池江璃花子の「大切な」言葉たち
(中学時代)一番楽しかったのは給食の時間。おかわりするために一生懸命ジャンケンしたり、みんなで笑いながら給食を食べられるのがすごく楽しかった
小学生のとき、親に花束をあげようと思ったんです。スイミングクラブの帰りに、イトーヨーカドーがあったので、そこに寄って花束を買って。喜ばせようと思って『はいっ』て渡したら、それが実は菊の花で…。超恥ずかしかった
インターハイがアジア大会と被ってるため、出場できないので最初で最後の関東高校が終わりました。インターハイも一回しか出れませんでしたが3年間あっという間すぎて、色んな思い出がつい最近にあったことのように感じます。。
帰ったら『世界記録』という紙を貼られていて『なんで貼ったの?』と言ったんですけど、でも日本記録だけじゃなく、やっぱり世界を目指すにあたって世界記録も意識しなきゃいけないんだなと実感は沸きました
日本では中学生の中で一番でしたけれど、ジュニパンではメダルに届きませんでした。海外には同世代でもっと速い選手がたくさんいるんだと身をもって知りました。
リレーは、たとえば1人が失格したらチーム全体が失格なので、背負う責任が大きいと感じます。今回の世界水泳のリレーメンバーはすごく仲がよくて、海外遠征でもたくさん話しています。世界水泳ではチームの絆で戦いたいです。
私も、尊敬できる人の振る舞いから学んで、誰からも憧れられるような人になれたらと思っています。競技面での一番の目標は、将来オリンピックでメダルを取ることです。
代表で対抗戦っていうのも初めて。すごいワクワクしています、やっぱり個人競技ではあっても、団体で戦うことは凄く声援も力になるし、普段とは違った感覚でレースを楽しむこともできると思う。まずは焦らず、落ち着いて自分のレースをして、チームに貢献していきたいと思います。
私たち、水の中ではライバルですけれど、陸では仲のいい友だちなんです。
日本人って、結構後ろだけ頑張ってかくみたいな選手がすごい多い。私は、入水した瞬間から肘を立ててかくのが、すごいうまいと言われる。
そのあと8ヶ月間ほどベストが出ませんでした。きっとJOで力を使いすぎて、燃え尽きてしまったんだと思います。結果が出なくてとても苦しい時期でしたが、あまり深く悩まないようにして練習をしましたね。がむしゃらに練習していたら、いつの間にか記録も伸びるようになっていました。
悔しさが大きい五輪だった。2020年にはたくさん種目に出ても(良い)記録を出せる選手になりたい。
自信をもてるほど練習をしっかりできているので、ある程度の自信はあります。
自己ベストに「日本記録」という名前が付いているだけかなと感じているので、まだまだこれから記録を伸ばしていきたいなと思っています。東京五輪でメダルを取るためにも、日本記録とは言わず、世界記録を目指していきたいなと思っています。
五輪には「魔物がすんでいる」と聞いていましたが、実際その魔物というのは自分の心の中のプレッシャーだったり、緊張だったりだと私は思っており、ちょっとビビっていました。しかし、思ったほど他の試合と変わらないなというのが一番の印象です。
世界の視野が広がった感じはあります。15年に初代表だったのですが、その時は準決勝にもいけないくらいのレベルでした。しかしその15年と(リオ五輪の)16年の間でやはり世界に向けて頑張りたいと思えましたし、リオ五輪が終わってからさらに上を目指したいと思えたので、すごく良い試合だったなと思います。
さすがに20代後半になったら厳しいですが、とりあえず東京五輪までは伸びると思いますし、「やってきたぞ」と自信を持てるぐらいの練習をやっていけるかの問題なので、あとは気持ち次第だと思います。
世界で勝たなきゃ意味がない。世界に対しての向き合い方も、自分の意識の仕方もぜんぜん今までと違う。
優勝できると思ってなかった。今大会で1番緊張した。隣(の劉)を見ながら本当に負けるかと思って泳いだ。6冠達成できてうれしい。自分の最高の力出し切れてよかった。
私は、練習で調子が悪くても、試合では気を抜かずに全力を出せるところが強みです。2015年の日本選手権で自己ベストを出せて、その後の海外遠征で疲れていた状態でも、ジャパンオープンでベストを更新することができました。弱みは、キック力です。ターンの後のドルフィンキックなどが弱いので、改善していきたいです。
“抜かせなくはないかな”という感じ。もちろん、今の時点で世界記録を出せるかと言われたら無理だと思うし、そのためには今までの練習ではダメだなと思う。さらに上を目指して世界一の練習をしなきゃいけない。それだけは覚悟を持って練習して、その記録は狙っていきたいです。
一番は東京五輪の時に爆発して出すというのが理想ではあるけど、東京五輪で周りを怖がらずに行くためには来年、東京前にはある程度、世界記録に近いタイムを出すというのが一番良いかなと思います。段階として目の前の夏から、ちょっとずつ自分の中で立てた目標をクリアしていけば世界記録という目標も到達できるかなと。
自分が何か凄いことをしないと、周りの人は知ってくれないと思っています。全然、自分は有名でもなんでもないし、もちろん、有名になる目的で水泳をやっているわけではないですけど、どんどん日本の中でも(水泳を)応援してくれる方が増えたらいいなと思います。
もう自分の意志だけで、とにかく今年は絶対やり切るって決めた。もちろん、今年だけじゃないですけど、とりあえずはこの冬はまずはやり切ると決めてずっと取り組んでたので、キツさも苦に感じず、楽しく練習できました。今はもう練習ができなかったら、早く泳ぎたくてウズウズするくらい練習したいという状況です。
限界はあまり感じていないです。今の自分のタイムが日本では1番だったとしても世界では1番ではないですし、世界記録からあと0.8秒くらい差があり、まだ速い人はいます。それだけ速い人がいると自分でもいけるだろうというか、同じ人間としてできている人がいるなら自分もできるだろうと思っているので、限界はないと思います。
以前の私だったら、初日の結果を引きずっていたかもしれません。でも、引きずることは自分のためにならないし、周りの人も嫌な気持ちにさせてしまうのかなと思って、気持ちを切り替えることができました。
どんな人でも、自分が得意としているものとか、一番力を入れていることだったら、誰にも負けたくないと思いますよね。
競技力もそうですが、人間性というものもすごく大事になってくる。
マイナス思考だとタイムも延びなくなるし、自分だけではなく周りの人にも伝染するので、物事は出来るだけポジティブに考えます。
壁を乗り越えるには、今できる練習を最大限にやるしかない。
私は、神様は乗り越えられない試練は与えない、自分に乗り越えられない壁はないと思っています。もちろん、私にとって競泳人生は大切なものです。ですがいまは、完治を目指し、焦らず、周りの方々に支えて頂きながら戦っていきたいと思います。
池江璃花子とは?(人生・生き方・性格・プロフィール・略歴など)
池江 璃花子。
東京都江戸川区出身の競泳選手。
専門は自由形とバタフライ。
個人種目11個とリレー種目7個、計18種目の日本記録を保持。
2000年7月4日、自宅の風呂場で水中出産により誕生。
生後2ヶ月頃から母親が運営する幼児教室に通い超早期教育を受ける。
幼児教室の講師を務める母親が、脳の発達に雲梯が良いと本で読んだことから、生まれてすぐに雲梯に取り組んだ。
生後6か月で母親の親指を握ってぶら下がり、1歳6か月の時には鉄棒の逆上がりをこなしたと言う。
水泳は兄姉の影響で3歳10ヶ月から始め、5歳の時には、自由形・平泳ぎ・背泳ぎ・バタフライの4泳法すべてで50mを泳げるようになった。
地元の西小岩小学校に通うかたわら、東京ドルフィンクラブ江戸川スイミングスクールで3歳から中学1年まで練習に励んだ。
小学6年時に記録した100mバタフライは、同スクールの「大人も含めた最速記録」で、いまだに破られていない。
小学3年頃から全国レベルの大会に出場するようになる。
2010年のJOC春季ジュニアオリンピックカップ(以下JOC春季大会)では、50mバタフライ(10歳以下区分)で3位に輝いた。
また、中学入学直前に出場した2013年のJOC春季大会の50m自由形(11~12歳区分)で優勝し、本人初めての全国優勝を達成。
2013年4月、小岩第四中学校に入学。
2014年3月のJOC春季大会(13~14歳区分)では、50mおよび100m自由形で短水路中学記録を更新して優勝。50mバタフライでも優勝を飾った。
2014年10月のワールドカップ2014東京大会の50m、100m、200m自由形の3種目全てで短水路中学新記録を樹立するなど、次々と各種の短水路や長水路の大会で中学記録を更新。
2015年1月に開催された東京都選手権の100mバタフライでは、世界選手権の派遣標準記録に0秒23と迫る58秒27で優勝。
2015年4月、第91回日本選手権に出場。50m自由形で25秒28、100m自由形で54秒76、200m自由形では1分58秒77の中学新記録でそれぞれ3位に入賞。さらに50mバタフライで中学生全日本チャンピオンとなった。また200m自由形で3位に入ったことで、世界選手権のリレー選手に選出され、中学生で日本代表入りを果たした。
2015年5月のジャパンオープンでは200m自由形で日本歴代2位となる1分58秒01で2位に入ると、50mバタフライでは26秒35の中学記録で優勝。これらの活躍が認められ、世界選手権ではリレーのみならず、個人種目の50mバタフライにも出場することが決まった。
2015年8月の世界選手権、池江を第2泳者に据えた日本チームは400mフリーリレーで9位、800mフリーリレーでは7位となり、12位までに与えられるリオ五輪の出場権を獲得した。
2016年4月、淑徳巣鴨高校へ進学。
リオ五輪代表選考会を兼ねた2016年第92回日本選手権(4月3日~10日)において、100mバタフライ準決勝で自身の持つ日本記録を0秒01更新すると、翌日の決勝でも派遣標準記録を切る57秒71で優勝して、この種目のリオ五輪代表権を獲得した。
続く200m自由形では日本記録に0秒02と迫る1分57秒39の高校新記録で優勝。100m自由形では高校新記録となる54秒06で2位になった。
結果、初めて五輪で7種目に出場することになった。
100m自由形:ベスト16、100mバタフライ:6位入賞、4×100mフリーリレー:8位入賞、4×200mフリーリレー:8位入賞など結果を残した。
2017年4月、第93回日本選手権に出場。50m、100m、200m自由形、50m、100mバタフライの5種目にエントリーし、すべてで優勝を果たした。初めて日本選手権で5冠を達成した女子選手となった。
2018年5月、東京五輪に向けての新体制として、中学時代から指導を受けて来た村上二美也の元を離れ、元五輪代表の三木二郎を新たなコーチとすることを発表。それに伴い所属もそれまでの「ルネサンス亀戸」から単に「ルネサンス」へと変更された。
2018年8月アジア競技大会ジャカルタに出場。50m、100m自由形、50m、100mバタフライ、400mフリーリレー、400mメドレーリレーの6種目で優勝。日本人初となるアジア競技大会6冠を達成し、大会MVPに輝いた。
2019年1月18日からオーストラリアで合宿を行い、2月10日に帰国予定だったが、体調不良のために切り上げて帰国することを7日に発表。
2019年2月12日、自身のTwitterで白血病と診断されたことを公表し、療養生活に専念することとなった。
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