上野千鶴子の「大切な」言葉たち~上野千鶴子の名言・人生・生き方など~

上野千鶴子の「大切な」言葉たち

東大から祝辞の依頼を受けたときは「ご冗談でしょう?」と思った。最初は断ろうと考えました。私は入学式も卒業式も、儀式というものがキライな人間ですから。でも、学内には水面下で私をノミネートするために尽力してくださった方々がいることがわかりました。また、尊敬する方に相談したら「やりなさい」と背中を押されました。その方は東大嫌いなのに、勧めてくださった。だから受けることにしました。

英語に苦労?はい、さんざんしました。日常的な会話が全くできなかったんです。私は一生懸命しゃべっているのに、たとえば、スーパーマーケットのレジのお姉さんがけんもほろろな扱いをするんです。とくに私がエスニックマイノリティであればあるほど、露骨な差別をする。「Pardon, me? (え、なんですか?)、「Say it again(もう一度言ってください)」「I cannot hear you(聞き取れませんでした)」、これを1日に1回は必ず言われるんです。1日に1回ならまだ許容限度でしたが、3回言われたら、精神的に参ります。毎日、毎日つらい思いをしました。私、本気で泣きました。

小学5年生といえば、11歳ですね。まだ、その年齢だと、東大女子が大学名を隠すような性規範に染まっていないかもしれません。多くの男女は第二次性徴の頃から、ジェンダー・ソーシャライゼーション(男の子向け/女の子向け社会化)を受けます。「男はこうあるべき、女はこうあるべき」という規範を刷り込まれていきます。とくにメディアや少女漫画からの刷り込みは大きいですね。女子は男性を脅かさないかわいい存在であるべき、という有形無形のプレッシャーを感じることになります。小学生だと、まだそういう社会的な圧力を、男女共に感じていないのでしょう。

私自身は子どもを産んでいませんから、一部の政治家に言わせると “生産性の低い女“ なんですよ。「子どもを産まないのは悪だ!罪だ!」と言われていた頃は、「子どものつくり方、学校で教えてくれなかったんです」と切り返してましたね。

英語の上達法としては、もう仕方ないから、腹をくくって自分をさらけ出すだけ。まわりを見ていると女の子のほうが比較的早くうまくなりますね。男性より女性のほうが概して大胆で、さらけ出しの度合いが高いし、一人で行動するし、ボーイフレンドができる。私もざっくばらんな性格で、自分をさらけ出すことに対するメンタルブロックが低く、アメリカ人に「どうしたらチズコみたいにそんなにオープンになれるんだ」と、よく言われました。開き直ってしまえば、あとは赤ん坊と同じで「口移し」。相手の言う通りに真似して言う。これしか外国語がうまくなる方法はありません。

私が「空気を読まない」女だと思われたからですか?社会運動をやるには、空気を読むのが当然です。状況を見極めて、誰が敵か、敵の弱点が何かがちゃんと分からないと、戦略も戦術も立たない。空気を読んだ上で、自分の信念に照らし合わせて、その都度どう動くかを判断します。

東大の人事は今でも大半が非公開です。ですが、多様性と国際性には配慮してきたと思います。東大は、そういう意味では積極的に動いてきた所です。例えば、工学部建築学科に高卒の教授、安藤忠雄さんが生まれましたし、情報学環には在日韓国朝鮮人の教授、姜尚中さんが採用されました。そういう人事を比較的大胆にやってきたのが東大です。祝辞の中で「東大は変化と多様性に開かれた大学です」と言ったら、後で「そんなことはありません」とクレームが付きましたが、他大学に比べて相対的には、という意味です。

他の国は努力して変えてきています。例えば、男女賃金格差は、「国例女性差別撤廃条約」を批准したところではどこの国でも縮小しています。そのあいだ、日本は何もしなかったせいで、変化がありませんでした。変化が無いせいで変化した国に追い越されて、日本はどんどん悪くなったというよりも、変化が無いことで取り残されたというのが現状だと思います。

日本はもう製造業の時代が終わり、情報産業と知識資本主義の時代。情報生産性の高い人材を確保しなくてはなりません。では情報生産はどこで起きるかというと、システムの中ではありません。異なるシステム同士の間でしか生まれません。異なるシステムの間に足をかけて、組織の中にノイズを持ち込む、そのノイズが情報に転化して、企業の生産性が高まります。 異質性を高めることが必須なのに、それをわかっていないトップが多いのが現状です。ノイズのない集団にいることが安逸だという生き方をしてきたからでしょう。だから、私は常々言っています。「日本企業は現状を変えない限り“巨艦沈没”する」と。

私は経営者の人や管理職の人と話すと、「この人たち、危機感がないな」と感じることが多いです。「このまんまじゃボクらは沈没する」とは思っていない。この人たちが「変わらなきゃ」って思う時は、いつだろうかと考えると、怖くなりました。彼らが危機感を覚えた時には、もう手遅れなんじゃないかと。

もともと女性マーケットを対象にしている資生堂のような企業ですら30%を目標にしなければならないということ自体が、国際比較をすると問題ですね。やはり強制力のあるクオータ制を導入しなければ達成はむずかしいでしょう。その結果、日本は変わらないまま、諸外国が変化する。つまり変われない日本はジリ貧になっていくということです。

答えがただ一つの問いに、正答率の高い人材ばかりを選抜していては、最初から無理です。そもそも教育の出口(企業)が同調性の高い人材を採ることが問題。

3割までは増やしてもいいような気がします。3割だって相当な数です。組織論的には3割という数字は、集団の中のマイノリティが3割を超せばマイノリティがマイノリティでなくなって、組織文化が変わる、という分岐点、クリティカル・マスと言われる数字です。

日本の女性は自己主張が下手ですよね。それはずっと『可愛らしく、一歩下がって控えめに』と育てられてきたから。でもこんなの、“誰かの人生の脇役になれ”と言われているのと同じですよ。だからまずは、嫌なことは嫌、やりたいことはやりたいとはっきり言うことです。そしてあなたが母親なら、子どもに“自分の人生の主役になれ”という育て方をするのもすごく大事です。自分の夫にも、パートナーとしてしっかり働きかけることですね。こういうことを言うと、『夫にはなかなか言えなくて』なんて言う女性がいるけど、好きで一緒になった相手でしょう? そこまで遠慮しなきゃいけないなんて、おかしいと思いませんか。

人生には「上り坂」と「下り坂」があります。そのピークは50代でしょうか。上り坂の時期は、昨日までもっていなかった能力や資源を今日は身につけて、どんどん成長・発展していく。その反対に下り坂は、昨日まで持っていた能力や資源を次第に失っていく過程です。老後は下り坂ですから、そこを生きるためには「下り坂を降りるスキル」が必要です。そこでは、相手を威嚇するために、自分の手札を実際よりも強く見せるようなやり方とは対極の、自分が持っていない能力や助けを相手から引き出すための「弱さの情報公開」が欠かせません。

栄養水準も向上し、医療水準や衛生水準、介護水準が高くなった今の日本社会では、「ピンピンころりと死にたい」といっても、突然死は期待できません。脳血管障害を経験しても多くの人が半身マヒや言語障害などの後遺障害を残して、かなりの期間、生き延びることになります。すなわち、誰でも老いれば平等に衰え、中途障害者になる可能性を持っているのです。ですから、「生涯現役などといえばいうだけ、いったあなたご自身がつらいでしょう」と思うのです。それゆえ虚勢を張らずに、自分の弱さを人に見せて、「助けてくれ」といえるようにすることが大切なのです。

私はリアリストでプラグマティスト(実用主義者)。何かが起きると、頭の中でシミュレーションが始まる。だいたい物を考えると最善に行かず、最悪の方に行くものです。すると最悪のシナリオよりも現実はいくらかまし。そう思って、いくつもの危機をしのいで来ました。そのせいで土壇場と瀬戸際に強いと言われます。

女性初の大統領であるタルヤ・ハロネン元大統領に、「女性指導者には何が必要か」とたずねたときに、「sense of humor(ユーモアのセンス)」という答えが返ってきました。政治には役に立たないけれど(笑)、自分のメンタルを維持するのに大切だ、と。そのとき、さすが、苦難を切り抜けて、ここまで上り詰めた人だと思いました。フィンランドだってスウェーデンだって、ほんの半世紀前までは保守的な男性社会だった。それが変わってきた。いや、「変えてきた」んです。

若い人たちへのアドバイスは簡単です。「見るな」「聞くな」「無視しろ」。ところが、このアドバイスが有効でないことに気づいた。彼女や彼にとっては、ネット上のバーチャル(仮想)空間が世間の一部。ネット上の自分がアイデンティティーの一部を構成しています。子育て中に、泣き叫ぶ子どもを傍に置いてSNSで不平不満を発信して、「いいね!」を何百ももらうと承認欲求が満たされるっていう。それであなたの子育ては一ミリでも楽になるというの? ならないですよ。ネット上の人たちは、手も足も出してくれない。自分の現実を少しも変えないのに。

対面的なコミュニティーは逃げも隠れもできないけれど、ネット上のコミュニティーはアカウントを閉じたら遮断できる。ネットは単なるツール。そのツールを自分が生き延びるために使うか、自分を追い詰めるために使うかは使い方次第。多次元的なセルフ(自己)をハンドリングできればいい。それが容易にできるようになったのは、ネットコミュニティーの良いところ。逃げられないなら、叩かれたり、反論したりしながら習熟した方がいい。私は時間の無駄なので、絡まれても無視して反論しないけれど。

空気を読む、読まないの「空気」は言語化されないものですが、そこに込められた、人の善意や悪意は確実に伝わります。「上野さんが打たれ強いのはどうしてですか」とよく聞かれるけれど、空気を読まない鈍感さはないので、善意も悪意も両方感じます。どんなに低レベルでナンセンスな非難や攻撃でも、真っ黒な悪意が吹き付けてくるのを感じると、嫌な思いをするものです。若い人が発信に恐怖を感じるのも理解できる。

あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったことを忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。

夫ひとり変えられなくて、社会は変えられない。

日本の女性は“可愛く”あるように育てられてきていますからね。控えめが美徳とでもいうように、「人生の脇役になれ」と言われて育ってきているわけでしょう。「人生の主役になれ」という育て方を親がきちんとするということがすごく大事だと思いますよ。もっと自己主張をして、イヤなことはイヤと言う、やりたいことはやりたいと言うこと。そして人生の主役になる生き方をしてほしいですね。

待ち受けているのは、これまでのセオリーが当てはまらない、予測不可能な未知の世界です。これまであなた方は正解のある知を求めてきました。これからあなた方を待っているのは、正解のない問いに満ちた世界です。学内に多様性がなぜ必要かと言えば、新しい価値とはシステムとシステムのあいだ、異文化が摩擦するところに生まれるからです。学内にとどまる必要はありません。東大には海外留学や国際交流、国内の地域課題の解決に関わる活動をサポートする仕組みもあります。未知を求めて、よその世界にも飛び出してください。異文化を怖れる必要はありません。人間が生きているところでなら、どこでも生きていけます。あなた方には、東大ブランドがまったく通用しない世界でも、どんな環境でも、どんな世界でも、たとえ難民になってでも、生きていける知を身につけてもらいたい。大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、わたしは確信しています。

自分が自分を縛っているところもあるのよね。夕食におかず3品作らなきゃいけないって誰があなたに頼んだの?とか。はたと立ち止まって考えたら、自分の呪いは自分で解くことができるから、周りの言葉より自分を縛る思い込みのほうが問題かもしれませんね。

上野千鶴子とは?(人生・生き方・プロフィール・略歴など)

上野千鶴子。

1948年(昭和23年)生まれ、富山県中新川郡上市町出身。

父は内科医。3人兄弟の長女。

父が進めた二水高校に進学し、新聞部に所属。

京都大学時代は全共闘活動家でしたが、闘争のバリケードの中でも女性差別を経験したそうです。

大学院生時代は京大俳句会に所属し、上野ちづこ名義で俳人として活動していました。

京都大学大学院社会学博士課程修了。

平安女学院短期大学助教授、シカゴ大学人類学部客員研究員、京都精華大学助教授、国際日本文化研究センター客員助教授、ボン大学客員教授、コロンビア大学客員教授、メキシコ大学院大学客員教授等を経る。

1993年東京大学文学部助教授(社会学)、1995年から2011年3月まで、東京大学大学院人文社会系研究科教授。

2012年度から2016年度まで、立命館大学特別招聘教授。

2011年4月から認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長。

また、同年から東京大学名誉教授となっています。

著書に『家父長制と資本制 – マルクス主義フェミニズムの地平』(1990年)があります。

『セクシィ・ギャルの大研究』(1982年)は表紙カバーに推薦文を寄せた栗本慎一郎や山口昌男、あるいは 鶴見俊輔などから評価され、文化人類学・記号論・表象文化論などの方法を使って現代の消費社会を論じるフェミニストとして知られるようになります。

特に1987年(昭和62年)から1988年(昭和63年)にかけて世論を賑わせたアグネス論争にアグネス・チャン側を擁護する側で参入しました。

1990年代以降も家族・建築・介護・福祉の問題や文学・心理学・社会心理学などの学問領域で論じています。

近代家族論として『近代家族の成立と終焉』(1994年)などがあり、それを発展させて近代国家論を取り扱った『ナショナリズムとジェンダー』(1998年)や、介護問題に派生させた著作もあります。

博士課程退学後にマーケティング系のシンクタンクで仕事をしていたこともあって、消費社会論の著作も多い。

文学論としては、小倉千加子、富岡多恵子との鼎談『男流文学論』(1992年)、『上野千鶴子が文学を社会学する』(2000年)などがある。現代俳句の実作者であった時期もあり、『黄金郷(エル・ドラド)上野ちづこ句集』(1990年)があります。

このほか、性愛(セクシャリティ)論、市民運動論、学校論など様々な分野での著作多数。

また、論文集『日本のフェミニズム』や『岩波女性学事典』、『岩波講座現代社会学』『社会学文献事典』などの共編集者を務めている。

2013年に『ケアの社会学…当事者主権の福祉社会へ』で東京大学より博士(社会学)を取得しました。

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