巻き返すのに遅い事なんて無い。~タイガーウッズ名言集と今までの軌跡~




新しいことに挑戦、チャレンジする人を応援したい。

私達日本人一人一人が、50cm前に一歩進むと、地球一周分に匹敵するのです。

それが、私の50センチ革命。

一人一人の個人が、一歩前に進むこと。

これが、新しい未来を生み出すのではないでしょうか。

元気になれる名言や格言、言葉や発言を「人物」にフォーカスしてご紹介いたします。

目の前にある、小さなものでも構いません。

新しい一歩を!

過去と他人は変えられない。

変えられるのは自分と未来だけです!

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Contents

■タイガーウッズ名言集

決して諦めないことだ。当たり前だけど……常に戦うこと。諦めたら、もうその先の道はないんだ。

ゴルフは努力を続けた分だけ結果が出る。

届かないパットは絶対にカップインしない。もしオーバーしたら、その時点で次を考えればいい。

次のタイガー・ウッズになろうとか、ジャック・ニクラスになろうなんて考えない方が良いと思うよ。自分のベストになることを目指すべきだ。

僕の中には、いつも闘争心あります。それは決してなくならないし、僕も決して諦めない、それは確かです。たとえ劣勢にあっても、逃げないこと。たとえどんなに負けていても、自分は勝てると、いつも信じなくてはならない。自分自身を信じなくてはいけないんです。そして正直に本音を言えば、それほど大勢の選手がそう信じているわけじゃないし、不安を感じることもあるでしょう。僕も前はそうだったし、そういう時はプレーもうまくいきません。でも何度か試練をくぐりぬけ、学び、成長すると、自分を信じられるようになるんです。

目標を他人から与えられていてはいけない。目標は常に自分の中から生まれてくるべきなんだ。

他人の期待には、別に耳を傾けなくていい。あなたの人生なのだから、自分自身の期待に応えればいいんだ。

まだ僕のゴルフは自分の目指すべきところに到達していない。

今回みんなに伝えたいことは、“努力は続けた分だけ結果が出る”ということ。一生懸命努力すれば、必ず結果が出る。そして、どんな時でも、楽しむということを忘れないで欲しい。

やるしかないんだよ。集中するしかない、それ以外に選択肢はないんだ。勝ちたいのであれば、全力を尽くすことに集中する。特にこれだけのフィールドになれば、そしてその中でも対戦しているのがパディーであればなお更。自分の世界に入っていくしかないんだ。

ヘイトレター(嫌がらせの手紙)を捨てずにとっておきました。壁に貼って、ことあるごとに読み返し、なにくそ、こんなことに負けるもんかと逆にゴルフのエネルギーへ転化したのです。

ゴルフは進化している。毎日。どのショットも全部。

君が今どれだけ上手くても、もっと上達できるよ。

セラピーで、精神生活とプロの生活のバランスの大切さを学んだ。バランスを取り戻さないと行けない。

仏教では欲深さは不幸を招き、無益なものであるとされている。その教えから学ぶことで私は衝動を抑えられるようになり、自制できるようになった。

特別なルールで生きてる訳じゃないよ。僕も皆と同じ境界線のなかで生きてる。

たとえ劣勢にあっても、逃げないこと。たとえどんなに負けていても、自分は勝てると、いつも信じなくてはならない。

僕がもつ失望であったり、みんなにたいする背信がどれだけみんなに影響を与えるかに気づいたんだ。僕の妻や子供にとってもね。

僕は中毒なんだよ。ゴルフ中毒なんだ。

ほとんどの人は間違った事をしてしまったことや、ネガティブな事を気にする。僕もそうだ。でも正しい事をしてストレスを感じた方が良い。ポジティブな観点から物事を見たいときは、ただポジティブさが足りていないだけだから。

夢を捨てるってことは希望を捨てるってことだ。希望を失えば、人には何も残らない。

数年前は疑った。座ることも歩くこともできない。横になることも何もできなかった。幸運にも腰の手術によって普通に生活できるようになった。それからもう一度クラブを握って、スイングできるとわかったんだ。ピースが一つに重なって、まだできると思えた。昔の肉体とはもう違うけれど、まだ技術はある。これまで14回のメジャー優勝は単独首位か、首位タイで最終日をスタートしたけれど、こうやって逆転で勝ったことは、その中でも最大の勝利の一つだと思う。

すべての大会に意味がある。初出場した’95年大会。初優勝した’97年大会。あれから22年後の今、すべてが一緒になり、花開いた。

高い目標を持ち、それに挑戦するのは当然のことです。そしてそれは楽しいことでもあります。望み通りにならないかもしれません。私も上手く行かないことはありますが、挑戦して達成することが本当に楽しいんです。

僕が幼い頃は、僕は人に認識される事は無かった。才能なんて無かったんだ。背が大きいわけでもなければ、足が速いわけでもなかった。強いわけでもなかった。僕にあったのは努力する心。それが合ったから僕はここまで来れたんだ。

失敗することは問題ないんです。失敗したからといってあなたが否定されているわけではありません。問題なのは、あなたが失敗にどう対処するかです。あなたは打ちのめされてふさぎ込みますか、それとも打ちのめされて強くなりますか?最後には勝てると思ってください。次ではないかもしれません。少し時間がかかるかもしれません。それでもあなたは最後には勝つんです。

出場回数が何回であろうと関係ない。自分の最高のゲームを自らどう醸し出せるかだ。

決して諦めてはいけない。それしかないんだ。常に戦うこと。諦めたら、道はひらけない。確かに競争に勝って、僕は今ここにいる。けれど、競争は僕をここから引きずり下ろすものでもある。ゴルフキャリアにおいても、人生においても、僕は仕事を全うするためのいい考え方を持っていたけれど、それを変えなければいけなかった。(昔とは)違う考えを持って取り組んでいる。(方法はどうあれ)とにかく、戦うことにフォーカスする。毎朝目覚めて、いつも挑戦が目の前にはある。戦い続けば、乗り越えられる。

たとえ負けていても、自分は絶対勝てるんだって、いつも信じてなくちゃ。

明日が最も素晴らしいのは、今日よりもっと良くなれることだ。後退などということはあり得ない。今日学んだ教訓を明日に活かし、明日はもっと良くなるのだ。

大きな夢を持って、その夢を持ち続けるんだ。その夢はきっと、君を他の人とは違う、特別な存在にしてくれる。

いいかい、ゴルフにも、人生にも近道なんてないんだ。一生懸命努力するしかないんだよ

巻き返すのに遅い事なんて無い。

■タイガーウッズとは?

エルドリック・タイガー・ウッズ

Eldrick Tiger Woods。

米プロゴルファー。

歴代2位のメジャー選手権優勝15回、史上2人目のトリプルグランドスラム達成、生涯獲得賞金額1億ドルを突破し歴代1位。

1975年 12月30日、アメリカ・カリフォルニア州サイプレスに生まれる。

父親アールは黒人の米陸軍特殊部隊「グリーン・ベレー」の退役軍人で、母親クンティダーは華僑系タイ人である。

父親アール・ウッズの手ほどきを受け、生後9か月からゴルフを始めた。

2歳の頃には南カリフォルニアで著名な幼児ゴルファーとなり、4歳になるとSCJGA(南カリフォルニア・ジュニアゴルフ協会)に加盟、すぐに「10歳以下」クラスの9ホールの試合で10歳児を破る。

8歳で70台のスコアが出せるようになった。

13歳で全国規模のトーナメントに初出場。

当時はまだ無名のジョン・デーリーと同組でラウンド、結局1打差で敗れはしたものの、残り4ホール時点では2打リードする実力を持っていた。

この間、技術面で4歳の時からゴルフ・インストラクターのルーディ・デュラン(Rudy Duran)の指導を受け、10歳から17歳まではジョン・アンセルモ(John Anselmo)に師事した。

名門スタンフォード大学に進む。

1992年 「ニッサン・オープン」でPGAツアー大会に初出場。

アマチュア時代に全米ジュニア・アマチュア選手権、全米アマチュア選手権にそれぞれ前人未踏の3連覇を達成。

“タイガーズ・トリプル”と呼ばれる。

1995年 マスターズ・トーナメント初出場。

予選を通過し、第3ラウンドを日本の尾崎将司選手と同組で回る。

1996年 大学を2年で中退し、8月27日にプロ転向。

10月にいきなり2勝を挙げ、世界ランキング33位に躍進。

12月30日、21歳の誕生日に“Eldrick Tiger Woods”に正式に改名する。

1997年 4月13日、史上最年少の21歳3ヶ月でマスターズ初優勝。

その後、わずか10か月余りでマスターズを含む7大会で優勝、6月に初の世界ランキング1位になる。

21歳にしてPGAツアーの史上最年少賞金王に輝いた。

1999年 8月15日、PGA選手権で初優勝。

メジャー2冠を獲得する。

2000年全米オープンから2001年マスターズまで、メジャー大会4連覇を達成。

2000年 全米オープン、全英オープン、全米プロゴルフ選手権でメジャー大会連続優勝記録会3連覇。

PGAツアーで自己最高の年間9勝を記録。

2001年 4月8日、マスターズで4年ぶり2度目の優勝。

メジャー大会4連覇を達成するが、2年にまたがる記録であるため“タイガー・スラム”と呼ばれた。

2002年 マスターズと全米オープンで優勝。

2003年 世界ゴルフ選手権の「アクセンチュア・マッチプレー選手権」で初優勝。

2004年 「アクセンチュア・マッチプレー選手権」2連覇。

2005年 マスターズで4度目、全英オープンで2度目の優勝。

全英オープン優勝により「ダブル・グランドスラム」を達成する。

2006年全英オープンで2年連続3度目の優勝。

2007年全米プロゴルフ選手権で2年連続4度目の優勝。

2008年 アクセンチュア・マッチプレー選手権で4年ぶり3度目の優勝。しかし、2007年の全英オープン前から痛めていた左膝の手術を行う。

2009年11月、不倫が発覚し、妻から車で逃げる途中に交通事故を起こして負傷した。

2012年、スキャンダル以降長らく勝利から遠ざかってきたが、PGAツアーのアーノルド・パーマー招待で復活優勝を果たした。

史上初の生涯獲得賞金1億ドル突破を果たした。

2013年プレーヤーズ選手権で優勝するが、その後腰のけがで離脱。

2017年には投薬の影響で職務質問中にろれつが回らなくなるなど、運転マナー違反として逮捕されていた。

2018年から競技に正式復帰し、 バルスパー選手権で2位、プレーヤーズ選手権では11位と大健闘、全英オープンではライバルが次々と脱落する中6位と完全復活を印象付けた。

その後、全米プロゴルフ選手権はトップと二打差の2位にまで迫り、ワールドゴルフランキングを26位まで戻した。

9月24日にはツアー選手権で5年ぶりの優勝を遂げ、ワールドゴルフランキングを13位まで戻した。

2019年のマスターズで2005年大会以来14年ぶり5度目の優勝、米ツアー通算81勝目を挙げた。

これで、ワールドゴルフランキングは6位になり、5年ぶりのトップ10入りを果たした。



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