坂井泉水(ZARD)の「大切な」言葉たち~坂井泉水(ZARD)の名言・人生・生き方など~

坂井泉水(ZARD)の「大切な」言葉たち

私はいつも、言葉を、詞を大切にしてきました。音楽で それが伝わればいいなと願っています。

私の事に関して言えば、強いのか弱いのか自分でも判りません(笑)。女性に限らず、みんな弱い部分を持っていますよね。私が興味を持つのは、完成されたものよりも“未完の良さ”ですし、人間の、理屈では割り切れない“感情”に着目したいなと思っています。

一人で生きていくほど強くないくせに 時々 独りになるのが好きになる

本当のコトを言えば言う程 他の人は嘘だという

抑えきれない想いや 人が泣いたり 悩んだりする事は 生きてる証拠だね

忙しくしていたら 寂しさなんか さほど感じないと 凛と思っていたけれど どんどん 独りになって息がつまる想いだった

涙を流す姿は 誰にも見せない

常に前向きなんて… みんな弱い部分持ってる

表面的には活動が止まっていたように見えたかもしれませんが、黙々と前作の発表後もレコーディングに入っていました。たくさん仮歌も歌いましたし、今回は声を大にして言います。もう、本当に時間が掛かったんですから!(笑)。丁度、陶芸のように“しばらく寝かせておいて”という時間(期間)もありますし、こう世の中の流れが速いと、あっという間に古くなりますから、あちこちが気になり出すのです。妥協を許さないというとオーバーですが、良いものを創るためにこういう期間が、私には必要だったんですね。

淋しさで人は愛に苛立ちをおぼえてゆく でも人は淋しさで強くなってゆくよね

あなたを想うだけで 心は強くなれる ずっと見つめてるから 走り続けて

幸せはすぐそばにあるのに 近くて見えない

自分の中に いろんな自分がいて 「優しいから 苦しむのよ」と 時には前向きな自分が 弱気な自分を叱ったりする

おもいきり泣いたら 昨日までの事は全部忘れよう

都会では 夢の代償が 信じられる 人達もいなくて 薄っぺらい手帳 1つが人生なんて

流れる景観、人生いろいろな人と出逢いますが、時には重いテーマである“死”に直面したり。死=終わりというよりも、死して再生、教えられるものなのかなぁと。でも、この“死”という言葉の意味に関しては、あまり限定はしたくないですね。みんな色々な考え方があると思うので。ただ混沌とした今だからこそこの言葉も生きるし、逆にそのぐらいじゃないと伝わらないんじゃないかと思いました。

死は乗り越えるものでなく 受け入れるものである

たくさん失敗もしたけど いつもそんな時 優しく親切だった 人達の笑顔が浮かんだ 涙も忘れた 自分で選んだ道だから もう迷わない

此処には 過去も未来もない 今しかない まわり道も 意味のある修行(おしえ)と気付く日が来る きっとどこかへと つながっている

皆それぞれだけど お互いを思いやりながら 生きている

たとえ苦しい思い出も… 宝石

カッコいいことって カッコ悪いよ

誰かをごまかせても 自分自身はだませない

“過去の栄光”なんて自分でも嘲笑(わら)えるよ

終ったわけじゃないヨ まだ始まってもいないんだから

奇跡ねがっても 他力本願でもいいんじゃない

人生は各駅停車 ゆっくりでもいいよね

追いかけて 遥かな夢を

比べることなんて 無意味なのにね いつも周囲(まわり)と比べては ヘコんで

今しかできない事を 今 感じるままに

だけどきっと この壁を乗り越えてゆくのだろう

気楽にいこう 今は 目の前にあるそれぞれの夢を ひとつずつ積み上げていこう

はるかな未来へと 新しいドアを開け 動き始めた 直感が行く道を決める

信じる者は救われるのよ 辛くても いつか

新鮮な空気を 思い切り吸って 生まれ変わろうよ 人生を初期化(リセット)しよう

勝つとか負けるとか そんな小さな事で まどわされたくない、ね!

生きるのが下手でもいいじゃない 笑っていよう

毎朝が 新しいページの始まり

太陽が昇るように 前向きに生きたい

今日も 元気を出して さぁ行こう 生きててよかった!!

果てない暗闇(やみ)から飛び出そう

夢を叶えるなら前を見て歩かなきゃ

きっと ガンバっテる君を誰かが見てるよ

理解されなくても 絶対 妥協しないでね

心の冬にさよならして 走り出そう 新しい明日へ

そんな簡単なことじゃないけど 変わりたいなら 動くことサ

何かが終れば また何かが始まる 哀しんでるヒマはない! スタートしよう

夜明けはいつかやって来るのよ 諦めないで

ねぇ 素直な瞳で 明日を見つめようよ

夢を 見て いたいから うしろは 振り向かない

“らしさ”ってすぐ忘れてしまうんですよね。だからいつも頭の中で“私らしさ、ZARDらしさって何?”と自問自答していないとすぐ脱線しちゃう……。なぜZARDらしさにこだわるのか? ……やっぱりそれを怠ると、存在価値がない様な気がして……。でも私ひとりではなく、周りのスタッフのみなさん、そして協力して下さるスタッフのみなさんがあって初めて“結果”を出す事が出来る事なので感謝しています。

情けないトコ見せても 自分らしく生きてゆこう 心開けばみんな ひとつになれるよ

どんなに不安がいっぱいでも 真っすぐ自分の道を信じて

自分らしく生きること 自分を愛すること

悲しい現実をなげくより、今何ができるかを考えよう。今日が変わる。

負けないでもう少し最後まで走り抜けて どんなに離れてても心はそばにいるわ 追いかけて遥かな夢を

坂井泉水(ZARD)とは?(人生・生き方・プロフィール・略歴など)

坂井泉水。

ZARDのボーカリスト。

本名は蒲池幸子(かまちさちこ)。

1967年(昭和42年)に神奈川県平塚市に生まれ、同市および同県秦野市(小学校4年より)で育つ。

秦野市立西小学校、秦野市立西中学校、神奈川県立伊志田高等学校卒業。

中学時代は陸上部で活動をするかたわら、ギタークラブでも活動していた。

高校時代は硬式テニス部に所属。

松蔭女子短期大学(現松蔭大学)を卒業後、不動産会社・第一不動産の総務部にて約2年間OLとして勤務した。

街頭でスカウトされ、スターダストプロモーションに所属し、本名「蒲池幸子(かまち さちこ)」の名義でモデル活動を行う。

1989年(平成元年)1月2日、テレビドラマ「春燈」(ANB系の新春3時間スペシャルドラマ、原作・宮尾登美子)に、東北地方から売られてきた少女役で初出演。

1990年にかけ、山下直美とともに「東映カラオケクイーン」となる。

カラオケビデオ(Winkの「One Night In Heaven ?真夜中のエンジェル?」、中森明菜の「CARIBBEAN」、永井真理子の「23才」、薬師丸ひろ子の「手をつないでいて」、やしきたかじんの「未練?STILL?」)に出演。

カラオケ機器の販売促進用のパンフレットにも写真が掲載される。

東映カラオケのPR活動などで地方のカラオケ店を巡業する。

この企画はZARDでの歌手デビュー後の1991年3月まで続いた。

1989年(平成元年)6月7日、クイズ番組「クイズ!年の差なんて」(フジテレビ系)の「見返り美人」のコーナーで、「カラオケクイーンに選ばれたのは誰」という設問として取り上げられる。

バラエティ番組「とんねるずのみなさんのおかげです」(フジテレビ系)の「仮面ノリダー」にて、マリナ(渡辺満里奈)の知人役で出演(第40話(8月3日)「恐怖シャワー男」と第49話(10月19日)「恐怖ゴルフ男」)。

日本エアシステムのフルロードキャンペーンのキャンペーンガールを務めた。

1990年にかけて、日本エアシステム系のJAS CARGOのキャンペーンガールを務めた。

1990年(平成2年)日清カップヌードルレーシングチーム(2輪)のレースクイーン。

岡本夏生は同期。

冬にフジテレビ系番組「オールナイトフジ」のグラビア美少女のコーナーに出演。

その他、雑誌グラビアなどに多数掲載される。

1990年8月にスターダストプロモーションの代表取締役であった細野義朗にビーイング社長である長戸大幸を紹介され、B.B.クィーンズの音楽コーラス隊(B.B.クィーンズシスターズ、のちのMi-Ke)のオーディションを受ける。

オーディションでは落選するも長戸に才能を認められ、以後「坂井泉水」として音楽ユニット「ZARD」結成の準備に入る。

1991年(平成3年)2月10日、シングル「Good-bye My Loneliness」でデビュー。

1993年、6thシングル「負けないで」が自身初のオリコンチャート1位獲得しミリオンセラーを記録。

その3ヶ月後に、8thシングル「揺れる想い」もミリオンセラーを記録。

この2曲を収録した4thアルバム『揺れる想い』が200万枚超の売上を記録し、この年の年間オリコンアルバムチャート1位を獲得。

1994年 – 1996年は、オリコンシングルチャート3位以内、アルバムチャート1位を維持しつつ、1996年「マイ フレンド」が自身3枚目のミリオンセラーを達成。

この間に発売されたオリジナルアルバム『OH MY LOVE』『forever you』『TODAY IS ANOTHER DAY』の3作が次々とミリオンセラーとなった。

1997年は「Don’t you see!」と「永遠」が、1998年には「運命のルーレット廻して」がオリコン1位を獲得する。

1997年から1998年の間には全9枚のシングルを発売し、常にオリコン最高3位以内はキープしていた。

アルバムもシングル同様にオリコン1位を獲得し、1997年に発売されたセレクションアルバム『ZARD BLEND ?SUN&STONE?』は200万枚を突破する大ヒットとなった。

1999年第1弾シングル「MIND GAMES」がオリコン1位を獲得。

その後、「世界はきっと未来の中」「痛いくらい君があふれているよ」「この涙 星になれ」を発売。

8thアルバム『永遠』は初登場1位を獲得しミリオンセラーとなり、その直後に初のベストアルバム『ZARD BEST The Single Collection ?軌跡?』『ZARD BEST ?Request Memorial?』を発売。

オリコン集計で売上合計500万枚以上を記録し、オリコンの年間アーティストトータルセールス3位を獲得。

また、ベストアルバム購入者から入場者を抽選する船上ライブを行った。

2001年2月に9thアルバム『時間の翼』発売、オリジナルアルバム最後のオリコン1位を獲得。

発売後、坂井泉水が体調不良になり、1年間活動を休止した。

以降、子宮筋腫、卵巣のう腫、子宮内膜症と次々に病気を患い、通院の日々が続いた。

2000年に自曲「Get U’re Dream」がNHKのシドニーオリンピック放送時のテーマ曲になった縁から2000年のNHK紅白歌合戦の出演に前向きだったと報じられたが、その後「体調がすぐれないため」として出場を辞退した。

2006年4月、仕事中に体調が悪化したため、病院で検査を受けたところ子宮頸癌が発見される。

6月1日に慶應義塾大学病院で病巣の摘出手術を受け、7月に退院。

2007年4月、肺への転移が見つかり再入院。

入院中は抗がん剤による治療を受け、治療後のアルバム製作とコンサートツアーに向けて作詞を行うなど、再始動を目指していた。

2007年(平成19年)5月26日、入院先の慶應義塾大学病院内のスロープ状になっている高さ約3メートルの地点から転落し、駐車場で仰向けに倒れているところを通行人に発見される。

その後集中治療室で緊急処置を受けたが、後頭部強打による脳挫傷のため、5月27日午後3時10分に死去した。40歳没。

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