「キヤノン株式会社」の始まりと原点!~経営理念・企業理念/創業者・創立者『御手洗毅』/沿革・歴史など~

「キヤノン株式会社」の始まりと原点!~経営理念・企業理念/創業者・創立者『御手洗毅』/沿革・歴史など~

 

「キヤノン株式会社」の経営理念・企業理念(ビジョン・ミッション・バリュー・スローガン・指針・方針など)

 

 

「キヤノン株式会社」の企業理念・キヤノンスピリット

 

 

共生

 

キヤノンの企業理念は、『共生』です。私たちは、この理念のもと、文化、習慣、言語、民族などの違いを問わず、すべての人類が末永く共に生き、共に働き、幸せに暮らしていける社会をめざします。

しかし、経済、資源、環境など… 現在、地球上には共生を阻むさまざまな問題があります。キヤノンは、共生に根ざした企業活動を通じて、これらを解消するため、積極的に取り組んでいきます。

真のグローバル企業には、顧客、地域社会に対してはもちろん、国や地域、地球や自然に対してもよい関係をつくり、社会的な責任を全うすることが求められます。

キヤノンは、「世界の繁栄と人類の幸福のために貢献していくこと」をめざし、共生の実現に向けて努力を続けます。

 

 

キヤノンの企業DNA

 

 

人間尊重、技術優先、進取の気性

 

歴史を刻み、発展できた背景には、脈々と受け継がれるキヤノンの企業DNA「人間尊重」「技術優先」「進取の気性」があります。

ベンチャー企業として始まった進取の気性と、技術による差別化をめざす姿勢は、深く浸透し、つねにキヤノンは社会に新しい提案をしてきました。

それを支えてきたのが実力主義や健康第一主義などの人間尊重の姿勢です。

今後100年、200年と発展し続けるために、キヤノンはこの企業DNAを次の世代にしっかりと継承していきます。

 

 

 

「キヤノン株式会社」の三自の精神

 

キヤノンの行動指針の原点。

それが、創業期から受け継がれる「自発・自治・自覚」の「三自の精神」です。

企業DNAを伝承しながら、真のグローバルエクセレントカンパニーをめざすキヤノンにとって、いまも最も重要な指針となっています。

 

[自発]何事にも自ら進んで積極的に行う。

[自治]自分自身を管理する。

[自覚]自分が置かれている立場・役割・状況をよく認識する。

 

 

 

 

「キヤノン株式会社」の創業者・創立者『御手洗毅』~生い立ち・名言・創業の想い・考え方など~

 

 

御手洗毅(キヤノン創業者)

 

御手洗毅。

1901年、大分県南海部郡蒲江町(現・佐伯市)に生まれる。

 

実家は代々医師の旧家。

佐伯中学(現大分県立佐伯鶴城高等学校)を経て北海道大学予科に進学、恵迪寮の委員長をつとめる。

 

1928年、北海道大学医学部卒業。

上京して日本赤十字病院に勤務。

 

1933年11月、吉田五郎や内田三郎らの創設した精機光学研究所に日本に精密工業が確立されていない実情に危機感を抱き共同経営者として参画。

内田とは、産婦人科医として内田夫人の出産を通じて親交が始まる。

 

内田がシンガポールに赴任するなどしたため、1942年、御手洗自身が社長に就く。

太平洋戦争による空襲で御手洗の経営していた産婦人科病院は焼失し、戦争終了後はキヤノン経営に注力した。

 

終戦後、疎開先の山梨から帰京した御手洗毅は医業を捨てて「世界一のカメラづくり」を宣言し、食糧難のなか海軍等の技術者を招聘し進駐軍将校相手に売上を確保、レンズも自社生産へ切替えた。

社長に就任してからは、当時世界最高峰のカメラであった「ライカ」に追いつけ追い越せと高級カメラの開発に邁進、世界に冠たる「メイド・イン・ジャパン」のカメラの評価を確立し、輸出大国の礎を築いた。

 

医師であった事から医療用機器の開発を推進し、その後現在も続く開発・製造の原点となった。

当時のカメラ市場はドイツ勢の独壇場だったが、「素人の強み」で御手洗毅はドッジ・ライン恐慌下も「キヤノンはあくまで、高品質で世界一を目指す」と技術を磨き、徹底的な工程標準化と製品均質化で職人依存のライカに対抗し低価格・高機能を実現、1963年世界初のオートフォーカス「キャノンAFカメラ」で「ライカM3」を凌駕した。

 

1967年、カメラで世界一を果した御手洗毅は「キヤノン」へ改称し「右手にカメラ、左手に事務機」を標語に多角化へシフト。

1969年独占企業ゼロックスの特許を使わない複写機で牙城を切崩し、ファクス・プリンターと手を拡げ事務機器を中核事業へ発展させた。

 

御手洗毅は販売面でも辣腕を発揮、戦後すぐに自力営業を標榜し「輸出、輸出と叫んで」自ら欧米を行脚したが、商社に依存しない海外販路は技術力と並ぶキヤノン躍進の礎となった。

1974年、前田武男に社長の座を譲った。

 

1977年、前田の死去に伴い賀来龍三郎が社長に就任するとともに名誉会長となる。

1984年10月12日死去。享年83。

 

実力主義と家族主義を旨としていた。

GHQ(Go Home Quickly)などの標語を掲げ、家族あっての仕事という当時の日本の企業としては珍しい考え方を社員にといた。

 

1959年には他社に先駆けて完全週休2日制度をキヤノンに導入した。

海外指向も強く、初期からキヤノンの海外展開を進めた。

また自分の子供達を高校からアメリカに留学させている。

 

受賞歴

藍綬褒章(1962年)

総理大臣賞(1964年)

勲二等瑞宝章(1971年)

第2回毎日経済人賞(1980年)

 

 

 

御手洗毅(キヤノン創業者)の名言・考え方

 

 

 

キヤノンはライカに追い付き、ライカを追い越す。世界一が念願だ。その会社が厳しい規格を通らない製品を、ただ収入のためだけに売る。そんな心根では世界一は達成できない。よそが真似できない、世界一のものをつくれ。

 

 

 

努力なくして繁栄なし。勤務に努力を傾注するためには、旺盛な体力と精神力が必要である。

 

 

 

ほしいという声があるのにできないとはどういうことだ。できるようにしたらどうだ。

 

 

 

諸君、旧海軍の零式戦闘機は、世界一の性能を持っていたという。日本は戦争には負けたが、われわれには彼らに負けない立派な頭脳のあることが、これでも立証された。われわれは、この頭脳と多年続けてきた技術研究の成果を生かして、世界一のカメラをつくろうではないか。日本は、これから大いに外貨を稼がなければならぬ。諸君、わが社が真っ先に立上がろう。

 

 

 

困っている人がいるのに見て見ぬふりをするのか!キヤノンにそんな大馬鹿者がいるとは思わなかった。

 

 

 

基幹産業であれば国が援助するだろうが、キヤノンは誰も助けてくれない。自助あるのみだ。そして、それしか、われわれが生きる道はない。歯を食いしばって研究努力を重ねていけば、必ずや世界を制覇する日がくる。

 

 

 

素人素人と言うなかれ。言わば言え。いつの日にか見返してやる。

 

 

 

陰徳というものがある。善というものは隠れてするものだ。

 

 

 

私は医師であり、技術のことも経理のこともまったく分からない。だから社員を信用する以外にない。会社を繁栄させるには私を含め、社員一人一人が誠心誠意やっていくしかない。

 

 

 

私は従業員が、キヤノンで一生を過ごして本当によかった。悔いはないと思ってくれるような会社を作りたいと考えているのです。これが経営者としての私の一生の夢なのです。

 

 

 

われわれの生きる道は自助あるのみだ。

 

 

 

 

 

「キヤノン株式会社」の沿革・歴史(年表・社歴など)

 

 

1933
東京麻布六本木に高級小型写真機の研究を目的とする精機光学研究所を開設

1934
国産初の35mmフォーカルプレーンシャッターカメラ「KWANON(カンノン)」試作

1935
商標CANON出願

1936
35mmフォーカルプレーンシャッターカメラ「ハンザキヤノン」発売

1937
精機光学工業株式会社として創業

1939
レンズ(セレナーと命名)の自社生産に着手

1940
国産初のX線間接撮影カメラを開発

1945
フォーカルプレーンシャッターカメラ「普及型(J II)」の生産再開
銀座カメラサービスステーションを開設

1946
戦後初のカメラ新製品「キヤノンS II」発売、進駐将兵、来日バイヤーに好評を博す
キヤノンカメラ株式会社に社名変更
貿易再開に際し、貿易上最適輸出品として、当局の指定を受ける

1947
証券取引所再開と同時に株式を上場

1949
全米カメラ展示会(サンフランシスコ)において、キヤノンII B型が1等賞を受賞

1951
東京都大田区下丸子に本社、工場を集結

1952
世界初のスピードライト同調35mmカメラ「IVSb」発売

1954
テレビ放送開始にそなえ、NHK技術研究所とテレビカメラを共同開発

1955
キヤノン電子(当時、秩父英工舎)が関係会社となる

1956
8mmシネカメラ「8T」発売
欧州総代理店としてキヤノンヨーロッパ(ジュネーブ)開設

1957
スチルカメラ「L1」、8mmシネカメラ「8T」が、日本初のグッドデザイン商品の選定を受ける

1958
TVカメラ用フィールドズームレンズ発売
ドキュマット社と提携、マイクロ機器分野に進出
磁気ヘッドの分野に進出

1959
キヤノン初の一眼レフカメラ「キヤノンフレックス」発売
シンクロリーダー発売

1960
VTR用磁気ヘッドを開発
取手本工場(現取手事業所)完成

1961
「キヤノネット」発売、爆発的な売上を記録、EEカメラブーム起こる
国産初の輪転式マイクロフィルムシステムを完成
第一次5カ年計画を策定、事務機分野への本格的取り組みを開始
パナマに中南米総代理店、キヤノンラテンアメリカ開設

1962
キヤノンSAジュネーブ設立、総代理店制を廃止し、キヤノン本社直属の販売体制スタート

1963
光ファイバーの開発に着手
X線ミラーカメラ発売
8mmシネカメラおよびレンズの専門工場として玉川工場(現玉川事業所)が完成

1964
世界初のテン(10)キー式電卓「キヤノーラ130」発売
キヤノンU.S.A.設立

1965
エレクトロファックス方式の複写機「キヤノファックス1000」を発表
創立30周年、「右手にカメラ、左手に事務機」をスローガンに多角化を推進
輸出比率が50%を超す
現地法人キヤノンラテンアメリカ設立

1967
キヤノン事務機販売設立
キヤノンアムステルダムN.V.(現キヤノンヨーロッパN.V.)設立

1968
独自の電子写真方式「キヤノンNPシステム」を発表、普通紙複写機(PPC)分野に進出
キヤノン電子が4トラック4チャンネルステレオ磁気ヘッドの量産化に成功
キヤノン株式会社に社名変更
キヤノンカメラ販売設立、国内のカメラ販売体制を強化
中央研究所を目黒に開設
カメラの生産工場として福島キヤノン設立

1969
日本以外で初の生産拠点、台湾キヤノン設立
パーソナル電卓市場に進出

1970
国産初の普通紙複写機「NP-1100」発売
国産初の半導体焼付装置「PPC-1」を発売
キヤノン事務機販売、キヤノンカメラ販売を一本化、キヤノン販売株式会社スタート

1971
最高級一眼レフカメラ「キヤノンF-1」およびFDレンズ発売
ビリングマシン「BP-1000」発売、事務機用コンピューター分野へ進出
ヨーロッパ初の生産拠点、キヤノンギーセン(当時、Physotec GmbH・ドイツ)を設立

1972
世界初の液乾式普通紙複写機「NP-L7」発売
キヤノンドイツを設立

1973
日本初のフルカラー普通紙複写機を発表
35mm映画用マクロズームレンズが、米国映画アカデミー科学技術部門賞受賞
キヤノンビジネスマシンズ(アメリカ・カリフォルニア州)を設立
株式会社オプトロン(現キヤノンオプトロン株式会社)を設立

1974
オフィスコンピューター「キヤノナック100/500」発売
身障者用携帯テープライター「コミュニケータ」を発表
盲人用電子読書器「オプタコン」販売開始
キヤノンフランスを設立

1975
レーザビームプリンタ(LBP)の開発に成功
第一次優良企業構想スタート、キヤノン式開発・生産・販売システム検討委員会発足
光学機器の拠点として小杉事業所が完成
キヤノンビジネスマシーンズ(現キヤノンU.K.)設立
ファクシミリ事業に進出

1976
マイコン搭載カメラ「AE-1」発売、AE一眼ブームとなる
世界初の無散瞳眼底カメラ「CR-45NM」発売
賀来龍三郎、キヤノン株式会社代表取締役社長に就任
栃木キヤノン宇都宮工場(現キヤノン宇都宮工場)が完成

1977
35mm映画用レンズ「K-35」シリーズが、米国映画アカデミー科学技術部門賞受賞
製品別の事業部制を導入
キヤノンオーストラリア設立
カラーコピーサービスを開始

1978
世界初のリテンション方式複写機「NP-8500」発売
世界初のレーザー走査オートアライメント機構採用のマスクアライナー「PLA-500FA」発売
コピアが関係会社となる
キヤノンシンガポール設立
海外売上が初めて1,000億円を突破

1979
半導体レーザー内蔵の「LBP-10」発売
AF全自動カメラ「オートボーイ」発売
ミニフロッピーディスクドライブ発売

1980
ローマ字入力初採用の日本語ワープロ「キヤノワード55」発売
国産初のG2規格ファクシミリ「テレフアクスB-601」発売
自動眼屈折力測定機「オートレフR-1」発売
コンポーネント開発センターとして平塚事業所を開設
ファクシミリの生産および精密金型製作の精機工場として阿見事業所を開設
複写機・LBPの化成品生産工場として上野工場を開設

1981
毎分135枚の超高速複写機「NP-8500SUPER」発売
プロ用システム一眼レフ「New F-1」発売
CVCビデオシステム発売
第二次優良企業構想スタート
大分キヤノン設立

1982
世界初のカートリッジ方式複写機「ミニコピアPC-10/PC-20」発売
ハンディターミナル「HT-3000」発売
16ビットパーソナルコンピューター「AS-100」発売
欧文電子タイプライター「AP400/500」発売
新生児聴覚検査装置「クリブ・オ・グラム」販売開始
キヤノンブルターニュ(フランス)設立
マスクアライナーおよび周辺機器の製造工場として宇都宮光学機器事業所を開設

1983
パーソナルワープロ「キヤノワードミニ5」発売
クレジットカードサイズの電卓「マイカード」発売
一眼レフカメラ「T50」発売、1983年度グッドデザイン大賞受賞
中国にて技術合作契約締結、湛江・天津で複写機の生産開始
キヤノン・コンポーネンツ設立

1984
世界初のCOM用普通紙リーダープリンター「PCプリンター70」発売
レーザーファクシミリを発表
ロサンゼルスオリンピックでスチルビデオカメラの実用テストが行われる
デジタル方式の「レーザーコピアシステムNP-9030」発売
世界最小・最軽量のレーザビームプリンタ「LBP-8/CX」発売
1MDRAM対応ステッパー「FPA-1500FA」発売
高品位TV(現ハイビジョン)用ズームレンズ「PV14×12.5B HD」を発表
キヤノンバージニア設立
米国ヒューレット・パッカード社とコンピューター分野における業務協力関係を結ぶ
韓国に合弁会社ロッテキヤノン(現Canon Korea Business Solutions Inc.)設立

1985
世界初のバブルジェット方式インクジェットプリンター「BJ-80」発売
複合電子ファイル「キヤノフアイル5500」発売
電子編集印刷システム「EZPS 5300」発売
カメラ一体型8mmビデオ「キヤノビジョン8VM-E1」発売
独・シーメンス社とISDN用ファクシミリのインタフェース技術における業務協力関係を結ぶ
米国・イーストマンコダック社と最先端医療機器分野における業務協力関係を結ぶ

1986
ポータブル複写機「ファミリーコピアFC-3/5」発売
G4規格対応の「キヤノフアクスレーザー3100」発売
バブルジェット方式プリンター採用の卓上電卓「キヤノーラBP1210-D」発売
最高級エレクトロニクス一眼レフ「T90」発売
世界初のスチルビデオカメラ「RC-701」とビデオシステム発売
眼屈折力と角膜形状測定が一台でできる「オートケラトメーター RK-1」発売
測地衛星あじさいにコーナーキューブリフレクターを搭載
ヨーロッパで日欧相互理解の研究を援助するキヤノンヨーロッパ財団設立
韓国・金星精密社にカメラ技術を供与、生産を開始

1987
フルカラーデジタル複写機「カラーレーザーコピア1」発売
オートフォーカス一眼レフシステム「EOS」およびEFレンズ群発売
普通紙にプリントする電子黒板「ボードコピアA-1」発売
キヤノワードαシリーズ販売開始
日本語対応のLBP「レーザショット」シリーズ発売
世界最高倍率、50倍TVズームレンズ発売
射出成形CAEシステムソフトウエア「CAPLAS」外販開始

1988
第二の創業を宣言、「共生」を企業理念とし、グローバル企業構想(5カ年)スタート
日本以外で初の研究所、キヤノンリサーチセンターヨーロッパ(イギリス)設立
キヤノンオプトマレーシア設立
キヤノンビジネスマシンズメキシコ設立
長浜キヤノン設立
“CSA”マーク(カナダ電気安全規格)の自社認証制度認可資格を日本企業で初めて取得
「PC/FC」シリーズ生産200万台を達成
「カラーバブルジェットコピア1」発売
光磁気ディスクシステムを販売開始
“GENESIS”搭載の「キヤノフアクス705」発売
世界最高60万画素CCD搭載のスチルビデオカメラ「RC-760」発売
フロッピーカメラ「Q-PIC」発売
山路敬三、キヤノン株式会社代表取締役社長に就任
米国・NeXT社に資本参加、あわせて極東地域販売権を取得
キヤノン大連事務機有限公司(中国)設立
NP複写機生産500万台を達成

1989
カラーステーション「カラーレーザーコピア500」発売
手書き入力ができるAiノート「IN-3000」発売
最高級AF一眼レフカメラ「EOS-1」発売
ハイエンド仕様の8mmビデオカメラ「キヤノビジョン8 A1」発売
環境保証推進委員会を設置
「カートリッジ回収リサイクルシステム」開始
キヤノンインフォメーションシステムズリサーチオーストラリア設立
現キヤノンリサーチセンターフランス設立
キヤノン珠海有限公司(中国)設立
キヤノンハイテクタイランド設立
新潟キヤノテック(現キヤノンイメージングシステムズ)設立

1990
世界初ファジー制御の高速複写機「NP9800」発売
バブルジェット方式ノート型プリンター「BJ-10v」発売
光磁気ディスク採用の電子ファイル「キヤノフアイル250」発売
i線ステッパー「FPA-2000 i1」発売
カートリッジ回収・リサイクルなどにより、ナショナルジオグラフィックソサエティ第1回会長賞受賞

1991
世界で初めて強誘電性液晶ディスプレイ(FLCD)の開発に成功
統一規格VLマウントシステムを採用した交換レンズ方式8mmビデオカメラ「LX-1」発売
キヤノン精工とキヤノンケミカルが合併、キヤノン化成株式会社が発足
電卓事業を担当する、キヤノン電産香港有限公司が業務開始
LBP生産1,000万台を達成
カートリッジ生産1億本を達成

1992
世界で初めてJBIG(次世代画像符号化国際標準)完全準拠1チップLSIの開発に成功
財団法人NHKエンジニアリングサービスと共同で、ハイビジョン高速カメラを開発
世界初の偽造防止技術搭載の「カラーレーザーコピア550」発売
コンピューターとの連携も可能な高画質デジタル複写機「GP55」発売
エコロジー設計の「NP6030」発売
キヤノン初のフルカラーインクジェットプリンター「BJC-820」発売
世界初視線入力方式採用の「EOS 5」発売
手ブレ防止のバリアングルプリズム内蔵ビデオレンズ「T10G-RF」発売
御手洗肇、キヤノン株式会社代表取締役社長に就任
第二次グローバル企業構想(5カ年)スタート
環境憲章制定
複写機生産1,000万台を達成

1993
世界初のプリンター内蔵ノート型パソコンを日本IBMと共同開発
インクジェットフルカラー複写機「ピクセルジェットS」発売
ストロボ内蔵型・軽量一眼レフカメラ「EOS Kiss」発売
米国・IBM社とパワーPC小型コンピューターの開発・生産で提携
マスクアライナー出荷5,000台を達成
インクジェットプリンター生産1,000万台を達成

1994
社団法人発明協会の全国発明表彰で「BJプリンタ装置の発明」が恩賜発明賞受賞
世界初のフルカラー自動両面印刷を実現した「カラーレーザーコピア800」発売
視線入力、光学式手ブレ補正搭載のビデオカメラ「ムービーボーイE1」発売
御手洗冨士夫、キヤノン株式会社代表取締役社長に就任
CS推進委員会を設置
英国の環境管理規格である“BS7750”の認証を日本企業で初めて阿見事業所、上野工場が取得
複写機の再生拠点として、米国バージニア州にカスタムインテグレーテッドテクノロジー社を設立
カートリッジ回収1,000万本を達成

1995
34年ぶりに双眼鏡市場に参入、バリアングルプリズムによる手ブレ補正技術を搭載した「12×36 IS」発売
キヤノン初のデジタル一眼レフカメラ「EOS DCS 3」発売
世界初の強誘電性液晶カラーディスプレイ(FLCD)発売
一眼レフ用交換レンズとして世界初の手ブレ補正ズームレンズ「EF75-300mm F4-5.6 IS USM」発売
4連感光ドラム高速カラー複写機「カラーレーザーコピア1000」発売
世界初の全自動ソーラーエネルギーカメラ「オートボーイ SE」発売

1996
「グローバル優良企業グループ構想」スタート
富士裾野リサーチパークを開設
トナーカートリッジの再生拠点、インダストリアルリソーステクノロジーズ社を米国に設立
キヤノンラテンアメリカ、マイアミに移転
キヤノンバージニア、再生複写機出荷5,000台を達成
APS(新写真システム)対応の2倍ズームコンパクトカメラ「IXY」発売
エキシマレーザー採用のステッパー「FPA-3000EX3」発売
環境に配慮した部品部材を優先購入するための「グリーン調達基準書」作成、配布を開始
キヤノン(中国)有限公司を設立
ソリューション・ビジネスとインフォメーション・テクノロジーの拠点として、小杉事業所新棟開設
複写機の生産拠点として、中国に天津キヤノンを設立
カメラ生産1億台を達成

1997
「MV1」発売、デジタルビデオカメラ事業に本格参入
経営革新委員会発足
生産革新が全社的にスタート
国内で複写機の再製造事業を開始、複写機再製造の日米欧3極体制を確立
キヤノンソフトウェアデベロップメントセンターをニューデリーに開設
東京電子設計(現キヤノンアイテック)に資本参加
北京大学と合弁でソフトウエア開発を目的とした新会社、佳能信息技術(現 Canon Information Technology(Beijing) Co., Ltd.)を設立
キヤノンミドルイーストを設立

1998
HDTVに対応した放送用レンズ「DIGISUPER 25 xs」を開発
45点エリアAFを搭載したプロ・ハイアマ向けの高級AF一眼レフカメラ「EOS-3」発売
大画面平面センサーを搭載したX線画像デジタル撮影装置「CXDI-11」発売
半導体関連デバイスの研究開発体制強化を目的とした綾瀬事業所が完成
大分キヤノンマテリアルを設立

1999
キヤノンの光学技術が世界最大級の天体望遠鏡「すばる」に貢献
新開発プリントヘッド技術、New「MicroFineDroplet Technology」搭載の「BJ F850」発売
ヘッドマウントディスプレイ「GT270」発売
ニューヨーク証券取引所に上場
グローバル技術・製品展「Canon EXPO 2000」をニューヨーク、パリ、東京にて開催
日本VE協会よりマイルズ賞・企業本賞受賞
宇都宮市に光学技術研究所が完成

2000
国際的な省エネ技術賞である「IEA-DSM 未来複写機プロジェクト優秀技術賞」受賞
コンパクトデジタルカメラ「IXY DIGITAL」発売
ドキュメント集配信機能を搭載した新世代ネットワーク複合機「iRシリーズ」発売
CMOSセンサーを搭載した一眼レフデジタルカメラ「EOS D30」発売
「グローバル優良企業グループ構想」
フェーズIIスタート
経営戦略委員会発足
ヨーロッパ本社・キヤノンヨーロッパLtd.をイギリスに設立。キヤノンヨーロッパN.V.(オランダ)との2社共同による運営を開始
インクジェットプリンターの生産拠点として、キヤノンベトナムを設立
中国・蘇州にグループ3社が複写機生産工場を設立
中国で3番目のLBP生産拠点、キヤノン(中山)事務機有限公司を設立

2001
DOレンズ(積層型回折光学素子)開発
パソコンを介さずにインクジェットプリンターへの直接プリントが可能な「カメラダイレクト」を提唱
環境配慮技術を盛り込んだ「imageRUNNER iR3300」発売
御手洗冨士夫、日本政府より「企業改革経営者表彰」の第1回受賞者に選ばれる
新本社棟が東京・下丸子に完成
上野キヤノンマテリアル株式会社を設立

2002
35mmフルサイズ、約1,110万画素CMOSセンサーを搭載したプロ用最高級デジタルAF一眼レフカメラ「EOS-1Ds」発売
新開発4連垂直インラインエンジン搭載「LBP-2810/2710」発売
新開発カラーiRコントローラー搭載のカラーネットワーク複合機「iR C3200/C3200N」発売
キヤノンアプテックスとコピアが合併、キヤノンファインテック株式会社としてスタート
インクジェットプリンター事業における高付加価値型量産拠点として、福島キヤノンを設立
キヤノン中国、15の国内支店開設
キヤノン技術情報サービス株式会社を設立
環境配慮型の製品輸送モーダルシフトを開始

2003
世界最高倍率の100倍ズームTVレンズ「DIGISUPER 100 xs」発売
超小型ノートブックタイプのインクジェットプリンター「PIXUS 50i」発売
全色顔料インク採用の大判インクジェットプリンター「W8200」発売
解像度80nmのArFスキャニングステッパー「FPA-6000AS4」出荷開始
普及型デジタルAF一眼レフカメラ、高画質・小型軽量・簡単操作の「EOS Kiss Digital」発売
映像エンジンDIGIC搭載の「IXY DIGITAL 400」発売
RoHS指令を先取りしたカラーネットワーク複合機「Color imageRUNNER iR C6800」発売
キヤノン株式会社の1単元の株式数を1,000株から100株に変更
初の個人投資家説明会を開催
インクジェットプリンターの開発部門を集結した矢向事業所を開設
キヤノン精機と弘前精機が合併、キヤノンプレシジョン株式会社が発足
キヤノン・エヌ・ティー・シーをキヤノンエコロジーインダストリー株式会社とキヤノンセミコンダクターエクィップメント株式会社に会社分割
キヤノンロシアを設立
イガリモールドとの間で株式を交換、完全子会社化
インクジェットプリンター出荷1億台を突破

2004
写真もビデオも高画質のDIGIC DV搭載のデジタルビデオカメラ「IXY DV M3」発売
「ChromaLife100」搭載、デザインを一新したインクジェットプリンター「PIXUS iP8600」発売
新開発光学エンジン「AISYS」搭載の液晶プロジェクター「パワープロジェクターSX50」発売
新製品や将来技術を展示した「Canon EXPO 2005」をニューヨーク、パリ、東京にて開催
「コンプライアンス・カード」をキヤノングループ社員11万人に配布
下丸子本社に先端技術研究棟を開設
東京工業大学と産学連携協定を締結
米国・マイクロソフト社と映像処理技術分野においての提携に合意
キヤノングループ、“ISO14001”のグループ統合認証を取得
アネルバ株式会社およびNECマシナリー株式会社を連結子会社化

2005
「リアルタイムX線撮影装置用大画面センサーの発明」で、二度目の恩賜発明賞受賞
HDV規格対応のHDビデオカメラ「XL H1」発売
「グローバル優良企業グループ構想」
フェーズIIIスタート
御手洗冨士夫、キヤノン株式会社代表取締役会長CEO、内田恒二、代表取締役社長COOに就任し、新体制スタート
御手洗冨士夫会長、社団法人日本経済団体連合会の2代目会長に就任
キヤノン販売がキヤノンマーケティングジャパン株式会社に社名変更
普通株式1株につき、1.5株の割合で株式分割を実施
グローバルリーダー育成のための研修拠点となる、Canon Global Management Instituteを開設
京都大学と「高次生体イメージング先端テクノハブ」プロジェクトで協同研究開発を開始
宇都宮大学と光学に関する教育研究センターの設立に合意
キヤノンアネルバ、HDDヘッドセンサーで「日本真空工業会会長賞」受賞
キヤノンオプトロン、世界最大級の蛍石を米国天文台に納入

2006
新開発・12色顔料インク「LUCIA」を搭載した60インチ幅対応の「imagePROGRAF iPF9000」発売
DIGIC III、フェイスキャッチテクノロジー搭載の「IXY DIGITAL 900 IS」発売
新開発の動画用CMOSセンサー搭載のデジタルハイビジョン撮影対応HDVビデオカメラ「HV10」発売
直感的に機能を使いこなせるEasy-Scroll Wheelを搭載した「PIXUS MP600」発売
コンパクトフォトプリンター「SELPHY ES1」発売
デジタル商業印刷用複合機「imagePRESS C1」発売

2007「日中文化・スポーツ交流年」に協力
有機ELディスプレイ製造装置の開発・設計・製造・販売を行うトッキ株式会社(現キヤノントッキ株式会社)を連結子会社化
3社に分散していた金型事業を統合し、キヤノンモールド株式会社を設立
キヤノンとして初めて自己株式の取得を実施
5,000万画素CMOSセンサーの試作に成功
川崎事業所を開設
京都文化協会と共同で推進する文化財未来継承プロジェクト(愛称:綴プロジェクト)を発足
下丸子本社内に「御手洗毅記念館」を開設

2007
デジタル商業印刷機に本格参入、「imagePRESS C7000VP」発売。日刊工業新聞社第50回十大新製品賞「増田賞」を受賞
新プラットフォーム採用の第8世代基板対応液晶露光装置「MPAsp-H700」発売
35mmフルサイズ、約2,110万画素CMOSセンサー搭載、最高約5コマ/秒を実現したデジタル一眼レフカメラ「EOS-1Ds Mark III」発売
10色顔料インク採用のプロ向けフォトインクジェットプリンター「PIXUS Pro9500」発売
世界初の環境光補正プリント機能搭載の大判インクジェットプリンター「imagePROGRAF iPF6100」発売
ハードディスク内蔵のHDビデオカメラ「iVIS HG10」発売
日田キヤノンマテリアル株式会社を設立
長崎キヤノン株式会社を設立
一般財団法人キヤノングローバル戦略研究所およびキヤノン財団を設立
キヤノンアネルバの研究者が第6回産学官連携功労者表彰で内閣総理大臣賞受賞
一眼レフカメラ生産5,000万台を達成
コンパクトデジタルカメラ生産1億台を達成

2008
自社開発の反射型液晶パネルLCOS搭載の液晶プロジェクター「パワープロジェクターSX80」発売
デジタル一眼レフカメラとして初めてフルHD動画撮影を実現した「EOS 5D Mark II」発売
コンパクトデジタルカメラ初のキヤノン製CMOSセンサー搭載の「PowerShot SX1 IS」発売
キヤノンヨーロッパ、本社機能をロンドンに統合
米国ヒューレット・パッカード社とソリューション分野で業務提携
キヤノンアスリートクラブ九州を発足
下丸子本社敷地内に東京都認証保育所ポピンズナーサリー多摩川を開設
キヤノンウィンド、障がい者の雇用を促進する法律に基づいた特例子会社の認定を受ける
キヤノンバージニア、トナーカートリッジ新工場棟を竣工
EFレンズ生産5,000万本を達成
X線デジタルカメラ「CXDIシリーズ」生産1万台を達成

2009
IT環境との連携を強化した新世代オフィスネットワーク複合機「imageRUNNER ADVANCEシリーズ」発売
DIGIC DV III搭載のフルHDデジタルビデオカメラ「iVIS HF20」発売
最高8コマ/秒、ISO12800を実現したデジタル一眼レフカメラ「EOS 7D」発売
A4カラー約8.1ipmの高速プリントを実現したインクジェット複合機「PIXUS MP640」発売
広角端28mmでF2.0の大口径レンズ搭載のコンパクトデジタルカメラ「PowerShot S90」発売
角度ブレとシフトブレの両方を補正するハイブリッドISを搭載したレンズ「EF100mm F2.8L マクロ IS USM」発売
散瞳・無散瞳一体型デジタル眼底カメラ「CX-1」発売
新製品や将来技術の展示により、キヤノングループの方向性、ビジョンを提示する「Canon EXPO 2010」をニューヨーク、パリ、東京にて開催
オランダ・オセを連結子会社化
「2010年上海国際博覧会」(上海万博)日本館に展示協力
APS-Hサイズで世界最高の約1億2,000万画素CMOSセンサーの開発に成功
チップサイズ202×205mmの世界最大・超高感度CMOSセンサーの開発に成功
富士通とマネージドサービス分野における協業に合意

2010
光学10倍ズームレンズ搭載機で世界最薄、フルHD動画撮影機能を搭載したコンパクトデジタルカメラ「IXY 50S」発売
光学18倍ズームレンズと3板式フルHD CMOSセンサーを搭載したファイルベース記録形式の業務用デジタルビデオカメラ「XF305」発売
デザインを一新、必要なキーが発光する「Intelligent Touch System」を搭載したインクジェット複合機「PIXUS MG6130/MG8130」発売
コンパクトボディを追求したオフィスネットワーク複合機「imageRUNNER ADVANCE C2000シリーズ」発売
ワイヤレスタイプのX線デジタル撮影装置「CXDI-70C Wireless」発売
「グローバル優良企業グループ構想」
フェーズIVスタート
「Canon EXPO 2011 in Shanghai」を上海にて開催
医療用ITソリューションベンダーのフランス・メディアンテクノロジーズ社と提携
「ポータブルX線デジタル撮影システム」を東日本大震災被災地に提供
京都大学医学部附属病院「先端医療機器開発・臨床研究センター」が竣工
キヤノンプラチンブリタイランドを設立
キヤノンビジネスマシンズフィリピンを設立

2011
映像制作用のレンズ・カメラで構成する「CINEMA EOS SYSTEM」発表、映像制作市場へ本格参入
GPS機能を搭載した光学14倍ズームのコンパクトデジタルカメラ「PowerShot SX230 HS」発売
クラウドサービス基盤「Canon Business Imaging Online」を利用した、クラウド型ドキュメントサービスを開始
キヤノンとオセ初の共同開発製品として、オセ製プリンターコントローラーを搭載したデジタルプロダクションプリンティングシステムを開発
「DreamLabo 5000」発表、業務用フォトプリンター市場へ参入
御手洗冨士夫、キヤノン株式会社代表取締役会長兼社長CEOに就任
ブラジルにキヤノンインダストリアデマナウスを設立
キヤノンマーケティングベトナムを設立
キヤノンの技術が国立天文台ハワイ観測所の「すばる望遠鏡」の広視野化に貢献
放送用HDビデオカメラ向けの大型CMOSセンサーの改良により、第64回技術工学エミー賞を受賞
マサチューセッツ総合病院およびブリガム・アンド・ウィメンズ病院との共同研究に合意
レンズ交換式デジタルカメラが2003年から10年連続世界シェアNo.1を達成

2012
製品設計時の開発期間の短縮を実現するMR(Mixed Reality:複合現実感)システム「MREAL」発売
最高レベルの高画質・高速性能を兼ね備えた、デジタル一眼レフカメラの最上位モデル「EOS-1D X」発売
新開発の12色顔料インク「LUCIA」を搭載したプロ向けインクジェットプリンター「PIXUS PRO-1」発売
デジタル一眼レフカメラと同等の高画質と小型・軽量化を両立したミラーレスカメラ「EOS M」発売
複合機9モデルが、複合機で初めてカーボンフットプリント宣言認定を取得
眼科機器OCT分野へ本格参入、キヤノンブランド初の光干渉断層計「OCT-HS100」発売
御手洗冨士夫会長、天皇陛下より旭日大綬章を受章
キヤノンアメリカス、メルヴィル新本社が完成
キヤノンソリューションズアメリカを設立
キヤノンベトナム、インクジェットプリンターの工場生産1億台を達成
キヤノン蘇州、複合機「imageRUNNER ADVANCE」シリーズ生産100万台を達成
高感度・ノイズ低減を実現し、暗闇での動画撮影が可能な35mmフルサイズCMOSセンサーを開発
「imageRUNNER ADVANCE」シリーズ8機種が米国環境評価システム「EPEAT」ゴールド製品に登録
キヤノンバージニア、米国の電子機器リサイクル認証「R2」を製造業で初めて取得
「CINEMA EOS SYSTEM」の超高感度4Kカメラが、国際宇宙ステーションから世界で初めてアイソン彗星の撮影に成功

2013
業務用30型4Kディスプレイ「DP-V3010」を発売し、4K映像制作ディスプレイ市場に参入
革新的なAF技術「デュアルピクセルCMOS AF」を搭載し、本格的な映像表現のニーズに応えるデジタル一眼レフカメラ「EOS 70D」を発売
1回の撮影で6種類の写真を生成し、新たな写真の楽しみ方を創造するコンパクトデジタルカメラ「PowerShot N」を発売
新たな撮影スタイルと映像の楽しみ方を提案するデジタルビデオカメラ「iVIS mini」を発売
御手洗冨士夫会長、2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の名誉会長に就任
次世代半導体露光装置の開発に向けて米国・モレキュラーインプリント社(新社名キヤノンナノテクノロジーズ)を完全子会社化
キヤノンヨーロッパ、マイルストーンシステムズ社を買収
フォルクスワーゲン社とプリント管理のグローバル・パートナー契約を締結
デジタルカメラ生産2億5,000万台を達成
EFレンズ生産1億本を達成
国立天文台ハワイ観測所「超大型望遠鏡TMT」の主鏡製作に貢献

2014
低ノイズ・多画素のCMOSセンサーを搭載した検査装置用カメラ「M15P-CL」を発売し、産業用カメラ市場に参入
高速・高精度な3次元認識を実現する3Dマシンビジョンシステム「RV1100」を発売し、マシンビジョン市場に参入
ビジネス向けインクジェットプリンター「MAXIFY」シリーズ発売
高速連写性能と新AFシステムを搭載した「EOS 7D Mark II」を発売
ライトプロダクション市場向けカラー複合機「imagePRESS C800/C700」を発売
新製品や将来技術を展示した「Canon EXPO 2015」をニューヨーク、パリ、東京にて開催
ネットワークカメラ事業の強化に向けてスウェーデン・アクシス社を連結子会社化
キヤノンUSA、キヤノンバイオメディカルを設立
トナーカートリッジリサイクルプログラム25周年

2015
約5,060万画素CMOSセンサーを搭載した高画素デジタル一眼レフカメラ「EOS 5Ds/EOS 5Ds R」を発売
写真・動画の新たな映像体験を提供する「Connect Station CS100」を発売
焦点距離11mmを実現した超広角ズームレンズ「EF11-24mm F4L USM」を発売
暗闇でのカラー動画撮影を可能にする超高感度多目的カメラ「ME20F-SH」を発売
毎分100枚の出力を実現したプロダクションプリンター「imagePRESS C10000VP」を発売
「グローバル優良企業グループ構想」
フェーズVスタート
御手洗冨士夫、キヤノン株式会社代表取締役会長 CEO、真栄田雅也、代表取締役社長 COOに就任し、新体制スタート
ヘルスケア事業の成長に向けて東芝メディカルシステムズを完全子会社化

2016
5,000lmクラスのプロジェクターにおいて世界最小・最軽量(当時)を実現した4Kプロジェクター「4K500ST」発売
デジタル一眼レフカメラのフラッグシップ機「EOS-1D X Mark II」を発売
インクジェットのコア技術を刷新し高画質プリントを実現したA2対応インクジェットプリンター「imagePROGRAF PRO-1000」発売
キヤノンのイメージング技術とアクシスのネットワーク技術を融合させた、高解像度監視が可能なレンズ交換式ネットワークカメラ「AXIS Q1659」発表
本社敷地内に商業印刷機の体験施設「カスタマーエクスペリエンスセンター東京」開設
宮崎ダイシンキヤノン( 現宮崎キヤノン)を完全子会社化

2017
操作性・生産性に優れたA3カラー複合機「imageRUNNER ADVANCE C3500シリーズ」発売
高い操作性を実現した本格志向ユーザー向けデジタル一眼レフカメラ「EOS 9000D」発売
半切サイズとして業界最軽量*のワイヤレスX線デジタル撮影装置「CXDI-710C Wireless」発売
東芝メディカルシステムズが高精細CT装置「Aquilion Precision」発売
A4 両面時 300イメージ/ 分(150 枚 / 分 )の出力を実現した業務用高速カットシートカラープリンター「Océ VarioPrint i300」発売
キヤノン電子が超小型人工衛星「CE-SAT-I」の打ち上げに成功
ナノインプリント半導体製造装置「FPA-1200NZ2C」を東芝メモリ四日市工場に納入
自由視点映像生成システムを開発
UV硬化型大判プリンター「Océ Colorado 1640」発表
*: 半切サイズのDR方式ワイヤレスX線デジタル撮影装置において(バッテリーパックを含む)。2017年3月6日現在。(キヤノン調べ)
キヤノンメディカルシステムズが東芝メディカルシステムズから社名変更
キヤノングループの環境活動の発信拠点「キヤノンエコテクノパーク」開所

2018
ミラーレスカメラ「EOS Kiss M」発売

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