「ソニー株式会社」の始まりと原点!~経営理念・企業理念/創業者・創立者『井深大』/沿革・歴史など~

「ソニー株式会社」の始まりと原点!~経営理念・企業理念/創業者・創立者『井深大』/沿革・歴史など~

 

「ソニー株式会社」の経営理念・企業理念(ビジョン・ミッション・バリュー・スローガン・指針・方針など)

 

 

Sony’s Purpose & Values(ソニー存在意義と価値観)

 

Purpose(存在意義)

クリエイティビティとテクノロジーの力で、世界を感動で満たす。

 

Values(価値観)

夢と好奇心:夢と好奇心から、未来を拓く。

多様性:多様な人、異なる視点がより良いものをつくる。

高潔さと誠実さ:倫理的で責任ある行動により、ソニーブランドへの信頼に応える。

持続可能性:規律ある事業活動で、ステークホルダーへの責任を果たす。

 

 

 

ソニー会社設立の目的(創業者井深大)

 

一、真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設

一、日本再建、文化向上に対する技術面、生産面よりの活発なる活動

一、戦時中、各方面に非常に進歩したる技術の国民生活内への即事応用

一、諸大学、研究所等の研究成果のうち、最も国民生活に応用価値を有する優秀なるものの迅速なる製品、商品化

一、無線通信機類の日常生活への浸透化、並びに家庭電化の促進

一、戦災通信網の復旧作業に対する積極的参加、並びに必要なる技術の提供

一、新時代にふさわしき優秀ラヂオセットの製作・普及、並びにラヂオサービスの徹底化

一、国民科学知識の実際的啓蒙活動

 

 

 

ソニー経営方針(創業者井深大)

 

一、不当なる儲け主義を廃し、あくまで内容の充実、実質的な活動に重点を置き、いたずらに規模の大を追わず

一、経営規模としては、むしろ小なるを望み、大経営企業の大経営なるがために進み得ざる分野に、技術の進路と経営活動を期する

一、極力製品の選択に努め、技術上の困難はむしろこれを歓迎、量の多少に関せず最も社会的に利用度の高い高級技術製品を対象とす。また、単に電気、機械等の形式的分類は避け、その両者を統合せるがごとき、他社の追随を絶対許さざる境地に独自なる製品化を行う

一、技術界・業界に多くの知己(ちき)関係と、絶大なる信用を有するわが社の特長を最高度に活用。以(もっ)て大資本に充分匹敵するに足る生産活動、販路の開拓、資材の獲得等を相互扶助的に行う

一、従来の下請工場を独立自主的経営の方向へ指導・育成し、相互扶助の陣営の拡大強化を図る

一、従業員は厳選されたる、かなり小員数をもって構成し、形式的職階制を避け、一切の秩序を実力本位、人格主義の上に置き個人の技能を最大限に発揮せしむ

一、会社の余剰利益は、適切なる方法をもって全従業員に配分、また生活安定の道も実質的面より充分考慮・援助し、会社の仕事すなわち自己の仕事の観念を徹底せしむ。

 

 

 

 

「ソニー株式会社」の創業者・創立者『井深大』~生い立ち・名言・創業の想い・考え方など~

 

 

井深大(ソニー創業者)

 

1908年、栃木県上都賀郡日光町(現在の日光市)に生まれる。

祖先は会津藩の家老であり、親戚には飯盛山で自刃した白虎隊の井深茂太郎や明治学院総理を歴任した井深梶之助、ハンセン病に一生を捧げカトリック看護師協会の会長を歴任した井深八重がいる。

 

2歳の時、青銅技師で水力発電所建設技師であった父、甫の死去に伴い、愛知県安城市に住む祖父のもとに引き取られる。

母と共に5歳から8歳まで東京に転居、その後は再び愛知県へ戻り、安城第一尋常小学校(現在の安城市立安城中部小学校)卒業。

 

のちに再婚した母に従い、母の嫁ぎ先の神戸市葺合区(現在の中央区)に転居。

兵庫県立第一神戸中学校(現兵庫県立神戸高等学校)、第一早稲田高等学院、早稲田大学理工学部卒業。学生時代から奇抜な発明で有名であった。

 

早稲田大学時代にキリスト教徒の恩師山本忠興の影響で日本基督教会(現・日本基督教団)富士見町教会に通うようになり、洗礼を受けてキリスト教徒になる。

卒論は「変調器としてのケルセル 附光線電話」。

 

東京芝浦電気(現在の東芝)の入社試験を受けるも不採用。

大学卒業後、写真化学研究所(Photo Chemical Laboratory、通称:PCL)に入社、取締役であった増谷麟の屋敷に下宿する。

 

学生時代に発明し、PCL時代に出品した「走るネオン」という製品がパリ万国博覧会で金賞を獲得。

後に日本光音工業に移籍。

 

その後、日本光音工業の出資を受けて、日本測定器株式会社を立ち上げて、常務に就任した。

日本測定器は軍需電子機器の開発を行っていた会社であり、その縁で戦時中のケ号爆弾開発中に盛田昭夫と知り合う。

 

敗戦翌日に疎開先の長野県須坂町から上京し、2か月後の1945年(昭和20年)10月、東京・日本橋の旧白木屋店内に個人企業東京通信研究所を立ち上げる。

後に朝日新聞のコラム「青鉛筆」に掲載された東京通信研究所の記事が盛田昭夫の目に留まり、会社設立に合流する。

 

翌年5月に株式会社化し、資本金19万円で、義父の前田多門(終戦直後の東久邇内閣で文部大臣)が社長、井深が専務(技術担当)、盛田昭夫が常務(営業担当)、増谷麟が監査役、社員20数人の東京通信工業(後のソニー)を創業。

以来、新しい独自技術の開発に挑戦し、一般消費者の生活を豊かに便利にする新商品の提供を経営方針に活動を展開。

 

そして、多くの日本初、世界初という革新的な商品を創りだし、戦後日本経済の奇跡的な復興、急成長を象徴する世界的な大企業に成長していった。

 

 

井深大の略歴

 

1946年(昭和21年):東京通信工業(後のソニー)株式会社を創業し、代表取締役専務に就任

1950年(昭和25年):東京通信工業(後のソニー)代表取締役社長に就任

1951年(昭和26年):テープレコーダーを発売

1955年(昭和30年):トランジスタラジオを発売

1958年(昭和33年):それまで商標名としていたSONYを商号に採用し、ソニー株式会社に商号変更

1961年(昭和36年):トランジスタテレビを発売

1962年(昭和37年):日本映画・テレビ録音協会初代名誉会員に選出

1964年(昭和39年):家庭用ビデオ・テープレコーダーを発売

1968年(昭和43年):日本テキサス・インスツルメンツ株式会社 初代 代表取締役社長に就任

1971年(昭和46年):ソニー代表取締役会長に就任

1972年(昭和47年):国鉄理事に就任

1976年(昭和51年):ソニー取締役名誉会長に就任、発明協会会長に就任

1977年(昭和52年):国鉄理事を退任、井深賞設立

1979年(昭和54年):日本オーディオ協会会長に就任

1987年(昭和62年):鉄道総合技術研究所会長に就任

1990年(平成2年):ソニーファウンダー(創業者)・名誉会長に就任

1994年(平成6年):ソニーファウンダー(創業者)・最高相談役に就任

 

 

井深大の名言・考え方

 

 

両親がひたむきに生きる姿自体が、どんな幼い子にも、素晴らしい影響を与えるのです。

 

 

この人にはこれだけしか、能力がないなどと決めつけては、能力は引き出せません。

 

 

トライ・アンド・エラーを、繰り返すことが経験、蓄積になる。独自のノウハウはそうやってできていく。

 

 

企業にとって重要なのは、発明より革新。

 

革新は、実は、たわいのない夢を、大切にすることから生まれる。

 

 

アイデアが重要なのではない。一つのアイデアをどうやって、具体的にしていくかが重要。

 

 

ものの種類であれ、つくり方であれ、売り方であれ、新しいものを考案しよう。人真似、猿真似はやめておこう、真似では勝利は得られない。

 

今後は会社のサイズ、量の時代ではない。まさに「質」そのものの時代である。25周年を迎えたソニーの課題は、新時代に適応した「質」の発見、発掘である。

 

本当の経営者は、来年、再来年に何をやろうかと言うときに、ターゲットを広げず、むしろ狭めていく。そこに集中するために、無駄を省いていく。

 

もちろん頭がよくならないとお勉強もできないけれど、頭がよくなることよりも、もっと大切なことがあるんですよ。それは皆さん一人ひとりがよい人間になることなんです。どうぞ、このことをいつも頭に入れておいてください。

 

「物」だけで「もの」を考える時代は終わった。これからは「心」と「意識」を考えたものづくりの時代だ。

 

 

アイデアが重要なのではない。一つのアイデアをどうやって、具体的にしていくかが重要。

 

常識と非常識とがぶつかり合った時にイノベーションが生まれる。

 

 

世の中に尽くすとか、他人のために何かするということは、お金ができてから、名声を得てからすることだと、考えるのはまちがいだと思います。あなたの周りを見渡せば、身近なところに誰にでもやれることが、いくらでもあるからです。

 

 

人生で出会う出来事は、すべて何かを教えてくれる。生きている限り、学ぶべきことがある。

 

 

社会をリードしていく人間の、基本的能力とは何か。それが「人徳」であると私は思います。

 

ソニーにしかできないことを、ソニーがやらなくなったら、ソニーではなくなる。

 

技術革新のネタは企業や大学でなく市場にある。

 

一見、無駄のように思える研究、バカバカしいようなアイデアが創造の命だ。

 

ものをつくる苦労を知っている人は、失敗を人のせいにしない。

 

 

若い方々にぜひ伝えたいことが、二つあります。一つは、自分自身を大切にすること、自分を生かすということと合わせて、それと同じくらいのウエイトで、他人(ひと)のために、社会のために何かできることはないか、ということを考えていただきたい。また、そういう気持ちを、ぜひ持っていただきたいということです。もう一つは、しっかりした生きるよりどころを、ぜひ持ってもらいたいということです。

 

 

仕事の報酬は仕事だ。それが一番うれしい。

 

 

自分の幸福を考えるとともに、他人の幸福を考える。そうした生きる姿勢が、自分の職場生活をより楽しく豊かなものにし、家庭生活をもうるおいあるものにする。そして、ひいては豊かな社会を作っていくことにつながると言えましょう。

 

人生で出会う出来事はすべて何かを教えてくれる。

 

 

皆さんのやり方を外部の学者や専門家が無理というなら、それに挑戦してみようよ。

 

社会をリードしていく人間の、基本的能力とは何か。それが「人徳」であると私は思います。

 

人を信じられる人間が、21世紀の日本を作る。

 

未来を予測するということは、あんまり意味ないんじゃないかと思うのであります。未来ってのは、作り出すものです

 

 

創造的失敗を、恐れるな。

 

すべては心から始まる。

 

 

 

 

盛田昭夫(ソニー共同創業者)

 

 

1921年、愛知県名古屋市に盛田久左衛門・収子の長男として生まれる。生家は、代々続いた造り酒屋で父・久左衛門は盛田家第14代当主。

母・収子は、元大垣共立銀行頭取戸田鋭之助の娘であり、元仙台市長・早川智寛の姪、会社再建の神様といわれた早川種三のいとこにあたる。

 

また、敷島製パン創業家とは親戚、三省堂創業家・亀井家とも姻戚関係にある。

愛知県第一師範学校附属小学校(現・愛知教育大学附属名古屋小学校)、旧制愛知県第一中学校(現・愛知県立旭丘高等学校)、第八高等学校(現・名古屋大学)、大阪帝国大学理学部物理学科卒。

 

太平洋戦争中、海軍技術中尉時代にケ号爆弾開発研究会で井深大と知り合う。

終戦後、1946年(昭和21年)に井深大らとソニーの前身である東京通信工業株式会社を設立し、常務取締役に就任。

 

 

 

盛田昭夫の経歴

 

1950年(昭和25年)日本初のテープレコーダー「G型」を発売。

1951年(昭和26年)三省堂社長の四女・亀井良子と結婚。

1955年(昭和30年)日本初のトランジスタラジオ「TR-55」を発売。

1959年(昭和34年)ソニー代表取締役副社長に就任。

1960年(昭和35年)米国にソニー・コーポレーション・オブ・アメリカを設立し、取締役社長に就任。

1971年(昭和46年)ソニー代表取締役社長に就任。

1976年(昭和51年)ソニー代表取締役会長に就任。

1979年(昭和54年)ウォークマン発売。

1986年(昭和61年)経団連副会長。

1991年(平成3年)勲一等瑞宝章受章。

1992年(平成4年)英国王室から名誉大英勲章およびナイト爵の称号を受ける。

1993年(平成5年)11月、テニスのプレー中、脳内出血に倒れ、その後、会長の座を退き、ハワイで静養した。

1994年(平成6年)ソニー ファウンダー・名誉会長に就任。

1998年(平成10年)2月23日、フランスからレジオンドヌール勲章コマンドゥールを贈られる。

1999年(平成11年)10月3日午前10時25分、肺炎のため東京都港区の東京都済生会中央病院で死去した。78歳没。戒名は盛昭院天涯敬道上座。正三位 勲一等旭日大綬章。

 

 

 

盛田昭夫の名言・考え方

 

 

自分を開発し、発展していくためには、他人と同じ考え、行動をしてはならない。

 

 

日本といえば、低賃金というのが国際的にも通り相場だが、もはや現在の国際経済は、低賃金では競争できない段階に達しているのである。いま必要なのは、なによりも生産性の向上である。言いかえれば、仕事の量である。

 

 

辞めてもらっては困る。君と僕が考え方が同じなら二人も要らない。違うから必要なんだ。

 

 

黙っているほうが安全だという雰囲気は、非常に危険だ。

 

 

学歴はなくてもいいけれども、学力はなければならない。

 

 

狭い専門分野でとことんまで努力をしたならば、そこでは誰にも負けない実力がつけられるものだと、私たちは考えている。我々の得意の分野では誰にも負けないぞという自信が持てるものなのだ。

 

アイデアの良い人は世の中にたくさんいるが、良いと思ったアイデアを実行する勇気のある人は少ない。

 

 

ソニーはトランジスタラジオを売り出したのは世界で二番目です。一番目の米国の会社は売れなくてすぐやめた。我が社は、「ラジオは一人一台必要だ」という考え方を売ったのです。

 

 

いくら性能が優れた製品であっても、お客様に買ってもらえなくては会社に何の価値ももたらさない。

 

 

日本人の中には、意見に食い違いが生じると、友情もそこまでと考える人が多い。しかし、欧米人は、相手を友達と思えばこそ、とことん議論し、徹底的に思うところを説明しようとする

 

基礎科学の研究からは、未来へのヒントは得られるが、産業のエンジンとしてのテクノロジーは生まれない。そしてテクノロジーをつくり出すのは、科学者ではなくエンジニアだ。ただし、テクノロジーだけではイノベーションにならない。

 

 

日本の多くの会社が協調性をうたう時、それはすなわち個性の抹殺を意味している。

 

金銭が唯一のインセンティブだと考えるのは、大きな間違いである。

 

 

産業人が汗水垂らして働いた結晶が、彼らの為替投機のせいであっというまに吹っ飛んでしまう。そんなばかな話がありますか。

 

 

米国企業は、長続きする財産を築くことよりも、紙の財産をもてあそぶことに興味を覚え、四半期ごとの短期勝負に血道をあげている。

 

 

ソニーのカルチャーは日本のカルチャーであってはいけないと思っております。

 

 

ソニーの「自由闊達」は、責任を持って仕事を成し遂げようと努力する中で初めて成り立つ。

 

 

会社は競争をしている。競争に勝つためには、やはり最小の努力で最大の効果を上げること、つまり、社員の一人一人が最も効果的に働くということが一番大事だ。世の中には、一生懸命に働いているのだが、効果があまり上がらない人もいる。私はそういう働き方はもったいないと思う。まじめに一生懸命働くことは大事なことだ。しかし、そうして働いても、効果があがらなかったら全然意味がない。

 

 

本質を見失ってはいけない。見失うと、いつでも改革という美名のもとに大切な本質が失われる。変えるべきは変え、変えないべきは変えない。

 

井深大とはケンカだってするんですよ。意見がそっくり同じなら、2人の人間がいる必要はないんですから。

 

 

ソニーというのは生意気な人の個性を殺さない会社。

 

 

生意気な人達の挑戦的な姿勢が、ソニーの原動力です。

 

ソニーでは個性は一切殺さない。

 

 

新しい、いいと思ったことは実行する勇気が必要である。ソニーはアイデアがいいと言われるが、じつはアイデアはそれほどずば抜けて良くはないのである。アイデアのいい人は世の中にたくさんあるが、いいと思ったアイデアを実行する勇気のある人は少ない。我々はそれをガムシャラにやるだけである。

 

 

まったく違う知識や考えを持った人と、まず対話できることこそ大事だ。

 

 

トップが下を信頼しなきゃ、下が上を信頼するはずがない。

 

 

人生には寿命があります。しかし、会社には寿命があってはなりません。

 

 

ソニーに関係のあるすべての人に幸福になってもらうことが私の念願であるが、とりわけ社員の幸福は、私の最大関心事である。なんといっても社員は、一度しかない人生の一番輝かしい時期をソニーに委ねる人たちであるから、絶対に幸福になってもらいたい。

 

 

井深さんと一緒に仕事を始めましたとき、何とかして自動車を一台もてるようになろう、これがささやかな望みでありました。

 

 

我々技術系の者は、目標設定がハッキリすれば、それに向かって創造できる。目標のためにはどうしたらいいかということで、逆に技術を開発していくわけです。

 

 

井深さんも東芝を落ちたんですからね。井深さんも私も大賀君もみんな変わり者なんですね。ほかにも変わり者はいっぱいおるんですが、そういう人たちが型破りでもいいから、生地で働ける会社にしたいというのが、ソニーの理想ですね。

 

 

ひとたび社員に経営方針や理念が浸透すれば、その企業は並々ならぬ力と柔軟性を発揮する。

 

 

東京通信工業にとって大事なポリシーは「そうすべきであり、そうしなければならないと知ったこと」は、あらゆる努力のもとに、ただちに実行に移すこと。

 

 

高い効率と高生産性を望むなら社員の志気を高めるべきであり、彼らと心を通わせることが大切だ。

 

 

クリエイティビティには3つある。第1に発明発見、技術革新。第2にプロダクトプランニングとプロダクション。第3にマーケティング。

 

 

私たちが会社を始めたとき、うちの会社をどうしてやっていくべきか、教えてくれた人は全然いなかった。私たち一人一人が毎日毎日、我々の会社をどうやっていくか、必死になって考えてきた。いまも私たちに、この会社の今後はこうあるべきだ、こういうものを作りなさいと教えてくれる人は誰もいない。

 

 

もし、死ぬときに「俺は大事な人生を、あんなところでムダに過ごしてしまったな」と思ったとしたら、これほど不幸なことはない。やはり、「俺はソニーで働けて幸せだった」と思って死ぬようにしてあげることが、社員に対する最大の務めだと思う。

 

マーケットに合うような商品を作っていたのでは遅れをとる。最上のマーケティングはマーケットクリエーションだ。

 

人間は充足感を味わうために働くのだと私は考えたい。

 

要するに、人と同じことをしていては商売に勝てないということである。

 

ネアカになれない時はネアカの振りをしろ、そうすれば社員ばかりでなく自分も騙されてネアカになって行くんだ。

 

井深さんとは仕事の上では言い争いもしますが、根本的には100%信頼し合っていますからね。それに性格は正反対なんですが、ものの考え方は一緒なんですね。

 

企業を国際化するには、経営者自身が国際人でなければならない。

 

アンテナを張れ!勉強は楽しんでやるものだよ

 

真のエキスパートは、井の中の蛙であってはならない。

 

協調を叫ぶなら、自らの痛みも覚悟しなければならない。

 

 

個人は決して会社の所有物ではない。

 

人の心を打つためには、下を向いて原稿を読んではダメだ。

 

否定面にとらわれる人間にかぎって、失敗の理由を一生懸命数え上げたがる。いったん何かに失敗したら、いくら失敗の理由を並べ立ててもはじまらない。

 

ネクラな組織からは何も生まれん。

 

世界中を相手にして仕事をしてみようではないか。

 

とにかく思い切ってやってみよう。間違ったらまた変えればいい。

 

我が社はいつでも先駆者であります。

 

 

 

 

「ソニー株式会社」の沿革・歴史(年表・社歴など)

 

 

1946年5月 電気通信機および測定器の研究・製作を目的とし、東京都中央区日本橋「白木屋」内に資本金19万円をもって東京通信工業株式会社(東通工)を設立

 

1947年1月 本社および工場を東京都品川区に移転

 

1949年9月 テープ式磁気録音機の試作第1号を完成

 

1950年3月 日本初のマグネタイトを塗布した紙ベースの録音テープ「ソニ・テープ」発売

 

1954年5月 仙台工場(宮城県多賀城市)を設立 <現在の仙台テクノロジーセンター>

 

1955年8月 東京店頭市場に株式公開

 

1958年1月 社名をソニー株式会社に変更、12月 東京証券取引所第一部に上場

 

1960年2月 米国にソニー・コーポレーション・オブ・アメリカを設立、11月 厚木工場(神奈川県厚木市)を設立 <現在の厚木テクノロジーセンター>、12月 スイスにソニー・オーバーシーズ・エス・エーを設立

 

1961年3月 日本初のオールトランジスタアンプ内蔵テープレコーダー「TC-777」発売

 

1962年5月 世界最小・最軽量のオールトランジスタテレビ「TV5-303」発売、11月 香港にソニー・コーポレーション・オブ・ホンコン・リミテッドを設立

 

1963年7月世界初のトランジスタ小型VTR「PV-100」発売

 

1964年8月 自動調整録音方式テープコーダー “ソニオマチック” 「TC-357」発売、9月 大崎工場(東京都品川区)を設立 <現在の大崎西テクノロジーセンター>

 

1965年5月 クロマトロン方式19型カラーテレビ「19C-70」発売、8月 世界初の家庭用VTR“ビデオコーダー”「CV-2000」発売

 

1966年4月 銀座、数寄屋橋角にソニービルを開設

 

1967年3月 世界初のICラジオ「ICR-100」発売

 

1968年3月 米国シービーエス・インクとの合弁(ソニー50%出資)により、シービーエス・ソニーレコード(株)を設立 <1988年1月ソニー100%出資、1991年4月(株)ソニー・ミュージックエンタテインメントに社名変更>、5月 英国にソニー・(ユーケー)・リミテッドを設立

 

1969年9月 芝浦工場(東京都港区)を設立 <1989年8月芝浦テクノロジーセンターに名称変更>、11月 半導体製品の組立てを行うソニー白石セミコンダクタ(株)(宮城県白石市)を設立、12月 ブラウン管の製造を行う稲沢工場(愛知県稲沢市)を設立 <現在の稲沢テクノロジーセンター>

 

1970年5月 カラーテレビの組立を行う一宮工場(愛知県一宮市)に設立 <現在の一宮テクノロジーセンター>、6月 ドイツにソニー・ゲー・エム・ベー・ハーを設立 <1980年6月ソニー・ドイチェラント・ゲー・エム・ベー・ハーに社名変更>、9月 ニューヨーク証券取引所に上場

 

1972年8月 米国カリフォルニア州、サンディエゴのカラーテレビ組み立て工場稼働開始、12月 家庭用ビデオの生産を行うソニー幸田(株)(愛知県幸田町)を設立 <現在の幸田テクノロジーセンター>

 

1973年1月 スペインバルセロナにイスパノ・ソニー設立、2月 フランスにソニー・フランス・エス・エーを設立、5月 トリニトロンカラーテレビジョン・システムが日本企業で初めてエミー賞受賞

 

1974年6月 英国、ブリジェンドのカラーテレビ組立工場稼働開始、8月 米国カリフォルニア州、サンディエゴのカラーブラウン管組立工場稼働開始。日本企業として初めて海外にカラーテレビ一貫生産工場完成

 

1975年5月 家庭用ベータ方式ビデオカセットレコーダー“ベータマックス”「SL-6300」を発売

 

1979年7月 ステレオカセットプレーヤー“ウォークマン”「TPS-L2」発売

 

1982年10月 世界初のコンパクトディスクプレーヤー「CDP-101」発売

 

1984年11月 ポータブルCDプレーヤー「D-50」発売

 

1985年11月 ドイツにソニー・ヨーロッパ・ゲー・エム・ベー・ハーを設立

 

1988年1月 米国シービーエス・インクのレコード部門であるシービーエス・レコード・インクを買収 <現在のソニー・ミュージックエンタテインメント・インク>

 

1989年11月 米国コロンビア・ピクチャーズエンタテインメント・インクを買収 <現在のソニー・ピクチャーズエンタテインメント>

1993年7月 青色半導体レーザーの室温連続発振に世界で初めて成功、11月 (株)ソニー・コンピュータエンタテインメントを設立

 

1994年4月 事業本部制を廃止し、新たに社内カンパニー制を導入、7月 高輝度緑色発光ダイオードの開発に世界で初めて成功

 

1995年9月 家庭用デジタルビデオカメラ“デジタルハンディカム”「DCR-VX1000/DCR-VX700」発売、11月 ソニーコミュニケーションネットワーク(株)設立

 

1996年10月 ソニー(チャイナ)設立

 

1997年4月 ソニーマーケティング(株)設立、7月 家庭用パーソナルコンピューター“VAIO”シリーズ国内発売

 

1999年6月 エンターテインメントロボット“AIBO(アイボ)”「ERS-110」発売

 

2001年4月 ソニー銀行(株)設立、4月 ソニーイーエムシーエス(株)設立、10月 ソニー・エリクソン・モバイルコミュニケーションズ(株)設立

 

2002年10月 アイワ(株)を100%子会社化  <12月に合併>

 

2004年1月 フェリカネットワークス設立、4月 株式交換によりソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)を完全子会社化、4月 ソニーフィナンシャルホールディングス(株)設立

 

2005年4月 ソニーを含むコンソーシアムによる米国Metro-Goldwyn Mayer(MGM)買収を完了、12月 ソニーコミュニケーションネットワーク(株)<2006年10月ソネットエンタテインメント(株)、2013年7月ソネット(株)、2016年7月ソニーネットワークコミュニケーションズ(株)に社名変更>を対象とする子会社連動株式を終了。同社が東京証券取引所マザーズに上場

 

2007年2月 ソニー本社を旧芝浦TEC跡地に建設された新本社ビル「Sony City」に移転、10月 ソニーフィナンシャルホールディングスが東証一部に上場

 

2008年1月 ソネットエンタテインメント<2016年7月ソニーネットワークコミュニケーションズ(株)に社名変更>が東証一部上場、10月 ソニーBMG・ミュージックエンタテインメントを完全子会社化

 

2009年4月 株式会社DADCジャパン設立

 

2010年1月 ソニー3Dテクノロジーセンターをソニー・ピクチャーズ エンタテインメントの敷地内(米国カリフォルニア州)に開設

 

2012年 エリクソンから株式を取得してソニー・エリクソン・モバイルコミュニケーションズを完全子会社とし、携帯電話端末事業がソニー単体の事業に戻った

 

2014年7月 テレビ事業を分社化、パーソナルコンピュータVAIO事業を売却。旧本社の「NSビル」、「ソニー4号館」、「ソニー5号館」を住友不動産に231億円で売却

 

2015年 オンラインゲーム子会社ソニー・オンライン・エンタテインメントをコロンバス・ノバに売却

 

2017年 リチウムイオン二次電池事業など一部の電池事業を、ソニーエナジー・デバイスから村田製作所へ譲渡

 

 

 

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