本田真凛・本田望結の「大切な」言葉たち~本田真凛・本田望結の名言・人生・生き方など~

本田真凛・本田望結の「大切な」言葉たち

本田真凛

最後まで演じるということを最初に考えて滑っていたので、その部分ではできたんじゃないかなと思います。ただ、今の段階では全然完成していない状態。まだ、もう少し時間が必要だなっていうふうに感じているので、一日一日大切にスケートと向き合っていきたいな、逃げることはしたくないなと思います。去年の今は、『スケートがちょっときついな』って思うこともあったんですけど、今はスケートとしっかり向き合えていると思います。(妹の)望結に言われたんですけど、『逃げ道の先には行き止まりしかないよ』って。その言葉を信じてやっていきたいと思います。

昔は、人が何回もやってできることを、自分の中では結構すぐにできてしまって。でも、できるのがいいことではなくて。すぐにできるから、コツコツとジャンプを習得した選手よりも、安定しないというのがありました。

緊張からどう逃げられるか、ばかり考えて演技していました。でも、今日は昔のように、たくさんの人に楽しんでいるのが伝わったかなと思います。たくさん練習は積んだので、あとは気持ちの問題と思って。自分らしく演技することができてよかったです。練習だけでなく、ふだんの生活でも、『明るくなったね』と周りから言われるようになって、自分らしくいられるようになったのかなと。

逆算して考えてはいます。残り少ない、何年かの競技生活で、満足のできる演技を増やしていきたい。長く競技をできない分、将来できることは逆に多いと思います。でも今は、やらないといけないことを考えて生活していくつもりです。

コーチに本気で怒ってもらえる選手になる。

出られるだけありがたい。周りは関係ない。頂けた場所でしっかり演技したい。

本田望結

じつは、私が一番末っ子みたいな。オンとオフじゃないですけど、姉妹の中で一番下っていう感じで、すごい(姉と妹に)なめられています。仕事の現場にいる時と、家にいる時の違いがヤバいらしいです(笑)。

普通の人生の中で1つのページとしてスケートはあるだけだと思うので。姉も(これまで)自分でいろいろ決めて、それに対してたくさんの方からいろんな言葉をいただいて、きっと気持ちの中でゆらゆらしている部分が…まあ、確実に今はないと思いますけど、去年の全日本のときにはきっとそういう(揺れている)気持ちがあったと思うので、「逃げた道っていうのは行き止まりでしかないよ」と言いました。それが姉にはけっこう心に残ったみたいで、取材の時に言ってくれたんだと思います。”スケートをしている姉”というよりは、”姉の人生”として、あのとき、すごくつらい時期なのかなと思ったので、そういう言葉をかけました。

私はお姉ちゃんのことをライバルというよりは憧れの人として見ていますけど、いつかはお姉ちゃんにライバルだと思ってもらえるようになりたいです。あと、たぶん紗来は私のことをライバルだと思っているので(笑)、私がお姉ちゃんにそう思うように、紗来が『望結に憧れている』と言ってくれるように頑張りたいです。

小さい頃から大人の方と一緒にお仕事をしてきたので、やっぱり精神年齢みたいなものは上にあると思うんです。それに、小さい頃から相談相手がいなくて、全部自分で決めてきたからというのもあると思います。大人の方にも自分の意見をしっかり言いますし。自分で決めている道が自分の中にはもうあるので、それに対して「しっかりしてるね」って言ってくださるのかなと思います。

全部自分で決めます。誰かに相談して、そのとおりに実行して失敗した時に、やっぱり相談した方のことを考えてしまうじゃないですか。それだったら全部自分で決めて、後悔というものは自分で背負ったほうがいいなと思うし、誰のせいにもしたくないなと思った時に、じゃあ自分で決めようかなって思っていたら、いつの間にかそういうスタンスができていたんです。

いざとなったら、やっぱり全部私が決めちゃいます。「これに乗るから早くして」みたいな。何か食べる時でも作る時は全部私が材料も揃えて。「よし、やりましょう」みたいな感じなんです。根が真面目なので、お願いごとをされちゃうのかなと思います。

今も変わりなくどちらもがんばりたいと思っています。2016年に強く思ったのは「中途半端にはなりたくない」。ずっと昔からその気持ちはありましたが、「目の前のことを100%の力で」という思いがより強くなりました。一年を通して両方を全力でできたのかは分かりませんが……たくさん勉強させてもらいました。2017年は「自分にしかできないこと」が目標です。何をするのかはまだ決めていませんが、自分らしく、「自分にしかできないこと」をがんばりたいです。

2つのことをやるのは誰にでもできると思うんです。でも、その2つを(トップレベルで)できるっていうのは、今は大谷さんしかやれていないことだと思うので、そういう面に関して憧れています。一方で、今の私は(2つのことを)やっているだけなので、全然二刀流でもないですし、強いて言ってもらえるなら”二足の草鞋を履いている”という感じですね。私も、ちゃんと成績というか、お芝居の面でもスケートの面でも早く結果を残したいなと思って、頑張っています。

一番はやっぱり表現力です。小さいころからお芝居ということを経験させてもらっているので。フィギュアスケートというと、ジャンプがひとつの大きなポイントになると思うんですけど、そこだけじゃなく、”物語”として私のスケートを見ていただけたら嬉しいなと思うので。私は記録じゃなくて記憶に残る選手になりたいと思っています。

「自分は自分」ですね。誰とも比べない。何か苦しいことがあった時は、「私は私」って思います。ほかには、「これがダメだからって死ぬわけじゃない」っていつも言い聞かせています(笑)。

本田竜一(お父さん)

子どもがやりたいことを見つけられる環境をつくることが、親の役目かなと思うんです。そのきっかけを与えるために、私と妻が良いと思ったものはフィギュアスケートに限らず、すぐに飛びついて子どもたちにやらせていました。もともと妻がそういうものを探すのが好きで、「これどうかな?」と、習いごとだけじゃなく、子どもに良いといわれるおもちゃや食べ物とかをよく見つけてくるんですよ。

長男の太一と次女の真凜はアイスホッケー、水泳、体操、テニスに、ピアノと絵画教室。勉強も頑張っていて、七田チャイルドアカデミーと公文式に通わせていました。長男の太一はこれ以外にもスピードスケートとサッカーも習っていて、太一も真凜も1日に2、3つかけもちをして、毎日何かしらの習いごとに通っていました。

一番大切なのは子ども自身の「やりたい」という意欲ですが、それプラス、子どもが取り組んでいることを親がどれだけ好きか、ということ。そして、子どもが競技する姿を見たいという気持ちが、大変な毎日を乗り越える原動力になっていたと思います。

期待してしまう部分はありますが、なるべく口を出さずに見守ろうとは思っています。責任逃れではないのですが、子どもたちの考えをよく聞いたうえで最終的には自分たちで判断させる。だから、親からというよりは、自分で決めたことへのプレッシャーがあるかもしれないですね。

親がそうじゃないと思っても、最終的には子どもの選んだことや発する言葉が正しいのだと、真凜の演技を見てあらためて思いました。だから、もし「辞めたい」と子どもが発してきたのなら、それに応じてあげれば新たな未来が待っているのかもしれません。

本田真紀(お母さん)

子どもがやりたいことは、何があっても応援してあげる。口出しもアドバイスもせず、したいようにさせる。一度決めたことは、決して曲げずに貫くことです。

あなたらしさを忘れないで、あなたのままで居てくれることだけ、それだけです。

いつも良い時ばかりではありません。立ち止まったり、振り返ったり。でも、わが子と共に学び、同じ時間を共有できるのは、実は人生のほんのわずかな間。怒ったり、泣いたりしながら、子どもと一緒にすごせる時を大切にして欲しいです。

本田真凛・本田望結とは?(人生・生き方・プロフィール・略歴など)

本田真凛

本田真凛。

2001年生まれ、京都府京都市伏見区出身。

5人兄弟の次女(3番目)で、一般人の姉と兄の太一、そして望結と紗来の2人の妹がいる。

太一、望結、紗来もフィギュアスケーターであり、望結と紗来は女優としても活動している。

また、望結と紗来と共にオスカープロモーションに所属していた時期もあった。

2歳でスケートを始め、他にアイスホッケー、水泳、体操、テニス、ピアノ、絵画教室を掛け持ちしていた。

EQWELチャイルドアカデミー及び公文式卒業生。

関西大学初等部および同中等部卒業。

関西大学高等部1年次修了後に、練習拠点をアメリカへ移すとともに青森山田高等学校普通科スポーツコース2年次へ編入学。

2011年、全日本ノービス選手権(ノービスB) に初出場し2位となる。

これによりノービス強化選手に指定され、翌2012年3月、初の海外公式戦であるチャレンジカップデブスクラスに出場し優勝。

2012年、全日本ノービス選手権(ノービスB)では歴代最高得点をマークして優勝。

2013年トリグラフ杯ノービスクラスに出場し優勝する。

2013年世界国別対抗戦には開催国の招待選手としてエキシビションに参加した。

2013-14シーズンより日本スケート連盟のフィギュアスケート強化選手に初めて選ばれる。

2013年アジアフィギュア杯と2014年プランタン杯のノービスクラスではそれぞれ2位に入賞。

同シーズンの全日本ノービス選手権(ノービスA)では3位となり、全日本ジュニア選手権ではショート13位からフリーで2位と大逆転し、総合5位に入る。

2014-15シーズン、2014年アジアフィギュア杯のノービスクラスで3位入賞、2015年ババリアンオープンのノービスクラスでは優勝する。

2014年NHK杯のエキシビションに開催国の招待選手として参加。

同年の全日本ノービス選手権(ノービスA)では青木祐奈に次いで2位となり、全日本ジュニア選手権ではショート7位からフリー2位につけ総合4位に入る。

2014年12月18日、ステファン・ランビエールがプロデュースして開催された日本・スイス国交樹立150周年記念アイスショー「アイス・レジェンド」に、未来を担うスケーターとして島田高志郎と共に参加。

2015-16シーズン、初戦の2015年アジアフィギュア杯ではジュニアクラスに出場し、青木祐奈に次いで2位に入る。

ISUジュニアグランプリシリーズに初参戦し、JGPコロラドスプリングスではショートで首位に立ち、フリーではミスが出て4位だったものの総合では白岩優奈に次いで2位に入った。

JGPクロアチア杯ではショート3位からフリーでは1位となり逆転優勝し、ジュニアグランプリファイナル進出を決めた。

全日本ジュニア選手権では6位となる。

ジュニアグランプリファイナルでは銅メダルを獲得した。

初出場となった全日本選手権では総合9位となり、この結果、2016年世界ジュニア選手権の代表に初選出された。

2016年世界ジュニア選手権ではショート、フリーともに自己ベストを大きく更新し、初出場ながら優勝を達成した。

日本が女子シングルで世界ジュニア選手権を制したのは2010年の村上佳菜子以来6年ぶりであり、ジュニア1年目で世界ジュニア選手権優勝は2013年のエレーナ・ラジオノワ以来3年ぶりであった。

2016-17シーズン、初戦の2016年アジアフィギュア杯のジュニアクラスで優勝。

JGP横浜・JGPリュブリャナ杯でともに2位となり、2年連続のJGPファイナル進出を決める。

4度目の出場となった全日本ジュニア選手権ではショートで2位に付けたものの、フリーでは精彩を欠き6位となったが、自身初の表彰台となる3位となった。

2016年12月9日、2度目の出場となったジュニアグランプリファイナルでは優勝候補であったが、開催地への移動中に体調を崩し、会場での初日公式練習には参加したものの、ショートプログラム当日にインフルエンザの感染が判明した為棄権となった。2度目の出場となった全日本選手権では総合4位。全国中学校スケート大会で初優勝。

2017年3月、台北市で開催された世界ジュニア選手権では、ショートとフリー共にパーソナルベストを更新し、ジュニア選手として史上2人目の200点超となる201.61点をマークしたものの、2位となり連覇を逃した。

平昌オリンピックの代表選考がかかった全日本選手権では、ショートではジャンプにミスが出て6位、フリーでも後半のジャンプにミスが出て9位。

トータルでは7位と不本意な成績に終わり、夢のオリンピック選出とはならなかった。

2018年4月、コーチをラファエル・アルトゥニアンに変更し、幼少期から師事した濱田美栄コーチのもとを離れ兄の太一と共にアメリカへ拠点を移した。

2018年7月10日、日本航空アイススケート部と所属契約を締結、同年7月25日にIMGとマネジメント契約を締結したことが発表された。

シーズン初戦となった2018年ネーベルホルン杯では、ショートでの転倒やフリーでの回転不足等ミスが相次いで6位に。

ISUグランプリシリーズのスケートアメリカでも、ショートで4位につけたもののフリーで全ての3回転ジャンプでミスが相次ぎ総合8位に留まった。

次戦のフランス国際ではショートで4位の位置につけたが、フリーでは6位に落ちて総合6位とまたしても表彰台に届かず、GPファイナル進出もならなかった。

4年連続4回目の出場となった第87回全日本選手権は、ショートで3回全てジャンプの失敗が響いて18位と大きく出遅れる。

巻き返しを図ったフリーでも精彩を欠いて15位、結局総合順位は15位と同大会で本田自身ワーストの記録に終わった。

2019年7月、中京大学のアイスリンクにて、日本国内でのコーチとして本田武史から教えを受けている事を明かした。

シーズン初戦のCS ネーベルホルン杯では、SP6位・フリー5位の総合5位。

ISUグランプリシリーズのスケートカナダの本番前、男子シングルの田中刑事と共にタクシーの乗車中に、交通事故に見舞われるアクシデントに遭い、右足脛部に打撲傷を負ったが、当試合へ強行出場を決める。

結果、SPでは10位と大きく出遅れるも、フリーでは挽回して6位の総合6位に入る。

次戦の中国杯では、SPは6位の発進だったが、フリーではミスが響いて7位の総合7位に終わり、GPファイナル進出を逃した。

5年連続5回目の出場となった第88回全日本選手権は、SPで大きな失敗無くまとめて6位のスタートだった。

期待されたフリーだったが、最初の3回転ルッツを転倒するなどで8位、総合順位は8位に留まった。

2020年春に明治大学に進学。

本田望結

本田望結。

2004年生まれ、京都府京都市伏見区出身。

フィギュアスケート選手の兄・本田太一の影響で3歳でスケートを始めた。

太一と姉の本田真凜、3歳下の妹の本田紗来と共に、京都醍醐FSCに通っている。

2008年(平成20年)、4歳の時に、StyleONEのCMで芸能界デビュー。

2011年(平成23年)10月期の日本テレビ系連続ドラマ『家政婦のミタ』への出演で人気を得る。

2011年(平成23年)7月に小中高生約80人が参加し開催された関西大学主催の氷の甲子園では、2回転ジャンプを決めて小学3年生以下の部で優勝。

2012年(平成24年)4月からBSフジの子供向け番組『モジーズ&YOU』にレギュラー出演をする。

2013年(平成25年)7月1日付で、オスカープロモーションに移籍。

2013年(平成25年)、第17回全日本フィギュアスケートノービス選手権大会でノービスB女子に出場。56.08点をマークして8位に入った。

2014年(平成26年)、近畿ブロックフィギュアスケート大会ノービスB女子において、67.19点をマークし、自身の記録を大きく更新した。

2位に入り、第18回全日本フィギュアスケートノービス選手権大会への切符を手にした。

本大会では51.37点に終わり、36人中の25位。

2015年(平成27年)、9月公開の『ポプラの秋』で映画初主演。

同作が第18回上海国際映画祭、第39回モントリオール世界映画祭フォーカス・オン・ワールド・シネマ部門に出品される。

2015年(平成27年)、近畿ブロックフィギュアスケート大会ノービスA女子において74.35点をマークして4位に入り、第19回全日本フィギュアスケートノービス選手権大会に出場。

77.43点をマークして自己ベストを更新し11位に入ったが、濱田美栄コーチと共に目標としていた「トップ10入り」は惜しくも逃した。

2016年(平成28年)、近畿ブロックフィギュアスケート大会ノービスA女子において最初のジャンプでの転倒から持ち直し79.68点をマークして3位に入り、4年連続で全日本フィギュアスケートノービス選手権大会に進出。

第20回全日本ノービス選手権大会ではジャンプの着氷の乱れ等のミスはあったものの、86.02点を記録して同大会で自己最高位となる6位で初入賞を果たした。

第39回京都府民総合体育大会・女子シングルジュニア幼年女子の部において、83.09点をマークして優勝。

2017年(平成29年)1月に放送のスペシャルドラマ『探偵少女アリサの事件簿』でドラマ初主演。

2017年(平成29年)からはジュニアのカテゴリーに出場。

第34回西日本ジュニア選手権大会では143.19点で総合14位。

全日本フィギュアスケートジュニア選手権への初出場を決める。

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