「ヒューリック株式会社」の始まりと原点!~経営理念・企業理念/創業者・創立者・中興の祖『西浦三郎』/沿革・歴史など~

「ヒューリック株式会社」の始まりと原点!~経営理念・企業理念/創業者・創立者・中興の祖『西浦三郎』/沿革・歴史など~

 

「ヒューリック株式会社」の経営理念・企業理念(ビジョン・ミッション・バリュー・スローガン・指針・方針など)

 

 

 

 

 

「ヒューリック株式会社」の企業理念

 

 

お客さまの社会活動の基盤となる商品・サービスを提供することにより、永く『安心と信頼に満ちた社会』の実現に貢献します

 

 

 

 

 

 

 

「ヒューリック株式会社」の基本姿勢

 

 

 

 

企業像

 

私たちは、安定した企業基盤を活かしつつ、日々成長を遂げる企業を目指します。

 

 

企業風土

 

私たちは、常に新たな視点で業務に取り組み、企業価値の拡大に努めます。

 

 

 

お客さまへのスタンス

 

私たちは、お客さまに最適な商品・サービスの提供に努め、お客さまの満足をなによりも重視します。

 

 

 

従業員像

 

私たちは、一人ひとりがプロフェッショナルとして、高い品質の価値提供に努めます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヒューリック株式会社」の創業者・創立者・中興の祖『西浦三郎』~生い立ち・名言・創業の想い・考え方など~

 

 

 

 

西浦三郎(ヒューリック中興の祖)

 

 

 

西浦三郎。

1948年生まれ、東京都出身。

 

1971年早稲田大学第一政経学部卒業後、富士銀行入行。

目黒支店長、数寄屋橋支店長、法人開発部長を経る。

 

1999年同行取締役、2000年同行常務執行役員、2002年4月みずほ銀行常務執行役員、2004年同行取締役副頭取となる。

2006年3月日本橋興業(現ヒューリック)代表取締役社長に就任、2016年3月ヒューリック代表取締役会長に就任。

 

 

 

 

西浦三郎(ヒューリック中興の祖)の名言・考え方

 

 

 

私がみずほ銀行からヒューリックに転じたのは12年前。そして上場したのが9年前です。財務状況も悪く、これを何とかしなければ、と考えました。所有物件は、みずほ銀行の支店のビルが多かったので、まずは、容積率に余裕があるビルを建て替え、そこにテナントを集めるという方法でした。これによって財務の安定化を図ることができました。次に、先ほど言ったように、駅近物件を購入し、建て替えやリニューアルによって新たな価値を付けてテナントを集めています。それが現在の成長につながっています。

 

 

 

 

 

当社は、もともとは旧富士銀行系列の不動産管理会社です。銀行はバブル崩壊で負った不良債権を処理するために、保有不動産を当社などに売却しました。そのため当社は借り入れ過多の状態にあり、まずは財務を改善する必要があったのです。財閥系の大手不動産と同じことはできません。では当社の特徴は何か。銀行の店舗を保有していることでした。銀行が売却した不動産の中には、銀行の支店店舗が多くありました。支店は駅近くの3階建てが多いですが、容積率基準では8階や10階まで建てられる。建て替えれば効率的に運用できるわけです。そこでこの5年で40棟ほど建て替えました。

 

 

 

 

 

 

中規模ビルがほとんどで、大型ビルは基本的にやりません。大型ビルの坪4万円以上の家賃を負担できるテナント企業は限られているからです。大手企業の多くは本社ビルを持っていますし、財閥系企業はグループ不動産会社のビルに入ります。オフィス需要の急拡大が見込めないのに、当社のような会社が大きいビルをつくっちゃいけないんです。

 

 

 

 

 

 

やること、やらないことがはっきりしているからです。例えば、どういう物件なら買うかを決めています。具体的には千代田・中央・港・新宿・渋谷の5区に集中し、しかも駅から3分以内。それ以外の地区なら駅から1分以内が基本です。この基準がはっきりしているため、そういう物件情報ばかりが持ち込まれています。

 

 

 

 

 

 

 

なぜ仕入れることができるかというと、第一にスピードです。当社の場合、物件情報が寄せられてから2日で意思決定ができます。2日の間に物件を見て収益計算をして決断を下します。しかも金融機関との間で2千億円までならいつでも調達できる借り入れ枠があります。ですから決済の心配もない。そのため条件に当てはまる物件があれば、当社に真っ先に持ち込まれるようになりました。

 

 

 

 

 

 

成長性と安全性と生産性です。この3つのバランスを高いレベルで取っていく。そのために必要なのは変革とスピードです。世の中はものすごい勢いで変化しています。ヒューリックもそれに合わせて変わっていかなければなりません。われわれは大手ではありません。自己資本も多くないため、大手と同じことをやっていたら必ず負けてしまいます。ですから常によそのやらないことをやろうと考えています。だからといって奇をてらったことをやるのではなく、当たり前のことを当たり前にやっていく。これを徹底しています。

 

 

 

 

 

責任をとる覚悟があれば、 考えていることはたいてい 実行できるものです

 

 

 

 

 

 

新しいチャレンジを自分で考えていくことそのものが、楽しい仕事なんだと私は思っています。その機会を社員のみなさんに提供していくのが、経営という仕事なのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヒューリック株式会社」の沿革・歴史(年表・社歴など)

 

 

 

 

1957年
3月不動産業務(富士銀行(現みずほ銀行)の店舗管理業務)、保険代理店業務等を目的として、資本金3千万円にて日本橋興業(株)の商号で設立
6月損害保険代理店業務を開始

 

1960年
1月福岡富士ビル(現ヒューリック福岡ビル)竣工
6月阪都不動産管理(株)(現ヒューリックビルマネジメント(株))設立(現連結子会社)
10月大阪富士ビル(現ヒューリック大阪ビル)竣工

 

1965年
11月新橋富士ビル(現ヒューリック新橋ビル)竣工
新宿富士ビル(ヒューリック新宿ビル)竣工

 

1966年
8月札幌富士ビル(現ヒューリック札幌ビル)竣工

 

1974年
4月銀座富士ビル(現ヒューリック銀座ビル)竣工

 

1978年
11月青山富士ビル(現ヒューリック青山ビル)竣工

 

2000年
11月小舟町Fビル(現ヒューリック小舟町ビル)等15ビルを保有する(株)フォワードビルディングを合併

 

2001年
4月かけ橋企画(株)(現ヒューリックビルド(株))設立(現連結子会社)

 

2006年
3月西浦三郎 代表取締役社長就任(現 代表取締役会長)

 

2007年
1月商号をヒューリック(株)に変更

 

2008年
11月東京証券取引所市場第一部に株式を上場(資本金38億7千9百万円)

 

2010年
3月ヒューリック保険サービス(株)設立(現連結子会社)
7月保険代理店事業をヒューリック保険サービス(株)に会社分割
千秋商事(株)及び芙蓉総合開発(株)と合併

 

2011年
3月ヒューリック銀座数寄屋橋ビル竣工
4月ヒューリックホテルマネジメント(株)設立(現連結子会社)
7月千秋オフィスサービス(株)(現ヒューリックオフィスサービス(株))を子会社化(現連結子会社)

 

2012年
4月連結子会社であるヒューリック福岡(株)及びエヌケー・インベストメント合同会社を合併
7月旧昭栄(株)と合併(資本金82億7百万円)
8月「THE GATE HOTEL 雷門by HULIC」を開業
10月ヒューリック本社ビル竣工、本社を移転
12月新株発行に伴い、資本金219億51百万円

 

2013年
4月ヒューリックリートマネジメント(株)設立

 

2014年
2月ヒューリックプロサーブ(株)設立(現連結子会社)
10月ヒューリック新宿ビル竣工

 

2015年
1月スマート・ライフ・マネジメント(株)を設立(現連結子会社)
5月新株発行(資本金626億17百万円)
12月(株)シンプレクス・インベストメント・アドバイザーズと合併

 

2016年
3月吉留学 代表取締役社長就任
5月グランドニッコー東京台場(底地)を取得
9月日本障がい者バドミントン連盟とオフィシャルゴールドパートナー契約を締結
11月ヒューリックプライベートリートマネジメント(株)設立(現連結子会社)

 

2017年
5月HULIC &New SHIBUYA 竣工(当社初の自社開発の商業施設)
8月ヒューリックプロパティソリューション(株)設立

 

2018年
4月「ヒューリック杯棋聖戦」への協賛を開始
7月ヒューリックふふ(株)を子会社化
9月(株)モス(ホテル日航金沢運営会社)を子会社化
ポルテ金沢(ホテル日航金沢が入居)の取得

10月ふふ河口湖開業
HULIC SQUARE TOKYO竣工
12月「THE GATE HOTEL 東京 by HULIC」を開業

 

2019年
1月「ヒューリックプレミアムクラブ日本橋」を開業
女流新棋戦「ヒューリック杯清麗戦」への協賛を開始
9月日本ビューホテル(株)を子会社化

 

 

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