「清水建設株式会社」の経営理念・企業理念(ビジョン・ミッション・バリュー・スローガン・指針・方針など)
「清水建設株式会社」の社是
「論語と算盤」
「清水建設株式会社」の経営理念
真摯な姿勢と絶えざる革新志向により社会の期待を超える価値を創造し持続可能な未来づくりに貢献する
「清水建設株式会社」の創業者・創立者『清水喜助』~生い立ち・名言・創業の想い・考え方など~
「初代」清水喜助(清水建設創業者)
初代清水喜助。
清水喜助は、天明3(1783)年、越中小羽(現・富山県富山市小羽)の農家に生まれました。
幼少時から手先が器用だった喜助は、故郷で大工職の修行を積み、その後江戸を目指します。
途中、宇都宮の大工棟梁・鈴木三右衛門の元に身を寄せ、日光東照宮の修理工事に参加。
三右衛門の娘と結婚し、ともに江戸へ出ました。
文化元(1804)年、喜助21才の時、神田鍛冶町の絵草紙屋裏店で大工業を開業。
その後、「清水屋」の屋号で、神田新石町(現・内神田三丁目)の表通りに店をだす。
丹後宮津藩本庄家の御用達大工となり、1838年(天保9年)には、江戸幕府の命により江戸城西ノ丸造営の一工区を請け負う。
それ以来、彦根藩井伊家、佐賀藩鍋島家の御用達も務める。
このとき喜助は越中から呼び寄せた弟子の藤沢清七とともに御用を務めた。
1849年(嘉永2年)には、江戸・牛込の高田八幡宮隨身門の工事を完成。
こうした実績を重ねつつ、喜助は神祇伯白川神道の門人神拝次第を伝授され、「日向」の国名を名乗ることと、上棟式には風折烏帽子に祭事用装束の着用が認められた。
つづいて1851年(嘉永4年)には、上野輪王寺宮から「出雲」の国名と熨斗目の着用、非常時には帯刀を許されるまで出世した。
1858年(安政5年)、200年以上に及ぶ長い鎖国が解かれ、幕府はその翌年に神奈川、長崎、箱館を開港。喜助は経営者として時代の転換をとらえ、素早く開港場建設に参加した。
当時、小さな漁村であった横浜は役所や役宅、商人たちの事務所や店舗などの建設ラッシュに沸いており、喜助は横浜坂下町にも支店を構え、清七にこの店を任せた。
喜助は老齢であったが、仕事に注ぐ情熱は衰えず、江戸と横浜を頻繁に往復した。
1859年(安政6年)5月、永眠。
「二代」清水喜助
二代清水喜助となる藤沢清七は越中国礪波郡井波(現・富山県南砺市井波)出身。
清七は小間物商の子として生まれたが、幼少の頃から社寺建築に親しみ、やがては大工を天職と決め、天保年間に初代喜助を頼って江戸にでた。
初代喜助は江戸城西ノ丸の造営に参加するにあたり、22歳の藤沢清七を引き連れている。
清七は、西ノ丸の造営に参加した翌年、初代喜助に認められ、長女ヤスの婿として迎えられた。
その後、43歳の時に、清七が二代を継ぎ、清水喜助清矩を名乗った。
二代清水喜助は開港の翌々年にあたる1861年(文久元年)に神奈川役所定式普請兼入札引受人に指名された。
1862年にデント商会の代理人を務めるロレイロの事務所兼住宅を施工した。
外国人技術者の下で働くようになり、ブリジェンスやウィットフィールドなどから西洋建築を学ぶようになった。
1866年(慶応2年)には横浜新田北方製鉄所、翌年には神奈川ドイツ公使館を請け負い、1870年(明治3年)には、東京開市場に築地ホテル館を経営するかたわら横浜居留地商館14番館以下の6館、次いで横浜で明治政府から外国人応接所を請け負うなどしている。
また、棟梁・親方として生きた初代清水喜助と違って、二代清水喜助は1859年(安政6年)に開いた横浜店を任され、材木商、金物の販売や、後には貸家業、唐物といわれた洋品の店を経営し事業家としても成長した。
1863年(文久3年)、二代清水喜助は江戸の隅田川ほとりにある三圍稲荷内社殿を完成させている。
三圍稲荷は越後屋三井(のちの三井財閥)の守護神とされているもので、これを契機に番頭である三野村利左衛門に知られ三井組の建築を請け負うようになる。
さらに、三野村利左衛門の紹介により、のちに清水組の相談役になる渋沢栄一の知遇を得る。
三井組とのつながりは、その後長い期間にわたって多くの工事案件を清水組にもたらし、資金融資面でも支援を受けた。
1868(慶応4)年、二代喜助は外国人専用の洋風ホテル・築地ホテル館を完成させる。
1872(明治5)年には日本初の銀行建築である三井組ハウス(後の第一国立銀行)、1874(明治7)年には為替バンク三井組をいずれも和風と洋風を組み合わせた「擬洋風建築」という新しい建築様式を用いて完成させた。
これらの建物はいずれも東京の名所となり、多数の錦絵に描かれたことで全国に擬洋風建築が広まる契機となった。
1881年(明治14年)8月9日、65年の生涯を閉じた。
「初代」清水喜助(清水建設創業者)の名言・考え方
誠心誠意、心を込めて仕事に取り組み、良いものをつくって信頼されること
「清水建設株式会社」の沿革・歴史(年表・社歴など)
1804
文化元年 初代清水喜助、江戸・神田鍛冶町で創業
1838
天保9年初代喜助、江戸城西丸造営に参加
1849
嘉永2年江戸牛込・高田八幡宮(穴八幡宮)隨身門 竣工
1859
安政6年開港場横浜に進出
藤沢清七、清水喜助を襲名。二代店主に就任
1868
慶応4年 日本の本格的ホテルの第一号「築地ホテル館」竣工
1872
明治5年 第一国立銀行(旧三井組ハウス) 竣工
1874
明治7年 為替バンク三井組 竣工
横浜・吉田町に店宅を新築
1878
明治11年横浜外国人居留地下水道改良工事着手
1881
明治14年 清水満之助、三代店主に就任
1883
明治16年横浜・吉田町の店宅を本店とする
1884
明治17年 東京・深川島田町に貯木場と木材切組場を開設(後に東京木工場)
1885
明治18年 手斧始(ちょうなはじめ)挙行
1886
明治19年 設計部の前身、製図場の発足
工学士坂本復経(またつね)、初代技師長に就任
清水満之助、坂本復経を伴い欧米の建設事情視察
1887
明治20年満之助の急逝を受け、長男喜三郎が清水満之助を襲名。四代店主となる
渋沢栄一、相談役に就任。経営指導を仰ぐ
原林之助、支配人に就任。初の営業規則制定
日本初の工事請負契約書を取り交わす
1889
明治22年カネキ(カネキ)工商会発足
1891
明治24年名古屋出張所を開設(後に名古屋支店)
1892
明治25年東京・日本橋本石町店を本店、横浜店を支店に改める
原林之助、造家(ぞうか)学会(現 日本建築学会)において建築家以外で初講演
1893
明治26年京都出張所を開設、関西方面に進出
1894
明治27年大阪出張所を開設(後に関西支店)
1897
明治30年韓国に進出
1899
明治32年台湾に進出
1901
明治34年清水釘吉(ていきち)渡米、建築家ダニエル・ハドソン・バーナム訪問
1903
明治36年創業100年、東京市京橋区南鞘町に本店完成、「丸喜」のマーク使用開始
1906
明治39年博多出張所を開設(後に九州支店)
1907
明治40年 三菱鉱業高島炭坑端島坑(通称軍艦島)の建設
1909
明治42年支配人原林之助と技師田邊淳吉、渡米実業団に参加
1910
明治43年 日本初の本格的鉄骨構造建築 丸善本店ビル 竣工
1911
明治44年支配人原林之助、横河民輔らとともに建築業有志協会(現 日本建設業連合会)を設立
1915
大正4年個人経営を改め、合資会社清水組に改組
清水釘吉(ていきち)、五代店長に就任
大連出張所を開設、中国大陸に進出
1916
大正5年 営業規定と店員心得制定、工事長制度誕生
1917
大正6年小樽出張所を開設、北海道に進出
1919
大正8年店員5名、アメリカのフラー社に留学
金沢出張所を開設(後に北陸支店)
神戸出張所を開設(後に神戸支店)
1920
大正9年広島出張所を開設(後に広島支店)
仙台出張所を開設(後に東北支店)
1921
大正10年建築家辰野金吾の遺作となる第一生命保険本館(相互館) 竣工
1923
大正12年 関東大震災 被害調査・復興活動
震災により南鞘町本店焼失、実業之日本社ビルに仮本社を構える
高松出張所を開設(後に四国支店)
1924
大正13年木製框(かまち)式堰板型枠の実用新案を取得
1926
大正15年仮本社を丸ノ内ビルヂングに移す
1929
昭和4年工学博士佐野利器、副社長に就任、近代化に取り組む
本格的な機械化施工を取り入れた三井本館 竣工
1930
昭和5年土木部新設による土木事業への本格的参入
1932
昭和7年東京市京橋区宝町に本社完成
1934
昭和9年北海道出張所(札幌)を開設(後に北海道支店)
1936
昭和11年「七五三丸喜」を正式に社章として制定
矢作(やはぎ)水力泰阜(やすおか)発電所 竣工
1937
昭和12年株式会社清水組設立、合資会社清水組を合併
1938
昭和13年 潜函工法を採用した第一生命保険本館 竣工
1939
昭和14年清水式無音無震動基礎杭工法、フラッシュバット式電気溶接法を開発
1940
昭和15年 清水康雄、六代社長に就任
1944
昭和19年設計部に建設業界初の「研究課」を創設(技術研究所の前身)
1946
昭和21年清水組職員組合を結成
千葉出張所を開設(後に千葉支店)
1948
昭和23年清水建設株式会社に社名を変更
1950
昭和25年沖縄米軍基地工事契約に調印、梱包工事を受注
歌舞伎座改修
1952
昭和27年 日本初の全溶接鉄骨造 日本相互銀行本店 竣工
1953
昭和28年創業150年、『清水建設百五十年』発刊
1954
昭和29年世界平和記念聖堂 竣工
1959
昭和34年日本初の商業用原子力発電所(日本原子力発電東海発電所)建設工事を受注
ル・コルビュジエ設計の国立西洋美術館 竣工
1960
昭和35年 研究部を研究所に改称
清水建設全国連合兼喜会結成
株式の店頭公開
1962
昭和37年東京証券取引所市場第一部に上場
1964
昭和39年 日本初の高張力による吊り屋根構造 国立屋内総合競技場主体育館 竣工
1966
昭和41年 吉川清一、七代社長に就任
1967
昭和42年 広島原爆ドーム保存
1968
昭和43年当社戦後初の海外請負工事(東パキスタン・チッタゴン漁港建設工事)を受注
1969
昭和44年 日本初のLNG地下タンク(東京ガス根岸LNG基地)工事第1号基を受注
1971
昭和46年 不動産本部新設、デベロッパー事業に進出
当社初の超高層朝日東海ビル 竣工
1972
昭和47年 野地紀一、八代社長に就任
東京都江東区越中島に研究所・計算センター 完成
1973
昭和48年創業170年、『清水建設百七十年』発刊
1974
昭和49年シンガポールに営業所を開設
1975
昭和50年 スウェーデン・スカンスカ社から岩盤内石油類貯蔵技術を導入
1978
昭和53年エンジニアリング部新設、「エンジニアリング・コンストラクター・シミズ」を掲げ、EC化を推進
TQC(全社的品質管理)導入宣言
1980
昭和55年 東大寺金堂(大仏殿)昭和大修理
1981
昭和56年 吉野照蔵、九代社長に就任
1983
昭和58年創業180年
鉄骨造と鉄筋コンクリート構造のハイブリッド構法「シミズRCSS構法」を開発
1984
昭和59年長期ビジョン「SPRING計画」策定
大規模海外プロジェクト イラクハイライズ 竣工
『清水建設百八十年』発刊
1985
昭和60年建設業界初の産業廃棄物取扱要領を制定
1987
昭和62年 アイマーク、コーポレートカラーを制定
宇宙開発室新設、建設業界で初の宇宙開発事業への取り組みを開始
1989
平成元年「宇宙ホテル構想」を発表
1990
平成2年 今村治輔、十代社長に就任
1991
平成3年新長期ビジョン「SHIMZ-21」策定
東京都港区芝浦にシーバンス竣工、本社を移転
地球環境室新設、清水地球環境憲章を制定
全天候型ビル自動施工システム「スマートシステム」を開発、十六銀行名古屋ビル工事に採用
1992
平成4年東京支店、関東支店、土木東京支店を設置
1995
平成7年阪神・淡路大震災 被害調査・復興活動
DNタワー21(第一・農中ビル) 竣工
1996
平成8年エンジニアリング本部ISO9001認証取得
国立西洋美術館に日本初の免震レトロフィットを適用
1997
平成9年全支店にビルライフケアセンターを設置
東京湾アクアライン川崎トンネル浮島南工区 竣工
1998
平成10年世界初の埋設式地下貯槽(東京ガス扇島工場) 竣工
エンジニアリング本部、ISO14001認証取得
1999
平成11年 野村哲也、十一代社長に就任
執行役員制度を導入
建築・土木事業部門でISO14001認証取得
日本初のPFI事業(東京都水道局金町浄水場)を受注
2000
平成12年新長期ビジョン「S・WingNX」(スウィングネクスト)策定
山王パークタワー 竣工
2001
平成13年国立オランダ応用科学研究所と土壌・地下水浄化技術で提携
2002
平成14年川崎に土壌洗浄プラント事業所を開設
世界初のコンクリート資源循環システムを開発
2003
平成15年創業200年、『清水建設二百年』発刊
技術研究所新本館 完成
2004
平成16年事業方針「LCV(ライフサイクルバリュエーション)」発表
2006
平成18年一面吊りPC斜張橋として世界最長の支間を持つバイチャイ橋(ベトナム) 竣工
2007
平成19年宮本洋一、十二代社長に就任
チャンギ国際空港第3ターミナル(シンガポール) 竣工
2008
平成20年 コーポレートメッセージ「子どもたちに誇れるしごとを。」発表
海洋未来都市構想「GREEN FLOAT」発表
モード学園コクーンタワー 竣工
公開講座「シミズ オープン アカデミー」を開講
2009
平成21年世界初の表層メタンハイドレートのガス回収実験に成功
2010
平成22年長期ビジョン「Smart Vision2010」策定
2011
平成23年東日本大震災 被害調査・復興活動
国内初の屋内型木製走路自転車競技場 伊豆ベロドローム 竣工
2012
平成24年 東京都中央区京橋に本社ビル 完成
ecoBCP推進室 設置
2013
平成25年ISO22301、ISO50001 を国内で初めてエリアとして取得(京橋エリア)
GINZA KABUKIZA 竣工
日本初のZEB(ゼロ・エネルギービル)生長の家 “森の中のオフィス” 竣工
出雲大社本殿 修理・保存
2014
平成26年正倉院 修理・保存
2015
平成27年技術研究所に先端地震防災研究棟 完成
東アジア最長のトンネル パハン・セランゴール導水トンネル(マレーシア) 竣工
大型太陽光発電施設 ユーラス六ヶ所村ソーラーパーク 稼働開始
2016
平成28年井上和幸、十三代社長に就任
熊本地震 被害調査・復興活動
2017
平成29年ものづくり研修センター 開所 ものづくり研修センター 開所
次世代型生産システム「シミズ・スマート・サイト」を開発
2018
平成30年シミズ・オープン・アカデミー開講10年 シミズ・オープン・アカデミー開講10年
東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会 オフィシャルサポーター契約を締結
2019
令和元年新長期ビジョン「SHIMZ VISION 2030」策定
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