大塚愛の「大切な」言葉たち~大塚愛の名言・人生・生き方など~

大塚愛の「大切な」言葉たち

前世が貧乏人だったのか(笑)、昔から無駄なお金を使うのが嫌だったんですよね。上京したときも、すでに事務所とは契約していたし、「自分で東京へ行くって決めたんだから」と思って、親からの仕送りはもらわずに生活していました。自分でなんとかしなきゃなって。

「音楽をやる」って言って上京して来たわけじゃないですか。それなのに、売れなかったらどんな顔して大阪に帰ったらいいんだ?って思ったんです。「戻る場所はないんだ」って思っていましたね。

私も不思議なんです。どちらかというと、小学生の頃は「過保護だよね」って言われてたので。東京へ出てきて「売れたい」「自立したい」という話を人にするたびに、「なんてしっかりしてるの!」と驚かれて、それで自分は人より自立心が強いらしいということに気づいたんですよ。

最初に作った曲を友人に聴かせたら、「古いね」って言われてすごく落ち込みました。「ああ、やっぱダメだ。私、曲作りイケてない」って。その後も、結構いろんな人にダメ出しされたんですよ。「声がよくないよね」「暗いよね」って。でも、かなり心が折れたはずなのに、気づいたらまた曲作りを始めてるんですよね。なぜ諦めなかったんだろうって思うくらい。

「そっか、暗いのがよくないんだ」って。当時は小室サウンドからモー娘。を代表するアイドルブームへ、時代が大きくシフトしている頃で、アッパーな楽曲が流行ってたんですよね。これじゃあ、自分の暗い歌声は時代に合わないなと。「だったら、自分が歌わなくてもいいから明るい曲を作ろう」と思って作ったのが、“さくらんぼ”なんです。

音楽活動以外の部分で、「あれ?」って思うことは多くなっていきましたね。テレビや雑誌の取材を受けるときに、いつまでも“さくらんぼ”のイメージでピンクのセットを組まれたり、フワフワの毛がついたボールを出してこられたりして(笑)、すごく窮屈な思いをしました。どんな曲を書いても、ちゃんと聴いてもらえず「あなたはこうでしょ?」みたいにされているわけじゃないですか。「なんでこうなっちゃったんだろう」って。そんな状況でコンスタントに作品を作るのがしんどかったですね。

自分のスキルの低さ、至らなさを常に思い知らされ、反省させられるところですかね(笑)。その日に向けてどれだけ練習しても、演奏中になにか気になることがあったりすると、途端に演奏に集中できなくなったり、その日たまたま「この曲、あんまり好きじゃない!」ってモードになってしまったり、そういうのがダイレクトに左右されてしまうのが弾き語りだと思うんですよ。気持ちが全て出てしまうのが、シンプルであることの恐ろしさなのかなと。自分の気持ちをコントロールすることの大切さと難しさを、最近はひしひしと感じていますね。

デビューした頃の自分は、すごく視野が狭かったと思うんです。その頃は経験も音楽の知識もなかったけど、いろんな人と出会い音楽を知っていく中で徐々に視野が広がっていって、自分の立ち位置の脆さにも気づき始めたというか。階段をどんどん登って見える景色がどんどん高くなると、怖くもなってくるんです。「ここで転んだらシャレになんないぞ」って(笑)。

大丈夫かな。私、脳のメモリ容量が昨日分くらいまでしかないんですよ。

「子どもへの愛に勝るものはないな」って。そう思ったら、恋愛ってある意味「ごっこ」というか。子どもへの愛はもうレベルが全然違っていて、それを体験したことで、「今までの自分の感情や考え方って、チープだったのかも」と思ったりもしましたね。

子どもと関わることで、自分がどんどんピュアになってきていると思います。人ってピュアな状態で生まれて、だんだんトンガっていって、いろいろ雑念も増え(笑)、それで子どもと出会ってまたピュアに戻っていくんじゃないかなって。

親になってから、子どもの手前『精神状態が右往左往しちゃいけないな』と思い、感情ブレーキがはたらくようになってきたんです。でも過去の楽曲はすっごく激情型だなと思って。生きるの大変だっただろうな……と他人事のように思ったり(笑)

これまでずっとマイナスがマイナスでマイナスすぎてプラスになることしかないくらいネガティブなんですよ!(笑)。でも娘は私と正反対で、すごくポジティブな人なんですよね。私が『ママはもうだめだ!』と言っていると必ず『ママはだめじゃないよ。まったくだめじゃない』と返してくれる。彼女はけっこう物事をはっきり言うタイプなので、曲作りをしている時に『今の曲いいと思うよ!』と言ってくれたときはそれを提出しています(笑)

ひとりの人間との出会いだなと思っています。彼女は私にないものをいっぱい持っているんですよ。『ママはなんでいつもそんなふうに考えるの?大丈夫だよ!ママは今そんなに売れてないけどさ!』って……おいおいもうちょっとオブラートに包もうか!?って(笑)

娘は『今日もごはんが食べられるんだから私たちはこんなに恵まれてる』って感じの性格。だけど、私はずっと上を見て、自分の低さを感じるタイプ。私は下見ないです、上には上がいるから。娘は自分にないものを持っているから『あなたってすばらしい人ね』ってよく思いますけどね。彼女から貰うものもあるし、私が『あーだったかな、こうだったかな』って言ってると『その悩み、必要?』って叱られる(笑)。それが神のお告げにも聞こえるんです。

『彼女には神が入っているのかな?』と思うくらい子どもに見えなくて。私のほうが年下に見える時もあるんです。彼女は私の仕事のことも考えて、なんの文句も言わずに家事もしてくれるし、いろんなことを受け入れて我慢してくれる。あと、一緒に寝ていると、彼女が私に腕枕をして、私が彼女に抱きついていて、彼女が私の頭をなでなでしていることもあったりして(笑)

36歳にもなるとある程度なんでも見たことがあるし、なんでもやったことがある分、若い時の気持ちで曲を書くのは難しいんですけど、彼女の目線で物事を見ることができてきたことで、彼女の初めての体験とともに若い気持ちを過ごしている感覚があるんです。彼女の細かい仕草や表情から彼女のなかに入って、『登校の時の気持ちはこんな感じかな』『たしかに学校ってそういう場所だよね』と思ったりして。きっとこれから彼女の目線で若い恋愛をして『そうそう、こんなことでドキドキするんだよね』と感じられるのかな……と思っていますね。

世界観といっても、“嘘”を作ってるわけではなくて。私自身が破天荒に生きてきただけですね。いや、破天荒なのかな? 結構真面目な気もするんだけどな(笑)。

小さい頃、ピアノの先生に、「あなたはピアノが下手くそなんだから、まずはそれを受け入れること」って言われたんですよ(笑)。「下手なのに背伸びしようとするのではなく、下手は下手なりに頑張ればいい」って。それと、「もし本番中にミスタッチをしても、決して顔に出さないこと。涼しい顔をしていなさい」と言われたことも印象に残っていて。それを思い出すようにしたら、随分緊張しなくなりましたね。

一部分だけがピックアップされてイメージ付けされていって、自分が思う大塚愛と世間が作った大塚愛にズレが生まれてきたんです。もともと縛られるのが苦手で仕方がない自分が、世間が作った大塚愛の中で曲作りをしなければいけない。息苦しくてずっと逃げたかった。街で『大塚愛さんですよね?』と声を掛けられることも怖いと感じてしまったんです。

「自分をぶっ壊す」ということが本格的にできたと思いますね。それまではどこかで自分自身に飽きていて、今までの自分をアンチ的に見ることが続いていたので、それを早く壊したい、リセットしたいという思いがあったんです。

イメージを変えるというのは難しいことですよね。でも、そういう挑戦ができるのは昔のヒットがあったからこそだし、過去は過去で大事にしたいなって、今は思えるようになってきています。もちろん、「今はこういうことをやりたい!」という感覚は大切にしたいし、そこもちゃんと伝わるような音楽家でありたいと思っていますね。まだまだ全然、納得のいくレベルまでいけてないですけど、いつかそうなれるよう明日に希望を託して頑張っているところです(笑)。

音楽に限らず、どんな作品にもヒットできる“幸せの代償”みたいなものがあるんだと思うんです。『あれのおかげで、ありがたく』って気持ちも前提にあるんだけど、『それだよね!』って言われる感じ。自分がそこで死んじゃえば、それでもいいと思うんですけど、でも日々常々変わるので。もともと固定されることが嫌いっていうのもあるんです。ずっと同じ場所にはいたくない。そこから逃げるには、なにかで一回ブチッと切らなきゃいけないなって思っていて。

いろんな人に出会った15年だったし、まったく知らないことを知っていく15年だったなって。自分が触れるすべてのものが自分を構築していくと感じるなかで、全然自分ってまだ知らないことがいっぱいなんだな、無知だなって思うことが多くて。どんなに組み立ててもまったくそのとおりにならないなっていうことも、この15年で学びました。『組み立てるだけムダだ!』って。だから、自分の得意でもある、ここがいいところだって思ったらやっちゃうんです。お金の計算はしたほうがいいんでしょうけど、それ以外のことは想像するだけムダ。もう、思って口に出して、そのままにしない。思ったらまずやって、それがどうだったかを判断するんです。

自分の“これだ!”っていうカンを取り入れながら『このタイミングでこの人に出会ったのは意味があるんだろうな』とか『この人と別れたのは全部を学んで卒業する時期なんだ』とか――。そうやって人を喰いながら(笑)、出会ったあいだに生まれたいろんなものをいただきながら、自分がどこまでいくのか自分でも楽しみ。『あっ、ここが着地点だったんだな』って思いながら死んでいくのかなあって感じです。

わたしにとって、作品こそ大切。作品はひとつの生きものだから、それが最もいい環境を得て、どんどん広がっていってくれれば何よりうれしい。自分自身が前面に出たいとはまったく思わないです。

やっぱり曲は「ああ、悲しい! 人生終わりだ! 死にたい!」くらいまで感情が動かないと出てこないですよね。感情が動いていない状態で作るものは「無」だと思う。

最初からけっこう生意気でしたよ。デビュー前はデモテープをレコード会社に送ったって何の反応もないことがよくあったけど、『わかってもらえないのはたまたま相性が悪かっただけ』と思うようにしてました。こっちはいいものつくってるんだ、わからない人のセンスをこそ問いただしたい! というくらいの気持ちで。だって、芸術って好みじゃないですか。いいか悪いかなんて誰にも決められない。同じ曲をいいと思う人もいればそうじゃない人ももちろんいる。自分としては、ひとりでもこれをいいと思ってくれる人がいると信じて、アタックし続けるのみですね。

もう自分のやりたいようにやる!って感じですかね。今までも周囲を気にして楽曲を創ったりはしてなかったんですけど、その反響に対して凹む自分もいたし、辛いなと思うところはあったんです。でもそんなこと思っても仕方ないから。誰か1人の為になら楽曲は創れるんですけど、大勢の為にってなるとハチャメチャ過ぎちゃって創れない。ってなると、自分が「この作品を創ってよかった」って思うものを目指すしかないんですよ。自己満になるんですけど、そこが一番として無いと、それを自信持って「聴いてください」とは言えないので。

こうして普通に素直に感謝できる人になれたのは、出逢った人たちがすごく素敵な方々だったので、浄化されたんだと思います(笑)。

人生どん底というくらい悲しみに暮れている人には必ず『その悲しみを本にしてお金にしなさい』と言っていますね(笑)。悲しみが身体のなかにたまっていったら病気になっちゃうから、とにかく外に出さないと!

自分の顔を必ず鏡で見て自分で状態を判断する。人の教科書とか人の定義に合わせないこと。だってその人には合ったかもしれないけど自分に合うかはわからないから。

行動と失敗を繰り返すことです。私の場合、頭が良くないので、想像したりとか何か読んだり学んだりということがどうやってもダメ(笑)。やってみないとわからないということで、まずは行動をする、それから何が足りないのかを自分でしっかり見極めてからそれを補う。失敗は必ずするんですよね、大切なのは必ずそこで諦めないこと。それを繰り返していけば夢は叶うと思います。

誰に何を言われても、「あんたがわかってないんだ!だったら

他の人に聴かせる」という気持ちで、突き進んでいくこと。そういう風に自分のことを“勘違い”する。そして凹まない、落ち込まない、やめない、止まらない!

自分はいけるはず!という勘違いが原動力かな(笑)。

大塚愛とは?(人生・生き方・プロフィール・略歴など)

大塚愛。

1982年生まれ、大阪府大阪市出身。

中学時代の1997年4月、「第1回 ORC200ヴォーカルクイーンコンテスト」ティーンズ部門でグランプリを獲得。

高校時代はサンミュージックブレーンに所属し、後に学生時代の友人とインディーズで「HimawaRi」というグループとして活動していた。

「さくらんぼ」はその時代にすでに完成しており、かつてはデュオによる歌唱がインターネット上で無償で公開されていたこともあった。

幼いころ子供向けミュージカルに挑戦した際、指導者からピアノの先生を紹介してもらい、4歳からピアノレッスンを初めた。

これは大阪を離れる18歳まで行っており、作詞作曲を始めたのも15歳の時にその一環として促されたためである。

「さくらんぼ」だけではなく、メジャーリリースされた楽曲の多くをデビュー前に作っていて、その数は60曲以上にも及ぶ。

2002年、エイベックスに送った自作のデモMD(「さくらんぼ」「桃ノ花ビラ」「大好きだよ。」が収録)が審査員の目にとまったことがデビューのきっかけとなり、翌2003年9月10日にシングル『桃ノ花ビラ』でデビュー。

デビュー作のリリースから3ヶ月後の2003年12月、大塚は2ndシングル『さくらんぼ』を発表。

同作の大ヒットにより、大塚は注目を浴びることになった。

「さくらんぼ」でブレイクした後も、「Happy Days」や「大好きだよ。」といった楽曲がヒットを記録。

2004年11月には2作目のアルバム『LOVE JAM』を発表し、大塚にとって初めてとなるオリコン初登場1位を獲得。

『発表!!第37回 日本有線大賞』(TBS系)や『第46回 輝く!日本レコード大賞』(TBS系)などに出演。

それぞれの番組で、大塚は最優秀新人賞の栄冠を手にした。

また、同年の大晦日に行われた『第55回NHK紅白歌合戦』(NHK)にも出場を果たしている。

2005年に入っても、オリコンランキングで首位を記録した。

「SMILY」や「プラネリウム」など、自身の代名詞となる楽曲を世に送り出し続けた。

RIP SLYMEの一員であるSUと2010年に結婚し、翌2011年に女の子をもうけた。

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