北斗晶の「大切な」言葉たち~北斗晶の名言・人生・生き方など~



北斗晶の「大切な」言葉たち

いか、40超えるとな、生きてるだけで太るんだよ!!

奥さんに美味しいもん食べさせないと美味しい家庭料理出てこない!

あたしはねえ、やっぱり「日日是好日」かなあ。その日その日がね、いい一日ならばいいやと思うわけよ。今日もね、だからね、一生懸命頑張ろうかなと思って、だけど火曜日になると憂鬱になるじゃない!まあ色々とさあ!

あたしたちの現場は自分達が子育てしながらの共働きで、家族の手をかり人の手をかり仲間の手をかり、何とか子供達を育てながら働いて来たから…小さな子供を抱えても、働きやすい現場にしたいと思ってるんだ。そして…あたしのスタイリストゆみちゃんにも、口を酸っぱく言ってるんだけど…第1優先は、子供運動会はや授業参観は第1優先で仕事を休んでも行ってやって欲しいのよあたしは行ってやれなくて泣いた事が何度かあったから…そして、子供達にも淋しい思いをさせたからね同じ母として、子育てしながら働きやすいそんな現場にしてやりたいと思ってるんだ。

いい女房って…旦那の為に一生懸命やる人だと思うよ。旦那の事をじゃなくて、旦那の付き合いのある人達にね。

過去に後悔する事を、してしまった人ってこの世には沢山いると思う…浮気したり、パートナーを裏切ったり、大切にしなかったり。だけど…時と共に傷は治っても、傷跡は残る。その傷を付けてしまったのは自分だということを絶対に忘れず、残りの人生の全てをかけてパートナーを大切にしていって欲しい。

主婦には終わりが無い。あるとしたら旦那が死んだときだ。

大きな事故に合わず、変なん事故に巻き込まれず無事に一番大切な自分の命だけは、絶対に家に持って帰って貰いたいと、あたしは願ってるよ。大切な人に、どんどん言ってやって下さい。子供達や旦那さん好お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、ペットだってそう。人それぞれの家庭で家族の形は違うけど…。毎日、元気に家家に帰って来る事。これは一番簡単な様で、本当は一番難しいのかもしれないよね。

こんないい男、生まれ変わって虫になってても、葉っぱでも見つけてやる。

「家の中でのルールがない」!例えば、食べたお皿を下げる。脱いだものをカゴに入れる。靴を揃える。冷蔵庫は開けたら閉める。これってルールじゃないでしょ?人として当たり前のことだよね。子どもも大人も一歩玄関から出たらルールの始まり。交通ルールとか、世の中ルールで溢れてる。だから家の中くらいは別に自由でいいじゃない!って。人としてやることやってりゃ、好きなことやっていいじゃない!って考えなの。

結婚したから夫婦になるんじゃない。子供が産まれたから夫婦になるんじゃない。挫折を乗り越えて初めて夫婦になるんだ。

誉められると、人は優しくなる気がするんだ。明日…1日1人でもいいから…人を誉める事をしてみて。旦那、子供、兄弟、いつも一緒に居る人でもいいし…友達でもご近所さんでも、知らない人でもいいんだ。

  

旦那に縛られているのと守られているのは違う。

ウチの子が幼稚園に通っていた頃の話だけどさ、こっちは幼稚園の様子をいろいろ聞きたいのに、子どもがあまり話してくれない。“お弁当おいしかった?”“うん”、“なにがおいしかった?”“忘れた”、“幼稚園でなにした?”“ひみつ”。子どもって“ナイショ”や“ひみつ”が大好きだからさ、まあ気にすることないんだけど、なかには、外での子どもの様子を知りたくてやきもきしちゃうお母さんもいるだろうね。そこで、子どもに口を割らせる方法を伝授するよ。あたしがよく使うのは、“教えてくれたら、ママのもっとすごい秘密を教えてやるんだけどな”って言うの。たいてい、“ええ? なになに、教えて!”と言ってくるから、“じゃ、ママにも教えて”と交換条件を出す。そして、“絶対、だれにも教えるなよ”と指切りげんまんなんかしちゃって、“せえの”で秘密をばらしっこする。要するに、遊びにしちゃえってことだな。

主婦には終わりが無い。あるとしたら旦那が死んだ時だ。
 

宿題をしない、お手伝いをさぼる…。子どもって次から次へと怒られることをするよな。だからお母さんは毎日のように怒る。子どもは怒られ慣れて、聞き流して、同じことを繰り返す。こりゃ、親子ともにストレスがたまるだけだよ。こんなときは、怒るより、ほめるほうが、ずっと効果があるんじゃないかな。ウチの子に有効だった方法がコレ。まず、デカい紙に日づけを書き、宿題、お手伝い、忘れ物などの項目を書いて表にする。で、ちゃんとやったら○、ダメなら×を書いていく。励みになるように、○1個につき20円とかって決めて、たまったらお金に換えてあげよう。ケンカしたら○を減らす、みたいなルールを決めてもいいね。で、○がつくたびに、子どもをうんとほめてやろう。お金に換えることには、賛否あると思うから、それぞれの考え方でアレンジすればいいと思う。大切なのは、ほめるための仕組みをつくってあげることなんだ。
 

生きてるだけでポイントはつくんだよ!
 

子どもって成長のスピードも性格もさまざまだよね。ウチは5歳違いだけど、下の子が要領がいいんだ。自分から手を出しておいて、お兄ちゃんにちょこっとこづかれると、すかさず泣いて周りにアピール。そうすると、お兄ちゃんがいつも怒られるんだよ。上がまた、自分の気持ちを伝えるのが苦手だから、もう悪循環。そんなときは上の子を呼んで2人きりの時間をつくる。で“ナイショだよ”って言いながら、ひざの上にのせ、胸に頭をぴったりくっつけていろんな話をするんだ。“いつもお手伝いしてくれてありがとね”とか“ホントにいい子だね”といっぱいほめて、おまえがかわいくてたまらないよってことを伝えて、甘えさせえてあげる。たまに2人きりになることがとても大切だと思うよ。今は大きくなっちゃったから、さすがにやらないけどね。

性格の不一致で別れるのはダメ。性格が合わないのが当たり前。性格が合わないから別れるとか言ってたらキリがない。

困難を乗り越えたから夫婦になれた。

豪華な指輪よりも…少し、髭に白髪が混じってきたパパの笑顔を今日もこの目で見られてる事が一番の幸せ。そして…シミだらけ、シワも増えてきた女の子あたしの顔を笑顔でパパが見てくれてる。その事が本当の幸せ。

鬼嫁とは鬼のように怖い嫁のことじゃなくて、旦那のためなら鬼にもなれる嫁のことなんだって!!

やり遂げた人は何事にも感謝するけれど、途中で投げ出した人って、悪口ばっかり言ってるんだよね。

またどん底に落ちるかもしれない、でもそんときはまた這い上がればいいだけよ。

プロレスって倒れた人間が立ち上がる姿を、他のどんなものよりもハッキリと見せることができるんだよ。

いい母親かどうかは、あたしがこの世から消えてなくなるときに子どもたちが決めてくれる。その意味では母親業って、ずっと現在進行形。

半分の人なんか応援してくれてないって。10人いたら9人は私のことなんて嫌いって言ってる人がいると思わないと。1人でもいたらありがたいって思ったら気持ちが楽じゃない?

北斗晶とは?(人生・生き方・プロフィール・略歴など)

北斗晶。

本名、佐々木久子(ささきひさこ)、旧姓・旧リングネーム、宇野久子(うのひさこ)。

埼玉県北葛飾郡吉川町(現:吉川市)出身。

男子プロレスラー佐々木健介の妻であり、マネージャーでありセコンドであり、健介オフィス代表取締役でもある。

愛称は本名の久子に由来してチャコ。

リングネームの由来は『ウルトラマンA』の北斗星司と尊敬する男子レスラー前田日明から。

レスラーとしての愛称はデンジャラス・クイーン。

レスラー引退後は、鬼嫁の愛称で知られる。

埼玉県北葛飾郡吉川町の農家で生れる。

3人姉妹の次女。

都内有数の女子伝統校神田女学園中学校卒業後、もちあがりで神田女学園高等学校に進むもプロレス界入りのため中退。

1985年6月、札幌中島体育センターにおける岩本久美子(後のグリズリー岩本)戦で全日本女子プロレスよりデビュー。

新人王決定トーナメントは準優勝、年末の女子プロレス大賞では(最優秀)新人賞となった。

1986年3月、大阪城ホール大会で先輩のコンドル斉藤が保持する全日本ジュニア王座を奪取。同期では最も早い戴冠だった。

1987年、当時保有していたWWWA世界タッグ王座(パートナーは堀田祐美子)の初防衛戦で、ロープ2段目からのツームストン・パイルドライバーを受けた際に首の骨を折る重傷を負い、以後長期欠場を余儀なくされる。

1988年には同期の鈴木美香(みなみ鈴香)と海狼組(マリン・ウルフ)を結成し、リングネームを北斗晶に変更。

1992年、ヒールに転身し三田英津子と『猛武闘賊(ラス・カチョーラス・オリエンタレス)』を結成(のち下田美馬が参加)した。

1993年から1997年にかけての団体対抗戦時代に北斗は全女を背負って闘い、LLPWの神取忍と血みどろの抗争を繰り広げてデンジャラスクイーンと呼ばれるようになる。

アントニオ猪木の主導により北朝鮮で行われたスポーツと平和の祭典で健介と出会い婚約。

1995年6月4日、健介と結婚した後にフリーとなり、WCWを経て1996年、GAEA JAPANに入団。

1998年に長男を出産、一時リングを降りていたが翌年復帰を果たし、団体内グループであるT.NDS(チームノストラダムス)および卑弥呼を結成し、日本初のママレスラーとなった。

2002年4月7日、横浜文化体育館の長与千種・浜田文子組戦(パートナーは里村明衣子)において現役を引退。

引退直後は主婦業に専念していたが、2003年のWJプロレス退団後苦労する夫健介を支えるべく、健介のマネージャー役としてプロレス界に復帰、健介の復活を支えた。

2015年9月、乳がんで入院中であり、右胸全摘手術をすることを明らかにした。

右乳房全摘出手術を受け、腋窩リンパ節(腋の下のリンパ節)まで転移したがんを取り除いた手術で、腋窩神経も取ったことも告白した。



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