澁野日向子の「大切な」言葉たち~澁野日向子の名言・人生・生き方など~

澁野日向子の「大切な」言葉たち

父は学生時代に陸上競技をしてた。五輪ってスポーツ選手の夢の舞台。五輪に出て一番喜んでくれるのは家族だと思うが、喜んでくれる人のため頑張るというのは変わらない。でも、自分のためにも頑張りたい。

トラブルでも笑っていれば何とかなる。

昔はよく泣くし、怒る子でした。だから『いつも笑顔でいなさい』と両親から言われてきたんです。今でも喜怒哀楽は激しい方かな。試合中に焦ったり、辛くなったりしたとき は、『こんちくしょう!』と言いながら、自分を奮い立たせてるんですよ(笑)

考え過ぎない。

朝は必ず牛乳を飲むようにしています。小さい頃は毎日飲んでいたのですが、最近また飲むようになって。試合前のゲン担ぎというわけではないけど、エネルギーがチャージされてパワーが出るんです。

どんなにうまくいかなくても、笑っていないといけないと思う。

たぶんすぐ笑ってると思う。でも、笑わないっていうのも相当辛いんじゃないですかね。笑わせられても笑えないんですよ?稲垣(啓太)さんの歯を見たいですもん。まだ見てないですよね?どんな歯をしてんだろ?

プロゴルファーになって、取り上げてもらうことで、たくさんの人に知ってもらえることは、自分自身が願っていたこと。21歳にして経験できているのは、本当にありがたいです。そうやって周りの反響が大きい中でも、自分自身は見失っていないと思うので、今まで通りにこれからもやっていけたらと思います。

自分がジュニア時代の頃より、ゴルフ人口は減っていると思う。結果を出すことで、宮里藍さんのように、いろんな人にゴルフを知ってもらえる。藍さんが活躍されていたときに、テレビで見ていた世代が私たち。藍さんが世界ランク1位になったニュースは記憶にある。藍さんよりも活躍できる選手になれるように。ゴルフも人柄もそうですけど、藍さんは誰からも好かれる人なので、そういう人になりたいな、と思います。

技術はまだまだだけど、いい意味でずぶとく最後までできたかなと思います。調子がう~んと思う中でも、初心に帰る時間があったり、青木(翔)コーチから(アドバイスを)言ってもらったり。本当に『周りに支えてもらって』というのが一番大きかったと思います。

08年北京五輪ソフトボール日本代表の金メダル。私の中ですごい影響があった。金メダルを取った(ソフトボールチームの)皆さんの顔を見て、私もこういう体験をしてみたいなと。その時は(自身は)ソフトボールかゴルフか分からなかったけど、何かしらで大舞台に立ちたいと思って、家で見ていた。小学3年からピッチャーを始めていたので、上野由岐子さんの本を見て勉強したり、ピッチングの映像をスロー再生してみたりしていました。

北京五輪ソフトボール日本代表の上野さんの金メダルを見て、私も強くなって一番を取りたいという思いになった。日本で金メダルを取るところを見てもらえるのって、すごいことだし、それってめちゃめちゃ格好いいなと思う。全英女子以上に影響を与えられるのではないか。どの国の選手もみんな金メダルを狙うが、自分も取りたい。まずは(代表に)選ばれるために、というのが一番です。

『ゴルフを引退するなら、(海外)5大メジャーを勝ってからにしてくれ』と言われた。『何言っているんだ、この人?』と思ったけど、『5大メジャー制覇に、日本人の中で一番近いんだぞ』と。それを目標に頑張ろうと。制覇するためには、海外のツアーに早くから行っておかないといけないと思った。あと4つだけど、私はいつになったら辞められるんだろう(笑)。本当に最後の5大会目に勝ったときに『引退します』と言えたら格好良い。

目の前のことしか見えないので、実はあまり先のことは考えていないんです。いずれ、女王にはなってみたいですけど……。でも、練習は裏切らない。

ピンチでもチャンスでも、淡々と自然体でプレーできるところは強みなのかな。

どう思われようが自分の人生。

ありのままの自分でやればいい。

澁野日向子とは?(人生・生き方・プロフィール・略歴など)

澁野日向子。

1998年生まれ、岡山県岡山市出身。

陸上競技の投擲選手だった両親(父:砲丸投・円盤投、母:やり投)の下、三人姉妹の二女として生まれる。

父親は岡山市水道局に勤務しており筑波大学出身。

母親も同じ大学の1年後輩。

岡山市立平島小学校2年生の夏休みにゴルフと出逢い、その年の12月からは地元のスポーツ少年団に入団してソフトボールも始めた。

ソフトボールでは投手となり、バッテイングはゴルフスイングとのバランスから左打ちに変えた。

ゴルフでは2010年「岡山県ジュニアゴルフ選手権競技」(小学生・女子の部・高学年)で3位等の成績がある。

2011年に岡山市立上道中学校に進学、学校で唯一の女子選手として軟式野球部に入るが、同年「岡山県ジュニアゴルフ選手権競技」(中学生・女子の部)で優勝すると、中学2年生からゴルフ一本に絞った。

その後「岡山県ジュニアゴルフ選手権競技」(中学生・女子の部)では、2012年、2013年も優勝し3連覇を果たす。

2014年に岡山県作陽高等学校へ進学、同年の「中国女子アマチュア選手権」で優勝。

2015年「全国高等学校ゴルフ選手権大会」女子団体戦では同高校のメンバーとして出場し、大里桃子がいた熊本国府高等学校を抑えて優勝した。

高校卒業後の2017年、日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)最終プロテストに進出、3日目までで14オーバーとなった為、最終日はプレー出来ずに終える。

同年サードクォリファイングトーナメント(QT)B地区59位でファイナルに進めなかった。

2018年サードQT進出者の資格でTP単年登録者(後述のプロテスト合格まで)として、主にステップ・アップ・ツアーに出場。

主催者推薦競技会(マンデー)を経て同年唯一JLPGAツアーに出場した7月の「アース・モンダミンカップ」では、初日の9番ホールでホールインワンを達成して600万円を得た。

7月末のJLPGA最終プロテストに2度目の進出を果たし14位で合格。

JLPGA90期生となる。

ファイナルQTで40位となり、翌シーズン前半戦のJLPGAツアー出場資格を得た。

2019年プロテスト合格後にゴルフ番組に出演したのが縁となり、2月からRSK山陽放送と所属契約を結ぶ。

5月のJLPGAツアー公式戦「ワールドレディスチャンピオンシップサロンパスカップ」において通算12アンダーで同ツアー初優勝、20歳178日で大会史上最年少優勝となった。

JLPGAツアー初優勝が公式戦となったのは史上13人目、日本人に限ると2016年「日本女子オープンゴルフ選手権競技」の畑岡奈紗に次いで8人目となる。

公式戦優勝により翌シーズンから3年間のシード権を得た。

6月の「アース・モンダミンカップ」終了時点で年間獲得賞金ランキング(賞金ランク)3位に浮上し、8月の全米女子プロゴルフ協会(LPGA)ツアー「AIG全英女子オープン」への出場権を獲得する。

同年からの新設大会である7月のJLPGAツアー「資生堂 アネッサ レディスオープン」において、通算12アンダーで並んだイ・ミニョンとのプレーオフを制し、初代女王となり自身同ツアー2勝目をあげた。

海外初試合となった「AIG全英女子オープン」では、大会前の目標を「予選突破」としていた。

しかしながら、初日と2日目は2位、3日目は2位に2打差の14アンダーで単独首位となる。

最終日は、3番ホールで4パットを叩いてダブルボギー、その後11番ホール終了時点で前日終了時と同じ14アンダー、2組先でプレーしていたリゼット・サラスらに2打差の3位に後退するも、15番ホールで並び、最終18番ホールで約5mのバーディーパットを決め、通算18アンダーでLPGAツアー初出場初優勝をメジャー大会で飾った。

日本人女子のメジャー優勝は、1977年「全米女子プロゴルフ選手権」を制した樋口久子以来42年ぶり、2人目の快挙。

またLPGAメジャー大会初出場初優勝は史上2人目となった。

直後の同年8月5日付女子ゴルフ世界ランキング(世界ランク)で32ランクアップの14位となった。

8月16日から開催されたNEC軽井沢72ゴルフトーナメントに出場。

3日間のギャラリー数は2万1844人を記録し、同大会では2000年以降最多、2019年ツアー3日間大会で最多、公式グッズの『渋野日向子』タオルは会場オープンから1時間後に完売するなど「シブコ」フィーバーに沸いた。

試合は最終日3日目の最終ホール、入れれば優勝のバーディーパットを外し、更に返しのパーパットも外す痛恨の3パットで優勝した穴井詩に1打及ばなかった。

この日のテレビ視聴率はゴルフツアーとしては異例の12.3%と、2019年ツアーでは渋野の賞金女王がかかった最終戦リコー杯につぐ高視聴率となった。

9月の「日本女子プロゴルフ選手権大会コニカミノルタ杯」初日、5バーディ、3ボギーの70(パー72)で回り、6月の「ニチレイレディス」初日からの「国内試合における連続オーバーパーなしのラウンド数」を29とし、JLPGAツアー最長記録を更新した。

翌週の「デサントレディース東海クラシック」では、最終日に64を記録し通算13アンダーで優勝。

最終日に8打差を逆転しての優勝は1998年の「東洋水産レディス北海道」の大場美智恵と並ぶJLPGAツアー史上2番目の記録、また出場24試合での獲得賞金1億円突破は畑岡奈紗に次いで日本人2番目の記録となった。

直後の同年9月23日付世界ランクで自身最高位となる11位となった。

11月15日から開催された「伊藤園レディスゴルフトーナメント」で、カットラインに1打及ばず、3月の「アクサレディス in MIYAZAKI」以来国内26試合ぶりの予選落ちを喫した。

その翌週の「大王製紙エリエールレディスオープン」では、最終日に66を記録し通算19アンダーで優勝。

最終日同組で回った鈴木愛の4週連続優勝を阻むとともに、最終戦に賞金女王への望みを残した。

単独2位以上が賞金女王への条件となったJLPGAツアー最終戦「LPGAツアーチャンピオンシップリコーカップ」は、古江彩佳と共に2位タイで終える。

最終的に賞金ランク2位、メルセデスランキング1位となり、シーズンの自己採点を98点と評した。

2020年1月14日、サントリーホールディングスと所属選手契約を締結したことが発表された。

これにより2020年シーズンよりサントリー所属選手として公式競技に出場することとなった。

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