「ダイキン工業株式会社」の始まりと原点!~経営理念・企業理念/創業者・創立者『山田晁』/沿革・歴史など~

「ダイキン工業株式会社」の始まりと原点!~経営理念・企業理念/創業者・創立者『山田晁』/沿革・歴史など~

 

「ダイキン工業株式会社」の経営理念・企業理念(ビジョン・ミッション・バリュー・スローガン・指針・方針など)

 

 

 

「ダイキン工業株式会社」のグループ経営理念

 

 

 

1.「次の欲しい」を先取りし、新たな価値を創造する

 

お客様の心の内側に入り込んだマーケティングの徹底と、社会動向の変化に対する鋭いウォッチングによって、お客様自身も気づいていない「次の欲求」や「夢」を見つけ出し、具体化することが、私たちの使命であり存立基盤です。メーカーとして万全の責任が持てる高品質の商品、素材、サービスを通じて、常に一歩進んだ最高の利便性と快適性をお客様に提供することは当然のこと、お客様に新鮮な驚きと満足を提供し続けます。
また、これらの行動を実践することこそが、グループの収益向上、事業拡大の大いなる源泉になると信じます。

 

 

2.世界をリードする技術で、社会に貢献する

 

いつの時代にあっても、すべての事業領域において、世界をリードし続ける技術力がなければ、私たちの成長発展はありえません。
シェアを高め、新たな市場を創造するとともに、広く社会に貢献できる超差別化商品、高付加価値商品、ソリューション型商品、新用途開発商品を切れ目なく市場に投入できる技術基盤の向上に挑戦し続けます。
保有するコア技術を圧倒的優位にまで高めるとともに、その時々の世界最高水準の技術、最先端の技術を採り入れ、自社の技術と融合することで、世界に誇る”技術のダイキン”の地位を確立します。

 

 

3.企業価値を高め、新たな夢を実現する

 

私たちは、資本の論理の経営を徹底し、企業価値の最大化をめざします。
企業価値の向上は、経営の選択肢を増やし、成長発展の実現と、柔軟で安定した経営基盤の確立を可能にするとともに、新たな夢の実現に向けた投資機会を増やします。
企業価値の向上は、株価の上昇や安定的な配当を通じて株主の期待により応えることはもちろん、研究開発の充実によるお客様への先進の商品やソリューションの提供、地域社会への貢献など、あらゆるステークホルダーに対し報いることにつながります。特に、グループで働く人とその家族に、生活の安定と向上をもたらすと確信します。

 

 

4.地球規模で考え、行動する

 

ダイキンの歴史は、常にグローバル事業の展開とともにあります。日本市場での事業の拡大は当然進めますが、世界の各地域で大きく事業を展開しようとする多国籍企業グループとして、地球規模で戦略や方針を立案・検討し、実行します。
一方で、その地域や国の特性に合わせて、計画的に人材の育成に努め、ダイキンの理念や伝統・風土を理解し、グループ経営の一翼を担える現地人材による経営、さらには会社や国境を越えた人材交流を加速します。

 

 

 

5.柔らかで活力に満ちたグループ

 

1)しなやかなグループハーモニー

 

グループ内での情報の共有化やノウハウの相互移転を徹底し、グループ各社がそれぞれの事業の拡大発展をめざすとともに、グループの相乗効果の発揮をはかります。
ダイキン工業とグループ各社の役割りは、固定されたものではありません。その時々の状況や、各社の特性に応じて柔軟に変化させるものです。
この前提のもと、グループ各社はグループの理念や方針に基づき、ベクトルを合わせて、能力を高め、自らの役割りをはたすとともに、新たな提案を行い、グループ全体の発展に貢献します。
また、各国、各地域の実情を熟知するのはグループ各社です。グループの基本方針のもと、ダイキン工業とグループ各社が第一線の経営情報を共有し、徹底した双方向のコミュニケーションをはかった上でのグループ各社の自主性の発揮と縦横無尽な活躍に期待します。

 

2)関係企業と刺激し合い、高め合う

 

生産、販売、研究をはじめ経営全般における、すべての取引先、提携企業、協力関係先と緊張感を持って切磋琢磨する関係を築き上げます。
切磋琢磨する関係とは、強い信頼関係の中で、相互に刺激し合いながら、それぞれの立場で互いの期待に応え続け、ともに成長発展する関係です。

 

 

 

6.環境社会をリードする

 

地球環境への積極的な対応は、さまざまな事業を展開する私たちの使命であり、これを優先して経営に組み込んでいきます。
商品開発、生産、販売など経営全般にわたり、あらゆる地球環境の維持向上活動を展開するとともに、より良い環境社会を実現するための商品開発や技術革新を推進します。
「環境対応は重要な経営資源」と捉え、環境対応と企業経営を融合し、環境対応の実践が、外部からの信頼の獲得や事業の拡大、さらには業績の向上につながるという「環境経営」の先進企業であり続けます。そして良き地球市民として、快適な地球環境をつくりあげる活動の一翼を担います。

 

 

 

7.社会との関係を見つめ、行動し、信頼される

 

1)オープンである、フェアである、そして知ってもらう

 

事業展開するすべての国において、慣習を尊重するとともに、ダイキンの優れたノウハウを移転し、定着をはかります。その上で、各国の法令や規則の遵守は当然のこと、高い倫理性に基づいて行動し、公正な競争をベースとしたフェアな企業活動、タイムリーで適切な情報開示、説明責任のいっそうの高度化をめざします。
同時に、この活動の状況を積極的に外部に発信することで、私たちの経営方針や経営姿勢、企業風土などを正しく理解してもらい、社会からより信頼されるグループになります。

 

 

2)地域に対して、私たちにしかできない貢献を

 

事業の拡大を通じて地域の産業、経済の発展に貢献することは企業の社会的責任であり、積極的に実行します。
その上で、それぞれの地域の役に立つことを高い感受性で捉え、実践するというダイキン独自の貢献を創造し、より愛され、親しまれるグループをめざします。

 

 

 

8.働く一人ひとりの誇りと喜びがグループを動かす力

 

1)一人ひとりの成長の総和がグループの発展の基盤

 

グローバルな発展をめざす私たちにとって、個人の自助努力による能力と質の向上、自己責任に根ざした縦横無尽な活躍が不可欠です。老・壮・青一人ひとりが主役となっての活躍を期待します。
また、会社と個人は互いに選択し合った関係です。会社は個人に能力発揮の機会を与え、個人は会社の期待に応え、活躍するという相互信頼と緊張感のある関係のもと、求める人材は、それぞれの立場において高度な判断、決断を下し、過去にとらわれない創造的な提案をし、実行する人です。そういう人材に対し成果に応じて報いるという「機会の平等」と「結果の公平」の処遇を徹底します。

 

2)誇りとロイヤリティ

 

人生の多くの時間を会社で過ごす個人が、明快な目標を持ち、情熱を持って仕事に打ち込めることは大きな幸せです。多様な価値観、勤労観を尊重しながら、個人が意欲と誇りを持って働き続けたいと思える環境を築き上げます。
その上で、ダイキングループで働く限りにおいて、会社の理念やこれを体しての経営方針に従い、一致団結して邁進するという意味でのロイヤリティを求めます。会社は、成長発展に貢献し、働き続けたいと思う人の雇用を維持拡大できるようつとめます。

 

3)情熱と執念

 

いかに優れた戦略や方針といえども、結果を出せるかどうかは、変化に柔軟に対応し、世の中の半歩先を行くという意味でのタイムリーでスピーディーな「実行」にかかっています。
方針や戦略を行動計画に展開し、期限内に結果を出すこと、それを当たり前の習慣とする「実行に次ぐ実行」をグループの隅々に定着させます。
また、その果敢な実行を支える原点は、仕事に対する「夢」とその夢を現実のものにする「情熱」、困難に際し諦めず成し遂げる「執念」です。一人ひとりが、常に夢を語りながら、熱い情熱とたくましい執念を持って果敢に実行するグループをめざします。

 

 

9.世界に誇る「フラット&スピード」の人と組織の運営

 

1)参画し、納得し、実行する

 

タイムリーに情報を共有化し、「自分はこうする」という意見をオープンに出し合い、侃侃諤諤の議論を重ねて、十分な納得のもと衆知の結集をはかります。そして衆議独裁したあとは、一致団結して目標に向って邁進するグループをめざします。
このために、「コアマンとサポーターの関係」をはじめ、時々の課題解決に最適な柔構造の組織運営を徹底します。同時に、縦の命令系統だけではなく、一人ひとりが役割りに応じて、自ら張り巡らせた情報のネットワークを活用して、縦横無尽に活躍し、人の持てる力を最大発揮して早期に成果を実現するという「フラット&スピードの経営」を、グループの隅々に定着させ、世界に誇るグループの特長にまで高めます。

 

 

2)チャレンジャーこそ多くのチャンスをつかむ

 

私たちは、挑戦する気概に満ち溢れるグループであり続けます。
既存事業における圧倒的優位の確立、新たな事業領域への進出、さまざまな経営の革新などに果敢に取り組み、短期はもちろん中長期の発展に向け挑戦する機会とテーマの多いグループをめざします。
また、失敗を恐れず、実現困難に見える高い目標に挑戦し続けるとき、人は大きく成長します。高い志を持って挑戦する人を支援すると同時に、意欲と当事者能力を備え、会社に貢献する人により多くのチャンスを与えます。

 

3)多彩な人材を糾合し、個人の力をチームの力に

 

より多様な雇用形態を構築し、社内外から多彩な人材を糾合します。一人ひとりがプロとして、その専門性を発揮するとともに、アメーバ的な連携、柔構造の組織運営により個人の力をチームの力に高め、団結して同じ目標に向って邁進します。
高い目標に向かってチームワークを発揮して挑戦し、やり遂げた達成感や満足感を分かち合うときに生まれる「真の明朗な人の和」が満ち溢れるグループがダイキングループです。

 

 

10.自由な雰囲気、野性味、ベストプラクティス・マイウェイ

 

自由にものの言える雰囲気や真正面から挑戦し行動する野性味、また、徹底したお客様志向と独自のホスピタリティ重視の経営、さらには世の中の潮流を読み、自社の置かれている状況や自社の強みを活かすという観点から、世の中を半歩・一歩リードする柔構造の施策を展開するベストプラクティス・マイウェイなど、ダイキンには誇るべき伝統や風土があります。
こうした良き伝統・風土を引き継ぎ、時代に対応してさらに磨き上げ、世界に誇る私たちの強みとし、ダイキングループを、世界中のお客様から信頼され、働く人が誇りの持てる魅力あるグループへと進化させていきます。

 

 

 

 

 

「ダイキン工業株式会社」の創業者・創立者『山田晁』~生い立ち・名言・創業の想い・考え方など~

 

 

山田晁(ダイキン創業者)

 

 

旧名松田晁(あきら)。

明治17年(1884年)、山口県厚挟郡船木村で士族松田隆三・ムラ夫妻の二男として生まれた。

 

松田家は船木村の旧家であったが、時勢の激動に伴って衰退しており、晁が生まれたころの松田家は船木ぐしの製造販売をしていたが、家業は思わしくなかった。

船木尋常高等小学校高等科2年終了後、一時漢方医の書生となった。

 

たまたま松田家は親戚に医者が多かったので、晁は鞄持ちとして患者の家を回ったり、漢方薬を作ったりしながら3年間を過ごした。

しかし、小倉で紙箱製造販売をしていた3歳年上の兄松田隆亮の誘いで小倉へ移り、2年間の受験勉強ののち福岡県立小倉工業学校機械科に入学した。

 

当時クラス最年長の18歳で、翌年からは特待生となり授業料は免除された。

1907年(明治40年)3月卒業し、12月に志願兵として山口歩兵第42連隊に入営、その後少尉に任官後退役し、1909年(明治42年)大阪砲兵工廠に就職した。

 

この頃、陸軍では、作戦上装備の色を黒から褐色に変更したが、飯盒や水筒の褐色塗料が人体に有害であると判明し、大阪砲兵工廠には無害な褐色塗料の開発と塗り替えが命じられていた。

この問題を知った松田晁は、専門外の化学分野であったにもかかわらず、府立図書館での文献調査や道修町の薬屋回りの末、褐色塗料の焼き付け塗装法や、さらに漆と練り合わせる混練機を考案し、飯盒の無害な褐色塗装を実現した。

 

その後も業績目覚ましく、33歳で工場長文官任用制度第1号となる薬莢工具工場長となった。

その間1912年(大正元年)11月、遠縁の山田圓治の長女安子と結婚し同家を継いで山田姓となった。

 

しかし、才能よりも学歴を重視する工廠の風習や、過労による健康障害、さらに入廠以来信頼を寄せていた上司の陸軍砲兵少佐・松井常三郎が既に退職していたこともあり、1919年(大正8年)8月大阪砲兵工廠を退職した。

1919年(大正8年)8月神戸製鋼所に入社し、翌年1月門司工場へ転勤した。

 

この工場では銅関係の鋳物、板、管棒を生産しており、山田晁は管棒工場に配属された。

ここでの約3年間の在職中、横型水圧機によるパイプの押し出し成功などの業績をあげた。

 

1922年(大正11年)9月神戸製鋼所を円満退社し、大阪市北区西野田大開町にあった東洋鑢伸銅に入社した。

同社は当時ヤスリと伸銅の二部門を持ち、ここで製造される型鍛造品は潜水艦の部品に大量に採用され、海軍の指定工場になっていた。

 

山田晁は入社後1年で伸銅工場長となった。

1923年(大正12年)6月、中島飛行機製作所から「ニューポール」式飛行機の国産化に伴うエンジン冷却用ラジエーターチューブ製作の話が持ち込まれた。

 

1924年(大正13年)初め、2回目の注文があったのを機に独立を決意し、同年10月退社、10月25日、「合資会社大阪金属工業所」を設立した。山田晁39歳であった。

事業目的は飛行機部品、主として放熱管および同用管の製作販売、一般金属の圧搾および搾伸作業などで、本店は従来通りの難波新川の工場、資本金1万5000円で、山田晁1万円、松田隆亮と永田浅五郎各2000円、島野龍生1000円であった。

 

主力商品の飛行機用ラジエーターチューブ製造には従来の抽伸法から、砲兵工廠での黄銅薬莢製造法の応用である搾伸法に変更して品質向上を図った。

工場3回目の注文は川崎造船所飛行機部から「サルムソン」式飛行機国産化のためのラジエーターチューブであった。

 

また1925年(大正14年)には松井常三郎の奉天兵工廠からは、不発の多かった瞬発信管の発明家三浦松五郎のアイデア提供のもとでの改良型の大量発注もあった。

また、東洋紡績からは、糸を巻く木管に取り付けるリングを搾伸法を用いて製造した使い勝手の良いソリッドタイプにしたい、との相談を受け、これを量産することとなった。

 

これら3品目が創業初期を支える主力商品であった。

その頃、陸軍造兵廠大阪工廠の独占だった兵器生産の民間開放があり、1929年(昭和4年)9月には37mm速射砲の薬莢受注に民間企業として初めて成功した。

 

1933年(昭和8年)11月より今宮工場でフロンの研究が始められ、並行して冷凍機の開発も行われた。

1934年(昭和9年)11月には従来のメチルクロライド式ながら試作1号機が完成し、「ミフジレーター」の商標で市場へ送り出し、1936年(昭和11年)7月には、この「ミフジレーター」を南海鉄道の2001形電車に搭載し、日本初の冷房電車とした。

 

1934年(昭和9年)2月11日今宮工場所在の大阪市西成区中開町2丁目8番地に「大阪金属工業株式会社」を創立。

代表取締役に山田晁、取締役に加藤剛介、岡村一夫、監査役に松田隆亮が就任し、この日を「創立の日」とした。資本金は25万円であった。

 

1934年(昭和9年)7月には資本金を100万円に増資したが、このとき住友伸銅鋼管(後の住友金属工業 現日本製鐵)が49万5000円を出資し住友傘下となり、住友から明田重義を取締役として迎えた。

1941年(昭和16年)2月には淀川工場を航空機専門工場として開設し、1942年(昭和17年)8月からはフロン量産もここで行われた。

 

1950年(昭和25年)3月、フロン12の入札を三井化学工業に取られたこともあり、1951年(昭和26年)6月、当時特許を所有していた米国デュポン社との間に技術援助契約を成立させ、以後1957年(昭和32年)3月まで日本国内でのフロンの独占製造販売権を得た。

 

1950年(昭和25年)6月25日、朝鮮戦争が勃発し、米軍より大量の砲弾発注があった。

しかし、その発注をこなすには当時の年間売上高3億円に相当する設備投資が必要であった。

 

住友金属との資本提携は終戦後の財閥解体で自然消滅していたが、巨額の設備投資のため1952年(昭和27年)12月、4500万円の資本金を1億3500万円に増資し、うち約30%を住友金属が保有して筆頭株主となることで資本提携が復活した。

 

1952年(昭和27年)6月には81mm迫撃砲用りゅう弾30万発を受注したほか、追加分32万発、57mm無反動砲弾など1956年(昭和31年)までの総受注額は68億円にのぼり、これが戦後の長期低迷から脱する契機となった。

フロンの特性に対するユーザーの認識の高まりで、各社とも1953年(昭和28年)型の電気冷蔵庫から冷媒を従来のメチルクロライドからフロンに切り替え、1955年(昭和30年)には小型冷凍機分野でフロンがメチルクロライドを上回り、フロンの需要が急増した。

 

このような環境下、品質が安定し大量生産とコストダウンが可能な無水フッ酸を使用した連続生産方式が岡村一夫と小山利一によって開発され、1954年(昭和29年)5月から稼働開始した。

フッ素樹脂 四フッ化エチレン樹脂はその耐腐食性や摩擦係数の低さから第二次世界大戦中米国で原子力関連機器のため軍需用に使用され、戦後民需にも開放された。

 

1959年(昭和34年)には金属への焼付塗装可能なポリフロンエナメルを、1962年(昭和37年)には継手シール用生テープの原料となるファインパウダーを開発し、その後の飛躍へとつないだ。

パッケージエアコンの開発は1951年(昭和26年)全国の電話局の自動交換機用がターゲットであった。

 

1953年(昭和28年)10月電電公社納入エアコンの70%の占めるまでになった。

そのほか、銀行や料亭、パチンコ店などへも納入し1958年(昭和33年)にはエアコン売上高は冷凍機部門の50%以上となった。

 

1959年 (昭和34年)には油圧装置も受注し、その後も製鉄各社から製鉄用油圧機器を受注している。

1960年(昭和35年)頃になると、フッ素化学製品や塩化ビニール製品の台頭で「大阪金属工業」の社名と製品が一致しなくなり、社名の売れてない東京方面への売り込みに「大阪」の名称も不利に働くと予想されたためと、既に1954年(昭和29年)には「ミフジレーター冷凍機」を「ダイキン冷凍機」に変更済みで、社外でも大阪金属を「ダイキン」と通称されていたため、山田晁社長の決断で1963年(昭和38年)10月1日を以って社名を「ダイキン工業」に変更した。

 

1965年(昭和40年)1月30日山田晁は取締役会長に、後任社長には、1952年(昭和27年)の住友金属との再提携時、同社より移籍した土屋義夫が就任した。

山田晁は1972年(昭和47年)1月28日取締役相談役に退き、土屋義夫が取締役会長に、長男の山田稔が3代目取締役社長に就任した。

 

翌1973年(昭和48年)2月12日88歳の天寿を全うした。

 

 

 

 

山田晁(ダイキン創業者)の名言・考え方

 

 

メーカーは単に売るだけのものであってはいけない。製品を通して信用を得ることが何物にも代え難い財産である。

 

 

公は必ずしも国家に限らず、もっと広く解釈して、各人が所属する社会、団体、例えば地域、階層、会社、協会、組合などの利害を第一におもんばかることを公というと私は思っている、会社員であれば、会社の目的に副うような行動を第一とするのが公の精神といえる。こうなると、会社は私のものであって実は私のものではない。社長である私を含めて、この会社で働いて暮らしているすべての人達にとって、大阪金属という会社は一つの統合のシンボルである。

 

 

私は終生、「踏み切り」「割り切り」「思い切り」の『三切り主義戦略』と「研究」「普及」の『ニキュー戦術』を経営哲学のモットーとした。

 

 

人のやらない新しい製品を開発し、国のために役立ちたい。

 

 

 

「ダイキン工業株式会社」の沿革・歴史(年表・社歴など)

 

 

1924(大正13年)
山田晁、合資会社大阪金属工業所を大阪市に創立
飛行機用ラジエーターチューブの生産を開始

1929(昭和4年)
『ラショナル注油器』の生産開始

1933(昭和8年)
フッ素系冷媒の研究に着手

1934(昭和9年)
大阪金属工業株式会社を設立、社章を制定
メチルクロライド式冷凍機の試作に成功、『ミフジレーター』冷凍機と命名し生産を開始

1935(昭和10年)
日本初のフルオロカーボンガスの生産に成功、1942年に量産開始

1936(昭和11年)
日本初の電車冷房の試験用として、南海鉄道へ『ミフジレーター』冷凍機を納入
航空機用油圧部品の生産を開始

1937(昭和12年)
堺製作所を大阪府堺市に新設

1938(昭和13年)
呉海軍工廠に日本で初めてフロン冷媒を使用した『ミフジレーター』冷凍機を納入

1941(昭和16年)
淀川製作所を大阪府三島郡(現摂津市)に新設

1950(昭和25年)
集中潤滑装置の生産を開始

1951(昭和26年)
日本初のパッケージ形エアコンを開発

1952(昭和27年)
超低温装置『サブゼロ』を開発

1953(昭和28年)
三フッ化塩化エチレン樹脂『ダイフロン』を開発

1955(昭和30年)
四フッ化エチレン樹脂『ポリフロン』を開発

1956(昭和31年)
南極観測船「宗谷」の船室暖房用に暖気缶(熱交換器)を納入

1958(昭和33年)
わが国初のロータリーコンプレッサーを搭載したウインドクーラーを発売
ヒートポンプ式パッケージエアコンを開発

1960(昭和35年)
ポンプ・バルブなどの油圧機器を発売(写真)

1962(昭和37年)
ターボ冷凍機の生産を開始
総合技術研究所を開設

1963(昭和38年)
堺製作所 金岡工場を大阪府堺市に新設、業務用エアコンの本格生産開始
四フッ化エチレン・六フッ化プロピレン共重合樹脂『ネオフロン』の開発に着手、1974年商品化に成功
「大阪金属工業株式会社」を「ダイキン工業株式会社」に社名変更

1964(昭和39年)
国鉄大阪駅で「ダイキンエアコン」の冷風によるサービスを開始(以後、主要ターミナルに設置)

1966(昭和41年)
堺製作所 金岡工場のターボ工場完成

1969(昭和44年)
冷暖房兼用形のエアコンに「フロンヒーター」を採用
空調機器販売会社「クラークダイキン社」をオーストラリアに設立(1980年より「ダイキン オーストラリア社」に社名変更)

1970(昭和45年)
フッ素ゴム『ダイエル』を発売
滋賀製作所を滋賀県草津市に新設、家庭用ルームエアコンの本格生産開始

1972(昭和47年)
「ダイキン ヨーロッパ社」をベルギー オステンド市に設立、1973年より空調機のノックダウン生産を開始
フッ化カーボンの量産化開始

1973(昭和48年)
マルチタイプルームエアコンを開発

1974(昭和49年)
『ネオフロン』FEPペレットNP20を発売

1975(昭和50年)
連続式有機排ガス処理システム(DACS)を開発
空気清浄機『クリエール』を発売

1976(昭和51年)
フッ素系離型剤『ダイフリー』を発売
FF式温風暖房機(灯油焚)『うらら』を発売

1978(昭和53年)
店舗・オフィス用エアコン『スカイエア』を発売
堺製作所 臨海工場を大阪府堺市に新設、コンプレッサーの製造工場として生産開始
フッ素樹脂『ネオフロン』FEPフィルムを発売

1980(昭和55年)
半導体用ドライエッチング剤『PFC‐14』を開発

1981(昭和56年)
世界一薄型の海上コンテナ用冷凍装置を開発

1982(昭和57年)
フッ素樹脂PFAとETFEを発売
日本初のビル用マルチエアコンを発売
業界初のシングルスクリュー冷凍機を開発
コンピューター グラフィックス(COMTEC)の販売開始
空調機器製造・販売会社「サイアム ダイキン セールス社」をタイ バンコク市に設立
空調機器販売会社「ダイキン エアコンディショニング ベルギー社」をベルギー ブリュッセル市郊外に設立

1983(昭和58年)
鹿島工場を茨城県鹿島郡に新設、フルオロカーボンとフッ素樹脂を生産開始

1984(昭和59年)
パッケージエアコン国内生産100万台を達成
インバータエアコンを発売
半導体用エッチング剤「バッファードフッ酸‐U」を開発

1985(昭和60年)
日本初のヒートポンプ式冷暖房・給湯マルチシステム『トリオ』を発売
マイナス269℃(4K)を実現する、小型極低温ヘリウム冷凍機を開発

1987(昭和62年)
超高層インテリジェントビル(梅田センタービル)に各階毎の個別制御が可能なビル用マルチエアコンを納入
3次元分子設計支援ソフトウェアMOL-GRAPHを発売
本社を梅田センタービルに移転
空調機器製造・販売会社「ダイキン エアコンディショニング タイランド社」をタイ チョンブリ県に設立

1988(昭和63年)
第1回「ダイキンオーキッドレディスゴルフトーナメント」開催
フロン回収システムを開発、発売

1989(昭和64年)
米国シリコングラフィック社とOEM 販売提携し、3次元グラフィックワークステーションCOMTECシリーズの販売開始
業界初、氷蓄熱ビル用マルチエアコン〈EXGシリーズ〉を新開発

1990(平成2年)
「ダイキン インダストリーズ タイランド社」を設立、1991年より空調機の生産を開始
MEC研究所を茨城県つくば市に開設

1991(平成3年)
フッ素樹脂生産販売会社「ダイキン アメリカ社」と「MDAマニュファクチュアリング社」を米国に設立、1994年より工場稼働
鹿島工場内にHFC-134aの生産プラントを新設、生産開始
低騒音で安全性の高い立体駐車場システムを発売

1992(平成4年)
フッ素加工天然皮革『レザノヴァ』を開発
「ダイキン ケミカル ヨーロッパ社」をドイツ デュッセルドルフに設立
超耐候性塗料ワニス『ゼッフル』を発売

1993(平成5年)
「地球環境保全に関する行動原則」を策定
業界初、業務用空調機をオンラインで24時間状態監視する『エアネットサービスシステム』を発売
大阪府摂津市と第3セクター方式で、重度障害者多数雇用事業所「ダイキンサンライズ摂津」を設立、1994年より稼働開始
空調機器販売会社「ダイキン エアコンディショニング フランス社」をフランス パリ市に設立

1994(平成6年)
低温用エアコン『フリーズマルチ』発売
業界初、全ての国内空調生産工場で、国際品質保証規格「ISO 9001」認証を取得

1995(平成7年)
業界初、スイングコンプレッサーの採用で省エネ効果を高めた小型ルームエアコンを発売
「ダイキン アメリカ社」ディケーター工場内に、フッ素樹脂『ネオフロン』FEP、『ネオフロン』ETFEの製造プラントを新設
合弁会社「上海大金協昌空調有限公司」を中国 上海市に設立、1996年より業務用空調機の生産を開始

1996(平成8年)
業界初、夜間電力を利用して節電効果を高めた氷蓄熱ビル用マルチエアコンを発売
「財団法人ダイキン工業現代美術振興財団」を設立
省エネ型吸収冷温水機「エナジオスーパー」を自社開発、販売開始
合弁会社「西安大金慶安圧縮機有限公司」を中国 西安市に設立
空調機器販売会社「A.C.E.ダイキン マレーシア社」をマレーシア クアラルンプール市郊外に設立

1997(平成9年)
米国デュポン社と冷媒(R-410A、407C、404A)に関する特許のライセンス契約を締結
国内全工場(堺、淀川、滋賀、鹿島)にて環境管理国際規格「ISO 14001」の認証を取得
合弁会社「恵州大金三石空調有限公司」を中国 恵州市に設立、ウォーターチリングユニットの生産を開始
淀川製作所にR-32の量産プラントを建設
オゾン層を破壊しない冷媒R-407Cを採用したビル用マルチエアコンを開発
空調機器部品の輸出入商社「ダイキン トレーディング タイランド社」をタイ バンコクに設立
「ダイキン アジア サービシング」をシンガポールに設立
「大金フッ素塗料(上海)有限公司」を中国 上海市に設立、中国にてフッ素塗料の生産を開始

1998(平成10年)
R-410A冷媒を採用したルームエアコンの販売を開始
主要な海外生産子会社で環境管理国際規格「ISO14001」の認証を取得
合弁会社「ダイキン アレンエアコンディショニング社」をフィリピン ケソン市に設立
空調機器販売会社「ダイキン エアコンディショニング サウスアフリカ社」を南アフリカ ケープタウン市に設立
消費電力を60%低減させたパッケージエアコン『スーパーインバーター60』を発売
ビル設備のメンテナンス事業を開始
『環境報告書1998』を発行
空調機器販売会社「ダイキン エアコンディショニング ドイツ社」をドイツ ミュンヘン市に設立

1999(平成11年)
空調機器販売会社「ダイキン エアコンディショニング セントラルヨーロッパ社」をオーストリアに設立
世界初、無給水加湿方式で湿度も調節できるルームエアコン『うるるとさらら』を発売
パッケージエアコン国内生産500万台を達成
松下電器産業株式会社と空調事業でグローバル包括提携を契約調印

2000(平成12年)
ハイブリッド油圧ポンプ『エコリッチ』を発売
免疫測定装置事業(免疫測定装置「エバネット」)を営業譲渡
「松下・ダイキン空調開発センター」を設立
研究部門を分社化し、ダイキン空調技術研究所、ダイキンシステムソリューションズ研究所、ダイキン環境研究所の3社を設立
空調機器販売会社「ダイキン シュリラム エアコンディショニング社」をインド ニューデリー市に設立
空調機器販売会社「ダイキン エアコンディショニング スペイン社」をスペイン マドリード市に設立
空調冷凍機の24時間365日サービス体制の確立
「ダイキン アメリカ社」に研究開発会社「DAI-ACT」を設立
「アントセンス」を営業譲渡し、ME部を廃止
新冷媒・省エネ・リサイクルの環境3課題を克服し大幅に環境負荷を低減した『スーパーインバータZEAS』を発売

2001(平成13年)
空調機器販売会社「ダイキン エアコンディショニング アルゼンチン社」をアルゼンチン ブエノスアイレス市に設立
スイング圧縮機の製造・販売会社「ダイキン コンプレッサー インダストリーズ社」をタイ バンコク市に設立
空調機器販売会社「ダイキン エアコンディショニング ポーランド社」をポーランド ワルシャワ市に設立
再雇用期間を65歳までに延長
「大金フッ素化学中国有限公司」を中国 常熟市に設立
空調に関するお客様総合相談窓口「ダイキンコンタクトセンター」を開設(東京・大阪)
次世代半導体製造向けフォトレジスト用フッ素樹脂を新開発
フッ素ゴム生産会社「ダイキン ケミカル フランス S.A.S」をフランス リヨン市郊外に設立
フッ素化学製品の販売会社「台湾大金先端科学股イ分有限公司」を台湾 台北市に設立
空調・化学の全生産・販売拠点を統括する「大金(中国)投資有限公司」を中国 北京市に設立
米国ザウアーダンフォス社と油圧事業の合弁会社設立に合意
米国オムノヴァ・ソリューション社とフッ素機能化学品で開発提携
建機油圧事業において、米国ザウアーダンフォス社との製造合弁会社「ダイキン・ザウアーダンフォス・マニュファクチャリング株式会社」と、販売合併会社「ザウアーダンフォス・ダイキン株式会社」を設立
米国トレーン社と空調事業のグローバル戦略的提携で合意
淀川製作所機械部門で廃棄物ゼロ化を達成し、機械部門全事業所で廃棄物ゼロ化を達成

2002(平成14年)
自然冷媒(CO2)ヒートポンプ給湯機『エコキュート』を発売
フロン回収破壊事業の全国展開開始
「第11回地球環境大賞 日本工業新聞社賞」を受賞
空調機器販売会社「ダイキン エアコンディショニング イタリア」の本社をミラノ、支店をローマに設立
業界初の冷凍・冷蔵・空調の一体化システム『コンビニパックZEAS-AC』を開発
「グループ経営理念」を策定

2003(平成15年)
業界初、中国での独資サービス会社「大金空調技術有限公司」が北京、上海、広州にて事業開始
フッ素樹脂『ネオフロン』EFEPを開発
空調機器生産拠点「ダイキン インダストリーズ チェコ社」をチェコ共和国 ピルゼン市に設立
企業倫理委員会と企業倫理室を新設
空調機器販売会社「ダイキン エアコンディショニング UK社」を設立
更新専用ビル用マルチエアコン『Ve-up Q』シリーズを発売
空調機器生産拠点「大金空調(上海)有限公司」と「大金中央空調(上海)有限公司」を中国 上海市に設立
2003年度、家庭用ルームエアコンで通年のシェア1位に
滋賀製作所、ルームエアコン累計生産1,500万台達成
世界初の実用化「光触媒チタンアパタイト」フィルター開発
中国・清華大学と空調技術開発で提携し、中国R&D拠点として「清華-ダイキンR&Dセンター」を清華大学に設立
「ダイキンフッ素化学(中国)有限公司」の常熟工場稼動
空調機器の圧縮機生産拠点「大金機電設備(蘇州)有限公司」を中国 蘇州市に設立
空気中のインフルエンザウイルスを捕捉する鶏卵抗体バイオフィルター技術を開発

2004(平成16年)
『コンビニパック ZEAS-AC』が省エネ大賞「経済産業大臣賞」を受賞
超薄型コンパクト設計の壁掛け型インバータ省エネエアコン『UX』シリーズを発売
UXシリーズ-w
油圧機器『スーパーユニット』が優秀省エネ機器表彰で「日本機械工業連合会長賞」を受賞
国内グループで環境管理国際規格「ISO14001」の統合認証を取得
執行役員制を導入
セントラル空調機器の製造・販売および空調・冷熱システムの設計・施工・販売及びサービスを提供する「株式会社ダイキンアプライドジステムズ」を設立
松下電器産業と合弁で、空調機器の圧縮機用モーターを製造・販売する「大金電器機械(蘇州)有限公司」を中国 蘇州市に設立
創業80周年記念事業を挙行
全世界ダイキングループ共通の新たな社章を制定
一単元の株式の数を百株に引き下げ
空調機器の圧縮機生産拠点「ダイキンデバイス チェコ社」をチェコ共和国 ブルノ市に設立
空調機器販売会社「ダイキン エアコンディショニング ポルトガル社」をポルトガル リスボン市に設立

2005(平成17年)
温度制御でぐっすり眠れる快眠エアコン『うるるとさらら』(Fシリーズ)を発売
中国初、空調機器専門の大規模なショールーム「ソリューションプラザ上海」を中国 上海市に開設
米国ダウコーニング社とフルオロシリコーン化学での協業に合意
ロシアに「モスクワ事務所」開設
アイシン精機とガスヒートポンプエアコン(GHP)分野で業務提携に合意
ダイキン環境研究所とダイキン空調技術研究所を統合し、「ダイキン環境・空調技術研究所」を設立
グループ全体のCSR活動推進に向けて、CSR委員会およびCSR室を新設
米国に持ち株会社「ダイキンホールディングス社」と、空調機器販売会社「ダイキンACアメリカズ社」を設立

2006(平成18年)
欧州域内での環境対応をリードする「環境対応室」をダイキンヨーロッパ社に設置
真のグローバルエクセレント企業を実現し、企業価値の最大化を目指す中長期経営戦略計画「Fusion 10(フュージョン・テン)」を策定
油圧式立体駐車場装置事業を営業譲渡
グローバル大手空調メーカーOYL社(マレーシア)を買収
ヒートポンプ式温水暖房機『ダイキンアルテルマ』を発売
空調機器販売会社「ダイキン エアコンディショニング ギリシャ社」をギリシャ アテネ市に設立
当社グループ独自のCSR活動を紹介する『CSR報告書』を初めて発行
「大金総合空調(上海)」が、外資系製造業で初めて「上海市身障者職業実習基地」に認定
中国の生産子会社である「上海大金空調」、「大金総合空調上海」、「大金中央空調(上海)」、「大金中央空調(恵州)」の4社を統合し、「大金空調(上海)有限公司」を発足
低温(冷蔵・冷凍)事業のグローバル展開を目指す低温事業本部を新設
空調関連の電子デバイス開発・生産・販売を行う合弁会社「ダイキンレクザムエレクトロニクス」を設立

2007(平成19年)
「トルコ事務所」をイスタンブール市内に開設
空調機器販売会社「ダイキン エアコンディショニング ネザーランド社」をオランダ王国 スキーダム市に設立
業界初の除加湿清浄機『クリアフォース』を発売
クリアフォース
防汚性・耐候性に優れた水性フッ素コーティング剤をドイツ・ランクセス社と共同開発
水配管レス調湿外気処理機『DESICA(デシカ)』を発売
中蛍集団有限公司と無水フッ酸の生産販売会社を設立
仏アルケマ社と中国に空調機器用冷媒の合併会社を設立
海上コンテナ用冷凍冷蔵装置の生産会社「大金制冷(蘇州)有限公司」を中国に設立
フッ素系UV硬化型防汚添加剤『オプツールDAC』を発売
女子プロゴルファー諸見里しのぶ選手と所属契約を締結

2008(平成20年)
『ダイキンルームエアコン発売50周年記念キャンペーン』を実施
遠隔監視システム『エアネットⅡサービスシステム』の提供を開始
空調機器販売会社「ダイキン エアコンディショニング コリア社」を設立
ドイツの暖房機メーカー「ロテックス社」を買収
『ダイキンMRエンジニアリング株式会社』の営業開始
空調業界で初めて「エコ・ファースト企業」認証を取得
『省エネ当番』エコプロダクツ大賞「環境大臣賞」受賞
格力電器とインバータエアコンの生産委託で合意
ダイキンヒューマンサポート株式会社の吸収合併

2009(平成21年)
ビル、工場向け『ヘキサゴンモジュールチラー』を発売
“ぴちょんくん”デビュー10周年記念『ぴちょんくん号が行く!「エコ旅」キャンペーン』を実施
「ダイキンマッケイアプライド開発センター」を米国に開設
ダイキンサンライズ摂津の新工場が完成
中国市場向け『ヒートポンプ式住宅用温水暖房機』を販売
国内エアフィルター事業トップの「日本無機株式会社」を買収
四フッ化型フッ素塗料を使用した『ゼッフル遮熱塗料』で「Lloyd’s List Global Awards 2009 エナジー部門賞」を受賞
「2010 FIFAワールドカップTM」南アフリカ大会の新スタジアムに、水冷式ビル用マルチエアコンを納入
世界初 上下左右の「四方気流」エアコン『うるるとさらら(Rシリーズ)』を発売
低温用エアコン『冷凍ZEAS』を発売
「光速ストリーマ」技術展開の第一弾として、『バス用光速ストリーマ除菌ユニット』を開発

2010(平成22年)
省エネインバータエアコン『Eco-ZEAS80』を発売
アルケマとの合弁会社が中国で冷媒用ガスの生産を開始
「ダイキンマッケイ ソリューションプラザ」を米国 ニューヨークに開設
油圧機器地域販売子会社3社を「ダイキン油機エンジニアリング株式会社」に統合
ダイキンヨーロッパ社が、国を越えた産学共同プロジェクトとして、建物のエネルギー収支をゼロにする「ネットゼロエナジーオフィス」をドイツに建設
欧州市場向けヒートポンプ式冷温水空調給湯機『集合住宅用ダイキンアルテルマ』を発売
「光速ストリーマ」搭載の業務用空気清浄機『光クリエール』を発売
ダイキン工業と日本バルカー工業が中国におけるフッ素樹脂事業で資本提携

2011(平成23年)
国内の空調販売子会社を再編、量販店専門販売子会社を設立
お客様の素朴な疑問を実証する『ダイキン空気のお悩み調査隊がゆく!』を発足
節電応援コントローラー『ミハリモ』、睡眠時専用コントローラー『soine(ソイネ)』を発売
業務用 調湿外気処理機『DESICA(デシカ)』が全国発明表彰「経済産業大臣発明賞」を受賞
トルコの空調機メーカー「エアフェル社」を買収
知床自然環境保全事業への支援で知床財団・斜里町・羅臼町の三者と基本合意
世界最大の高齢者支援団体であるAARP(旧全米退職者協会)が主催する「50歳以上の就労者のための最優秀事業主賞」を日本企業で初めて受賞
海上コンテナ用冷凍機『ZESTIA(ゼスティア)』を発売
ダイキン ソリューションプラザ「フーハ 東京」を開設
フーハ 東京
当社最大規模の空調機器生産拠点「大金空調(蘇州)有限公司」を中国 蘇州市に設立
省エネ改善サービス『VRV・エネ・TUNING』エコプロダクツ大賞「経済産業大臣賞」受賞

2012(平成24年)
世界初、オールアルミ製「マイクロチャネル熱交換器」搭載の『ZEAS』シリーズを発売
国内初、デザイン心理学を開発に応用した家電製品 ダイキンらくらくエアコン『ラクエア』を発売
経済産業省が「エネルギー利用情報管理運営者(BEMSアグリゲータ)」にダイキン工業を採択
空調機器販売会社『ダイキン エアコンディショニング インドネシア社』を設立
グローバル空調市場におけるリーディングカンパニーとしての地位を盤石なものにするため、米国住宅用空調大手「Goodman社」を買収
世界初、R-32冷媒を採用したルームエアコン『うるさら7』を発売
建機車輌用油圧機器の開発・生産・販売までを一貫して担う「ダイキン・ザウアーダンフォス株式会社」を設立
住宅用全館調湿・換気ユニット『DESICA HOME AIR(デシカホームエア)』を発売

2013(平成25年)
R-32冷媒、インドで海外初展開
ルームエアコン『うるさら7』が、第5回ものづくり日本大賞「内閣総理大臣賞」、省エネ大賞「経済産業大臣賞」、「レッド・ドット・デザイン賞」など、数々の賞を受賞
ダイキン ソリューションプラザ「フーハ大阪」を開設
文理融合による新しい社会価値創造を目指し、京都大学との包括連携協定を締結
インドネシアの業務用空調機器の販売代理店である「TSP社」を買収
部屋の湿度を自動コントロールする除加湿ストリーマ空気清浄機『クリアフォースZ』を発売
世界で初めてR-32冷媒を採用した店舗・オフィス用エアコン『FIVE STAR ZEAS』を発売
ダイキンヨーロッパ社が創立40周年記念式典を開催
暖房・給湯事業の拡大を目指し「ダイキン 旭川ラボ」を開設
空調機器販売会社『ダイキン エアコンディショニング サウジアラビア社』を設立

2014(平成26年)
「英国・グレーターマンチェスターにおけるスマートコミュニティ実証事業」を開始
世界最大規模のデザインの祭典「ミラノサローネ」に初出展
創業90周年記念 社会貢献事業 『“空気をはぐくむ森”プロジェクト』をスタート
パッケージエアコン国内生産1,000万台を達成
年間運転効率を大幅に向上したビル用マルチエアコン『VRV X』シリーズを新発売
CDP「気候変動パフォーマンス先進企業」に選定
富山県南砺(なんと)市で管水路用マイクロ水力発電システムの実証実験を開始
経済産業省主催の「キャリア教育アワード」で当社の環境教育プログラムが優秀賞を受賞

2015(平成27年)
Goodman社が米国・テキサス州に新拠点を設立
大手化学メーカー ソルベイ社から欧州の冷媒事業を買収
タイの空調メーカーへ次世代冷媒R-32に関する技術支援を開始
次世代冷媒を用いた空調機の特許を全世界で無償開放
『ダイキン工業 90年史』を発刊
米国政府より「環境貢献企業」に認定
技術開発拠点「テクノロジー・イノベーションセンター」を開設
冷媒の環境課題に対するダイキングループの方針をまとめた 『ダイキン冷媒ポリシーペーパー』を発行

2016(平成28年)
米国のエアフィルターメーカー フランダースを買収
空気の看板「大ぴちょんくん」が大阪・梅田に誕生
イタリアの業務用冷凍・冷蔵機メーカー ザノッティ社を買収
ダイキンエアコンディショニングエジプト社を設立
女性活躍推進法に基づく認定マーク「えるぼし」の最高位を取得
ダイキンエアコンディショニングニュージーランドを設立
北欧のエアフィルターメーカー ディンエア社を買収

2017(平成29年)
既設のビル用空調を大幅に省エネ化するメンテナンスサービス「レトロフィットシステム」が平成28年度省エネ大賞「経済産業大臣賞」を受賞
低温暖化冷媒HFC-32を採用したエアコンの累計販売台数、世界50カ国以上で1,000万台を達成
米国市場向けの空調機を生産する当社最大規模の工場「ダイキン・テキサス・テクノロジーパーク」を米国テキサス州に開設
マイクロ水力発電システムを用いて発電事業を行う子会社 DK-Power社を設立
オーストラリアの空調サービス・ソリューション企業 エアマスター社を買収
空調とAI・IoTの融合によるイノベーションの創出を目的に、大阪大学との包括連携契約を締結
ダイキン・ケミカル・サウスイーストアジア社を設立
イタリアのフッ素樹脂コンパウンドメーカー ヘロフロン社を買収
多様化する住宅用空調のニーズに応える壁掛形ルームエアコン「risora(リソラ)」と小空間マルチカセット形エアコン「ココタス」を新発売
AI分野の人材を育成する社内講座「ダイキン情報技術大学」を開講

2018(平成30年)
ビルの快適な空調空間を月額固定料金で提供するエアアズアサービス社を設立
空気・空間のデータを活用した協創プラットフォーム『CRESNECT』を開設
ベトナムで空調機の新工場が本格稼動を開始
業界初の低温暖化冷媒R32を採用し環境負荷を低減した空冷ヒートポンプ式モジュールチラー『HEXAGONForce32』を発売
「FUSION 20」後半3ヶ年計画を策定
AIベンチャー「ABEJA」へ出資し、協業を加速
ダイキン工業とNECが、執務空間の知的生産性向上に効果的な温度刺激の与え方を実証
ジャワ島での森林保全活動にインドネシア政府より感謝状
オーストリアの冷凍・冷蔵ショーケース大手AHT社を買収
東京大学とダイキン工業による「産学協創協定」を締結

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