コシノジュンコの「大切な」言葉たち
たった一着だけでもいい。自分に合った居心地のいい服があれば、それを着てあらゆる場面に自信を持って臨むことができる。
対極にあるように見えても、意外な接点を見つけると、コラボレーションすることができる。そして、それがオリジナリティになる。
デザインとは、一言でいえば整理すること。まずゼロにして足して、一歩引いてまた足していく。デザインは、ファッションだけではなく、すべてに通じるものなのです。
本物に触れる体験に加えて、世界を知ることも、「自分」をつくる上で大切。世界に出れば、本物を知る機会にも恵まれます。
人と同じことをやることには恐怖・反発を感じます。常に進化に進化・挑戦を続けています。同じことは繰り返しません。
「自分は何をつくりたいのか」という、しっかりとした「自分」がなくては、ブランドをつくり、育てることはできない。ブランドをつくるということは、誰でもない「自分」をつくること。
コシノジュンコとは?(人生・生き方・性格・プロフィール・略歴など)
コシノジュンコ(こしの じゅんこ、1939年8月25日 – )は、日本のデザイナー。
花園大学客員教授。
大阪府岸和田市出身。母の小篠綾子のほか、姉コシノヒロコ(小篠弘子)と妹コシノミチコ(小篠美智子)も同じくファッションデザイナーであり、「コシノ三姉妹」として知られる。
大阪府立岸和田高等学校から文化服装学院という姉のヒロコと同じ進路で、2年の基礎コースを1年で終え、飛び級で小池千枝の担当するデザイン科へ進む。
同級の9期生には、高田賢三、松田光弘、金子功、北原明子ら、後のファッション界をリードする人材が揃っており、「花の9期生」と呼ばれた。
デザイン科在学中、新人デザイナーの登龍門といわれる装苑賞を最年少の19歳で受賞。
以後ファッションデザイナーとして活躍。
銀座小松ストアーへの出店を皮切りに、1966年(昭和41年)、東京・青山にブティック「COLETTE」を開店。
1978年(昭和53年)にパリ・コレクションに初参加。
1985年(昭和60年)、北京で中国最大のファッションショーを開催。
1990年(平成2年)には日本人初のショーをベトナムで、また1996年(平成8年)にはキューバで外国人デザイナーとしては世界初のショーを開催して話題となった。
2006年に『イタリア連帯の星』カヴァリエーレ章を受勲
2009年に『モンブラン国際文化賞』受賞
2011年に『Cuba共和国友好勲章』 Medalla de la Amistad受勲
2009年(平成21年)8月には、ミャンマーで著名外国人デザイナーによる初めてのファッションショーを開催した。
フジテレビのお笑いバラエティ番組『オレたちひょうきん族』の「アミダばばあ」の衣装デザインを担当。
2011年より、花園大学客員教授に就任。
2017年、文化功労者、2025年国際博覧会誘致特使。
コシノジュンコさんの母親・小篠綾子さんは、夫(紳士服のテーラー)を戦時中に亡くし、女手1つで、世界的有名デザイナー三姉妹を育てました。
戦前は『コシノ洋裁店』を開業し、ミシン1台であらゆる仕事を引き受け、自らも日本のファッション界の第一人者として地位を確立しています。
小篠綾子さんは、2011年NHKの朝ドラ『カーネーション』のモデルとなっています。
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