過渡期とは?
鎌田和樹/UUUM株式会社創業者
やっぱり過渡期だと思います。
副業禁止と言われていたものが、副業という概念自体が見直されてきているし、何が個人で何が企業なのか。
僕らが言っているのは、一つはネットが出てきたこと、もう一つはスマホ、そして今は技術革新で個人がどんどん成功しやすくなっている時代になってきています。
どんどん隠されていた数字というのが、例えば視聴率といっても良く分からないシステム。
でもYouTubeの再生回数は誰が何しようといじることができない。
そうなったときにどちらの方がインプレッションはありますか?というような絶対的な答えが可視化され、そしてそれが増えてきている。
情報を受け取れるようになって皆、多面的に物事を考えるようになった。
昔は「これが正解だ」と言えば正解でした。
でも今は「それ正解ですかね?」「こういう観点で見たらそれは黒ですか?」「こうやってみたら黒ではなくてグレーだと思うんですけど」という見方もできるようになりました。
それこそ芸人さんでも「この人面白いですか?」と思っていた人が急に売れたりとか、何が当たるか分からない感じなってきて、言い方を変えればそれはダイバーシティということにもなるだろうし、悪い言い方をすると一貫性というのが難しくなってきた。
そういうことを全部含めたうえでの過渡期だと思います。
鎌田和樹とは?
1983年生まれ、東京都出身。
19歳でテレコムサービス株式会社へ入社。
ソフトバンクショップの出店を社長から直々に任命され、ショップ運営などの経験を積む。
店舗開発・運営、アライアンスなど多岐にわたる分野で実績をあげ、単月100店舗出店。
2011年よりイー・モバイル一次代理店の責任者を務める。
その後、孫泰蔵氏の薫陶を受け起業を決意。
ほどなくして、HIKAKINとの大きな出会いを得て、2013年にuuum株式会社を設立。
2017年8月東京証券取引所マザーズ市場に上場。
厳選!鎌田和樹の珠玉名言
僕は19歳から10年くらい光通信に在籍していました。そのうちの後半は、携帯電話の販売をしていたんですが、その時にHIKAKINに出会っているんです。会社のイベントでヒューマン・ビート・ボックスをやってもらったんですね。光通信での仕事は順風満帆でした。順風満帆すぎてなんだかやる気がなくなってしまうくらいだったんです。そんな時に、孫泰蔵さんから「起業したら」と言われたんです。それまでは起業したいと思ったこともなかったんですが、ほかに取り立ててやりたいこともありませんでしたし、「起業してみてもいいかな」くらいに思って、どんな会社がいいか考えてみたんです。
べつに事業をしたかったわけではないんです。僕は一社目が通信系の会社で、とにかく人に頭を下げる毎日でした。それがすごくつらくて、もう誰に謝るでもなく好きなことだけしていたいなという思いがありました。そんなときにヒカキンと出会い、ユーチューバーがつくる動画の存在を知ってハマっていった。もっとよく知りたいと思って彼と話していくうちに、ユーチューバーは一人で活動をしていて、サポートする人がいないと聞きました。それなら僕が手伝おうと会社を立ち上げたという経緯です。
かつてと違うのは、流行の動線が一つでなくなったこと。昔はテレビで紹介されることが流行する条件でしたが、ピコ太郎は米人気ミュージシャンのジャスティン・ビーバーがツイッターで面白いといったから世界中に広がった。どこから火がつくのか、いまはわからない時代です。
変な話ですが、「これが面白い」と言われ続けたら、世の中の人の何割かは勝手に面白くなっちゃうんです。昔、小中学校で「ひょうきん族、見た?」という会話か交わされていたら、自分も見なきゃという気持ちになりましたよね。それがユーチューブに置き換わっただけです。
テレビはマスが足かせになっているんじゃないですか。老若男女みんなにウケなければいけないとなると、どうしても無難なものになる。それに対してユーチューブは、自分のファンだけに向けて動画をつくれます。べつにモラルに反するという意味で過激なことをしなくても、特定の層にフォーカスすることでテレビがやらないことを思い切ってできる。
中学生はユーチューバーに素直に憧れてくれますが、大人からは「人気はどうせいまだけでしょ」という目で見られています。水物の商売で、信用が置けない、みたいな。理解しなくても困らないからじゃないですか。新しいものを知らないと生活できなければ大人も必死に理解しようとしますが、実際はユーチューバーを知らなくても困らない。世の中が変わっていっても、「俺のときは違った」とか、「昔はよかった」で終わりです。
仕事においては当然、不安定なものは嫌で、再現性のあるものをビジネスにしているタイプなのですが、趣味に関してはそうだと思います。例えば、学芸会や文化祭って、当日を迎えるまでの準備が楽しかったりしますよね。僕のなかでゴルフには終わりがないし、どこまでもその「過程」を楽しむことができるものなんです。仕事も終わりのないものですが、好きでやっている趣味なのにゴールがない、というのがいいんだろうな、という気がします。
「世界で一番個人をサポートする会社」でありたいと思っています。個人というのはクリエイターだけでなく社員もそうですし、それに付随してクライアントさんや視聴者も。僕らは経営理念に「セカイにコドモゴコロを」と掲げていますが、そういう気持ちの上で「もっとアソビナカマを」というのを経営戦略にしています。ですので、そういう人たちを増やしていくことです。僕らで言うと、クライアント数、クリエイター数、社員数、視聴者数、僕らにとっての仲間が増えれば増えるほど、必然的に事業は大きくなっていくと思っています。
UUUMは、「セカイにコドモゴコロを」という経営理念を掲げています。「コドモゴコロ」ある発想で、世の中になかった新しい楽しみを創り出し、「コドモゴコロ」を持った人びとに「新しい体験」を提供するコンテンツカンパニーであるというふうに、自分たちのことを定義しています。だから、動画に限らないし、プラットフォームを限定する訳でもなく、面白く、価値あるものを世の中に生み出していきたいという考えが、UUUMのビジネスの一番のベースにあります。
よく「Contents is King」という表現をされることがありますが、「どのプラットフォームを見たいか」ではなく「何のコンテンツを見たいか」に変わってきている流れは確かにあります。例えばhuluを見る人は「huluが見たい」から見るんじゃなくて、そこにある「コンテンツが見たい」からhuluに登録しているんですよね。その「見たいコンテンツ」がNetflixにあったらNetflixを見るでしょう。ですので、これまでのことを振り返れば、われわれは結果論としてコンテンツに重きを置いていますし、「見たいコンテンツ」が求められている今の流れがあることが、僕らがコンテンツカンパニーであり続けたいと思う理由です。
人によって面白さのポイントはバラバラだと思いますが、あえていうなら、明日も見たくなるかどうか。好きなユーチューバーの動画は毎日見るというのが最近の視聴スタイルなので。
海外のMCN、例えばWarner Brothers が出資しているMachinimaなどでは、膨大な資金力で本格的な映像をクリエイターと一緒に作り始めています。元々はチャンネルをまとめるだけの役割だったMCNが、クリエイターの想像力やアイデアを借りながら次のコンテンツやプロダクトを作り始めているわけです。我々もそういう風になっていかなければいけないですし、クリエイターが作る動画も、企業さんと一緒に作るマーケティングコンテンツもそうですが、一緒になって生み出していくからMCNだと呼べると私は思っています。
「月3万本の動画が生まれている」と言えばコンテンツを作っている会社だと理解していただけます。そこからインフルエンサーマーケティングなどにもつなげていけると思うんですが、ご年配の方やYouTubeをあまりご存じない方には一言で説明したほうがいいとも思うので、「マネジメント会社です」って言ってますね。まだ認知が進んでいない今の段階では仕方ない面もありますが(笑)。
企業のロゴを入れるから再生回数が下がるんじゃなくて、出来上がったもののクオリティが低いから再生回数が下がっているというだけなんです。再生回数を下げるのは企業のロゴではなくて、作品のクオリティです。それに、優良誤認をさせたところで、後々いいことなんてないじゃないですか。優良誤認をさせたのが後からバレて困るのはユーチューバーなんですから。
ヒカキン(HIKAKIN)とは?
HIKAKIN(ヒカキン)は、日本のYouTuber、ヒューマンビートボクサー。
UUUMファウンダー、最高顧問。
1989年4月21日、新潟県新井市(現:妙高市)で次男として生まれる。
小さい頃は、教室のすみっこにいるちょっと変わった少年だったという。
雪の多い上越地方で育ったことから、小学生の頃の夢は「スキージャンプでオリンピックに出場すること」で高校生までスキージャンプをしていた。
フジテレビ系列のバラエティ番組『力の限りゴーゴゴー!!』のコーナー『ハモネプリーグ』の影響で、小学生の頃にヒューマンビートボックスに興味を持つ。
新井市立妙高高原中学校を経て新潟県立新井高等学校に進学し、上越でのライブ活動などを開始。
そして、2006年12月にYouTubeにて自身の公式チャンネル「HIKAKIN」を開設する。
当初は海外のビートボクサーの動画を閲覧する目的で始めたが、自分で投稿すれば逆に見てもらえるのではと思い動画投稿を始めたと語っている。
当時は高校3年生だった。
2007年に新潟県立新井高等学校を卒業。
その後、上手いビートボクサーが集中する東京に活動拠点を移し、スーパーマーケットの店員の仕事をしながら生計を立てていた。
夜の社員寮の浴室や自室などで安いマイクを使ってビートボックス動画を何回も撮影し、その中で100%上手くいったと思えるものを厳選し、月1・2本ずつ動画をアップロードしていた。
上京から2年程は特に大きな出来事は起こらなかったが、少しずつ閲覧数が増えていき当時一番伸びていた動画で約20万再生だった。
そして、2010年にアップロードした動画「Super Mario Beatbox」がYouTubeにおける日本国内月間アクセス一位を記録し、アメリカ合衆国の『CBS News』のトップニュースで取り上げられる。
アップロードの24時間後に20万アクセス、1週間後に100万アクセスを記録しその後、ついにYouTube側からYouTubeパートナーのオファーが来る。
2010年度YouTube世界ベストパートナートップ500人に選出、「WOWスタープロジェクト2010」では優勝しラスベガスに招待された。
これらの出来事をきっかけに、パフォーマーとしてライブやテレビへの出演依頼も少しずつ来るようになった。
2012年にはスーパーの仕事を退職し、動画の投稿を通じた広告収入で生活する道を進むことになる。
2013年5月のシンガポール滞在中ではエアロスミスと共演をし、1万5000人規模の会場で「ウォーク・ディス・ウェイ」を共に演奏した。
その後もNE-YO、アリアナ・グランデなどの海外アーティストとの共演を行っている。
2013年6月には「UUUM」の設立と共に同社のファウンダー、最高顧問に就任。
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