「京セラ株式会社」の始まりと原点!~経営理念・企業理念/創業者・創立者『稲盛和夫』/沿革・歴史など~

「京セラ株式会社」の始まりと原点!~経営理念・企業理念/創業者・創立者『稲盛和夫』/沿革・歴史など~

 

 

「京セラ株式会社」の経営理念・企業理念(ビジョン・ミッション・バリュー・スローガン・指針・方針など)

 

「京セラ株式会社」の社是

 

敬天愛人

常に公明正大 謙虚な心で 仕事にあたり 天を敬い 人を愛し 仕事を愛し 会社を愛し 国を愛する心

 

 

「京セラ株式会社」の経営理念

 

全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類、社会の進歩発展に貢献すること。

心をベースに経営する。

京セラは、資金も信用も実績もない小さな町工場から出発しました。頼れるものは、なけなしの技術と信じあえる仲間だけでした。会社の発展のために一人ひとりが精一杯努力する、経営者も命をかけてみんなの信頼にこたえる、働く仲間のそのような心を信じ、私利私欲のためではない、社員のみんなが本当にこの会社で働いてよかったと思う、すばらしい会社でありたいと考えてやってきたのが京セラの経営です。

人の心はうつろいやすく変わりやすいものといわれますが、また同時にこれほど強固なものもないのです。その強い心のつながりをベースにしてきた経営、ここに京セラの原点があります。

 

 

 

「京セラ株式会社」の創業者・創立者『稲盛和夫』~生い立ち・名言・創業の想い・考え方など~

 

 

稲盛和夫(京セラ・KDDI“au”創業者)

 

稲盛和夫。

1932年(昭和7年)、鹿児島県鹿児島市薬師町に7人兄弟の二男として生まれる。

 

父畩市は「稲盛調進堂」という名で印刷工場を経営していた。

西田尋常高等小学校(現在の鹿児島市立西田小学校)、鹿児島中学(現在の鹿児島高等学校)を卒業する。

 

銀行就職を考えたが、周囲の勧めで鹿児島高等学校第三部(旧・県立高等女学校、現・鹿児島県立鶴丸高等学校)へ進学、その後鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校に転校し同校の第一期生として、卒業する。

大阪大学医学部の受験に失敗し、当時新設大学であった鹿児島県立大学(現・鹿児島大学)の工学部応用化学科で、有機化学を専攻した。

 

1955年(昭和30年)、鹿児島県立大学工学部を卒業後、有機化学の教授の紹介でがいしメーカーの松風(しょうふう)工業に入社。

当時の松風工業は、倒産寸前で退職が相次いでいた。

 

1958年(昭和33年)、松風工業を退社する。

1959年(昭和34年)、社員8人で京都セラミツク(現・京セラ)を設立し、1966年(昭和41年)に社長に就任。

 

1969年(昭和44年)、創業12年で大阪証券取引所に株式を上場した。

1973年(昭和48年)、京都セラミックが音頭をとり、ジャパンソーラー・エナジーを設立する。

 

その後、提携企業は撤退し、京セラが単独で事業を継続する。

1984年(昭和59年)には通信事業の自由化に際し、京セラの資金を投入し第二電電 (DDI) を設立(後にケイディディや日本移動通信と合併し、今日のKDDIとなる)。

 

1986年には京セラ会長に就任。

1988年(昭和63年)に会社更生法の適用を申請した、複写機メーカーの三田工業からの要請により、同社を「京セラミタ」として京セラの子会社に編入。

 

9年かけて達成されるはずだった更生計画を、僅か2年で達成する。

1994年5月から1995年5月まで関西経済連合会副会長を務めた。

 

2010年(平成22年)2月、日本航空会長に無報酬で就任する。

『JALフィロソフィ』の策定など積極的な社員の意識改革に取り組み、全従業員の3分の1にあたる1万6千人のリストラを断行して、着任の翌期には営業利益1800億円の高収益企業に生まれかわせることに成功。

 

赤字続きだった日本航空を3年足らずで再上場させた。

その独特な経営管理手法は「アメーバ経営」と呼ばれる。

 

稲盛は全国に支部を持つ盛和塾と、PHP研究所や致知出版社をはじめとする出版社から出版した多数の経営指南書・自己啓発書を通して、アメーバ経営や自らの経営哲学・理念の啓蒙・普及に努めている。

2013年11月、京都府に次世代を担う若者の創造教育の為に20億円を寄付し、2014年に完成した大学施設は稲盛記念会館と名付けられた。

 

 

稲盛和夫・六つの精進

 

「努力」「謙虚」「反省」「感謝」「善行」「感性」

 

 

稲盛会計学 7つの基本原則

 

1 キャッシュベース経営の原則

「キャッシュベース経営の原則」とは、「お金の動き」に焦点をあてて、シンプルな経営を行うことである。現代の会計学では、複雑化する一方であり、経営の実態がわかりにくいものになっている。経営の実態を正しく伝えるという会計の原点に戻るなら、もっとも重要な「キャッシュ」に着目して、それをベースにして正しい経営判断を行うべきである。

2 一対一対応の原則

会社経営においては、必ずモノとお金が動く。その時、モノまたはお金と伝票が、必ず一対一の対応を保たなければならない。この原則を「一対一対応の原則」と呼んでいる。この原則を徹底することによって、毎日の伝票の数字の積み上げが、そのまま会社全体の実際の姿を映し出す数字になる。

3 筋肉質経営の原則

企業を人間の体に例えるなら、ぜい肉(ムダな資産等)のまったくない健全な「筋肉質の企業」をめざすべきである。そのことを「筋肉質経営の原則」と呼び、京セラ会計学のバックボーンと位置づけている。

4 完璧主義の原則

「完璧主義の原則」とは、妥協を許すことなく、あらゆる仕事を完璧にすることを目指すものであり、経営において実践すべき基本的な姿勢である。特に会計においては100%正しい数字が求められる。

5 ダブルチェックの原則

「ダブルチェックの原則」は、経理のみならず、あらゆる分野で、人に罪をつくらせない「保護メカニズム」の役割を果たす。伝票処理や入金処理を一人ではなく必ず複数の人間でチェックするというダブルチェックのシステムは、業務の信頼性と、会社組織の健全性を守ることになる。

6 採算向上の原則

企業会計にとって、自社の採算向上を支えることは、もっとも重大な使命である。京セラでは「アメーバ経営」と呼ばれる小集団独立採算制度を用いることにより、全従業員が採算の向上に貢献している。

7 ガラス張り経営の原則

経営者と社員の信頼関係を構築するためには、会社の置かれている状況を包み隠さず社員に伝えることが必要であり、経営を「透明」なものにしなければならない。経営トップだけでなく、社員にも自社の状況がよく見えるようにすることが大切である。
さらに、会社は、株主、投資家などの外部の関係者に対しても、自社の状況を正しく伝えなければならないだけに、外部に対するフェアーなディスクロージャーが不可欠である。

 

 

稲盛経営12ヵ条

 

(1)事業の目的、意義を明確にする:公明正大で大義名分のある高い目的を立てる。

(2)具体的な目標を立てる:立てた目標は常に社員と共有する。

(3)強烈な願望を心に抱く:潜在意識に透徹するほどの強く持続した願望を持つこと。

(4)誰にも負けない努力をする:地味な仕事を一歩一歩堅実に、弛まぬ努力を続ける。

(5)売上を最大限に伸ばし、経費を最小限に抑える:入るを量って、出ずるを制する。利益を追うのではない。利益は後からついてくる。

(6)値決めは経営:値決めはトップの仕事。お客様も喜び、自分も儲かるポイントは一点である。

(7)経営は強い意志で決まる:経営には岩をもうがつ強い意志が必要。

(8)燃える闘魂:経営にはいかなる格闘技にもまさる激しい闘争心が必要。

(9)勇気をもって事に当たる:卑怯な振る舞いがあってはならない。

(10)常に創造的な仕事をする:今日よりは明日、明日よりは明後日と、常に改良改善を絶え間なく続ける。創意工夫を重ねる。

(11)思いやりの心で誠実に:商いには相手がある。相手を含めて、ハッピーであること。皆が喜ぶこと。

(12)常に明るく前向きに:夢と希望を抱いて素直な心で

 

 

稲盛和夫・従業員をやる気にさせる7つのカギ

 

1. 従業員をパートナーとして迎え入れる

自分と一心同体になって仕事をしてくれる「パートナー」-ともに経営の責任を負う共同経営者として従業員を迎え入れることが必要です。

2. 従業員に心底惚れてもらう

経営者は、社長であるあなたに惚れ込み、どこまでもついてきてくれる従業員をつくり、彼らを幸せにしていかなければならないのです。

3. 仕事の意義を説く

従業員は、自分のやっている仕事に意義を見出せば、気持ちが高ぶり、持てる力を最大限に発揮してくれるはずです。

4. ビジョンを高く掲げる

すばらしいビジョンを共有し、こうありたいと従業員が強く思えば、夢の実現に向かって、どんな障害をも乗り越えようという強大なパワーが生まれてくるのです。

5. ミッションを確立する

従業員のモチベーションを揺るぎないものにする。それが、「ミッション」です。会社の使命や目的を明らかにして、それを従業員と共有します。

6. フィロソフィを語り続ける

高邁な企業の目的を追求していくためには、「私はこういう考え方で経営をしていくつもりだ」ということを皆に話して、それを共有していかなければなりません。

7. 自らの心を高める

経営者は、しっかりとした哲学を学び、自分の器を大きくするように努めるべきです。

 

 

 

稲盛和夫(京セラ・KDDI“au”創業者)の名言・考え方

 

 

「ただ儲けたい」「楽をしたい」ということだけが人生の目的では、経営者自身が真の幸福を得ることはできません。

 

 

人生というドラマにおいては、自分を主役にして脚本を書いた人と、目的意識もなく惰性で生きた人とでは、たいへんな違いができるのです。

 

 

JALの経営再建時、京セラで私が編み出した独自の管理会計システムも導入しましたが、何といっても、哲学が浸透していったことで、幹部、社員は自己犠牲を厭わないようになりました。みんな他人のために喜々として働くようになり、それにつれて業績もみるみる向上していきました。

 

 

私は京セラを立ち上げた際、経営についてはまったくの門外漢でした。それでも、日々様々な経営判断を下さなくてはならない。そこで私は、「人間として何が正しいのか」を判断基準にしました。だからこそ、迷わずに判断をすることができた。

 

 

私が創業した京セラは、もともとは中小零細企業です。私は、社員が希望を持てる会社にしたいという一心でやってきました。それには何が大事かというと「思い」です。それも非常に強い思いが必要になる。

 

 

組織をアメーバと呼ぶ小集団に分けます。各アメーバのリーダーは、それぞれが中心となって自らのアメーバの計画を立て、メンバー全員が知恵を絞り、努力することで、アメーバの目標を達成していきます。そうすることで、現場の社員ひとりひとりが主役となり、自主的に経営に参加する「全員参加経営」を実現しています。

 

 

予期しなかった多くの難問、難題が出てくることでしょう。それを成功させるためには、自分自身を信じ、強烈な願望を抱いて目標を追い続けなければならないのです。そうすれば、夢を実現させることができると、私は信じています。勝算を問われた時、答えに窮するかもしれませんが、それはどうでも良いことです。創造の世界を司るのは、統計数字ではなく、それを創り出す人間の情熱と意志なのです。日本の明治維新でも、またどんな革命でもそうですが、情熱だけが新しい時代を開くことができるのです。

 

 

若い頃は「人生で偉大なことを成し遂げたい」という夢を持つものです。すべての若者がそのような夢を持つように、大いに奨励すべきでしょう。ただ、偉大なことを成し遂げるには、日々、身を粉にして働かなければならないということも若い人たちは理解すべきです。努力が伴わなければ、いくら大きいビジョンでも、単なる夢にとどまってしまいます。努力-意味のある努力をたゆまず続けることなしに、価値ある目標が達成されたことはありません。人生の旅路には近道も、また楽々と飛んでゆける魔法の絨毯などもないのです。自分の足で、一歩ずつ歩いていかなければならないのです。このまどろっこしい、慎重なやり方では、長い道のりを歩き続けるのは不可能に見えるかもしれません。このペースでは偉大なことなど、決して成し遂げることは出来ないと思い始めるかもしれません。それでも、焦ってはいけません。小さな歩みの一歩一歩が積み重なり、相乗効果を生み出していきます。日々の地道な努力が生む小さな成果は、さらなる努力を生み出す原動力となるのです。そしてこの努力は、さらにより大きな結果をもたらします。あきらめずに続けてゆけば、いつか信じられないほどの高みにまで私達を運んでくれるのです。個々の人生においても、企業経営においても、「一歩ずつたゆみなく歩む」ということが、夢の実現に至る、唯ひとつの確実な方法なのです。

 

 

プロジェクトが成功するまで、私はあきらめません。失敗というのは心のあり方なのです。もちろん第一にそのプロジェクトが、本当に価値があると心底納得しない限り、着手しません。だからこそ、いったん着手したら、たとえどんな障害に遭遇しても、あきらめないのです。もしある方法で成功しなければ、成功するための別の方法を追い求め続けるのです。

 

 

人間は、しばしば本能をベースとして判断を行います。しかし、それでは動物と同じです。もし、状況を客観的に見ることができれば、もっと良い意思決定ができるはずです。本能を抑えることが重要なのです。そうすると、心の中に理性が入ってくる隙間が生まれ、論理的に考えることができるようになるのです。問題は、行動をどれだけ理性で、コントロールできるかということです。本能を抑えることは容易なことではありません。人間は本能なしで生きることはできませんし、私は、本能をすべて取り除けと言っているのではないのです。大切なことは、本能に支配されないことです。我々は本能を、意志の力で抑えることができなければならないのです。人間が本能に従うのは自然なことですから、本能を抑えることはたいへん難しく、簡単にできることではありません。必要なことは、利己的な欲望が出てきた瞬間に、それに気付き、意識してそれを抑え込もうと、努力することなのです。本能心をコントロールすることを覚えなければなりません。それが理性を高め、正しい判断を行う能力を与えてくれるのです。

 

 

人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力

 

 

常に「原理原則」に基づいて判断し、行動しなければなりません。常日頃より、原理原則に基づいた判断をしていれば、どんな局面でも迷うことはありません。「原理原則」に基づくということは、人間社会の道徳、倫理といわれるものを基準として、人間として正しいものを、正しいままに貫いていこうということです。人間としての道理に基づいた判断であれば、時間や空間を超えて、どのような状況においてもそれは受け入れられるのです。そのため、正しい判断基準を持っている人は、未知の世界に飛び込んでも決してうろたえたりはしないのです。真の革新者たちが新しい世界を切り開き、開拓することができるのは、彼らが経験豊富であるからではなく、また常識があるからでもありません。それは彼らが本当に崇高な人間の本質を知っており、基本的な原理原則に基づいて判断を下すからなのです。

 

 

前向きの姿勢で 熱意に満ちた努力を重ねれば、たとえ才能に恵まれていなくても、素晴らしい人生を送ることができるようになります。

 

 

強い思い、情熱は成功をもたらします。しかし、それが私利私欲から生じたものであれば、成功は長続きしないでしょう。人間にとって何が正しいかということに対して鈍感になり、自分だけが良ければよいという方向へ突き進み始めるようになると、はじめは成功をもたらしてくれたその情熱が、やがては失敗の原因にもなるのです。理想としては、「私利私欲を捨て、世のため人のために」という形の完全に利他的で純粋な願望を持つことが一番良いことです。ところが、人間にとって、生きるための私利私欲は自己保存のために不可欠なものなのですから、それを完全に捨て去ることはまず不可能です。しかし、一方でその利己的な欲望の肥大化を抑制するために、努力することが必要となってくるのです。せめて、働く目的を「自分のため」から「集団のため」へと変えるべきです。利己から利他へと目的を移すことにより、願望の純粋さが増すことでしょう。

 

 

損益計算書は、経営者の日々の行動を描き出したものなのです

 

 

利益追求の奴隷になってはなりません。むやみに利益を求めるという誘惑に、決して屈服してはならないのです。私たちは正しい方法で利益を得なければなりません。お客様の望まれる質の高い製品を供給するために一生懸命働いて、公明正大に利益を得るのです。一攫千金を図るために卑劣な手段を用いようなどと、夢にも思ってはなりません。石油危機の時、千載一遇のチャンスとばかり、商品を隠匿し、価格を上げた企業もありました。しかし、このように節度を失い、不当な利益をあげた経営者が今日なおそのイスに座っているとは思えないのです。自由な市場における利益は、社会の発展に奉仕した者に対する報酬なのです。

 

 

集団、それはリーダーの人間性を映す鏡なのです

 

 

月並みな言葉ですが、ビジネスで利益をあげる方法は、「お客様によろこんでいただく」こと以外、他にありません。しかし、中には「利益」の本来の意味を誤解して、自らの利益のためだけにビジネスを営む会社もあります。しかしこのような態度は、決してあってはならないことです。ビジネスの基本は、お客様によろこんでもらうことなのです。社外のお客様に喜んでいただくのはもちろんですが、私たちを頼りにしている社内のメンバーからも、よろこんでもらわなくてはなりません。納期に間に合うように一生懸命働くのは、お客様が必要とされる時に製品をお届けするためです。お客様の期待に添い、さらにはそれを超えるような、最高の製品をつくろうとして必死に働くのです。さらにお客様がより多くの利益をあげられるように、私たちは新製品の開発を続けていかなくてはなりません。ビジネス上の行為はすべて、お客様によろこんでいただくという基本に基づいているべきなのです。

 

 

バカな奴は単純なことを複雑に考える。普通の奴は複雑なことを複雑に考える。賢い奴は複雑なことを単純に考える

 

 

私はいつも、「土俵の真ん中で相撲をとれ」と言っています。土俵ぎわに追いつめられるまで待たず、余裕を持っている時に必要な行動を起こせ、という意味です。相撲では、自分の足が土俵ぎわに届いて、今にも土俵の外に放り出されてしまいそうになるまで、何もしない力士を見かけることがあります。そうなってから、本腰を入れて戦い始めるのです。私は、どうして彼らは土俵の真ん中にいるうちに、その力を発揮しないのかと、不思議に思っています。ビジネスにおいても同じことです。土俵の真ん中にいる時は、行動するのに充分な時間と余裕があるので、私たちはリラックスしています。そして、土俵ぎわまで押し込まれてから、慌てて行動を起こすのです。私たちは、常に時間も余裕も全くないつもりになって、実際に押し出されそうになる前に、力を振り絞るようにしなければなりません。余裕が充分ある段階においても、危機感を持ち必要な行動を起こすことが大切です。これが安定した事業の秘訣なのです。

 

 

楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する

 

 

新しい事業を始める際に、もっとも重要だと考えていることがあります。それは、自らに「動機善なりや、私心なかりしか」と問うことです。言い換えれば、そのプロジェクトを始める理由が、利己的な動機ではなく、善意に基づくものであることを確認することです。日本語の「善」という言葉は、誰の目から見ても普遍的に良い、という意味です。自分の利益や便宜、あるいは自分が他人の目に、どのように映るかだけを考えていては、意義のあることを成し遂げることはできません。自他ともにその動機が受け入れられるものでなければならないのです。プロジェクトがいったん開始されると、はその過程が善であるかどうかを自分に問い続けます。もし私たちが不正な行動をとるようなことがあれば、いつかはその代償を支払わなければならないからです。プロジェクトを実行していく過程も、人の道を外れるものであってはならないはずです。言い換えれば「私心なかりしか」という問いかけが必要なのです。自己中心的な動機で設立された企業は、従業員の信頼も献身も得ることはできません。動機が善であり、実行過程が善であれば、結果を心配する必要はないのです。

 

 

運の悪い人というのは、自分を棚に上げて人の批判ばかりしています。そういう人は、知らず知らずに運を悪くしています。

 

 

何を事業の目的とするか、ということは非常に大切なことです。私はその目的は、人間としてもっとも崇高な願望でなければならないと、信じています。なぜ次元の高い目的が必要なのでしょうか。事業を運営するためには、情熱を持ち、エネルギーのレベルを高く維持しなくてはなりません。しかし金銭欲や名誉欲は、罪悪感を伴い、たいへんなエネルギーを消費します。そのような罪悪感は、今しなければならない仕事に対する、エネルギーのレベルを下げてしまうのです。人間というのは弱い生き物なので、自分の意欲を高めてくれるような動機が必要なのです。自分だけでなく、ほかの人たちにも最上だと思ってもらえるような、目的を持たなければなりません。誰にでも誇りを持って話せるような、素晴らしい目的を持っていれば、恐れや罪悪を感じることなく、エネルギーのレベルを上げることができるのです。これが、事業の目的は最高の道徳水準に従ったものであるべきだ、という理由のひとつです。事業の目的は、まさに経営者の哲学の反映です。ほとんどの場合、必死に努力をすれば一時的に成功することができますが、もし経営者の思想が歪んでいれば、結局は事業を失敗させることになるのです。人生についての見方、考え方を純化し、高めることができて初めて、同じ過ちを繰り返したり、手にした成功を失ったりすることがなくなるのです。

 

 

「天職」とは出会うものではなく、自らつくり出すものなのです。

 

 

商いとは、 信用を積み重ねてゆくことです。事実、私たちを信じてくれるお客様が増えていきますと、ビジネスにも多くを期待できるようになるのです。私は、まだこれ以上のものがあると思っています。もちろん信用は不可欠です。いい品物を安く、正確な納期で、そして素晴らしい奉仕の精神でお客様に提供することで、信用は得られます。しかし、もし売る側に高い道徳観や人徳があれば、信用以上のものが得られるのです。お客様から「尊敬」されるようになるのです。私は、商売の極意とは、お客様の尊敬を得ることだと思います。お客様から尊敬されれば、たとえ、ほかの会社が安い価格を提示しても買ってくださるでしょう。徳性があるということは、優れた価格、品質、納期などを提供すること以上のものを意味するのです。ビジネスをする人間が身につけるべきは「哲学」なのです。言い換えれば、人を自然に敬服させる器量なのです。この資質を身につけることを学ばなければ、大きな事業を進めることはできません。お客様の尊敬を得ることが、長期にわたる事業の成功につながるのです。

 

 

常に明るさを失わず努力する人には、神はちゃんと未来を準備してくれます。

 

 

私は、新しい事業を始める時に、疑問や不安を抱いたことは一度もありません。だからといって、いつも順調な航海を期待している訳ではありません。実際のところ、一歩進むごとに壁に当たることを予想しています。しかし私は一抹の不安も抱きません。それは、事業が成功することも、成功へ至るプロセスも、明確に見えていなければ、決してその事業に着手しないからです。行く手にどんな障害が待ち受けていて、どのような道を通れば、その障害を避けてゴールにたどり着けるかということが、すべて心の中に思い描けているということこそ、成功の条件なのです。初めて行う仕事であっても、いざ着手する時には、あたかも以前に経験した気がするほど、 熟知した状態でなければなりません。そのためには、寝ても覚めても、常にテーマに意識を集中し、考え続ける必要があります。疑問が一点も残らないほど、起こり得るあらゆる細目を考え抜くのです。クリアな映像になるまで頭の中で繰り返し繰り返しシミュレーションを行うのです。私は、これを自分の考えているテーマが、カラー映像で見えるようになるまで続けます。

 

 

会計システムを確立し、原価、費用などの細かい数字を把握し、経費を最小限に抑えることで利益をあげることが会社継続の源泉。

 

 

ビジネスを成功させるためには、夢を抱いてその夢に酔うということがまず必要です。一般的には、事業を行う場合には、「自分の夢に酔ってはいけない」と、よく言われます。なぜならビジネスを成功させるためには、緻密な収支計算や慎重な計画が必要だからです。自分自身の目標に酔ったような状態で事業を起こしてはいけない、と忠告してくれる人たちは、夢に酔うと無謀で向こう見ずになるかもしれないと、危ぶんでいるのでしょう。しかし、事業を始め、困難にぶつかっても、あきらめずにそれを成功させるには、夢が、また強い情熱が絶対に必要だと、私は信じています。夢に酔っていればこそ、それを実現させる情熱が湧いてくるのです。当然のことながら、実際にその事業に着手したら、いつまでも夢に酔っているのではなく、すぐに「しらふ」の状態に戻らなければなりません。スタートした瞬間から、理性的に判断し、無用な危険を避け、実際的な方策について考え尽くし、仕事を成功に導くようにしなければならないのです。

 

 

人生というものを一言で言えば、心を高めるプロセスである

 

 

自然界で生き残るには、凄まじい闘争心が必要です。でも、闘争心をどこに向かわせるべきなのかで、経営者は勘違いしやすい。対象にすべきなのは、決して競争相手ではないのです。もちろんビジネスなので、同業者との競争にも勝たなければならない。でもその前に、ジャングルの中ではまず自分自身が必死に生きなくてはならない。相手を殺すために戦うのではなく、自分が生き伸びるために戦うのです。もはや企業間の競争は「弱肉強食」ではありません。「適者生存」こそ真理です。滅びる企業は競争相手に負けたのではなく、日々刻々と変わっている環境にうまく適応できかったというだけのことです。

 

 

世の中に失敗というものはない。チャレンジしているうちは失敗はない。諦めた時が失敗である。

 

 

人間として何が正しいかという判断基準は、人間が本来持つ良心に基づいた、最も基本的な倫理観や道徳観です。「欲張るな」「騙してはいけない」「嘘を言うな」「正直であれ」など、誰もが子供の頃に両親や先生から教えられ、よく知っている、人間として当然守るべき、単純でプリミティブな教えです。日常の判断や行動においては、こうした教えに基づき、自分にとって都合がよいかどうかではなく、「人間にとって普遍的に正しいことは何か」ということから判断していかなければなりません。

 

 

 

「京セラ株式会社」の沿革・歴史(年表・社歴など)

 

 

1959年4月京都市中京区西ノ京原町101番地に本社並びに工場を4月1日付で設立(資本金300万円、従業員28名)。ファインセラミックスの専門メーカー「京都セラミック株式会社」として創業

1960年4月東京に出張所を開設

1963年5月滋賀工場(現・滋賀蒲生工場)を新設

1968年3月(社)中小企業研究センターより優良中小企業として第1回中小企業研究センター賞(現・グッドカンパニー大賞)を受賞

1968年8月米国カリフォルニア州に駐在員事務所を開設

1969年7月鹿児島工場(現・鹿児島川内工場)を新設

米国現地法人Kyocera International, Inc.を設立

1971年 1月ドイツにFeldmuhle社と、合弁会社(現・Kyocera Fineceramics GmbH)を設立

1971年10月大阪証券取引所市場第2部、京都証券取引所に株式を上場

1972年3月「大規模集積回路用セラミック多層パッケージの開発」により第18回大河内記念生産特賞を受賞

1972年7月京都市山科区に新社屋を建設、本社を移転

1972年9月東京証券取引所市場第2部に株式を上場

1972年10月鹿児島国分工場を新設

1974年2月東京証券取引所および大阪証券取引所市場第1部に指定替え

1974年 4月「電子回路用セラミック積層技術の開発」により、第16回科学技術庁長官賞を受賞

1975年7月Kyocera International, Inc.の本社および工場を米国サンディエゴに移転

1976年7月京セラ子女海外研修ツアーを開始

1977年12月香港現地法人Kyocera(Hong Kong)Ltd.(現・Kyocera Asia Pacific Pte. Ltd.)が営業開始

1979年9月サイバネット工業(株)に資本参加

1979年10月総合研究所(現・ものづくり研究所)を鹿児島国分工場内に開設

1979年12月鹿児島エレクトロニクス(株)を設立

1980年8月滋賀八日市工場を新設

1982年10月サイバネット工業(株)など関連会社4社を10月1日付で合併し、新社名を「京セラ株式会社」とする

1983年4月鹿児島エレクトロニクス(株)を合併し、鹿児島隼人工場とする

1983年10月(株)ヤシカを合併

1984年4月「京都賞」顕彰事業などをおこなう(財)稲盛財団(現・公益財団法人稲盛財団)設立を支援

1984年6月ウシオ電機(株)、セコム(株)、ソニー(株)、三菱商事(株)等24社と第二電電企画(株)(第二電電(株)を経て、KDDI(株))を設立

1984年8月千葉県佐倉市にソーラーエネルギーセンターを新設

1986年5月ドイツにKyocera Electronics Europe GmbH(現・Kyocera Document Solutions Deutschland GmbH)を設立

1987年1月米国にKyocera America, Inc.およびKyocera Electronics, Inc.を設立

1987年9月メキシコにKyocera Mexicana, S.A. de C.V.を設立

1989年8月エルコグループが京セラグループに参加

1990年1月AVXグループが京セラグループに参加

1990年 3月米国にKyocera Industrial Ceramics Corp.を設立

1991年10月京セラ環境憲章を制定

1994年1月京セラ、任天堂等20社の出資により、(株)京都パープルサンガを設立

1995年3月神奈川県横浜市に横浜R&Dセンター(現・横浜事業所)を設立し、東京中央研究所を移管

1995年7月京都府相楽郡の関西文化学術研究都市に中央研究所(現・けいはんなリサーチセンター)を設立、中国に東莞石龍京セラ光学有限公司(現・東莞石龍京セラ有限公司)を設立

1995年9月京セラコミュニケーションシステム(株)を設立、鹿児島県隼人町(現・霧島市)にホテル京セラを開業
1995年12月中国に上海京セラ電子有限公司を設立

1996年9月(株)京セラソーラーコーポレーションを設立

1998年8月京都市伏見区に新本社ビルを建設し、本社を移転

2000年1月三田工業(株)が京セラミタ(株)(現・京セラドキュメントソリューションズ(株))となり、京セラグループに参加

2000年2月米国にKyocera Wireless Corp.を設立

2000年10月第二電電(株)、KDD(株)、日本移動通信(株)が合併し、(株)ディーディーアイ(現・KDDI(株))が発足

2001年1月Tycom Corp.(現・Kyocera Precision Tools, Inc.)が京セラグループに参加

2001年3月2001年3月期京セラグループの売上高が1兆円を突破

2002年 4月プリンタ事業を京セラミタ(株)(現・京セラドキュメントソリューションズ(株))に統合

2002年8月東芝ケミカル(株)が京セラグループに参加

2003年1月中国に京セラ(天津)商貿有限公司(現・京セラ (中国) 商貿有限公司)を設立

2003年5月中国に京セラ(天津)太陽エネルギー有限公司を設立

2003年6月執行役員制導入

2003年8月キンセキ(株)を完全子会社化、京セラSLCテクノロジー(株)(後の京セラサーキットソリューションズ(株))を設立

2004年1月米国にKyocera Electronic Devices, LLCを設立

2004年2月(株)ホテルプリンセス京都(ホテル日航プリンセス京都)が京セラグループ入り

2004年4月京セラの有機材料部品事業を京セラSLCテクノロジー(株)に統合

2004年9月日本メディカルマテリアル(株)(後の京セラメディカル(株))を設立

2006年1月韓国に京セラ韓国(株)を設立

2006年8月中国に上海京セラ商貿有限公司を設立

2006年12月中国に京セラ企業管理諮詢(上海)有限公司を設立

2007年9月KDDI(株)、インテルコーポレーション、東日本旅客鉄道(株)、(株)大和証券グループ本社、(株)三菱東京UFJ銀行とともにワイヤレスブロードバンド企画(株)(現・UQコミュニケーションズ(株))へ出資

2008年4月三洋電機(株)の携帯電話事業等を承継

2009年1月TA Triumph-Adler AGが京セラグループに参加

2009年4月米国Kyocera Wireless Corp.の営業、マーケティング、サービスの各部門とKyocera Sanyo Telecom, Inc.を統合し、新たにKyocera Communications, Inc.とする

2009年8月インドにKyocera Asia Pacific (India) Pvt. Ltd.を設立

2010年2月創業者稲盛和夫が日本航空(JAL)再建に着手

2010年3月滋賀野洲事業所(現・滋賀野洲工場)内に、太陽電池セルの工場を竣工

2010年6月ソニーモバイルディスプレイ(株)の野洲事業所のTFT液晶ディスプレイ事業を承継

2011年4月KCCSモバイルエンジニアリング(株)を設立

2011年7月ユニメルコグループ(現・Kyocera Unimerco A/S)が京セラグループに参加

2011年8月ベトナムにKyocera Vietnam Management Company Limited(現・Kyocera Vietnam Co., Ltd.)を設立

2012年2月オプトレックス(株)が京セラグループに参加

2012年6月インドに切削工具の製造を行うKyocera CTC Precision Tools Private Limitedを設立

2012年9月創業者稲盛和夫が再建してきた日本航空(JAL)が再上場を実現。

2013年10月凸版NEC サーキットソリューションズ(株)が京セラグループに参加

2015年9月日本インター(株)が京セラグループに参加

2016年4月(株)京セラソーラーコーポレーションの太陽光発電機器の販売事業ならびに京セラサーキットソリューションズ(株)、京セラケミカル(株)を京セラ(株)に統合

2016年7月北米の関連会社4社をKyocera International, Inc.に統合

2017年4月京セラメディカル(株)、京セラクリスタルデバイス(株)、京セラコネクタプロダクツ(株)を京セラ(株)に統合

2017年8月Senco Holdings, Inc.(現・Kyocera Senco Industrial Tools, Inc.)が京セラグループに参加

2017年9月「プラズマCVM技術を応用した超小型水晶振動子の開発」により「第42回 井上春成賞」を受賞

2018年1月リョービ(株)の電動工具事業を承継し、京セラインダストリアルツールズ(株)を設立

2018年10月京セラディスプレイ(株)、京セラオプテック(株)を京セラ(株)に統合

 

 

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