幸運を得るための法則とは?
長瀬富郎/花王創業者
花王創業理念
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人ハ幸運ナラザレバ、非常ノ立身ハ至難ト知ルベシ
運ハ即チ天祐ナリ
天祐ハ常ニ道ヲ正シテ待ツベシ
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(現代訳)
成功というのは、たまたまの偶然にすぎない。
それはまさに、天の助けによる思いがけない幸運である。
その幸運を得ようとするなら、常に道を正して待ちなさい。
長瀬富郎とは?
花王の創業者。
美濃国恵那郡福岡村(現在の岐阜県中津川市)生まれ。
12歳で学校を終えた富郎は、親戚の塩問屋兼荒物雑貨商「若松屋」に奉公に入り、若干17歳で下呂支店を任されるまでに信頼されます。
しかし独立心を抑えがたい富郎は、明治18(1885)年、23歳で店を辞めて上京します。
当時のお金で150円の資金、現在の200万円ほどを元手に米相場をやりますが、大失敗、無一文になってしまいます。
この挫折を教訓として、とにかく「堅実に生きる」事を終生の誓いをたてます。
その後、日本橋馬喰町の和洋小間物商「伊能商店」に就職します。
奉公先の荒物屋「若松屋」を一年あまりで退職すると、郷里に戻って資金を工面。
明治20(1887)年に、馬喰町の裏通りに間口二間(3m60cm)で「長瀬商店」を開き、石鹸と文房具の卸売を始めます。
このとき富郎、24歳。
当時、石鹸はアメリカ製の石鹸を扱っていたが、圧倒的な需要過多のため、なかなか入手できないことに奮起。
石鹸職人の村田亀太郎氏と、知人の薬剤師、瀬戸末吉氏の協力を得て、自社製品を開発します。
値段は、一箱35銭。
アメリカ製の高級石鹸1ダース28銭の時代に、3個35銭の高級品として販売します。
桐箱入り花王石鹸は、贈答用に重宝され大ヒット。
明治29年には、東京・向島に新工場を建設するに至ります。
しかし、富郎は、それまでの過労が重なり、明治43年には床につくようになり、明治44(1911)年に、48歳の若さで、この世を去ってしまいます。
厳選!長瀬富郎の珠玉名言
宣伝は、良品を消費者に届けるために、良心的な生産者が行なう消費者に対する奉仕である。
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