランプリはaiko。aikoとは今も友人関係。
高校二年の三学期が終わると高校中退。
1996年(18歳)、「The 5th MUSIC QUEST JAPAN」の決勝に「椎名林檎」の名前で出場、「ここでキスして。」を演奏して優秀賞を獲得する。
1998年(20歳)、5月27日に東芝EMIよりシングル「幸福論」でデビュー。
1999年(21歳)、ファーストアルバム「無罪モラトリアム」をリリース。
東芝EMIのコンベンション・ライブに宇多田ヒカルと一夜限りのユニット「東芝EMIガールズ」としてカーペンターズの「I Won’t Last a Day Without You」を披露。
4枚目のシングル「本能」をリリース、ナース姿でガラスを叩き割るミュージックビデオも話題になり99万枚の売上。
2000年(22歳)、セカンドアルバム「勝訴ストリップ」が230万枚の売上、日本レコード大賞のベストアルバム賞受賞。
福岡県飯塚嘉穂劇場で一夜限りのライブ「座禅エクスタシー」を実施。
同年、ギタリストの弥吉淳二さんと入籍。
2001年(23歳)、弥吉淳二さんとの結婚、妊娠を発表。
7枚目のシングル「真夜中は純潔」をリリースし、出産のため一時活動休止、第一子(男の子)を出産。
2002年(24歳)、弥吉淳二さんと離婚。
初カバーアルバム「唄ひ手冥利〜其ノ壱〜」をリリース、宇多田ヒカルとのコラボレーション曲「i won’t last a day without you」を収録。
スピッツのトリビュートアルバム「一期一会」に参加、「スピカ」をカバー
出産復帰〜ソロ活動停止期。
2003年(25歳)、復帰後初シングル「茎(STEM)〜大名遊ビ編〜」をリリース、サードアルバム「加爾基 精液 栗ノ花」をリリース、全国ツアー「雙六エクスタシー」の追加公演で初の日本武道館公演を実施。
このツアーを回った時のバンドが「東京事変」。
2004年(26歳)、バンド「東京事変」として各地のフェスに出演、東京事変のファーストシングル「群青日和」をリリース。
2006年(28歳)、椎名林檎名義で「カリソメ乙女」を配信限定リリース。
2007年(29歳)、蜷川実花さんが初監督、椎名林檎が音楽を務めた映画「さくらん」が公開、音楽番組「僕らの音楽」でイチローと対談。
2008年(30歳)、TOKIOへ「雨傘」「渦中の男」の楽曲提供、さいたまスーパーアリーナでデビュー10周年記念ライブ「椎名林檎 (生)林檎博’08」を開催。
2009年(31歳)、芸術選奨文部科学大臣新人賞の大衆芸能部門に選ばれる。ソロ名義で初のドラマ(スマイル)タイアップ曲「ありあまる富」をリリース。NHKみんなのうた「二人ぼっち時間」放送。4枚目のアルバム「三文ゴシップ」をリリース。江崎グリコ・ウォータリングキスミントガムCMでCM初出演。
2011年(33歳)、NHK連続テレビ小説「カーネーション」へ同名曲を書き下ろし。NHK紅白歌合戦に「カーネーション – 紅組なら誰でも」で初出場、演奏は東京事変。
2012年(34歳)、閏日の日本武道館公演で東京事変解散。
その後は、ソロとして活動。ドラマや映画の主題歌、宇多田ヒカルとのコラボも有名。NHK紅白歌合戦にも度々出場。
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