大島優子の「大切な」言葉たち~大島優子の名言・人生・生き方など~

大島優子の「大切な」言葉たち

7歳の頃からずーっとお芝居をやってきたけど、高校に入ったときに福祉系のお仕事をやってみたいなって思い始めて。芸能界をあきらめてこっちの道に行こうかなって思っていたら、AKBのオーディションがあったんです。ダンスがすごく好きだったので、ラストチャンスということでオーディションを受けてみました。そうしたら受かったので、やっぱりこっちの世界がいいと思って、軌道修正しました(笑)

アイドルではなく、完全に女優という仕事ひとつに絞ってやるという覚悟はしましたが、ではどういった色で、どういった方向で、どんな女優としてやっていけばいいのかがはっきり見えなかった。

カテゴリーとしてはアイドルとなったわけなので、やることが全然違いましたね。これまでは、役を与えられてきたんですけど、バラエティーに出たときは自分っていうキャラをどう出していけばいいんだろうってすごく悩みました。だんだん自分の方向性が見えてきて“こういう子だよね”ってスタッフさんたちに認められてきましたけど、最初の頃は優等生ぶってました(笑)

20歳になったときから思っていたんです。“30歳までは修行だ”と。30歳まではとにかく悩んで、苦しい思いをたくさんしながら頑張ろうと。だから、苦しいし大変だという思いは、楽しさでもあったんです。修行がつらければつらいだけ、頑張れば頑張るだけ、30歳になったときに、何かがパッと開けるはずだと。

“オジサンみたい”って言われます(笑)。デコメールとかでもハートとかリボンとかお花を選ぶっていうよりも、気持ち悪いオジサンのやつとか“キモカワイイ”のが好きです(笑)。あと、みんなへのボディータッチが多いとかも言われますね(笑)

お芝居するのが楽しいです。昔は楽しみ方が分からなかった。いい作品や人に出会えている実感はありましたが、“楽しむ”という感覚にはならなかったんですよね。舞台『No.9 -不滅の旋律-』(2015)に出演したときに、共演者の方々から、『芝居で遊んだらいいよ』と言われたんです。でも当時は『演じるってなんだろう』とずっと考えていた時期で、『遊ぶ?』という感じで分からなかったんです。でも、いまはその言葉が分かるようになりました。

まず、1年間海外で生活するというのは、自分の中ではすごく大きなことでした。どういう風になるのか全く想像つきませんでした。もしかしたら日本での居場所がなくなり、忘れられるかもしれないとも思っていました。その覚悟もあったので、舞台から始めたいと心に決めていたのかもしれません。

これだけはしています!寝ること!(笑)。寝るのと、寝るのと、あと寝るのと(笑)。

割と人前ではテンション高くなるところなのかも。私は、やりたいことや、ポジティブなこと、プラス思考になることはなるべく口に出すようにしているのですが、これは周りと意見が違うかもしれないということは一回心に収めるようにしています。

これまで年上の女性たちと出会ったりお話をしてきた中で、私が『美しいな』と感じるのは、自信を持っていたり、心が豊かだったり、仕事や生活を楽しんでいる人です。いつの間にか魅力にひきこまれちゃうような人はみんな、知的で自信があって心も豊かで、人生を楽しんでいる。そういう人とは一緒にいるだけでハッピーになれるし、私もそんなふうにありたいですね。

心がふわぁ~っとラクになりました。たぶん、いろんなことを気にしなくなったんでしょうね。以前は何をするにも一個ずつがすごく気になって、お芝居をするときもいつも、『これでいいのか? これじゃダメなのか?』と振り子が振れるみたいに迷ったり、自分の中でぐるぐる考えすぎてたんです。でも今はそれがなくなって、『思うがままでいいかな?』って(笑)。自分に自信がついてきたというのもあるかもしれないですけど、それ以上に、自分が気にしてるほどには周りは気に留めてない(笑)、と思えるようになったんです。

やってみたら、新しいチャレンジだからこそ、全く新しい声が出たので、今まで自分になかった幅が広がったって感じて、ワクワクしてドキドキしてどんどん気持ちが乗っていきました。私は好奇心が旺盛だから、チャレンジすることが好きなんだと思います。

“ひとり”だと責任感が違います。グループにいるときは、観客全員が私ひとりのことを観ているわけではなかったり、もしミスしても誰かがフォローしてくれたり、“逃げ場”があったと思うんです。あと“ホーム”という帰る場所がある。それがベースにあったんです。でもひとりになったら、当たり前ですけど発した言葉や行動の結果が全て自分に返ってくる。その重さが違います。そして、それがすべて自分の未来につながっていくんです。だから、いまの一つひとつの出来事は、全部自分のためだし、自分の責任なんだなって痛感しています。

夢があったとしたらゴールを作って逆算した方が良いとは思います。プロセスはすごく大事だと思いますね。急に夢が一気に手に入ることは然う然う無いと思うので、やっぱり着実に進めていくことが大事なのかなと思います。

大島優子とは?(人生・生き方・プロフィール・略歴など)

大島優子。

1988年生まれ、栃木県出身。

1996年、母親の薦めでセントラル子供劇団に所属し、子役として芸能活動を開始。

2000年ごろからジュニアアイドルとして活動し、2005年にはTHE ALFEEの高見沢俊彦がサウンド・プロデュースした総勢25人のジュニアアイドルユニット「Doll’s Vox」に所属。

2006年2月26日に『第二期AKB48追加メンバーオーディション』に合格。

4月1日、AKB48劇場でのチームK初日公演において公演デビューをした。

2007年12月、AKB48として『第58回NHK紅白歌合戦』に初出場。

2008年6月、『弁護士 一之瀬凛子シリーズ』(TBS)に出演。

2009年3月映画『テケテケ』で映画初主演を務める。

4月11日、『AKB48 チームK 5th Stage「逆上がり」』公演の初日に喉の手術をすることを発表し、同月13日に手術を終え、同月20日に退院する。

2010年1月、『マジすか学園』(テレビ東京)に同名役で出演。

2011年5月から6月にかけて実施された『AKB48 22ndシングル 選抜総選挙「今年もガチです」』では2位となり、メディア選抜入りする。

10月、月9ドラマ『私が恋愛できない理由』(フジテレビ)にレギュラー出演。

12月8日、ニホンモニターによる「2011年タレントCM起用社数ランキング」で、女性タレント最多となる19社のCMに起用されたと発表。

2012年5月から6月にかけて実施された『AKB48 27thシングル 選抜総選挙』では、2年ぶりの1位となり、選抜メンバーになる。

11月1日、チームKキャプテンに就任。

2013年5月から6月にかけて実施された『AKB48 32ndシングル 選抜総選挙』では2位となり、選抜メンバーになる。

12月31日、『第64回NHK紅白歌合戦』においてAKB48を卒業することを発表する。

2014年6月9日、AKB48劇場で開催された『大島優子卒業公演』をもってAKB48を卒業した[25]。

2015年1月、『銭の戦争』にレギュラー出演。

1月、2014年に公開された映画『紙の月』で第38回日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞。

4月、『ヤメゴク〜ヤクザやめて頂きます〜』(TBS)で連続ドラマ初主演。

10月、『No.9 -不滅の旋律-』で、初めて本格的な舞台に出演。

2016年3月、連続テレビ小説『あさが来た』(NHK)最終週に平塚明役で出演し、NHK連続テレビ小説に初出演。

2017年1月、『東京タラレバ娘』(日本テレビ)にレギュラー出演。

8月、アメリカへ1年余り語学留学し、オレゴン州ポートランドにてホームステイする。

2018年10月22日、留学からの帰国。

2019年1月から舞台『罪と罰』にソーニャ役で出演。

9月、連続テレビ小説『スカーレット』(NHK)に戸田恵梨香演じるヒロインの幼馴染・熊谷照子役でレギュラー出演、地味なおばさん役を好演して評価を高める。

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