東レ経営研究所特別顧問、佐々木常夫:仕事の進め方10か条とは?

東レ経営研究所特別顧問、佐々木常夫:仕事の進め方10か条とは?

仕事の進め方10か条とは?

佐々木常夫/東レ経営研究所特別顧問

 

以下に示すのは、私が初めて課長になった時(当時38歳)、部下に発信した仕事の10か条です。

いずれの項目にも「よい習慣は才能を超える」という仕事の進め方の基本が貫かれています。

 

1. 計画主義と重点主義
・仕事の計画策定と重要度を評価
・仕事はまず計画してから
・すぐには走り出さない

2. 効率主義
・ゴールまでの最短コースを選ぶこと
・通常の仕事は拙速を尊ぶ

3. フォローの徹底
・自らの業務遂行の冷静な評価を行い、レベルアップにつなげる

4. 結果主義
・仕事はそのプロセスでの努力もするが、その結果で評価される

5. シンプル主義
・事務処理、管理、制度、資料、会話はシンプルを持って秀とする

6. 整理整頓主義
・仕事の迅速性につながる

7. 常に上位者の視点
・自分より上の立場での発想は、仕事の幅と内容を高度化する。見える風景が変わる

8. 自己主張の明確化
・沈黙は金ではない。言葉にして「思い込み」に気づく。しかし他人の意見をよく聴くこと

9. 自己研鑽
・向上心は仕事を面白くする

10. 自己中心主義
・自分を大切にするということは、人を大切にすることと同義である

 

 

佐々木常夫とは?

 

 

佐々木常夫。

東レ経営研究所特別顧問、(株)佐々木常夫マネージメント・リサーチ代表。

 

秋田県出身。

東京大学経済学部卒業後、東レに入社。

 

自閉症の長男を含め3人の子どもを持つ。

しばしば問題を起こす長男の世話、加えて肝臓病とうつ病を患った妻を抱え多難な家庭生活。

 

一方、会社では大阪・東京と6度の転勤、破綻会社の再建やさまざまな事業改革など多忙を極め、そうした仕事にも全力で取り組む。

2001年、東レ同期トップで取締役となり、2003年より東レ経営研究所社長となる。

 

2010年(株)佐々木常夫マネージメント・リサーチ代表。

何度かの事業改革の実行や3代の社長に仕えた経験から独特の経営観をもち、現在経営者育成のプログラムの講師などを勤める。

 

社外業務としては内閣府の男女共同参画会議議員、大阪大学客員教授 などの公職を歴任。

「ワーク・ライフ・バランス」のシンボル的存在である。

 

主な著書に『ビッグツリー:私は仕事も家族も決してあきらめない』『「本物の営業マン」の話をしよう』『そうか、君は課長になったのか。』『部下を定時に帰す「仕事術」』など

 

 

 

厳選!佐々木常夫の珠玉名言

 

 

私は東レの繊維企画管理部の課長時代から、家庭の事情で毎日6時には退社しなければなりませんでした。理由は長男が自閉症であることに加え、妻が肝硬変のため何度も入退院を繰り返し、私が子供三人の育児、家事、そして妻の看病という一人三役をこなしていたからです。当然、仕事の段取りを良くしなければ無理です。朝から「今日、仕事を最短コースでいくにはどうしたらいいか」と頭を絞りました。

 

 

40歳で課長になったのとほぼ同時に、妻が病気で入退院を繰り返すようになり、二人の子供の面倒や家事は私が一手に引き受けることになりました。朝は5時半に起きて朝食と子供のお弁当を作り、他の人より1時間早く出社して仕事をこなし、夕方6時には退社して、夕食作りや家事をこなす毎日が続いたのです。もちろん最初のうちは、周囲からあれこれ言われました。長時間残業が当たり前の時代でしたから、課長の立場にいる人間が定時で帰るなんてとんでもないというわけです。しかし、私が他の誰よりも高い成果を出すことがわかると、文句を言う人はいなくなりました。そして私自身も、家事や子育てを言い訳にするつもりは毛頭ありませんでした。あったのは、課長としての責務を全うしようとする覚悟のみです。

 

 

私が初めて営業に配属になったのは40代になってからでした。しかも課長という立場での着任でしたから、部下たちから「営業をやったこともない人間が課長だなんて」とバカにされるのは目に見えていました。そこで私は、社内で営業の神様と呼ばれる優秀な先輩5人にアポイントを取り、「営業とはどういうものか、教えてください」とお願いしたのです。多忙な人ばかりでしたが、全員が快く時間を作ってくれて、私に営業の極意を語ってくれました。ですから、目標とする人がいたら、遠慮なく本人に教えを請えばいいのです。相手も迷惑だなんて思いません。むしろ「自分を高く評価してくれているのだな」と嬉しく思うものです。

 

 

私には障害のある息子がいます。同じ境遇の家族が集まる会に参加すると、「どうしてうちの子は障害を持って生まれてきたのか」と嘆く人が必ずいます。でも、今さらそんなことを言っても何も始まらないでしょう。「障害のある子を与えられたことは自分の運命なのだ」と受け入れ、その運命とともに生きていったほうがよっぽどラクだというのが私の考えです。

 

 

私は「部下力」をつけることを勧めたい。部下力とは、チームの一員として上司とうまくやっていく能力です。具体的には大きく3つあります。「上司の注文を聞く」「上司の強みを生かす」「上司によってコミュニケーションの仕方を変える」

 

 

出世には運が左右する部分もあります。しかし、私は出世とは、「能力」と「努力」と「人間性」のバロメーターであると考えています。出世ができるかどうかは、この3つの要素の総合力で決まる。その人の全人格をかけるくらいの真剣勝負をして、初めて出世ができるのです。だから、出世をしている人には必ずそれなりの理由があるし、出世できる人とできない人のあいだには明らかな差がある。

 

 

疲れを溜めないコツは仕事以外の楽しみを持つことです。会社にいれば、嫌な上司やお客とも顔を合わせなければなりません。会社とはそもそも不条理な組織であり、会社に勤めていれば必ずストレスが溜まるものです。それを解消する方法を自分なりに持っておくことが大切です。

 

 

SCSKが残業削減に成功した理由は、「早く帰ることが格好良い」という文化を作りあげたこと。社員たちは毎朝、「今日は18時に帰ります」「私は17時半に帰ります」などと宣言します。そこで一人だけ、「20時に帰ります」というのは格好悪いわけです。「あの人、仕事ができないんだ」と思われますから。

 

 

段取りのコツは仕事の整理、言い換えれば「見える化」です。会社にはやたらと多くの仕事がありますが、その8割は定型仕事で、そのすべてを完全にやっていたのでは時間がいくらあっても足りません。本当に重要な仕事は2割です。これをきちんとやれば、その人の抱える仕事のほとんどは達成できてしまいます。

 

 

手書きなら20分でできるような書類をわざわざパワーポイントで何時間もかけてつくったり、eメールに長々と時候の挨拶を書き込んだりしていませんか。会社の仕事で本当に重要な部分は、全体のせいぜい2割です。それについては時間をかけてやる必要がありますが、残り8割の雑用まで同じようにしていたら、夜中まで残業しなければ終わりません。まずはそういう無駄を洗い出してみることです。

 

 

「知る」と「わかる」は大きく違います。「知る」は単に頭の中にインプットしただけのこと。一方、「わかる」ことを私は「解る」だと考えています。ものごとを理解し、自分の行動を変えていくことです。その変化は自分を一歩高めることにつながっていきます。

 

 

帝人の社長兼CEOを務めた安居祥策さんの復活劇は、勇気づけられます。安居さんは会社人生の半分を、世間では傍流と呼ばれる所で過ごした方。50代当時の勤務先は、アジアの子会社です。しかし、「会社員人生はここで終わりか」と思っていたら、東京本社に呼び戻されて、取締役に就任。数年後には社長になります。安居さんの働きぶりを、ずっと見ていた人がいたからこそでしょう。見る人は、見ているのです。

 

 

若いころの業績は、イノベーションではなく、イミテーション(模倣)でいいと考えています。がむしゃらに前を向き、周囲の優れた事物に学びながらイミテーションを繰り返すことが、やがて独自のイノベーションの土台をつくるからです。

 

 

企業経営に女性の視点が入れば、男性とは違った発想を取り込めます。ノンアルコールビールやななめ式ドラムの洗濯乾燥機などのヒット商品が生まれたのも、家事や育児をしている女性ならではの発想。女性の視点を経営に持ち込めば、その企業が強くなるのです。

 

 

私は「働き方とは、生き方である」と考えています。本来はまず「自分が幸せになるにはどう生きるべきか」という人生設計があり、そのためにどう働くのかを考えるべきでしょう。ところが多くの人は、生き方を考えずに、働くことばかり考えている。それでは日本人の働き方が変わることはありません。

 

 

もともと優秀な人は、上司がいろいろとサポートしたとしても、実力が伸びるのは2割程度。しかし、できない人は、上司が手間暇かけて指導をしてやれば、3割くらいは伸びるもの。だから、組織が全員の力の和を最大にしようとするなら、できない人を引き上げるのが最も効率的なのです。

 

 

今の若い世代には「媚びるのは嫌」という人が増えています。上司にゴマをするなんて、みっともないし品もないと思っているようです。でも私はそうは思いません。そういう人は、何のために仕事をしているのか考え直してみるといい。究極的には自分のため、自分が幸せになるために汗水流して働いているはずです。そうだとすれば、仕事をうまく進めるために上司のご機嫌取りひとつもできない人は、要は自分の幸せを追求していないのだといえます。

 

 

長い会社人生の中で、私を最も引き上げ出世させてくれたのは、当初は私をひどく嫌っていた上司でした。その人はとにかく気難しくてとっつきにくい。でも仕事は抜群にデキる人でしたから、文句のつけようがありません。その上司に嫌われていたのは、私が上司に対しても物怖じせずに直言するタイプだったから。要は仕事の流儀の違いです。定期的な業務報告はもちろん、徹底的にコミュニケーションを図り、上司が何を望んでいるのか把握するよう努めました。こちらが必死になって食らいつき、上司の意に沿う働きぶりを見せれば、さすがに徐々に認めてもらえるようになります。

 

 

上司に報告・相談する時は、必ず文書で持っていくこと。人間というのは、事前に予告されると安心するんですよ。私は営業部の課長をしていた時に、部長に2週間に1度、30分間のアポイントを求めていました。部長が最も余裕のある日時を選んで、定期的に報告と相談をしていた。これ、ほとんどの人はしていませんね。アポを取る際は、必ず用件を文書にして出しました。

 

 

「社内を見渡せば、自分より能力が優れた人がいるかもしれません。しかし、それを見て凹む必要はない。100メートル走にたとえると、10秒で走れるのは社長クラス。同じ部署の同僚なら、せいぜい14秒で走れるか、16秒で走れるかという程度の違いしかありません。ところが開き直りが下手な人は、2秒程度の差を5~6秒に大げさにとらえてしまい、自分は圧倒的に能力が足りないと思い込んでしまう。これはもったいない話。そこで違いは2秒しかないと冷静に見極めることができれば、けっして追いつけない差ではないことに気づくはずです。

 

 

中間管理職が自分のチームの働き方を変えるには、上司と密にコミュニケーションをとることがカギになります。私は管理職として異動になるたび、着任してすぐ直属の上司のもとへ行き、「私はこのようなやり方で残業を減らしますが、結果はきちんと出します」と宣言しました。さらに、節目ごとに上司への報告を欠かさず、「着任から3か月で残業は60時間から30時間に減りましたが、業績は上がっています。そこで次は、20時間まで減らしたいと思います」とこまめに現在の状況を伝えたのです。すると上司も「残業は減っているが、ちゃんと結果は出ているから、手を抜いているわけじゃないんだな」とわかる。そうすれば、私のやり方にも口を出さなくなります。新しいことをやりたいなら、自分の上司と丁寧にコミュニケーションを取り、信頼関係をつくることが重要です。

 

 

まわりがサポートしたくなるのは、自分の弱さから目を背ける人ではなく、弱さを認めたうえで改善しようと頑張る人。うまくいかないときにまわりの目を気にして格好つけても、事態は良くなりません。自分の弱さを素直にさらけ出すことで人は共感し、手を差し伸べてくれるのです。

 

 

家族ときちんと向き合えない人間が、会社で部下と向き合えるでしょうか。私はそうは思いません。父として、夫として、家族にも責任をもたなければいけません。だから、仕事も家庭も徹底的にマネジメントして時間を作り、必死の思いでやり抜いてきました。それが私にとってのライフ・ワーク・バランスなのです。

 

 

基本的に性善説の人であり、みんなに期待の眼差しを注いでいる。トップに立つ人がこういうスタンスだと、組織は間違いなく明るくなります。

 

 

私は仕事も家族も決してあきらめない。

 

 

自分を変える努力をしないかぎり、幸せな人生は手に入らない。

 

 

 

 



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