J.K.ローリングの「大切な」言葉たち
ずうずうしくなれれば、何だって出来るのよ。
子供のために書いたつもりはない。自分自身が楽しいと思う物語を書いた。
人生とは何を手に入れたかや何を達成したかではないと知って初めて幸せになれる。
失敗は、人生において、避けることなどできません。全く失敗しないようにするためには、常に逃げ腰になって、こっそり生きるしかありません。でも、そんな人生など、はじめから失敗です。
世界を変えるのに魔法の力など必要ありません。必要な力はみんなに既に備わっています。
人の存在価値は「なにを持っているか」ではなく「どう生きているか」に表れます。
度胸さえあれば不可能などありません。
人生において情熱ほど大切なものはないの。
J.K.ローリングとは?(人生・生き方・性格など)
ジョアン・ローリング, CH OBE FRSL(英: Joanne Rowling [ˈroʊlɪŋ]、1965年7月31日 -)、ペンネーム: J・K・ローリング (J. K. Rowling) またはロバート・ガルブレイス (Robert Galbraith) は、イギリスの小説家。
『ハリーポッターシリーズ』の作者。
ハリーポッターシリーズは世界中で反響を呼び幾多の賞を獲得し4億部以上出版。これは史上最も売れたシリーズ作品であり、また劇場版シリーズは世界歴代2位の興行収入をあげた。
大英帝国勲章、ローカス賞、ヒューゴー賞、アストゥリアス皇太子賞、アンデルセン文学賞、英国アカデミー賞受賞。
J・K・ローリング、本名ジョアン・ローリングは、1965年7月31日、イギリスのイェイトで生まれます。
子どもの頃から物語を書くことが好きで初めて書いたストーリーは、「ラビット」というタイトルで、まだ、5,6歳の時に書いています。
1982年、オックスフォード大学を受験するも不合格。
エクセター大学でフランス語を学び、フランスへ留学。
その後、ロンドンのアムネスティ・インターナショナルで、秘書として働きます。
1990年の夏、マンチェスターからロンドンに向かう列車の中で、突然、「ハリー・ポッター」のアイデアが、彼女の頭に浮かびます。
1991年、ポルトガルで英語教師となり、ポルトガル人ジャーナリストと結婚し、1992年に1女をもうける。
しかし、1993年、職を失い、離婚し、英国に戻る。
貧しい暮らしから生活保護を受け、うつ病を発症します。
娘との2人暮らしの最中、ハリーポッターの執筆を続けます。
1995年、ついに、「ハリー・ポッターと賢者の石」の原稿が完成。
何十社にも出版は断られましたが、唯一1社、ブルームズ・ベリー出版社との契約にこぎつけます。
1997年9月「ハリー・ポッターと賢者の石」を出版、ベストセラーとなり、スマーティーズ賞とブリティッシュ・ブック賞を受賞。
2000年の夏までに、シリーズ1から3にあたる「ハリー・ポッターと賢者の石」、「ハリー・ポッターと秘密の部屋」、「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」は、4億8000万ドルもの収益をもたらし、3500万以上も出版され、35語の言語に翻訳されました。
2000年の7月には「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」(シリーズ4)が出版。
発売初日だけで、イギリス国内で372,775部販売、イギリスの販売記録を更新。
また、アメリカでも発売開始から48時間で300万部も販売。
「ハリー・ポッターと謎のプリンス」(シリーズ6)はアメリカで発売開始24時間で690万部。
「ハリー・ポッターと死の秘宝」では発売開始から24時間でアメリカで830万部、イギリスで265万部。
フィクションの分野で24時間以内で最も売れた本としてギネスに認定。
2001年11月に「ハリー・ポッターと賢者の石」(シリーズ1)の映画がアメリカで公開され、公開第1週目の週末だけで、9350万ドルもの興行収入。
過去1位だった1999年の「ロスト・ワールド」に2000万ドル以上の差をつけて圧倒的記録を更新。
その後も、「ハリー・ポッター」は大ヒットを続け、2007年7月、シリーズ最終巻となる『ハリー・ポッターと死の秘宝』が発売。
「歴史上最も多くの報酬を得た作家」としても有名。
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