「日本電産株式会社」の始まりと原点!~経営理念・企業理念/創業者・創立者『永守重信』/沿革・歴史など~

「日本電産株式会社」の始まりと原点!~経営理念・企業理念/創業者・創立者『永守重信』/沿革・歴史など~

 

「日本電産株式会社」の経営理念・企業理念(ビジョン・ミッション・バリュー・スローガン・指針・方針など)

 

 

 

「日本電産株式会社」の社是

 

我社は科学・技術・技能の一体化と誠実な心をもって全世界に通じる製品を生産し社会に貢献すると同時に会社および全従業員の繁栄を推進することをむねとする。

 

 

 

「日本電産株式会社」の三つの経営基本理念

 

1.最大の社会貢献は雇用の創出であること

2.世の中でなくてはならぬ製品を供給すること

3.一番にこだわり、何事においても世界トップを目指すこと

 

 

 

「日本電産株式会社」の三大精神

 

情熱、熱意、執念

知的ハードワーキング

すぐやる、必ずやる、出来るまでやる

 

 

 

 

「日本電産株式会社」の創業者・創立者『永守重信』~生い立ち・名言・創業の想い・考え方など~

 

 

永守重信(日本電産創業者)

 

 

1944年8月28日、京都府向日市において、6人兄弟の末っ子として誕生。

1963年3月、京都市立洛陽工業高等学校を卒業。

 

1967年3月、職業訓練大学校電気科を首席の学業成績で卒業。

音響機器制作会社ティアックに就職後、同社子会社である山科精器取締役の経歴を経て、ティアックの持ち株を元に、1973年7月、28歳で日本電産を創業する。

 

社長を含めて3人での創業であった。

以後、日本電産代表取締役社長兼最高経営責任者(CEO)として、同社を日本を代表する小型モーター製造会社に育て、モーター事業において、世界トップ・シェアの業績を誇る世界的な大企業に育て上げた。

 

2014年6月、ソフトバンクグループ社外取締役に就任。

2014年10月、日本電産代表取締役兼最高経営責任者(CEO)に就任。

 

2014年1月、日本経済新聞社が実施した「平成の名経営者ランキング」において第1位となる。

2014年11月17日に発刊された『日経ビジネス』誌において、発表された「社長が選ぶベスト社長」ランキングにおいて第1位を獲得。

 

2014年12月、永守財団を設立する。

2017年9月30日、ソフトバンクグループ社外取締役を退任。

 

2018年3月、京都学園大学理事長に就任。

2018年8月、郷里の向日市へ市民会館を新築して寄付することを表明。名称は「永守重信市民会館」で、工費は約32億円。

 

 

 

永守重信(日本電産創業者)の名言・考え方

 

 

創業当初、私は生き残るために他社が敬遠するような難しい仕事ばかり取ってきた。

 

 

 

「1兆円になったばかりの会社が10兆円なんて、おかしいですよ」と笑う人もいます。おかしいと思うならそれでいい。創業社長なんて、みんなおかしいものです。

 

 

 

売り上げは企業にとって、人間に例えると血液。まず売り上げが先行しないと利益は出てこない。利益率を上げれば、利益が上がるという意見もあるが、売り上げを先行して伸ばすことが全体の業績回復のキーになってくる。

 

 

 

会社の経営を究極まで突き詰めていくと、実に単純明快な答えが導き出されます。それは、原理原則にしたがって、当たり前のことを当たり前にやっていくということで、これ以上でもなければ、これ以下でもありません。「継続は力なり」という言葉がありますが、一切の妥協や譲歩を許さず、誰にでも分かっている当たり前のことを、淡々と持続させていくこと以外に成功する極意も秘訣も存在しません。メーカーにとって当たり前のことは、世の中で求められている品質のものをどこよりも安いコストでつくることです。

 

 

 

異端者を評価しない会社も問題です。ちょっと変わった人間が世の中にないものを生み出している。

 

 

 

社員の評価において、私は徹底的な加点主義なんです。減点主義は一切取っていません。つまり、失敗してもいいんです。加点主義だから良いことをやればプラスですし、失敗してもマイナスにはならない。

 

 

 

いまはグローバル化の時代です。世界が相手である以上、お上の言いつけに従っていれば間違いない、という昔ながらの意識で戦ってはいけません。日本人は口癖のように「政府が悪い」「社会が悪い」「親が悪い」といいますが、自分の努力で道を開くという気概がなくてどうするのか。日本人は依存心をなくし、独立心を持たなければなりません。

 

 

 

日本電産はこれまでの歴史で常に、「新製品」「新市場」「新顧客」の開拓に力を入れてきた。これを「スリー新」活動と言い、本業がどんなに好調でも新たな分野を目指すというものだ。

 

 

 

人にはIQ(知能指数)とEQ(感情指数)がありますが、IQの差は精々5倍まで、通常は2倍ですね。ところが、EQは100倍の差があると思うのです。三流大学卒の人でもやる気があれば、一流大学の人に負けない。むしろ、やる気のある三流大学卒の方が一流大学卒より優秀な場合がよくあります。

 

 

 

経営とは詰まるところ、「予測」「準備」「実行」「振り返り、作り直し」である。この基本を徹底するだけだ。

 

 

 

リターンを早く求めたいからすぐ首を切る、資産を売却する。そうすることで企業価値は確かに上がるかもしらんけど、多くの従業員の生活が犠牲になる。従業員の首を切ってまで利益を上げなくてはならなかったら、僕は辞めます。

 

 

 

どの事業もいつか必ずピークアウトする。事業や商品はもとより、国家、企業、個人もすべて、どこかでピークを迎え衰退する。大きくいえばこれが私の歴史観である。

 

 

 

この数年で3社ほど100年以上の歴史がある会社を買いました。実際に買ってみると、大事なことが3つあると気付きました。長期的な視点に立つこと。ビジネスポートフォリオを絶えず変えなければいけないということ。マンネリに陥らないように頭を切り換えること。

 

 

 

アメリカやヨーロッパでも、本当にうまくいっているM&Aは、そこそこ雇用を守っているんです。敵対的買収がすべて悪いとは思いませんが、それが長い目で見て企業価値を上げることになるのかは疑問です。

 

 

 

大きな目標は、「大ボラ」から始まって「中ボラ」「小ボラ」にして「夢」にするのが僕のやり方。夢とは、自分の中では実現可能性がかなり高い段階。

 

 

 

昔は築城3年、落城1日。いまは築城3年、落城3時間。

 

 

 

0勝0敗よりも15勝15敗の方がいい

 

 

 

ホラを吹き、夢を語る。会社や世の中をもっと良くするんだと楽観的に考えていかないといけない。私は役員会では厳しいことを言って危機感を持たせますけど、社員には夢しか語りません。

 

 

 

経営はコミュニケーションそのもの。

 

 

 

企業の本当の強みは風土であり、スピリッツだ。

 

 

 

 

 

「日本電産株式会社」の沿革・歴史(年表・社歴など)

 

 

 

1973年(昭和48年)京都市西京区に現代表取締役会長永守重信が資本金2,000万円で日本電産株式会社を設立、精密小型ACモータの製造・販売を開始

 

1974年(昭和49年)米国に代理店をおく、京都市中京区大宮に本社事務所を移転

 

1975年(昭和50年)アジア、欧州各国にも代理店を拡大、京都府亀岡市に亀岡工場を新設、ブラシレスDCモータの本格生産開始

 

1976年(昭和51年)現地法人・米国日本電産(株)を設立

 

1978年(昭和53年)米国のファンメーカー・トリン社と日本電産トリン(株)を設立し、ファンブロワー分野へ本格的進出を図る

 

1979年(昭和54年)8インチ型ハードディスク装置用スピンドルモータの生産を開始

 

1982年(昭和57年)京都府中郡峰山町に峰山工場を新設、軸流型ブラシレスDCファンの本格的生産を開始

 

1983年(昭和58年)本社事務所を京都市中京区烏丸御池に移転

 

1984年(昭和59年)米国トリン社の軸流ファン部門を買収し、米国に現地法人・ニデックトリンコーポレーションを設立、3.5インチ型ハードディスク装置用 スピンドルモータの生産を開始、滋賀工場を新設、シンガポール駐在員事務所を開設

1988年(昭和63年)株式を大阪証券取引所市場第2部、ならびに京都証券取引所に上場

 

1989年(平成元年年)(株)デーシーパックに資本参加、 茨城日本電産(株)とし電源装置分野へ進出。現地法人・シンガポール日本電産(株)を設立。信濃特機(株)に資本参加

 

1990年(平成2年)現地法人・タイ日本電産(株)を設立

 

1991年(平成3年)台湾駐在員事務所を開設。米国日本電産(株)が電源装置メーカー「パワーゼネラル」を買収

 

1992年(平成4年)中国に現地法人・日本電産(大連)有限公司を設立。現地法人・台湾日電産股?有限公司を設立

 

1993年(平成5年)ドイツに現地法人・欧州日本電産を設立。本社事務所を京都市右京区西京極の自社ビルに移転。真坂電子(株)を買収。茨城日本電産(株)と真坂電子(株)を合併し、新たに日本電産パワーゼネラル(株)を発足。IPO拠点として現地法人・日本電産(香港)有限公司を設立

 

1995年(平成7年)共立マシナリ(株)の第三者割当増資を引き受け、資本参加。無段変速機のトップメーカー、シンポ工業(株)の第三者割当増資を引き受け、資本参加。現地法人・フィリピン日本電産(株)を設立。

 

1997年(平成9年)トーソク(株)に資本参加。(株)リードエレクトロニクスに資本参加。京利工業(株)に資本参加。トーソク(株)と共同出資で日本電産トーソク・ベトナム会社を設立。

 

1998年(平成10年)現地法人・インドネシア日本電産(株)を設立(株)コパル並びにコパル電子(株)に資本参加。株式を東京証券取引所市場第1部に上場並びに大阪証券取引所市場第1部に昇格。芝浦メカトロニクス(株)、(株)東芝との3社合弁で芝浦電産(株)を設立。(株)コパルのマレーシア現地法人にシンガポール日本電産(株)が資本参加、日本電産コパル・マレーシア(株)に社名変更

 

1999年(平成11年)現地法人・タイ日本電産精密(株)を設立。日本電産シンポ(株)、トーソク(株)、(株)コパル、芝浦電産(株)、日本電産キョーリ(株)、日本電産リード(株)との共同出資で 日本電産総合サービス(株)を設立。ネミコン(株)に資本参加。現地法人・韓国日本電産(株)を設立。

 

2000年(平成12年)(株)ワイ・イー・ドライブに資本参加。日本電産芝浦(タイ)(株)と日本電産芝浦エレクトロニクス・タイランド(株)が合併(社名は日本電産芝浦エレクトロニクス・タイランド(株))。米国シーゲート社のタイのHDD用モータ工場を買収し現地法人・タイ日本電産ハイテクモータ(株)を設立。

 

2001年(平成13年)現地法人・フィリピン日本電産精密(株)を設立。ニューヨーク証券取引所へ上場。台湾開発センターを開設。

 

2002年(平成14年)中国に現地法人・日本電産(浙江)有限公司を設立。中国に現地法人・日本電産(東莞)有限公司を設立。

 

2003年(平成15年)「本社・中央開発技術研究所」ビルが京都市南区に完成。現地法人・日電産(上海)国際貿易有限公司を設立。本社事務所を移転し、中央開発技術研究所を開設。(株)三協精機製作所に資本参加。

 

2004年(平成16年)三協流通興業(株)を日本電産ロジステック(株) に名称変更

 

2005年(平成17年)現地法人・ベトナム日本電産会社を設立

 

2006年(平成18年)中国に現地法人・日本電産自動車モータ(浙江)有限公司を設立。仏ヴァレオ社のMotors & Actuators事業を買収し、日本電産モーターズ アンド アクチュエーターズ(株)を設立

 

2007年(平成19年)シンガポールのブリリアント マニュファクチャリング社を買収。日本サーボ(株)に資本参加。ラジコン電動グライダー(F5B)競技日本選手権に当社モータが初出場、搭載機が優勝・準優勝・3位と上位独占。

 

2009年(平成21年)新会社、日本電産テクノモータホールディングス(株)を設立、日本電産シバウラ(株)、日本電産パワーモータ(株)をその傘下に。滋賀技術開発センター新本館がオープン

 

2010年(平成22年)日本電産テクノモータホールディングス(株)が、イタリアの家電用部品メーカーAppliances Components社の家電用モータ事業を買収。日本電産ソーレモータ有限会社が発足。タイ日本電産(株)が、タイのSalee社が所有するベースプレートメーカーであるSC WADO社を買収。ラジコン電動グライダー(F5B)競技世界選手権で当社モータ搭載機が優勝。米国のEmerson Electric Co.のMotors & Controls事業を買収し、日本電産モータ(株)を設立。 また、持株会社として日本電産モータホールディングス(株)を設立。中国に生産子会社として日本電産(韶関)有限公司を設立。インドに販売子会社としてインド日本電産(株)を設立。

 

2011年(平成23年)三洋精密(株)に資本参加。中国に中国国内グループ会社の金融統括子会社として、日電産(上海)管理有限公司を設立

 

2012年(平成24年)カンボジアに初の拠点となるエス・シー・ワドー・コンポーネント(カンボジア)(株)を設立。日本電産シンポ(株)が、米国最大手プレス機器メーカー The Minster Machine Company を買収。シンガポールに日本電産シンガポールモーター基礎技術研究所を開設。イタリアのAnsaldo Sistemi Industriali S.p.A.を買収。日本電産中央モーター基礎技術研究所を開設。台湾に日本電産台湾モーター基礎技術研究所を開設。米国持株会社Nidec US Holdings Corporationを設立し、同社がAvtron Industrial Automation, Inc.を買収。米国持株会社Nidec US Holdings Corporation がKinetek Group Inc.を買収。江蘇凱宇汽車電器有限公司に資本参加。

 

2013年(平成25年)米国に車載用モータ事業のアメリカ市場の統括会社として、日本電産自動車モータ・アメリカ(株)を設立。

 

2014年(平成26年) 1月 日本電産サンキョーが三菱マテリアルCMIを買収。精密加工センターを生産技術センターに改組。 日本電産中央モーター基礎技術研究所新棟が川崎市にオープン。ホンダエレシスを買収。

 

2015年(平成27年)Gerate- und Pumpenbau GmbH Dr. Eugen Schmidtを買収。Nidec ASI S.p.A.がMotortecnica s.r.l.を買収。Nidec Motor (Qingdao) CorporationがChina Tex Mechanical & ElectricalEngineering LtdのSRモータ・ドライブ事業を買収。日本電産シンポ(株)がスペインのプレス機器メーカーArisa, S.A.を買収。米国のモータドライブメーカーKB Electronics, Inc.を買収。イタリア・E.M.G. Elettromeccanica S.r.l.の事業資産を取得。日本電産サンキョー(株)が、インドネシアのPT.NAGATA OPTO INDONESIAを買収。生産技術研究所を開設

 

2016年(平成28年)ニューヨーク証券取引所における上場を廃止。Nidec FIR Elettromeccanica S.r.l.がイタリア・E.C.E S.r.l. を買収。日本電産ソーレモータ(有)がルーマニア・ANA IMEP S.A.(現 日本電産モータ・ルーマニア(株))を買収。日本電産モーターが米国・Canton Elevator, Inc.を買収

 

2017年(平成29年)米国・Emerson Electric Co. のモータ・ドライブ事業及び発電機事業(現 日本電産ルロア・ソマーホールディング社、日本電産コントロール・テクニクス社ほか)を買収。本社ANNEXグローバル研修センターがオープン。日本電産シンポ(株)が米国・Vamco International, Inc.を買収。グループ会社のコーポレートブランドロゴをNidecに統一。イタリア・LGB エレットロポンペ社を買収。ドイツ・セコップ グループを買収。日本電産サンキョー(株)東京丸善工業の事業を承継。日本電産リード(株)がシンガポール・SV プローブ社を買収。ドイツ日本電産モーターズアンドアクチュエーターズ(有)がドイツ・ドライブエクスパート社を買収

 

2018年(平成30年)「生産技術研究所」一期新棟が京都府相楽郡精華町にオープン。日本電産サンキョー(株)が米国・ジェンマーク社を買収。フランス自動車メーカー グループPSAとの合弁会社(日本電産 PSA イーモーターズ)設立。イタリア CIMA S.p.A. を買収。日本電産シンポ(株)がドイツ減速機メーカーMSグレスナー社を買収。台湾・Chaun-Choung Technology Corp.を買収

 

 

 

未分類カテゴリの最新記事

error: Content is protected !!
%d人のブロガーが「いいね」をつけました。