小平奈緒の「大切な」言葉たち~小平奈緒の名言・人生・生き方・性格など~





小平奈緒の「大切な」言葉たち

私にとってのスケートは「学び」

自信のなかった自分とはお別れできたかな。

そこに「ない」から、手に入れるための手段や方法、時間をつくる。そういう環境に身を置いていること自体が、創造の一部。

視線の先に映る自分の姿を信じて。

平昌五輪チームビルディングの大切にしている一字は「輪」にしました。五輪の輪。スケートリンクの輪。応援の輪。スポーツで繋がる輪。友だちの輪。ありがとうの輪。希望の輪。

今を過ぎたものはそれに執着していては積み上がるものも積み上がらない。今が過ぎ去った瞬間に次の今に向けて高めていきたい。

生きるとは「燃えること」「楽しむこと」自分なりに「チャレンジすること」

オランダに単身留学した、勇気が必要だった。その様な辛いとき、お父さんからの「奈緒の人生は神様がくれた時間、悔いのないように思う存分に使いなさい」との言葉が伝わった。私の人生を支えた格言です。

31歳、まだまだ成長期。

与えられるモノは有限、求めるモノは無限です。

誰かの人生を生きることはできないけれど、誰かの生きる勇気にはなれる。

追い込むか。追い込まれるか。

私「小平奈緒」って生き方をしていきたい。

小平奈緒とは?(人生・生き方・性格・プロフィール・略歴など)

小平 奈緒(こだいら なお、1986年5月26日 – )は、長野県茅野市出身のスピードスケート選手。

相澤病院所属。

オリンピック日本女子スピードスケート史上初の金メダル獲得。

主な成績は、2010年バンクーバーオリンピック団体パシュート銀メダル、2018年平昌オリンピック500m金メダル・1000m銀メダル、2017年世界距離別選手権500m金メダル・1000m銀メダル、2017年世界スプリント選手権総合優勝、ISUワールドカップ総合優勝(500m)、他。

3人姉妹の末っ子として生まれた小平奈緒は、小学生の姉たちが通っていたスケートクラブの付き添いで3歳からスケート場に。

そのままスケートを始め、中学から通い始めた「宮田スケートクラブ」で力を伸ばした。

新谷純夫(新谷志保美の父親)を師とし、茅野市立北部中学校2年時に500mの中学記録を更新し、全日本ジュニア(スプリント部門)では吉井小百合を破り、史上初の中学生王者に輝く。

スケート強豪高校からスカウトされるもそれを断り、教員免許取得という夢に向かって信州大学進学を視野に入れ、スケート部のない伊那西高等学校へ進学しました。

スケート部は無く同好会で活動し、インターハイで500mと1000mの2冠獲得、全日本ジュニアでも優勝を飾る。

信州大学教育学部に進学。同級生には住吉都がいる。

大学在学中も、大会で優勝しつつ、勉強をおろそかにすることはなく、教員免許を取得し、文武両道を体現しました。

1年時に第25回日本学生氷上競技選手権大会500mと1000mの2冠も達成。

2年時の2006年10月には全日本スピードスケート距離別選手権大会1000m優勝。

4年時の2008年10月24日、全日本スピードスケート距離別選手権大会1500m優勝。

この間、大学から履修へ特別な配慮は受けず、単位を取得した。

2009年、信州大学教育学部生涯スポーツ課程地域スポーツ専攻卒業。

社会医療法人財団慈泉会相澤病院にスポーツ障害予防治療センターのスタッフとして採用される。

「長期出張」扱いとして競技に打ち込む傍ら、医学面でもサポートも受ける。

2009年の第16回全日本スピードスケート距離別選手権大会では500m、1000m、1500mの三種目で優勝した。

短-中距離での3冠は小平が初めてであり、スピードとスタミナを併せ持つ選手との評価を得る。

2009年11月7日のISUワールドカップ・ベルリン大会で500m3位、1000m2位に入った。いずれも日本人選手最高位。

2010年2月、初の冬季五輪出場となったバンクーバーオリンピックでは1000mと1500mで5位入賞。

女子団体パシュートでは、穂積雅子、田畑真紀とともに日本女子スピードスケート界史上初となる銀メダルを獲得した。

ソチオリンピックでは、500mで5位入賞、1000mでは13位だった。

ソチオリンピック後、相澤病院に籍を置いたまま、オランダに1年間の予定で練習の拠点を移した。

ヘーレンフェーンに本拠を置くプロチーム「Team continu」で活動する。

オランダに2年間滞在し、オランダ語を習得している。

2014年11月22日のISUワールドカップ・ソウル大会の500mでワールドカップ初優勝。

2015年2月に行われた世界距離別選手権の500mで3位入賞。

2014/15シーズンのワールドカップ500mで総合優勝した。

日本の女子選手がこの種目で総合優勝するのは島崎京子以来24年ぶり。

2017年2月、世界距離別選手権で、500mを37秒13で優勝、1000mを1分14秒43で2位。

500mでの37秒13は、ふたつの高速リンク(オリンピック・オーバルとユタ・オリンピックオーバル)で出た記録を除くと、当時世界最速の記録である。

2017年2月、スピードスケートの世界スプリント選手権、第1日の500メートル(36秒75)、1000メートル(1分12秒51)ともに日本新記録で総合首位、最終日も500メートルは1位、1000メートルは3位で総合優勝を果たした。

2017年3月11日、ワールドカップ同季最終戦、女子500メートルで37秒14のタイムで優勝し、2季ぶり2度目の種目別優勝を果たした。

2017年11月10日から12日に行われたワールドカップ・ヘーレンフェイン大会で500m、1000mで、いずれも優勝。ワールドカップで1000mでの優勝は自身初。

2017年11月17日から19日に行われたワールドカップ・スタバンゲル大会の初日、500m、1000mで、いずれも優勝。500mでの37秒08は、自身が2017年2月に江陵で出した37秒13を100分の5秒上回る、ふたつの高速リンクで出た記録を除いた中で当時世界最速の記録である。

また、500mは全勝だった昨季からの国内外における連勝記録を19に伸ばした。

ワールドカップ通算勝利数は岡崎朋美を超え、1000mと合わせ、日本女子歴代最多の14勝となった。

同大会の2日目の500mで、自身が前日に出した当時の低地世界最高記録を100分の1秒上回る37秒07で優勝。

1000mと合わせ、通算15勝目。

2017年12月1日から3日に行われたワールドカップ・カルガリー大会の2日目、1000mに出場したが、転倒により最下位に終わった。最終日に行われた500mで当時世界歴代2位となる36秒53で優勝。

2017年12月8日から10日に行われたワールドカップ・ソルトレイクシティ大会の初日、500mで5日前に出した自己記録を上回る36秒50で優勝。翌日の500mでも優勝し、この種目ワールドカップ15連勝。

最終日に行われた1000mで、1分12秒09の世界新記録をマークして優勝。

日本の女子選手が個人単種目で世界新記録をマークするのは小平が初。

2018年春の褒章で紫綬褒章を受章。

2018年の平昌オリンピックにおいて、最初の種目は女子1500mに出場し1分56秒11の記録で6位入賞を果たす。

次の種目は女子1000m、不利と言われるアウトスタートながら1分13秒82をマークし、個人種目では初の銀メダルを獲得。また高木美帆も銅メダル獲得となり、冬季オリンピックにおいて日本女子代表としては史上初の2人が表彰台に登った。

「絶対本命」と報道され続けた女子500mにおいてオリンピック新記録となる36秒94を出し金メダルを獲得した。

16組中14組のインスタートでの記録。

この記録は自身が持つ低地リンク世界最高記録を0秒13上回り、低地における初めての36秒台である。

スピードスケートの女子で初、日本選手団主将として冬季大会初めての金メダリストになった。

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