株式会社フリークアウト・ホールディングス創業者、本田謙:広告で戦争をなくせる?!

株式会社フリークアウト・ホールディングス創業者、本田謙:広告で戦争をなくせる?!

 

 

広告で戦争をなくせる?!

 

本田謙/フリークアウト創業者

 

広告で戦争がなくせるかもしれません。

しかるべき人をターゲティングして、平和な方向に向かうように広告を流していくみたいな方法も考えられますから。

私は、「RTBは人類の富を増やす」と思っています。

RTBとは、世の中にある広告枠を究極的に細分化して、そこにこれまでは見いだされていなかった新しい広告価値を見つけます。

そのことで全体の価値が増え、従来は1しか得られなかった媒体価値に、1以上を生み出していくことが可能になります。

 

 

 

 

 

 

 

本田謙(フリークアウト創業者)とは?

 

 

本田謙。

1974年生まれ、千葉県出身。

 

祖父と父も起業家で、3代続けての起業家。

千葉県立千葉東高等学校を経て、1998年上智大学理工学部卒業。

 

2005年株式会社ブレイナー創業、同社を2008年ヤフー株式会社に売却後、ヤフー株式会社の広告事業の開発部長を経て、2010年にアドテクノロジーのフリークアウト(現:フリークアウト・ホールディングス)を創業し、グローバルCEOを務める連続起業家。

 

 

 

 

 

 

 

 

本田謙(フリークアウト創業者)の「コトバ」

 

 

 

フリークアウトをつくったのが35、6歳。3年半ほど前だったのですが。となると大学を出てから12、3年何をやっていたかと言いますと、私は大学では物理を専攻していて、日本の大学です。研究はAIとかプログラミングをやっていました。一方で音楽が大好きで、CM音楽のデモテープを作る、そういう作家のような仕事をコンペ形式で、当時インターネットがまだ発達していなかったので、依頼をFAXでコンテもらっては、その15秒30秒の曲をつくるような仕事を3、4年やってきました。そんなミュージシャンの仕事をやったり、コンピューターが好きだったり、それが20代前半の頃でした。音楽でもかろうじて仕事は成り立っていたのですが、期待していた華やかなショービズの世界よりは、パソコンの前で1人で曲を作っているだけの仕事はどうなのか? と考えた時に、父がちょうど千葉の田舎で20人ほどの小さい会社をやっておりまして。

 

 

 

 

 

 

主に医療機器や研究機器をつくっては納めているような小さなメーカーだったのですが、そこの手伝いをするようになり、徐々にエンジニアになり、まぁもともとソフトウェアプログラミングが得意だったので。せっかくなのでロボットの勉強もしようと思い、ロボットをつくったり、つくったロボットを研究所に納めたり、ということを25歳頃からやっていました。いずれ父の会社を継がされるのかなと思い、実際にお客様が使っている現場を勉強したいなと思って、バイオ等の研究所、そちらの世界のこともきちんと勉強しようと思い、父に話をして。アメリカの大学に研究員として行かせてもらう機会をもらいました。音楽が好きだったので、アメリカのデトロイトが黒人音楽の都ということで、そこに行きたいと思い、ミシガンの大学に研究員として3年半ほど行って来まして。昼間は研究所で研究をし、夜はミュージシャンのいるところに行って楽器を弾いている。そんな楽しい人生を送っていたのが20代後半でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

かなりさかのぼることになりますが、2000年ごろ米国の大学で生物系の研究職に就いてコンピューターやプログラミングをやっていたとき、ちょうどグーグルが出てきました。その検索で上位に表示されるにはどうすればいいかという、いわゆるSEOに関してさまざまな人が研究をしており、では日本語で検索したときは、という単純な興味で研究を始めました。その中で、ある文脈に沿って情報を見せていくと人はものを買うということに気付き始め、広告は面白いと思うようになりました。

 

 

 

 

 

 

 

最初の会社は金銭的な面も含めて成功したいという気持ちが強かった。結果的にヤフーにM&Aで買収されて成功を収めたわけですが、もう一度「広告業界で技術力を武器にして何かをやってのける」ことを考えたときに、“最初に起業したときよりも5年経った今のほうがよりインパクトを与えられる!”という認識があったんです。それでスタートしました。今は「ニューヨークやシリコンバレーから来るプレイヤーよりも、日本のほうがおもしろいものをつくれる」という自分の考えを証明したいという気持ちが強いです。グローバルでこうなると思われている未来と、少し違う未来をつくりたい。それこそが起業家資質なのではないかと僕は思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

「インタレストマッチ」のファーストバージョンのローンチの後、Yahoo! は退職させてもらいました。競業避止契約の関係で、3年ほどITの仕事ができない期間があったので、その間はずっと投資家としてこそこそ動き回っていたり、アメリカの最先端のテクノロジー広告の事情とかを見ていたのですが、そこで経済がガタンと落ちた後に、広告の世界でものすごいイノベーションが起きて、「リアルタイムビッディング」という新しい広告の取引が始まりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

もともと1社目を起業し、ヤフーに売却後、エンジェル投資家として活動をしていました。フリークアウトは二社目。いきなり1社目でRTBをテーマに起業していたら失敗していたと思います。シリアルアントレプレナーとしての経験が活きました。特に会社設立前の「仕込み」がかなり大きかったと思います。まず、フリークアウトを立ち上げる前、エンジェル投資を続けていく中で、アメリカで起きた新しいイノベーションとしてRTB(Real-Time Bidding)に衝撃を受けました。人を介さず、機械と機械がネット広告の売りと買いを行う。広告枠の流動性を高めることで、健全な売買を行なうことができる画期的な仕組みだと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

ただ、アメリカから仕組みだけを持ってきても成功しない。2008年から10年頃にかけ、まだまだ日本ではネット広告の取引やマーケットが成熟していませんでした。RTBのマーケットそのものがない。作れる人が誰もいませんでした。そこで考えたのが、自分自身でRTBによるバイサイド(広告買付け)の仕組みを作りつつ、一方で広告枠を扱うセルサイドにも呼びかけて、RTBマーケットそのものを立ち上げていくこと。それこそ良いセルサイドの会社があれば、エンジェル投資をしてでも、協力をしていきました。RTBのマーケットが立ち上がり、バイサイドのプレイヤーが増えれば、広告枠を提供する媒体側(セルサイド)のプレイヤーも自ずと育っていく。こうして上場までの3年間で一気に突っ走ることができました。結果的にはトントン拍子に伸ばすことができました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2010年から2015年にかけ、スマホの普及率が一気に高くなり、モバイル広告の波が一気に来たタイミングでもありました。フリークアウトでもモバイル広告へと舵を切り、開発リソースの大半をモバイルに注いでいった。ただ、売上でみれば、PC広告が9割、モバイル広告が1割と、開発と売上において、逆転現象が起こっていた。どうするべきか、ずっと頭を抱えていました。首を締めていたのは、媒体側(セルサイド)と深い関わりを持たず、創業以来ピュアに専業のバイサイド(買付側)プレイヤーを貫いていたこと。

 

 

 

 

 

 

 

もともと、フリークアウトは広告代理店・広告主(バイサイド)専業のテクノロジー会社として立ち上がりました。マーケットの創生を引っ張るという意味で、あえてバイサイドの単独事業のみをやる。そうすることで、RTBマーケットそのものの存在意義を出していきたかったんです。日本で最初にRTBをやってきたという自負もあり、「私たちはセルサイドはやりません。両方やっている会社とは違い、役割は明確です。顧客第一に考えています」という見せ方をしてきた。それが正義だと思っていました。ただ、モバイル広告側の売上を伸ばしていくためには、セルサイドのプロダクトもつくるべきなことは明白でした。大きなスタンスの変更になるので、最初は踏ん切りがつかなくて。いま考えれば小さなことかもしれませんが、自分たちの正義や美学に背くことになるのではないか、と。当時はまだ現場も見てましたし、その痛みが想像できてしまい、それ故に、動きづらかったというのもあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

2015年前後、モバイル広告の主流は「とにかく踏ませればいい」というバナーでした。浮かび上がらせたり、酷いものだとファーストビューを占有し、コンテンツの邪魔をする。広告主は、お金を払ってユーザー体験を損ねるようなものに加担させられているわけです。果たして本当の満足がそこにあるのか。憤りにも近かったかもしれません。邪悪ともいえるモバイル広告のフォーマットが蔓延るなら、セルサイドのプロダクトも開発し、「いまのモバイルの広告フォーマットは間違っている」ことを見せていく。と考え方をシフトし、踏ん切りがつきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

例えば今は1000回広告が表示されたうちの1回がクリックされ、さらに100回のクリックのうち1人がものを買うという図式です。これを掛け合わせると10万です。しかしテクノロジーが進化し、究極のプレディクション(予測)が誕生すれば、1回表示すればそのまま100%の確率で購買につながり得る、つまり広告効果は最大10万倍まで伸びしろがあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

入札は、正解データを与えてそれに似た買い方をしていく単純なマシンラーニングから、何も正解データが無くても、抽出した特徴を学習・推論して買わせる高度なものに変わっていこうとしています。だから何を理由にそうしたか分からないが、結果の効果は高いということが起こってくると思います。これからはデータサイエンティストだけではなく、このような人工知能に関わる人材もこの業界に入ってくるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

プラットフォーマーとして目指すところは、全てのコンタクトポイントをコネクトしたいということに尽きます。人の流れを理解した上で、マスメディアも含めて、ある瞬間にどんな答えを出すか。その中で、旧来のメディアに別の価値を与えていくことも考えたいです。例えばネットにつながっていない普通の交通広告であっても、デバイスの位置情報などから移動の特徴を拾ってセグメント化し、その人たちに最適な交通広告を展開していくことも可能です。

 

 

 

 

 

 

 

 

われわれのミッションには「人に人らしい仕事を」というのがあります。テクノロジーが人の仕事を奪うのではなく、テクノロジーが人のクリエーティビティーを刺激できればいいと思っています。広告を買うという手続き的な細かいところは、絶対にマシンに任せた方が効率が良いので、その上で、プランニングやクリエーティブに人のリソースを移して、ブランドに合った広告キャンペーンやターゲティング、シナリオづくりの方に人の力を注入していける環境ができたら面白いと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

金融業界は金融工学とHFT(超高速取引)が発達したことで人が介在しにくいものになってしまっていますが、広告業界は、プランニングやクリエーティブといった人の価値が出せる部分が残る可能性が高いです。それがまさにアートだと思いますし、そこと親和性の高いテクノロジーとサイエンスを考えたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

先日も、どこかの経営者さんの組織論、「素直な良い子を集めるのがいいですよ」というお話を聞いたのですが、もううちの社員はまるで逆で、斜めに構えているというか。3か月に1回納会をやる時に、私が30?40分の話を割としっかり作ってさせてもらっています。例えば、広告の最先端はこれからどうなるか、みたいな話を社員にしています。あるタイミングで、だいぶ人も増えたし、あまり難しい話をしてもわからないかなと思い、フリークアウト101的な簡単な話をしたんです。そしたら古株の社員たちが「本田から学ぶことはもう何もなくなった」みたいなことを、ぼそぼそ言っているみたいで(笑)。もうこっちも「ふざけんな」と思いながら、3か月後にはまた難しい話をぶつけてみる、みたいな(笑)。そんな感じで大きくなっている、めちゃくちゃな会社です。制度的な話で言うと、テクノロジー会社なのでエンジニアと営業が半々くらいでいます。営業の少し変わっているところは、個人目標、数字的なものは一切持たせていません。これはちゃんと考えがあります。テクノロジーがお客様に対して、今後コンサル的に入っていくと考えており、お客様のニーズを拾いながら、とにかく面白いことを提案しろという指示を出しています。数字よりももっと大切な定性的な部分を評価していきたいと思い、あえて数字は持たせていないのです。

 

 

 

 

 

 

 

1日の活動時間を「就業時間」「会食」「帰宅後の自分ひとりの時間」と3つのフレームに分けて、それぞれ効率良く集中できるように考えているんです。ただ、フレーム内の行動については、時間も場所も臨機応変に対応しています。たとえば会食は可能なら1日2回、20〜22時でおひとりと会食し、その後0時まで別の会食に合流するとかして、なるべく多くの人に会うよう心がけています。

 

 

 

 

 

 

 

広告プロダクトには三つの要素が必要だと思っています。インフラを支えるテクノロジー、瞬間を解釈するサイエンス、そして、人の感情に働き掛けて結果を出すアートです。その三つをどれくらいの案配で入れていけるのかという部分が面白いですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

「真っ白なキャンバスを用意したから、好きに絵を描いて」というのが、私のマネジメントスタイルです。自分は自分で、次のことを考えていく。2017年に立ち上げたインド拠点も、3年ほど前から現地に飛びつつ、情報を得て、一人で仕込んでいきました。インドってなかなか難しいマーケットでもあるから、自分の目で見て、現地を学ぶほうが早い。会社として何をしていくべきか。いかに自分の手を軽くした状態で、事業の種を探っていけるか。これが今の私の役割なのだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

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