斉藤由貴の「大切な」言葉たち~斉藤由貴の名言・人生・生き方など~

斉藤由貴の「大切な」言葉たち

子どもの頃は地味な子でしたよ。ほかの子たちとノリが違ったのか、集団生活の中では少し浮いた存在だったかも。逆に芸能界は個々のキャラクターを大事にしてもらえる世界なので、自分自身が違和感なく存在できているのが良かったと感じる点ですね。思い出の先生は5年生の時の担任。当時、私は家で1日2時間勉強すると決めて、実際に頑張って勉強していたんです。そしたら成績が急に上がって、先生が「今学期、斉藤さんはものすごく頑張ったね」っていっぱい褒めてくれて「これは内緒だけど、先生うれしいからプレゼントだよ」って絵具をくださったんです。本来そういうことをしてはいけないんでしょうが、先生個人の思いでしてくれたことが私にはすごくうれしくて…。もっともっと頑張ろうと思ったことを覚えています。

子どものころから学校に友だちがいなかったし、いつも休み時間は1人でずっと本を読んでいたし、放課後に友だちと遊びに行ったというのもないし、学校でうまくいったという思い出はないですね。『クラスのみんなと仲良くなりたい』という気持ちはあったけど、残念ながらそれは叶わなくて。いつも一人ぼっちになっちゃうような青春時代を過ごしていたんですよ。その後、芸能界に入ったら入ったで、みんな芸能人のお友だちとか、スタッフさんと遊びに行くとかしていましたが、私はほとんどありませんでした。

いわゆる”ザ・芸能界”的な場所に立つと、アイドル的なこともやらなければいけないじゃないですか。たとえば、私は歌番組や雑誌の取材がすごく苦手で、周りにどんな歌手やアイドルの人がいても、いつも違和感がものすごくありました。歌番組のときも、歌って司会者さんとのやり取りをしたら、あとはひたすら黙って番組が終わるのを待っているだけでしたし、ひと言もしゃべらないこともしょっちゅう(笑)。周りの人が楽しそうにしゃべっていると、『どうしてみんな打ち解けて話せるんだろう。すごいなあ』って。今でも同じ仕事をしている人と、友だちみたいに話すのは苦手なんです。

芸能活動を辞めたいなと思ったことは一度もないです。だけど、アイドルってくくりでひとまとめにされるのは好きじゃなかったな。私はアイドルになりたい、歌手になりたいと考えたことは一度もなかったので、最初はみんなから『アイドル』と言われることが少しつらかった。ずっとお芝居が好きだったんです。だから最初は女優としてお仕事を始めていくんだなって思っていたのに、気がついたらアイドルになっていて『なんで?』ってすごく思っていた。そこのギャップにはずっとずっと戸惑っていました。デビューするまでは、ただ単に学校で目立たない人でした。1984年に『ミスマガジン』でグランプリをとって、いきなり皆から注目されるようになってしまった。自分の立場のギャップに焦りました。違和感がすごくて。ずっとひとりで芸能活動をしていくなかで、家族やスタッフさん達にいつも支えられていたなと思います。

私の特徴として、この30年間、所属事務所を一度も変わることなく歩んできたということは凄く大きいと思うんです。ずっと一緒にいるスタッフが凄く多くて、当然、私のことをよく理解してくれている。

無理せず頑張りすぎなかったことが30年間も芸能活動を続けるにあたって、功を奏したと思います。思い返せば体力的な無理とかはしてきたけれど、この芸能界でなんとか生き残らなければ……みたいなことは思ったことがない。なんとなく、私らしくこのまま、この歳まで生きてきただけなので『よくこの歳までお仕事を頑張ってきましたね』って言われると『言われてみればそうだな』なんてくらいにしか思わない。あと、思うのは、時代とか求められているものとか、とにかくいろいろな出会いとの運が良かった。それ以外は私にもよくわからないです。

30年って結構長いと思うんです。それだけの歳月を共有してきた人間が“思い入れてくれる”というだけでも、とっても嬉しいことですよね。それに私自身も年を取りましたから(笑)。年を取った分歌える歌もあるんじゃないかなって。

正直に言うと、私の中で、30年ってあまり重きを置いているワケではなくて。私が今、日常の中で思うことは「人生ってあっという間だな」ということなんです。自分にとって“死”だったり、“人生の終着点”というものが、意外と身近になってきたなって。デビュー30年、30年って言われて、今もこうして取材を受けさせて頂いて、実際にこれまでの歩みを振り替えるんです。そうすると「あぁ~人生って意外とサラッと過ぎようとするとあっという間だなぁ」って(笑)。

やっぱり、私、歌下手じゃんって(笑)。ただ、私をアイドル時代から応援してくれた方が、父となり、母となり、頑張って家のローンを返済してたり頑張っているんですね。それこそ恋愛どころじゃないって方が多いと思う。でも、昔は文字通り胸が締め付けられるような恋愛を経験して、月に吠えたり海に吠えたりしていたんですよ(笑)。

中学1年の長女、小学3年の長男、2年の次女がいますが、本当に一日があっという間ですね。例えば(4月初めの)昨日は、ドラマの撮影を終えて自宅に帰ってから子どもたちに夕飯を食べさせ、お風呂に入れて、寝かしつける。で、その後に夕飯の後片付けと洗濯。それから学校に提出する家庭生活調査表とかいろいろな書類を3人分書いて、やっと就寝。今朝は5時から子どもたちのお弁当を作って、家を6時に出て・・・。私はとにかく必死ですが、全然余裕のないダメママです(苦笑)。でも、ドラマの子どもたちもそうですが、みんな自分たちなりに楽しく暮らしていて、そんな素直さや明るさに、大人はいつの間にか巻き込まれているんですよね。子どもたちの力って本当にすごい!

観念的なところがあります。特に演技では、よく、頭で考えたことだけを頼りに動いてしまう。それが、とても危険なことだと最近思うようになったんです。私はもともと言葉が好きで、つい、言葉で自分を納得させてしまうところがある。常に周りを観察することで、頭の中がせわしなく動いて、その結果がお芝居になるのは仕方のないことかもしれない。でも、本当の意味でのピュアな、感情の発露って、頭で組み立てた感情表現じゃなく、脳をすっ飛ばした、もっとストレートな身体表現なんじゃないかと思うんです。

好きな言葉が『ゆるくぬるく』なんです(笑)。できるだけニュートラルでいたい。いつも鍵が開いていて、素地は白くて、何を置いてもその色がきれいに見えるような存在でいたい。

なぜ私が俯瞰で自分自身を見れたのかというと、たくさんの仕事をしていく中で、どうしても嫌なことにもぶつかるし、自己嫌悪にも陥る。自分のやっていることに納得がいかないことって絶対に生じるんです。でも、私はそこで、“自分で考えること”が出来たんです。私は友人も少なかったので、小さいころから1人でいることが多かったんです。その分凄く色々なことを考える時間があったんですね。幸か不幸か、小さいころから1人が多かったので、この世界でデビューして大勢の方に取り巻かれて生活していても、その“自分で考える”という習慣を保つこと出来たのかなって。

お芝居の筋肉をつけるためには、実は体幹も鍛えなければならなかったりもするし、土台とか芯の強さみたいなものを、自分の中にちゃんと作っていくことがプロの演技人としてのあり方なのかな、と思ったりもしました。日によって、できたりできなかったりじゃなくて、言われたことはちゃんとできる筋肉を身につけたい。筋肉って、日々の鍛錬によって蓄えられていくものでしょう? 一朝一夕に身につくものじゃないし、「今日やりましょう」と言ってもできないから、日常が試される。これから、たくさん嫌な思いをして、自己嫌悪と戦いながら、しなやかで強靭な“芝居の筋力”を身につけていきたいです(笑)。

向上心って、誰もが持っているものじゃないでしょうか。50になっても、60になっても、本当はきっとみんな持っているものだと私は思う。だって、それがないとつまらなくないですか? 人間、明日死ぬかもしれないけれど、下手したらまだ何十年も生きなければいけないわけで。それなのに、もう満足してしまったら、より良い自分のことを何も想像しなかったら、私はすっごくつまらないと思う。

もしかしたら、自分の置かれている状況に納得するための“考える作業”って、今の若い人たちは苦手なのかも。でも、自分が何かを突き破ったり成長するためには避けては通れないと思う。

30年経っても変わらないテキトーな面もありますよ。裏を返せば、きっと成長してないということなんでしょうね(笑)。

斉藤由貴とは?(人生・生き方・プロフィール・略歴など)

斉藤由貴。

1966年生まれ、神奈川県横浜市南区出身。

1984年、『少年マガジン』(講談社)第3回ミスマガジンでグランプリに選ばれる。

10月、明星食品「青春という名のラーメン・胸騒ぎチャーシュー」のCMが話題を呼び、テレビ初登場。

1985年2月、「時代だって、由貴に染まる。」というキャッチフレーズのもと、キャニオン・レコードより『卒業』で歌手デビュー。

同曲はオリコンで最高6位を記録し、約35万枚のヒットとなる。

同年4月放送開始のフジテレビ系『スケバン刑事』で連続ドラマ初主演。

スケバン刑事が一世を風靡し、トップアイドルへと上り詰める。

また同年12月には初の主演映画『雪の断章 -情熱-』が公開され各映画賞の新人賞を受賞した。

1986年4月からNHK連続テレビ小説『はね駒』のヒロインを演じ平均視聴率40%を記録するヒット作となり、人気と知名度を全国的に定着させた。

同年3月に発売した『悲しみよこんにちは」が約30万枚の売上を記録し、年末の『第37回NHK紅白歌合戦』へ初出場し当時最年少の紅組キャプテンを務めた。

同年に発売された、7枚目のシングル『青空のかけら』オリジナル・アルバル『ガラスの鼓動』が、共にオリコン週間チャートでの第1位を獲得した。

1987年1月、ドラマ『あまえないでヨ!』(フジテレビ)に主演。

スペシャル版が同年9月に放送された。

同年8月黒柳徹子の自伝エッセイを映画化した『トットチャンネル』に主演。

監督・脚本の大森一樹とは『恋する女たち』(1986年)および『「さよなら」の女たち』(1987年)でもタッグを組んでいる。

この“三部作”で東宝青春映画のスターの地位を確立。斉藤は芸術選奨文部大臣新人賞、『トットチャンネル』と『恋する女たち』により第11回日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞し司会も務めた。

舞台では『レ・ミゼラブル』初演において初代コゼット役を務めた。

1988年、雑誌『月刊カドカワ』の連載『運命の女』ファムファタルがスタートし女優活動のみならず、詩、小説、エッセイなどの著作がある。

同年7月公開の主演映画『優駿 ORACIÓN』はフジテレビ開局30周年記念作品として制作され、240万人超を動員する興行成績を残す大ヒット作となった。

また第12回日本アカデミー賞では『「さよなら」の女たち』・『優駿 ORACIÓN』で2年連続優秀主演女優賞を受賞した。

1989年1月、ドラマ『はいすくーる落書』(TBS)に主演。

スペシャル版が同年12月放送され、翌1990年7月 – 9月にパート2が放送された。

同年4月、主演ドラマ『湘南物語』の主題歌として井上陽水のカバー曲『夢の中へ』をリリースする。

オリコン週間シングルチャート第2位、1989年度年間第14位となり、自身最大のヒット曲となった。

その後も渡邊孝好監督『君は僕をスキになる』 (1989年)、金子修介監督『香港パラダイス』 (1990年)、森田芳光監督『おいしい結婚』(1991年)と、数々の映画作品に主演した。

1990年7月、オリジナル・アルバル『MOON』発売、自身がプロデュースを初めて行い作詞全曲も担当した。

楽曲中では斉藤自身のナレーションによる語りも収録されている。

作詞家としてもミュージカル『ローマの休日』(1998年上演)に使用された楽曲の作詞を担当(1998年度芸術祭賞受賞)。

初演から22年ぶりの再演(2020年上演)でも引き続き、斉藤が作詞を担当している。

1993年10月、主演ドラマ『同窓会』(日本テレビ)に出演。それまでの役柄とは正反対ともいえる汚れ役が話題となった。

全10回の平均視聴率は17.0%、最高視聴率は20.4%まで上がった。

1995年、三谷幸喜脚本による舞台『君となら〜Nobody Else But You 』(PARCO劇場)に主演。

1997年にも再演され、2014年には 竹内結子主演で再々公演された。

以後、多くのパルコ・プロデュース作品に出演する。

1998年、映画『雪の断章 -情熱-』から13年ぶりに相米慎二監督、映画『あ、春』に出演。

作品は1999年度キネマ旬報ベストテンの第1位に選出されたほか、第49回ベルリン国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞した。

2001年、第27回菊田一夫演劇賞『空のかあさま』(芸術座)を受賞。音楽番組『クリスマスの約束』(TBS)のナレーションを2001年から2016年まで担当したほか、ドキュメンタリー番組など数多くの番組でナレーターを務めている。

2006年5月、 宮藤官九郎脚本の主演ドラマ『吾輩は主婦である』(TBS)ではコメディエンヌぶりが高い評判を呼び、改めて注目される。

『吾輩は主婦である』は、2006年度6月ギャラクシー賞月間賞を受賞。

またザテレビジョンドラマアカデミー賞で斉藤は主演女優賞2位、作品賞3位を獲得した。

2008年3月8日、PARCO劇場にて単独では結婚以来13年ぶりのコンサートを開催、チケットは即日完売となり翌日に追加公演を行った。

以後コンスタントに歌手活動を再開している。

2010年4月、黒木瞳、高橋克典、斉藤由貴、三上博史、主演ドラマ『同窓会〜ラブ・アゲイン症候群』に出演。

最終回は15分拡大で放送され15%以上を上回った。

2012年4月には韓国版ドラマ『ラブ・アゲイン』も放送された。

2011年2月には、デビュー25周年を機に制作されたニューアルバム『何もかも変わるとしても』をリリース。

これに合わせPARCO劇場にて5日間連続「斉藤由貴 25th Anniversary コンサート 〜何もかも変わるとしても〜」が開催され、各日それぞれに特別ゲストが出演した。

2014年、同時期に宮藤官九郎脚本の青春を描く学園コメディドラマ『ごめんね青春!』(TBS)に出演。

三谷幸喜が初めて「オンナ」同士のバトルを描いた舞台『紫式部ダイアリー』(PARCO劇場)に長澤まさみと二人芝居で共演し、全公演のチケットが即日完売となった。

2015年2月21日に歌手デビュー30周年を迎え、3月11日には1985年のデビュー以来初の試みとなるジャズスタンダードを選曲したアルバム『ETERNITY』を発売。

3月13日から15日まで東京・日比谷シアタークリエで「斉藤由貴30th Anniversary Concert」を開催した。

本公演は、前売り全席が早々に完売、カメラ席や関係者席を開放後も即完売、当日券も即売となった。

2016年1月、三谷幸喜脚本の大河ドラマ『真田丸』に出演。

12月24日には「第42回ラジオ・チャリティー・ミュージックソン」を25年ぶり2度目のパーソナリティ一を務めた。

2017年1月、ドラマ『お母さん、娘をやめていいですか?』(NHK)では複雑に絡んだ母娘の物語をサスペンスフルに描くモンスターホームドラマを演じた斉藤は、第7回コンフィデンスアワード・ドラマ賞助演女優賞を獲得し、同年6月、第8回岩谷時子賞「岩谷時子 特別賞」を受賞した。

同年7月にはドラマ『カンナさーん!』(TBS)で初のおばあちゃん役を演じた。

2018年2月、是枝裕和監督、映画『三度目の殺人』(2017年)での演技が評価され、32年前の新人賞(『雪の断章 -情熱-』)以来のブルーリボン賞助演女優賞受賞となった。

また、第27回東京スポーツ映画大賞助演女優賞も受賞した。

2019年1月、フジ系連続ドラマ『スキャンダル専門弁護士 QUEEN』に出演。

同年には三谷幸喜の映画では初参加となる『記憶にございません!』(東宝)、恩田陸の短編小説の映画化『蜜蜂と遠雷』(東宝)、常盤司郎監督、長編映画デビュー作『最初の晩餐』(KADOKAWA)など話題作に相次い出演。

2020年3月、映画『最初の晩餐』(2019年 常盤司郎監督)で第34回高崎映画祭の最優秀助演女優賞を受賞した。

作品は4部門受賞の最多受賞を達成。

同年8月、歌手デビュー35周年を記念した「斉藤由貴 the live 2020」がBillboard Live YOKOHAMAにて、11月(12日-14日)には斉藤由貴35th anniversary concert「THANKS GIVING」が東京建物Briliia Hallにて開催された。

2021年にはデビュー記念日である2月21日に、卒業から11作連続でシングルの編曲を手掛けた武部聡志プロデュースによるデビュー35周年記念セルフカバーアルバム『水響曲』がリリース。

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