「セコム株式会社」の始まりと原点!~経営理念・企業理念/創業者・創立者『飯田亮』/沿革・歴史など~

「セコム株式会社」の始まりと原点!~経営理念・企業理念/創業者・創立者『飯田亮』/沿革・歴史など~

 

「セコム株式会社」の経営理念・企業理念(ビジョン・ミッション・バリュー・スローガン・指針・方針など)

 

 

 

「セコム株式会社」の憲法

 

 

1、セコムの提供する社会サービスシステムは、人々の安心のための、そしてよりよき社会のためのサービスシステムである。この基本から外れる事業は、行ってはならない。そして実施する事業が、かかる目的に合致するものであっても、派生的に社会に有害なものの発生が予測されるものは、行ってはならない。 ただし、セコムが行う社会サービスシステムを最良のものとするための周辺事業、および人材育成、ノウハウ取得のための事業は、積極的に行うべきである。

 

2、セコムの行う社会サービスシステムは、高度な技術に立脚した革新的最良のものでなければならない。

 

3、他のいかなる組織が実施するよりも、セコムが事業化し実施することが、最適であるとの判断が重要である。 他の組織が最適な場合には、他の組織で実施する方が社会にとって有益であるからである。

 

4、新しい社会には、常に新たな社会サービスシステムが必要とされる。セコムは、常に社会の変化を継続的に注視し、受動的な態度ではなく、能動的に社会の変化に先駆けて、社会サービスシステムを準備し、実行する責任を有する。新しい社会サービスシステムであるから、当然のこととして、最初の段階では、社会習慣になじまず、相当な障害が予想される。しかし、それだからこそセコムが選択する価値のある事業なのである。 あきらめることなく、果敢に挑戦し実現させるべきである。それがセコムの勇気である。

 

5、選択した事業の実行にあたっては、自ら完全に納得できるものとして事業を行うべきであり、妥協は徹底して排除しなければならない。自らの努力、苦労を減じるため、納得できないまま妥協的に安直に他の組織と提携するようなことはしてはならない。

 

 

 

 

「セコム株式会社」の運営基本10ヵ条

 

 

1.セコムは社業を通じ、社会に貢献する。
それゆえにセコムは、社会にとって有用不可欠な企業体でなければならない。セコムは、社会の利益に反したり、社会の利益にならない事業を決して行わないことはもちろん、すべての企業行動について、反社会的な行動をしてはならない。

 

2.セコムは、社会に貢献する事業を発掘、実現しつづける責任と使命を有する。
その発掘のため、常に社会の事象、社会の方向を凝視し、敏感でなければならない。実現にあたっては、あくなき可能性を追求し、いかなる困難も乗り越える旺盛な革新と実現へのエネルギーを有すること。

 

3.額に汗し、努力の結果以外の利益は、受けない。

 

4.社会は一人ひとりの人間によって構成される。セコムも同様に一人ひとりの社員によって構成される組織体である。いうまでもなく、一番重要なことは、社員一人ひとりが、活き活きと価値ある人生を送ることである。セコムの組織内にあってはもちろんであるが、組織外であっても、人間尊重が基本であり、いかなる場合においても、いささかも人間の尊厳を傷つけてはならない。

 

5.セコムは他企業、他組織を誹謗してはならない。
それが競合する組織体であっても同様である。競争は正々堂々とセコムらしく行うべきである。

 

6.すべてのことに関して、セコムの判断の尺度は、「正しいかどうか」と「公正であるかどうか」である。

 

7.セコムは、常に革新的でありつづける。
そのため、否定の精神、現状打破の精神を持ちつづけ絶やさない。

 

8.セコムは、すべてに関して礼節を重んずる。

 

9.セコムは、その時々の風潮に溺れず、流されず、常に原理原則に立脚し、凛然と事を決する。

 

10.セコムの社員は、いかなることに関しても、自らの立場、職責を利用した言動をしてはならない。

 

 

 

 

 

「セコム株式会社」の要諦

 

 

 

1.セコムは、安全文化を創造する。

 

2.セコムは、常に新しく革新的である。

 

3.セコムは、自らの手で自らを変化させ、誰もが変革の担い手である。

 

4.セコムは、よく考える集中力と、より早く行動する習慣を育む。

 

5.セコムは、強靭な意思と明快なシステム思考を重視する。

 

6.セコムは、妥協を排し、正しさを追求する。

 

7.セコムは、最高の安全を提供する。

 

8.セコムは、顧客に心の平和を与える。

 

9.セコムは、プロフェッショナルであることを真価とする。

 

10.セコムは、可能性に挑戦する。

 

 

 

 

 

 

「セコム株式会社」の創業者・創立者『飯田亮』~生い立ち・名言・創業の想い・考え方など~

 

 

 

飯田亮(セコム創業者)

 

 

飯田亮。

東京市日本橋区馬喰町(後の東京都中央区日本橋馬喰町)に、酒問屋「岡永」を経営する父・紋治郎の五男として生まれる。

 

男ばかりの兄弟5人の5男坊。

神奈川県立湘南高校卒業。

 

湘南高校ではラグビー部を創設。

学習院大学政経学部経済学科卒業。

 

学習院大学ではアメリカンフットボール部を創設。

1956年に卒業して、父が経営する株式会社岡永に入社した。

 

1962年に独立して、学生時代以来の「飲み友達」であった戸田壽一とともに日本初の警備保障会社とされる日本警備保障株式会社を設立し、代表取締役社長となる。

社名は、”警備”に、日本で初めての事業なので頭に日本をつけ”日本警備”にし、さらに最後に”保障”をつけて、「日本警備保障」という社名が生まれました。

 

最後の”保障”という二文字には安全保障の”保障”と”補償”の思いを込めたそうです。

その後、日本で初めてのオンラインによる安全システム「SPアラーム」を開発。

 

その後、全国体制を敷き、安全システムの多様化をはかり、社会への安全の普及に努める。

東京オリンピックで民警としての警備を一手に担うなど、事業を成長させ、1976年には代表取締役会長となり、1983年には社員たちの反対を押し切って社名をセコムに改めた。

 

1997年、取締役最高顧問となり、以降は各種団体の代表役員などを務めるようになって、1998年から人道目的の地雷除去支援の会(JAHDS)理事長、日本卓球協会会長となったほか、2002年からは全国警備業協会顧問、日本経済団体連合会常任理事、特殊法人等改革推進本部参与会議座長なども務めた。

長兄飯田博は岡永会長、次兄飯田保はテンアライド創業者、三兄飯田勧はオーケー創業者、叔父には飯田耕作 (英語学者)(神奈川大学学長英語教授)。

 

 

 

 

飯田亮(セコム)の名言・考え方

 

 

 

日本警備保障という社名をセコムに変えると提案したとき、部下はみんな反対しました。私自身でさえ、せっかく浸透してきた社名を新しくするのは葛藤があったくらいだから、部下が反対したのももっともです。しかし、警備会社から社会システム産業へと変身するためには、社名を変えなければなりませんでした。それで、私は反対を押し切ってセコムにしました。

 

 

 

漁師の精神を学ばなければいけない。漁師は釣れなければ、狙う魚を変え、道具を変え、場所を変える。いつも同じところにじっとしていて、「魚が無いね」と嘆いているだけではダメだ。

 

 

 

ナマコを食べたことがない人に、ナマコを売りに行ったって売れっこない。

 

 

 

お客様に少しでも高く買っていただくには、売り手に知恵がなければいけない。安売り競争は知恵など必要ない。下請け苛めをするだけだからです。それで自分たちの商売がうまくいっていると思ったら大間違い。楽な道を進んでいるだけです。

 

 

 

基本的に、組織とは「緩む」もの。基本的に人間は「安定」を求めます。そのときに起きているのが「一般化」という現象です。

 

 

 

セコムらしさを語っていくと、最後は「清く正しく美しく」に尽きる。そんな宝塚みたいなことを言ってうまくいくわけないじゃないかと、多くの 人は考えるかもしれない。仕事するのもいい、企業を大きくするのもいい、儲けることもいい。すべて結果で正しいのだからそれでいいとしても、それ以前に、 我々は正しかったのか、社会の役に立っているのかを一番に考えるべき。何の役にも立っていないのに、これだけ儲かりましたと言われても、ハイそうですか、 どうぞご自由に、と思う。それでは社会から尊敬されません。清く正しく美しく。これが一番永続性があるでしょう。また、目立たないよう目立たないよう会社 を経営してるなんていうのは何の価値もない。やるべきことはやらなければ。

 

 

 

「革新性」=オリジナリティの徹底的な追求、それが新しいニーズを作り上げ、成功を生んでいく。

 

 

 

社会が望み、人が喜ぶ事業は成功する。

 

 

 

苦しみと楽しみは同義語でしょう。両方混在している。苦しみがなければ楽しみはない。ですが、苦しい、辛い、と思ったことはありませ ん。随分昔に、ある新聞社に語ったことですが、ラグビーでもアメフトでも、練習を辛いと思ってやっている人間は続かない。続けられる人間は、辛いけれども 面白くて仕方がないからやっているのです。人間は苦労しなければ成長しません。成功する経営者はみんなピンチ不感症。悲観的な考えは好みではありません。

 

 

 

人に相談すると、独創性に富んだ競争力のあるビジネスモデルは生まれない。

 

 

 

大切なのは人であり、数値はあくまで結果にすぎません。数値やおカネが全てと、悪いファンドマネージャーのように拝金主義に染まった経営者は会社を潰すと思う。

 

 

 

知恵は本を読んでも得られない。知識は土台として必要ではあるが、実社会は知恵で動いている。

 

 

 

機械に出来ることを人間にやらせてはいけない。皆で賛成して当たり前の答えを出すようでは、会社は伸びない。困難な道を歩こう。

 

 

 

「こうすれば、みんなが明るくなって元気になれる」というビジョンを提案するのが、政治家であれ、企業家であれ、最も大切な仕事。

 

 

 

セコムには事業と運営の憲法があります。それは、「正しいことをやる。間違ったことはやるな」「正しいこととは会社にとっての正しさではなく、社会にとっての正しさだ」というものです。経営者としてそういった正論を吐いてきたから、私は社員が胸を張ってやれる仕事だけを選んできました。

 

 

 

仕事ができる人間になりたければ、ザラついた人間たれ。

 

 

 

事業を起こし発展させていくために何が必要かと問われれば、まず心の奥から湧きあがるパッション(情熱)だ。絶対この事業を成し遂げるとの思いが沸々と湧き上がる。人間こうでなくては事業を成功には導けない。そして、パッションを支えるのがビジョン(展望)とロジック(論理)だと思います。

 

 

失敗は、途中で放り出すから、失敗になる。世の中のためになる正しいことだと考えたら、これをやり抜けば、失敗はない。

 

 

 

見えざる手というものを絶対的に信用しなけりゃダメです。さもなけりゃ成功できるわけがない。

 

 

 

仕事というのは、やめなければ本物になる。途中でやめるから失敗になるんです。続ければ、必ずものになる。

 

 

 

自分たちが最高だと思ってやっていることを、真っ向から否定しないと、新しいものは生まれてこない。

 

 

 

新しい時代に適合するだけでは遅い。常に波頭に立ち、波と同じ速度で泳いでいなければ。

 

 

 

無から有を生み出すのがベンチャー企業。

 

 

 

『世の中の常識』を一度否定してみる。

 

 

 

考えて、考えて、考え抜く。

 

 

 

 

 

「セコム株式会社」の沿革・歴史(年表・社歴など)

 

 

 

1962年(昭和37年)7月7日、創業者・飯田亮、戸田寿一が日本初の警備会社として日本警備保障(株)(現セコム(株))を東京・芝公園で創業。巡回警備、常駐警備を開始する。

創業の前年、ヨーロッパから戻った共通の友人から、「欧米にはセキュリティ会社があり、警備という仕事がある」と聞き、まだ日本にない新しい事業であることから創業を決断しました。

 

1964年(昭和39年)10月、東京オリンピックの選手村などの警備を担当。前年12月から警備を開始し、社会から高い評価と信頼を得て、飛躍のきっかけとなる。

 

1965年(昭和40年)4月から当社をモデルにしたテレビドラマ「ザ・ガードマン」がスタート。宇津井健さん主演で大ヒットし、当社の知名度が一躍高まることになる。

 

1966年(昭和41年)6月、日本初のオンライン安全システム「SPアラーム」を開発、サービスを開始。ご契約先に防犯・防火センサーを取り付け、通信回線を通じて当社が24時間遠隔監視。異常が発生すれば緊急対処員が駆け付ける。

 

1967年(昭和42年)9月、独自の現金護送車を完成、銀行に初の現金護送サービスを開始する。
10月、国ごとに代表的な1社が参加する国際警備連盟に加盟する。

 

1969年(昭和44年)4月、「SPアラーム」が108号連続射殺魔事件の犯人逮捕のきっかけを作り脚光を浴びる。9月にはこの功績に対して、西独(当時)ミュンヘン市で開催された国際警備連盟でゴールドメダルが授与される。
4月、東京都港区赤坂の三会堂ビルに本社を移転する。

 

1970年(昭和45年)3~9月、大阪府吹田市で日本万国博覧会(大阪万博)が開催。建設現場警備から2年1ヵ月に渡り無事故で警備を行い、重責を果たす。
5月、オンライン安全システムの機器の設置工事を行う日警電設(株)(現・テクノ事業本部)を設立する。
7月、東京・晴海に本格的な中央管制センターを開設。併せて全国18ヵ所に管制センターを新増設、「SPアラーム」拡大体制を整備する。

 

1972年(昭和47年)
2月、札幌オリンピックが開催。会場周辺の警備を無事故で行い、重責を果たす。

 

1973年(昭和48年)2月、新ブランドに「SECOM」(セコム)を制定。SECOMはSecurity Communicationを略した造語で「安全情報科学」の意味を当てる。この年、緊急対処員を「ビートエンジニア」と称して運用する制度も開始する。
3月、大規模施設向けのトータル安全管理システム「セコム3」(現在の「トータックスZETA」の先駆け)を発売する。
8月、米国で最も先進的と言われたハンティントン・ナショナル銀行と無人銀行システムの安全システムで相互提携する。

 

1974年(昭和49年)4月、わが国初のCD(現金自動支払機)の安全管理システム「CDセキュリティパック」を開発し発売する。
6月、東京証券取引所市場第二部に株式を上場。
7月、ハロンガスによる二次災害を防ぐ画期的な消火システム「セコムFa2」(現在の「トマホークⅢ」の先駆け)を開発し発売する。現在は地球環境を守るため、オゾン層に影響のない新ハロンガスを使用。
9月、横浜市青葉台に最初の自社専用の研修所「セコムHDセンター」を開設する。
9月、防災業界のトップ企業、能美防災工業(株)(現・能美防災(株))と業務提携を行う。

 

1975年(昭和50年)3月、東京・晴海のコントロールセンターで世界初のCSS(コンピュータ・セキュリティ・システム)が稼働。異常発生時に管制卓のモニターに異常が表示されるようになり、安全性向上と業務の効率化が飛躍的に進展する。

 

1977年(昭和52年)7月、東京電力(株)、関西電力(株)、中部電力(株)と当社の4社合弁で、原子力施設に関する科学防護システムの研究開発、科学防護機器の設計、施工、保守点検などを業務とする日本原子力防護システム(株)を設立する。
10月、宮城県白石市にセコム工業(株)を設立し、オンライン安全システムを構成する機器の自社生産を開始する。

 

1978年(昭和53年)1月、台湾の中興保全股?有限公司(現・中興保全科技股?有限公司)と業務提携を行う。台湾で初のオンライン安全システムを提供、本格的な海外進出を開始する。
5月、東京証券取引所市場第一部に昇格。
6月、東京都新宿区西新宿の新宿野村ビルに本社を移転する。
11月、東京都世田谷区八幡山に「セコムSDセンター」が竣工する。東京エリアのオンライン安全システムを集中監視する東京中央コントロールセンターなどの施設として、世界的水準の安全のモデルビルとして建設。

 

1979年(昭和54年)1月、大型施設設向けのトータル安全管理システムとして「トータックス(Ⅰ、Ⅱ、EC)」シリーズを開発し発売する。
3月、安全を中心とする科学技術の研究開発助成、普及啓発などを目的に財団法人 セコム科学技術振興財団を設立する。
7月、東京都武蔵野市に技術部門のセンターとして「セコムEDセンター」(現在の開発センターの先駆け)を開設。本格的に自社開発を推進する。

 

1980年(昭和55年)8月、金融機関のATMの運用・管理を行う「ハンクスシステム」を開発し発売する。

 

1981年(昭和56年)1月、日本初の家庭用安全システム「マイアラーム」(現「セコム・ホームセキュリティ」)を開発し発売。家庭マーケットに進出する。
2月、米国カリフォルニア州のバレーバーグラー&ファイヤーアラーム社の株式を100%取得(現在は売却)。本格的に米国に進出する。
3月、韓国のサムスングループと合弁で、韓国安全システム(株)(現・(株)エスワン)を設立(設立は1980年7月)し開業。4月から韓国初のオンライン安全システムの提供を開始する。
6月、大規模施設向けトータル安全管理システム「トータックス-T」を発売。
9月、東京都三鷹市に「セコムTEセンター」を開設。それまでのセコムEDセンター、技術部など分散していた技術陣を同センターに集結し強化。

 

1982年(昭和57年)1月、「安全産業」元年を宣言。創立20周年にあたり、警備からさらに広範な「安全・安心」を提供する「安全産業」を目指すことを宣言する。
6月、静岡県御殿場に新研修所「セコムHDセンター御殿場」を竣工する。
10月、米国カリフォルニア州で当時ホームセキュリティ専業最大手のウエステックセキュリティ社の株式を100%取得(セキュリティ事業は売却)する。
11月、「マイアラーム」(現「セコム・ホームセキュリティ」)のオプションとして日本初の救急通報システム「マイドクター」を開発する。

 

1983年(昭和58年)8月、仙台市で都市型CATV会社、宮城ネットワーク(株)を設立。続いて9月に茨城県水戸市で茨城ネットワーク(株)、10月に新潟市で新潟ネットワーク(株)を設立(CATV会社は現在売却)。情報系事業への先駆けとなる。
12月1日、日本警備保障(株)からセコム(株)に社名変更。1973年からブランドとして使用していた「セコム(SECOM)」に社名を変更し、社名とブランドを一体化する。

 

1984年(昭和59年)5月、創業者・飯田亮(当時、代表取締役会長、現・取締役最高顧問)が京セラ(株)創業者の稲盛和夫氏やウシオ電機(株)会長の牛尾治朗氏らとともに設立発起人として第二電電企画(株)(現在のKDDI(株)の前身)を設立する。
12月、コンピュータネットワーク「セコムネット」(SECOM-NET)が完成。当時の日本最大規模のコンピュータネットワークが誕生し、その後の高度情報化社会への基盤整備が整う。
12月、金融機関のATM向けに初の現金補填サービスを開始する。

 

1985年(昭和60年)1月、北米標準(ナプルプス)方式のビデオテックスを全国展開するビデオテックスセンター(株)を設立(その後、セコムトラストシステムズ(株)に統合)する。セコムを中心に京セラ(株)、三菱商事(株)などが出資。
8月、セコムネット(株)を設立(その後、セコムトラストシステムズ(株)に統合)。コンピュータネットワーク「セコムネット」の情報通信網をセコムが分離独立し、それを活用してVAN(付加価値通信網)サービスを提供する。
10月、日本電信電話(株)(NTT)と合弁で日本コンピュータセキュリティ(株)を設立(その後、セコムトラストシステムズ(株)に統合)。コンピュータ犯罪を防ぐシステム監査などコンピュータセキュリティの設計・施工を行う。

 

1986年(昭和61年)1月、東京都三鷹市に「セコムTEセンター」を新築、竣工。各種実験室を完備し、独自の厳しい品質基準に基づく革新的な安全システムやセンサーなどの開発を行う。
6月、株式が大阪証券取引所市場第一部に上場。
12月、自治体向けに「高齢者向け緊急通報システム」を開始する。

 

1987年(昭和62年)7月、米国の事業を統轄する持株会社、セコメリカ社を設立する。
8月、マンション用安全システム「セコムMS-1」を発売する。

 

1988年(昭和63年)1月、各住戸にもセキュリティが入るマンション用安全システム「セコムMS-2」を発売する。
4月、米国でセコメリカ社が最大の病院経営会社HCA社の救急医療部門を買収(現在は売却)。当時は最大の民間救急医療会社(ライフフリート社)。1969年(昭和44年)
4月、日本初の指紋照合システム「セサモ-ID」を発売する。
6月、横浜市に物流の拠点として「セコムFSセンター」を竣工する。
7月、タイでサハパタナグループと合弁でタイ・セコムピタキイ(株)(現・タイセコムセキュリティ(株))を設立。1969年(昭和44年)
12月、東京・自由が丘に日本初のホームセキュリティショップを開設。
この年から各都道府県に1ヵ所、47ヵ所のコントロールセンター体制となる。

 

1989年(平成元年)1月、安全の情報通信ネットワークをベースに安心で便利で快適な新しい社会システムを構築する「社会システム産業」元年を宣言する。
8月、宮城県白石市にセコムとセコム工業(株)でセコムハイプラント(株)を設立(現在はセコム工業と統合)。完全密閉型の植物工場で生ハーブを栽培。
9月、米国で3位の在宅医療会社、HMSS社を買収(現在は売却)。

 

1990年(平成2年)5月、長嶋茂雄さんが当社イメージキャラクターとしてテレビCM出演。
5月、三重県名張市に「セコムHDセンター名張」を竣工。7月には熊本県阿蘇に「セコムHDセンター阿蘇」を竣工。研修体制を強化する。

 

1991年(平成3年)4月、セコム情報システム(株)を設立(その後、セコムトラストシステムズ(株)に統合)。セコムのコンピュータネットワークの開発・運用を行う。
4月、マレーシアでライオングループと合弁でセコムマレーシア(株)を設立。
4月、英国でキャロルセキュリティグループを買収する。
6月、クリーンルーム(無菌調剤室)を持つ調剤薬局「セコムファーマシー」を開設し薬剤提供サービスを開始。併せて訪問看護サービスを提供し、日本初の本格的な「在宅医療サービス」を開始する。

 

1992年(平成4年)6月、シンガポールで現地パートナーとセコムシンガポール(株)を設立する。
8月、東京都世田谷区の社会福祉法人康和会・久我山病院の運営に参画。
11月、オーストラリアにセコムオーストラリア(株)を設立する。
12月、中国・北京市に日本企業で初の持株会社の認可を取得する。

 

1993年(平成5年)12月、台湾の中興保全股?有限公司(現・中興保全科技股?有限公司)が台湾株式市場に株式を上場。
12月、中国・大連で、中国でセコム最初のセキュリティ会社として大連西科姆電子安全有限公司を設立する。

 

1994年(平成6年)4月、日本初の遠隔画像診断支援サービス「ホスピネット」を開始する。
5月、インドネシアで現地パートナーと(株)セコムインドプラタマを設立。

 

1995年(平成7年)2月、次世代のコンピュータネットワーク「SP21」が完成。
6月、英国でアンバサダーセキュリティグループを買収する。

 

1996年(平成8年)1月、英国でセコムキャロルとアンバサダーセキュリティが合併しセコムPLCが誕生。英国全土をカバーする有数のセキュリティ会社に躍進。
1月、韓国の韓国安全システム(株)が韓国株式市場に株式を上場。3月には韓国安全システム(株)が(株)エスワンに社名を変更する。
5月、東京都三鷹市に「セコムSCセンター」が竣工。IS研究所などが入居し、研究・情報の中核拠点となる。
7月、森ビル(株)と共同出資で(株)プライムステージを設立。東京・成城のシニアレジデンス「サクラビア成城」の運営を開始する。

 

1998年(平成10年)2月、長野オリンピックが開催。セコム上信越(株)がセキュリティを提供。
7月、日本初の画像センサーを利用したオンライン画像監視システム「セコムAX」を開発し発売する。
9月、中堅損害保険会社、東洋火災海上保険(株)(現セコム損害保険(株))に資本参加。保険事業を開始する。

 

1999年(平成11年)7月、日本初の双方向画像監視システム「セコムIX」を開発し発売する。
7月、世界初の不正行為検出する監視カメラ「スーパーCCTV」を発売。
8月、航空測量大手の(株)パスコに資本参加。地理空間情報サービス事業に進出。
12月、セコム在宅医療システム(株)(現セコム医療システム(株))が東京都新宿区に初のセコム新宿訪問看護ステーションを開設する。

 

2000年(平成12年)5月、菱名ロイヤルライフ(株)(現セコムフォート多摩(株))に資本参加。東京・町田のシニアレジデンス「ロイヤルライフ多摩(現コンフォートロイヤルライフ多摩)」の運営を開始する。
6月、セコムホームライフ(株)が合併で誕生し、不動産事業を開始する。
12月、セコムトラストネット(株)(4月にセコムネット(株)から社名変更、現セコムトラストシステムズ(株))が「セキュアデータセンター」を開設する。

 

2001年(平成13年)1月、東京都渋谷区神宮前に本社を移転する。
4月、日本初の本格的な位置情報提供システム「ココセコム」を開発し発売。企業から家庭に広がったセキュリティサービスが個人まで広がる。
10月、セコム損害保険(株)が日本初の自由診療がん保険「メディコム」発売。

 

2002年(平成14年)1月、大型施設向けトータル安全管理システム「トータックス-ZETA」を発売する。
3月、医療部門、グループ医療会社が統合しセコム医療システム(株)を設立。
4月、日本初の食事支援ロボット「マイスプーン」を発売する。

 

2003年(平成15年)6月、日本初のセンサー一体型の防犯合わせガラス「SECOMあんしんガラス」を発売する。
6月、多機能型マンション安全管理システム「セコムMS-3」を発売する。
11月、安全と医療を一体化した「セコム・メディカルクラブ」を開始する。
11月、日本初の顔検知機能内蔵「セキュリフェースインターホン」を発売。

 

2004年(平成16年)9月、AED(自動体外式除細動器)をレンタルし、バッテリーや消耗品を定期的に送付する「セコムAEDパッケージサービス」を開始する。
10月、セコム情報システム(株)(現セコムトラストシステムズ(株))が「セコム安否確認サービス」を開始する。

 

2005年(平成17年)9月、生活支援サービス「セコム・ホームサービス」を開始する。
10月、日本初の屋外巡回監視ロボット「セコムロボットX」を発売。

 

2006年(平成18年)5月、情報系2社が合併し、セコムトラストシステムズ(株)がスタート。
6月、ベトナムでセコムベトナム(株)を設立する。
10月、横浜市にシニアレジデンス「コンフォートガーデンあざみ野」を開設。
12月、防災業界最大手、能美防災(株)がセコムグループ入り。本格的に防災事業を開始する。

 

2007年(平成19年)4月、セコムが代表企業で受注した山口県美祢市のPFI刑務所「美祢社会復帰促進センター」を新築し開設する。
10月、栃木県さくら市の新設PFI刑務所「喜連川社会復帰センター」と、栃木県大田原市の既設刑務所「黒羽刑務所」を受注(4月)し業務を開始する。

 

2009年(平成21年)6月、神戸市に総合病院と一体化したシニアレジデンス「コンフォートヒルズ六甲」を開設する。

 

2010年(平成22年)8月、セコムトラストシステムズ(株)が日本最高クラスのセキュリティを完備した「セキュアデータセンター」新館を開設する。
9月、日本初の強盗自動検出システム「インテリジェント非常通報システム」を開発し発売する。

 

2011年(平成23年)4月、ニュージーランドのセキュリティ会社を買収し、セコムガードオールNZ(株)としてスタートする。
4月、英国の四大銀行のRBS銀行の支店約2,000店へのセキュリティを受注。また6月にキャピタルQハイセキュリティサービス(株)の買収を通じて同じく四大銀行のHSBC銀行の支店約1,500店のセキュリティを受注する。
9月、セコムグループのノウハウを結集してBCP(事業継続計画)を総合支援する「危機管理支援トータルサービス」を開始する。
12月、日本初、写真や通帳などの個人情報を預かる「セコムホ-ムセキュリティ G-カスタム」を開発し発売する。

 

2012年(平成24年)4月、(株)住生活グループから(株)LIXILニッタンの株式100%を取得。ニッタン(株)としてセコムグループの防災事業の一翼を担う。
10月、国内最大級のデータセンターを運営する(株)アット東京がセコムグループ入り。

 

2013年(平成25年)4月、ニチイ学館・ツクイと協業し、日本初の屋内外に対応する、高齢者向けの救急時対応サービス「セコム・マイドクタープラス」の提供を開始。
6月、セコムトラストシステムズ(株)が、警視庁とサイバー犯罪共同対処協定を締結。
9月、セコム独自のビッグデータ解析を活用した次世代防災サービス「リアルタイム災害情報サービス」の提供を開始。
12月、ミャンマーのヤンゴンに、ミャンマーセコム(株)を設立。
12月、ネットバンキングの不正送金被害を防止する「セコム・プレミアムネットサービス」を開始。

 

2014年(平成26年)3月、インド初の日本企業が経営する総合病院「サクラ・ワールド・ホスピタル」をベンガルールに開院。
6月、海外赴任に伴う準備をサポートする「セコム海外赴任者パッケージ」の提供を開始。
7月、「セコム・ホームセキュリティ」のご契約家庭が100万軒を突破。

 

2015年(平成27年)4月、高齢者のお困りごとにワンストップで対応するくらしの相談窓口「セコム暮らしのパートナー久我山」を、東京都杉並区久我山に開設。
5月、マイナンバー制度での対応をトータルに支援する「セコムあんしんマイナンバーサービス」の提供を開始。
8月、小荷物専用昇降機の国内シェアNo.1を誇るクマリフト(株)がセコムグループ入り。
10月、「東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会」のオフィシャルパートナー(セキュリティサービス&プランニング)に決定。
12月、集配金サービスで高い実績を誇る(株)アサヒセキュリティがセコムグループ入り。
12月、世界初の民間防犯用の自律型小型飛行監視ロボット「セコムドローン」のサービスを開始。

 

2016年(平成28年)2月、世界初の民間防犯用飛行船「セコム飛行船」の運用サービスを開始。
4月、日本初、マイナンバーの流出経路を封鎖する専用端末「セコム・プレミアムネット・プラス」を発売。
7月、標的型サイバー攻撃から情報資産を守る「セコム・プレミアムネット・リモートブラウザ」を発売。
9月、日本初の高精度な3次元立体地図によるセキュリティプランニングシステム「セコム3Dセキュリティプランニング」の提供を開始。
11月、民泊事業開始前の対応をワンストップでセコムグループがサポートする「セコムあんしん民泊パッケージ」を発売。

 

2017年(平成29年)3月、英国・北アイルランドに本社を持つセキュリティ会社「スキャンアラームLtd.」がセコムグループ入り。
5月、「セコムグループ2030年ビジョン」を策定。
7月、生活スタイルに柔軟に対応し、IoT機器などとの接続でさまざまなサービスが拡がる「セコム・ホームセキュリティNEO」を発売。
7月、日本初、リストバンド型ウェアラブル端末を用いた健康管理・救急対応サービス「セコム・マイドクターウォッチ」を発売。
10月、コンタクトセンター業務やバックオフィス業務全般のBPOサービスを提供する(株)TMJがセコムグループ入り。
12月、不在時でも在宅時でも荷物を安全に受け取ることができる「セコムあんしん宅配ボックス」を発売。
12月、日本初、オンライン・セキュリティシステムと連動可能な小型・軽量の履歴保持機能付き医薬品保管庫「セサモMBX」を発売。

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