「鹿島建設株式会社」の始まりと原点!~経営理念・企業理念/創業者・創立者・中興の祖『鹿島岩吉』/沿革・歴史など~

「鹿島建設株式会社」の始まりと原点!~経営理念・企業理念/創業者・創立者・中興の祖『鹿島岩吉』/沿革・歴史など~

 

「鹿島建設株式会社」の経営理念・企業理念(ビジョン・ミッション・バリュー・スローガン・指針・方針など)

 

 

「鹿島建設株式会社」の企業理念

 

 

全社一体となって、科学的合理主義と人道主義に基づく創造的な進歩と発展を図り、社業の発展を通じて社会に貢献する。

 

 

鹿島は1840年(天保11年)の創業から現在に至るまで、人々が安全・安心で快適に暮らすことができる社会をめざし、建設事業を通じて産業・経済の発展に貢献してまいりました。

それは、鹿島の苦闘と改革、発展の歴史でもあります。

業界の先頭を切って新たな領域に挑戦してきた経営者や社員の中に脈々と流れる積極果敢な「進取の精神」こそが発展の礎です。

鹿島は、常に時代の動きを鋭敏に捉え、進歩と発展に努力してまいりました。

これからもこのよき伝統を受け継ぎ、この経営理念のもと、真に快適な環境創造の担い手として社会の要請にこたえられるよう研鑚を積み、これからも社会に貢献できる企業として歩んでまいります。

 

 

 

 

「鹿島建設株式会社」の経営理念の成文化について(鹿島建設 社史より)

 

鹿島の経営理念は、その時々の経営者が示した方針や理念、行動の総和として社内に受け継がれてきました。

そのキーワードは、創業者鹿島岩吉の「パイオニア精神」、4代目社長鹿島守之助の「人道主義と合理主義」「科学的管理方法」「鹿島共同体」、6代目社長渥美健夫の「システム力」などでありました。

しかし創業以来140年が経った頃、企業規模も拡大するにつれて、経営理念が「無形」のままでは、その伝承・継承に支障をきたす恐れが出てきたため、7代目社長石川六郎は、これまで社内に受け継がれてきた理念のエッセンスを「経営理念」として再構築しました。

「全社一体」は「鹿島共同体」の理想を実現、「科学的合理主義と人道主義」は「科学的管理法」と「人道主義と合理主義」そのものであり、「創造的な進歩と発展」は「パイオニア精神」「システム力」を根源としたものでありました。

そして「社会に貢献する」と、企業の社会的責任を結語で示しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「鹿島建設株式会社」の創業者・創立者・中興の祖『鹿島岩吉』~生い立ち・名言・創業の想い・考え方など~

 

 

 

鹿島岩吉(鹿島建設創業者)

 

 

鹿島岩吉。

文化13年(1816)に小手指村上新井井(現在の所沢市上新井)で生まれます。

 

東京四谷で大工の修行をした後に、天保11年(1840)、「大岩」という屋号で京橋に店を構えた。

当時江戸は火事が多く,大工の仕事は減ることはなかったという。

 

やがて3つの大名屋敷の出入株を得,桑名藩松平越中守の江戸屋敷ほかを建築した。

1858年日米修好通商条約締結後,一年足らずでの開港を迫られた当時の江戸幕府は,大急ぎで貿易港としての横浜をつくりあげる。

 

領事館・商館・住宅など横浜は大建築ブームとなった。

もともと漁村で土着の出入り職人もなく,そこでは自由競争と一括請負が行われる。

 

賃金相場は高騰し,江戸の職人がこぞって進出した。

このような状況下,岩吉も江戸の店をたたんで横浜進出をはかった。

 

結果,横浜居留地第一号の英一番館やウォルシュ・ホール商会(通称アメリカ一番館)を建築。

その他多くの外国商館を請負った。

 

明治の文明開化とともに,西洋館建築技法を身につけた岩吉は,その信用と人脈で新政府の重鎮であった旧長州藩関係の建築工事を請負うことになる。

高輪毛利邸洋館,蓬莱社(後の十五銀行)等をはじめ,抄紙会社(王子製紙の前身)工場,神戸製紙所(三菱製紙の前身)工場など,当時時代の先端を行く新式の建物を次々に施工した。

 

岩吉の子岩蔵が初代鹿島組(後の鹿島建設)組長。

鹿島岩蔵は渋沢栄一とも深い結びつきがあった。

 

 

 

 

 

 

鹿島岩吉(鹿島建設創業者)の名言・考え方

 

 

気に入らぬと損をしても遣り直す

 

 

 

鹿島岩蔵はいわゆる財閥の当主でもなく、また世にいう財界の名士でもなかった。懇望されるまま深川区会議員を二期務めたほかは公的な役職に就いたことはない。しかし一市民でありながら井上馨、陸奥宗光、金子堅太郎、星亨、原敬、岡崎邦輔等の政治家や渋沢栄一、藤田伝三郎、古河市兵衛、團琢磨、佐々木勇之助、浅野總一郎などの財界人と対等に交際するほどの実力者であった。その人柄は上品で、名士と交際しているからと言って少しもおごり高ぶることはなく、現場の視察に出れば鉄道の一技手に対してさえ丁寧に挨拶した。事業欲が盛んな一方では、金原明善のような社会事業家に共鳴して多額の援助を惜しまず、時に葉山の別荘に招いてその苦労をねぎらったりしたこともある。岩蔵は、正規の学歴は何も持たなかったが、それだけにかえって教育に関して熱心であった。優秀な人材を見出し、育てるのは彼の趣味に近いとさえいえた。

(『鹿島建設百三十年史』p92より)

 

 

 

彼(鹿島岩蔵)の一生を見ると、それは単に一請負業者というよりも、発展的な、いかにも明治の時代を生きた事業家の生涯という感じがする

(『鹿島建設百三十年史』p61より)

 

 

 

 

 

 

 

 

「鹿島建設株式会社」の沿革・歴史(年表・社歴など)

 

 

 

1840(天保11年) 鹿島岩吉、江戸中橋正木町(現在の東京都中央区京橋1丁目)において創業。

 

1860(万延元年) 横浜に英一番館、亜(アメリカ)一番館など、洋風建築に先鞭。

 

1880(明治13年) 鹿島組創立。鹿島岩蔵が初代組長に就任。鉄道局柳ヶ瀬線着工、鉄道請負に進出。

 

1899(明治32年) 朝鮮京仁鉄道着工。台湾縦貫鉄道南部線着工。

 

1909(明治42年) ダム、発電所工事に進出。宇治川電気志津川発電所工事着工。

 

1912(大正元年) 鹿島精一組長が就任。

 

1918(大正7年) 丹那トンネル着工。1934(昭和9)年の完成まで17年の歳月を要した難工事。

 

1923(大正12年) 関東大震災の復旧工事に活躍する。

 

1924(大正13年) 日本初のコンクリート高堰堤大峯ダム完成。

 

 

1930(昭和5年) 資本金300万円をもって株式会社鹿島組に組織変更。
上野駅本屋着工。

 

1938(昭和13年) 鹿島精一会長、鹿島守之助社長が就任。

 

1945(昭和20年) 戦災復旧工事、駐留軍工事はじまる。

 

1947(昭和22年) 社名を鹿島建設株式会社に変更。

 

1949(昭和24年) 建設業界初の研究所、鹿島建設技術研究所を設立。

 

1950(昭和25年) 沖縄工事において米国モリソン=クヌードセン社と提携、我が国でのジョイント・ベンチャー方式に先鞭。

 

1952(昭和27年) 日本初のアーチダム、九州電力上椎葉ダム着工。

 

1954(昭和29年) ビルマ、バルーチャン発電所工事着工。これを契機として海外工事に進出。

 

1957(昭和32年) 鹿島守之助社長の国務大臣就任に伴い、鹿島卯女が五代目社長に就任。
日本初の原子炉、日本原子力研究所第一号原子炉が完成。

 

1961(昭和36年) 東京、大阪証券取引所に上場し、株式を一般に公開。

 

1963(昭和38年) 年間受注高世界第一位(1368億円)。

 

1964(昭和39年) ロサンゼルスにカジマ・インターナショナル・インコーポレーテッド(KII)発足。
新丹那トンネル完成。

 

1966(昭和41年) 渥美健夫が六代目社長に就任。

 

1967(昭和42年) 東京電力福島原子力発電所着工。

 

1968(昭和43年) 我が国初の超高層ビル、霞が関ビル完成。超高層ホテル京王プラザホテル着工。

 

1969(昭和44年) 創業130年記念式典挙行。
東京電力奈川渡アーチダム完成。

 

1970(昭和45年) 三菱重工香焼工場100万トンドック着工。

 

1972(昭和47年) 鹿島・大成・ベクテル3社業務協定締結。

 

1974(昭和49年) 最高裁判所新庁舎完成。
新宿副都心に新宿住友ビル、KDDビル、新宿三井ビルが相次ぎ完成。

 

1976(昭和51年) 鹿島卯女会長が就任。

 

1978(昭和53年) 渥美健夫会長、鹿島昭一副会長、石川六郎社長が就任。
サンシャイン60、旧東ドイツ・国際貿易センター完成。

 

1981(昭和56年) 業界初の受注高1兆円達成。

 

1982(昭和57年) TQCでデミング賞実施賞を受賞。

 

1984(昭和59年) 石川六郎会長、鹿島昭一社長が就任。
国技館完成。

 

1986(昭和61年) アーク森ビル完成。

 

1987(昭和62年) カジマU.S.A.、カジマ・ヨーロッパ設立。
マツダデトロイト工場完成。

 

1988(昭和63年) 関東支店、東京支店発足。
カジマ・オーバーシーズ・アジア(KOA)設立。
青函トンネル、本州四国連絡橋完成。

 

1989(平成元年) 創業150年記念式典挙行。
KIビル完成。

 

1990(平成2年) 鹿島昭一副会長、宮崎明社長が就任。

 

1991(平成3年) KAJIMA EVOLUTION21計画発表、鹿島建設から「鹿島」へ。

 

1992(平成4年) 東京イースト21完成。

 

1993(平成5年) 天王洲シーフォートスクエア完成。

 

1994(平成6年) 新宿パークタワー、恵比寿ガーデンプレイス完成。
関西国際空港開港。

 

1995(平成7年) 阪神大震災復旧工事、テレコムセンター完成。
スエズ運河トンネル改修。

 

1996(平成8年) 梅田貞夫社長就任。
フジテレビ本社ビル、エムウェーブ完成。

 

1997(平成9年) 東京湾横断道路貫通。
ISO9000s取得。

 

1998(平成10年) ISO14000s取得。
宮ヶ瀬ダム、小倉駅ビル、広島イースト完成。
明石海峡大橋開通。

 

1999(平成11年) 創業160年。
来島海峡大橋開通。
ゲートシティ大崎完成。

 

2000(平成12年) 代官山アドレス完成。

 

2001(平成13年) 日韓共催W杯に向け、サッカースタジアムが続々完成。
埼玉スタジアム2002完成。

 

2002(平成14年) JR東日本、鉄建建設と連携強化。

 

2003(平成15年) 汐留地区において松下電工東京本社ビル、日通本社ビル、汐留タワー、トッパンフォームズタワー、共同通信本社ビルが相次いで完成。
六本木ヒルズ森タワー、時事通信本社ビル完成。

 

2004(平成16年) 八甲田トンネル貫通。
軽井沢大賀ホール完成。
中国に鹿島(上海)工程有限公司設立。

 

2005(平成17年) 梅田貞夫会長、中村満義社長就任。
矢作川橋、秋葉原クロスフィールド、日本橋三井タワー完成。

 

2006(平成18年) 虎ノ門タワーズ完成。
アルジェリア東西高速道路着工。

 

2007(平成19年) 鹿島本社ビル、鹿島赤坂別館完成。

 

2008(平成20年) 東京メトロ副都心線開業。
サンケイホールブリーゼ/ブリーゼタワー完成。

 

2009(平成21年) 創業170年。
技術研究所本館実験棟完成。

 

2010(平成22年) 東京国際空港D滑走路完成。
シンガポール・リゾート・ワールド・セントーサ完成。

 

2011(平成23年) 東日本大震災復旧工事に従事。
ドバイメトロ完成。
技術研究所本館研究棟完成。

 

2012(平成24年) 赤坂Kタワー、首都高速中央環状線新宿線山手トンネル、JR東日本東京駅丸の内駅舎保存・復原工事完成。
鹿島インディア社設立。

 

2013(平成25年) 中村社長が日建連会長に就任。
KOA25周年。
東京駅八重洲口グランルーフ完成。

 

2014(平成26年) 米国進出50年。
災害廃棄物処理業務(石巻ブロック)完了。
京極発電所完成。

 

2015(平成27年) 押味至一社長就任。
鹿島オーストラリア設立。
JR東北縦貫線(上野東京ライン)開業。
姫路城大天守保存修理工事完了。

 

2016(平成28年) 熊本地震復旧工事に従事。
東京ガーデンテラス紀尾井町完成。

 

2017(平成29年) GINZA SIX完成。
首都高速横浜北線開通。サントリーホール30周年改修工事完了。

 

2018(平成30年) 東京ミッドタウン日比谷、東京駅丸の内駅前広場、日本橋高島屋三井ビルディング完成。

 

2019(平成31年・令和元年) 創業180年を迎える。
日本橋室町三井タワー、新名神高速道路高槻インターチェンジ完成。

 

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