黒柳徹子の「大切な」言葉たち~黒柳徹子の名言・人生・生き方・性格など~





黒柳徹子の「大切な」言葉たち

毎日、毎日けっこうおもしろいことがあるし、何をやっててもつまんないとか退屈することがありません。

自分のしている事が好きで、生き生きしている人には引きつけられます。

いつも毎日楽しい何かがあると思っている。

見て見ぬふりできないのが人間。人のために灯りを灯せば自分の前も明るくなります。人のためにしたことは自分に返ってくるということです。

夢は一人ひとり違うものです。興味や才能もみんな違うのです。それが個性というものです。どうして『こうでなくてはいけない』と決めつけるのでしょうか。

私、生まれつきなのって決めちゃわないで、自分で自分なりの心の動きを楽しんだり、ものごとに興味を持つように自分を創っていく、変わっていく努力をするのも面白いと思います。

キレイだなと思う人は、自分の生活を生き生きと楽しく過ごしている。決して与えられたものではなくて、自分で楽しい生活を作っている。

まず、くよくよしないこと。人と自分を比べないこと。比べる人、多いんですけど、比べても意味ないことですから。

『私、これじゃなきゃダメなの』と決め込んだりしないことが大切ね。いくつになっても変われる可能性があると思うと、ワクワクするじゃない?

黒柳徹子とは?(人生・生き方・性格・プロフィール・略歴など)

黒柳徹子。愛称トットちゃん、チャック。

テレビ朝日『徹子の部屋』の司会や、累計800万部を記録し戦後最大のベストセラーとなっている『窓ぎわのトットちゃん』の著者として知られる。

父はヴァイオリニスト、NHK交響楽団のコンサート・マスター。
母は声楽家でエッセイストの黒柳朝(旧姓門山)。

東京府東京市赤坂区(現・東京都港区)乃木坂に生まれ、大森区(現・大田区)北千束町で育つ。

幼少期は「問題児」とされたため、尋常小学校を1年生の時に退学させられ、トモエ学園1年生に転校。

第二次世界大戦中、東京大空襲をきっかけに、以前に北海道の母の実家から帰る汽車で青森の農家と隣り合わせた縁で青森県三戸郡(現・南部町)の諏訪ノ平に疎開。

トモエ学園、香蘭女学校、東洋音楽学校(現:東京音楽大学)声楽科卒業。

新聞で見かけたNHK放送劇団の俳優募集の広告に応募、約6,000人の応募者の中から第6次までの審査を経て13人の劇団員の1人として選ばれる。

NHK専属のテレビ女優第1号として活躍。

その後、文学座研究所やニューヨークのMERRY TARCAI演劇学校などで学び、アメリカのテレビ番組、ジョニー・カーソンの『ザ・トゥナイト・ショー』など、多くのテレビ番組に出演。

また、タイム、ニューズウィーク、ニューヨークタイムス、ヘラルドトリビューン、ピープルなどに日本の代表女性として紹介される。

日本で初めてのトーク番組『徹子の部屋』は、大人気の長寿番組となり、同一司会者による番組の最多放送回数記録でギネス記録に認定される。

著作『窓ぎわのトットちゃん』は760万部のベストセラーとなり、世界35ヶ国で翻訳される。

日本語版の印税で社会福祉法人トット基金を設立。

プロの、ろう者の俳優の養成、演劇活動、手話教室などに力を注ぐ。

ユニセフ(国際児童基金)親善大使としてアフリカ、アジアなどを訪問。

メディアを通して、その現状報告と募金活動などに従事。

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