ジャンヌ・ダルクの「大切な」言葉たち
私たちが戦うからこそ、神様は勝利を与えて下さる。
Because we fight, God gives me a victory.
勇敢に進みなさい。
そうすれば総てはうまくゆくでしょう。
Advance bravely.
When doing that, everything would work.
私はまったく怖くない…だって、これをするために生まれてきたのだから。
I am not afraid… I was born to do this.
私以外にこの国を救える者はありえません
The person who can rescue this country besides me isn’t possible.
あなたが何者であるかを放棄し、信念を持たずに生きることは、死ぬことよりも悲しい。若くして死ぬことよりも
To live gives up which person you are, and without having faith, is more regrettable than dying.Than dying while young.
掛替えの無い人生、それが人間の持つ全てだ。
それを信じて、私は生きていき、私は死んでいく。
An irreplaceable life, that’s everything man has.
I’m believing that and am living through me, and I’m dying.
行動することです。
そうすれば神も行動されます。
It’s to behave.
When doing that, God behaves, too.
一度だけの人生。それが私たちの持つ人生すべてだ
A life only of the once. That’s all lives we have.
ジャンヌ・ダルクとは?(人生・生き方・性格・プロフィール・略歴など)
ジャンヌ・ダルク(フランス語: Jeanne d’Arc、英: Joan of Arc、ユリウス暦 1412年頃1月6日 – 1431年5月30日)は、15世紀のフランス王国の女性軍人。
フランスの国民的ヒロインで、カトリック教会における聖人。
「オルレアンの乙女」(The Maid of Orléans)とも呼ばれます。
カトリック教会においての聖人の一人でもあります。
ジャンヌ・ダルクは1412年頃、フランスの片田舎であるロレーヌ地方のドンレミ村の農家に生を受けます。
13歳にして初めて「天の声」を聞き、その啓示に従ってヴォークルールの守備隊長ロベール・ド・ボードリクールに会おうとするも門前払いされます。
しかし、のちにシャルル7世となる王太子シャルルの信用を勝ち取ります。
聖職者たちも疑心暗鬼であったが、ポワティエでの3週間にわたる審査の結果、彼女を信用するようになります。
1429年4月、ジャンヌはフランス軍に加わり、ジャン・ド・ジュノワ、アランソン公、ラ・イル、そしてジル・ド・レェとともにロレーヌ川沿いの都市オルレアンへ向かって出発、そこでイギリス軍と激突。
ジャンヌとフランス軍の勇士たちによって、7ヶ月にわたる包囲網からオルレアンを包囲網から解放することに成功。
ジャンヌは「パテーの戦い」にてイギリス軍を突破して大勝利を収め、ノートルダム大聖堂にて主人シャルルは戴冠式を行い、フランス王シャルル7世となります。
しかしジャンヌは1430年5月23日、コンピエーニュの戦いでフィリップ善良公のブルゴーニュ軍に捕えられ、1万リーブルの身代金と引き替えにブルゴーニュ軍からイングランド軍に身柄が引き渡され、同年12月24日にルーアンのブーヴルイユ城に監禁されます。
その後度重なる審問の末に、ジャンヌは悪魔と交信した魔女と断定。
1431年5月30日、遂に異端者として破門され、火刑台にて僅か19年の短い生涯となります。
ジャンヌは常識にとらわれず、矢が尽きれば砲を持ち出し、攻城兵器がなければ櫓をぶつけ、敵勢を切り崩すために夜討ち朝駆けも平然と敢行。
これが破竹の勢いの快進撃につながったと同時に、敵には情け容赦しない“野蛮さ”として映り、敵国に無数の遺恨を生み出し、魔女裁判にかけられる遠因となったとも言われています。
なお容姿については諸説あるが、明確な資料はなく、と言うことは当時としては平均的な容姿であった可能性の方が高いと言われています。
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