株式会社ステムリム創業者、冨田憲介:アメリカでの特許の成立を優先する理由とは?

株式会社ステムリム創業者、冨田憲介:アメリカでの特許の成立を優先する理由とは?

アメリカでの特許の成立を優先する理由とは?

 

冨田憲介/ステムリム創業者

 

アメリカでの特許の成立というのは、この領域においては圧倒的な価値があるんです。
アメリカでさえ特許が成立していたら、日本やヨーロッパで取れなかろうが、製薬企業とほぼ同じ経済条件で提携できてしまうんですね。
アメリカの医薬品のマーケットが大きいということもあるんですが、特に遺伝子治療だとか細胞治療だとか抗体医薬だとかバイオ系の医薬だと、アメリカで研究開発が活発に進んでおり、米国がいわば先進国です。
また米国のFDAが承認していないものを、日本の厚労省が医薬品として認めるとはちょっと考えられません。
販売高という面から考えても、米国で最初に販売が開始になり、研究開発資金の回収を急ぐ製薬企業にとって、当初の数年間の売り上げはほとんどが米国ということになります。
バイオ医薬はあらゆる意味で米国が主戦場なのです。
アメリカで特許が成立していない、しそうにないものというのは、大手製薬企業は手をだしません。

 

 

 

 

冨田憲介(ステムリム創業者)とは?

 

 

冨田憲介。

1949年生まれ。

 

東京大学薬学部卒。

1974年三共㈱(現第一三共㈱)入社。

 

その後、日本イーライリリー㈱、ローヌ・プーランローラーInc.(現サノフィ)、サンド薬品㈱(現ノバルティスファーマ㈱)等にて新薬開発・経営企画責任者を歴任。

2000年6月アンジェス エムジー㈱(現アンジェス㈱)代表取締役社長。

 

大学発創薬型バイオベンチャー(遺伝子治療薬の創薬企業)として史上最初に東証マザーズに上場。

東京大学の中村教授と出会い、「がんとの戦いに勝つ」との使命に共鳴し、2002年5月にオンコセラピー・サイエンスに入社。

 

2003年4月オンコセラピー・サイエンス㈱代表取締役社長就任。

2003年12月同社東証マザーズ上場。

 

2006年10月株式会社ステムリム設立と同時に携わる。

2013年7月株式会社ステムリム取締役に就任。

 

2018年4月株式会社ステムリム代表取締役社長、2019年3月より株式会社ステムリム代表取締役会長CEOに就任。

2019年8月株式会社ステムリム、東証マザーズ上場。

 

 

 

 

 

冨田憲介(ステムリム創業者)の「コトバ」

 

 

 

三共に1974年(昭和49年)に入りました。私は開発部門の要員として、本社にすぐ勤務することになっていたんですけれども、当時、三共は業績があまり良くなくて、新薬もほとんど発売にならず、営業出身の副社長が「現場を知らないからろくな新薬がでない。開発部門で採用になった4名のうち1人は営業の現場に出せ」と言ったとかで。

 

 

 

 

 

当時は、お医者さんへの女中奉公的な側面もあり、毎晩のような派手な接待で、社会的に余り評判が良くなかった医薬品の宣伝要員のプロパーというのを札幌支店で3年間やり、身体をこわしたこともあって採用時の約束だった開発部門に戻りました。

 

 

 

 

 

本社の開発部門では、最初に臨床試験の担当を5年間やりました。それは新薬の臨床試験の計画を立案し実施する、試験に参加している医師を訪問して、患者さんのデータを集めるという仕事で、開発部門の中では一番現場に近い仕事です。その後、開発品のプロジェクトマネジメントをする製品計画部というところに移り5年間やり、三共には合計で1 3年いたことになります。プロェクトマネジメントは、開発段階の異なるいくつかの開発品目を同時に担当し、厚生省の医薬品としての承認に必要と思われる、どういう種類のデータをどの時点で集めるとかいった、開発計画のプランニングと開発の全体的な進行管理が仕事でした。

 

 

 

 

 

 

それなりの実績もあげていたのですが、私は3 6歳ぐらいのときに、自分の記憶力がすごく落ちたのに愕然としたのがきっかけで、記憶力だけでなく能力自体が全体的に落ちているのだろう、自分一人でやっていて、これ以上のいい仕事ができるのだろうかと考え始めるようになりました。

 

 

 

 

 

 

そう考えているときに、日本イーライリリーから、これから日本法人を立ち上げ、研究開発本部をゼロから創るのでこないかと誘われ、転職を決めました。当時の日本イーライリリーの各部門のトップはほとんどが本社からきた外人で、研究開発本部も3年間だけ外人がトップに座るが、ナンバー2として、実質的なトップとして力を発揮して欲しいということで、私には極めて魅力的な話でした。

 

 

 

 

 

兼任で日本法人の研究開発本部長をやってくれと突然頼まれました。それが4 3歳の時ですかね。うわさで多少は耳に入っていたものの、業務上関係のない日本法人内部のことはほとんど知らなかったのですが、研究開発本部は組織がもうめちゃくちゃになっていて、開発経験のある人が3年間位にわたってゾロゾロと辞めたあとで、医薬品開発を何等かの形で経験した者は数人しか残っておらず、35~36人しか部下がいないのに25人位が23~24歳の会社に入社したての女性ばかりでした。その上、元本部長派とアンチ派が鋭く角を突き合わせていて、「まいったなあ。どこから手をつければ良いのやら」というのが最初の実感でした。

 

 

 

 

 

「大半が未経験のみの組織で経験豊かな大手企業に勝負を挑むのも極めてチャレンジングでおもしろい」とすぐに気を取り直して、土日もほとんどなしに必死で働き続けました。自分でも無理だと思う計画を立てて1年半ほど頑張っているうちに、国内では競争相手に追いつき、全世界のR P R組織の中でも、日本では2年程遅れて開発を開始したにも拘らず、世界に先駆けて日本で最初に承認申請することができました。

 

 

 

 

 

 

Gencellでは、アジア太平洋地域の総支配人として、本社の最高意思決定機関の一員でしたので、5年半にわたり世界の遺伝子治療や細胞治療のビジネスの最先端で仕事をすることができました。日本法人の社長も兼務しましたが、日本で最初の薬事法に基づいた正式な治験として、岡山大学その他でアデノp 5 3の遺伝子治療を実施しました。それが遺伝子治療薬のメドジーンバイオサイエンス(現 アンジェス)、それにつづくゲノム創薬のオンコセラピー・サイエンスにつながって、今日に至っているわけです。

 

 

 

 

 

 

私がRPRをクビになった時も、フランス人の連中が必死になって仕事を探してくれました。私はローラー出身なので、「敵(?)」側のローヌ・プーランのフランス人が助けてくれるというのもおかしな話だったのですが……。クビだって言われて、「迷惑掛かるから私に近寄らなくていいよ」と日本人の部下や同僚に言うじゃないですか。そうすると彼らは申し訳なさそうな顔をして、隠れて「本部長、ぜひ激励会をしたい」と連絡してきて内証にやるわけです。ところがフランス人は堂々と私のところにきて、目の前を会長とか社長が通っていても、全然意に介せず「迷惑が掛かるからくるなよ」と言っても、毎日のように来て平気で話していくわけです。そして、一生懸命に仕事を探してくれるわけですよ。フランス人はやはり組織より人間のつながりだとか、そういうところを重視するわけですね。

 

 

 

 

 

ベンチャーをしていてつくづく感じるのは、大学に限らず、日本の文化や日本人自身がベンチャーとは対極だということです。日本は、前例のないことや新しい今まで経験したことのないことについて、それどころか自分が今携わっている仕事でさえ、自分の頭で考え、自己の責任で物事を決定したり、従来のやり方を変更するというヒトが極めて少ない。そこにはいくばくかのリスクが生じるからなのでしょう。ただ前例に従って、周りと同じように仕事を流していても、また前例がなければ何処かでいくつか前例が出てくるまで待っていても、人並みの生活が保障されている、安定した豊かな時代が長く続き、その心地よさに皆泰平の眠りについてしまっているように思えます。前例がないのだから自分の好きなように自由にできるとむしろチャンスと捉え、自らが前例を創るんだというヒトはほとんどいない。

 

 

 

 

 

 

バブルが壊れ、デフレ時代に突入して今までの繁栄がいつまで続くかわからないと頭では理解していても、一度身についてしまった行動様式や文化は、またそれしか経験していないのだからなかなか変わらない。それが大学のみではなく、日本ではベンチャーの前に常に大きな壁になってたちはだかるということです。ベンチャーは対極の文化で、新しいことに挑戦し、それも誰もしたことがないイノベイティブな方法を必死になって自分の頭で考え、自己責任で、それも瞬時に決定し、誰よりも早く結果を出さなければ競争に敗れ消滅するのみですから。ベンチャーが、優秀な人材を多く抱える大企業と同じようにしていて生き残れるはずなどない。ベンチャーの行動を制約する可能性がある物事の決定権を、安眠している日本の大学の機構が持っているとすべてがストップしてしまいます。

 

 

 

 

 

 

日本は減点法の社会になってしまっているから、結論を出すより、自分は責任を取らされないようにしておいた方がいいというのが完全に染み付いてしまっていて、ネガティブな結論を含め、決定自体をしてくれないわけです。ベンチャーとしては「生殺し」にあうより、早く決着をしてくれた方がはるかに良いのです。駄目ということがはっきりすれば、そのことが事業展開上必須であれば他の方法を考えます。ベンチャーはスピードこそが命なのですから。

 

 

 

 

 

 

研究者やベンチャーが、正月しか休まず、毎日睡眠時間を削って早朝から終電まで働いて医薬品を研究し、開発し、承認申請を米国企業より早く提出しても、国の審査が遅ければ商品化の競争では敗れるわけです。厚労省が医薬品産業ビジョンを策定する時に依頼され意見陳述をしたのですが、事前に渡された案には、研究者の能力に国際競争力があるかということで科学技術の論文の引用例数の国際比較とか、日本の企業は国際競争力があるかとかの分析ばかりされていたので、行政の能力の国際比較も必要と申し上げました。医薬品行政が世界の最先端なのかどうかです。遺伝子治療や細胞治療の分野などは、行政がF D A追随で、日本で世界に先駆けた決定などはしないわけですよ。アメリカで使っていて安全だから、日本でも実施を許可しましょうということをしている。決定権者の行政が後追いでは、いくら民間が国際競争に勝って米国企業より早くやっても結局遅くなる。1年も判断が下されずに審査がおくれたら、ゲノムの世界ではもう負けなんです。

 

 

 

 

 

 

 

特にいろいろな技術や特許を組み合わせないと製品までたどりつけない創薬系では、ベンチャー同士がもっと積極的に連携していかないといけないと思うんですよ。いくら最先端の技術を持っていても個々のベンチャーは単一の技術しか持っていないのですから。

 

 

 

 

 

 

 

日本では先端技術をもっているほとんどが国立大学で、ほとんどの特許が研究者の個人所有で、その技術をもとに大学の先生が主導して、いわゆる大学発ベンチャーを創っていて発明者である先生が会社に大きな影響力を持っているというケースが多いですよね。創薬系は技術を組み合わせていかなくては薬ができませんから、必要な技術を利用しようとすると、個々の研究者がそれぞれベンチャーを創っているので、他のベンチャーと連携していかなければならないケースが多いのですが、これがなかなか難しいのです。いざ連携ということになると、その条件を決めなくてはいけないわけですが、いやおうなしに持ち寄るお互いの技術の価値評価をしなければいけなくなります。研究者はプライドがありますから、やはり自分の技術と他人の技術の価値比較をするというのは難しいですよね。お互いのバリューを決めないと、将来のお互いの取り分が決まらず、提携契約はできないじゃないですか。その上、単一技術と単一のベンチャーが一対一でむすびついてしまっていて、それぞれのベンチャーで研究者が所有している株の持分が異なるので、そのFactorまで考え出すと話しはもっと複雑になります。ベンチャーの経営陣がある程度発明者から離れて自由に決断できる状況にないとベンチャー同士が連携してコンソーシアムというか、共同体をつくろうと思っても現実的には難しいのです。

 

 

 

 

 

 

日本の文化、日本人そのものがベンチャーには向いていないように思います。自分自身も例外ではないと思いますが、「ムラ社会」で自己が確立していないように思いますし、甘えの構造の中で、皆、それなりに心地よく幸せに生きているように思うんです。官僚は批判されやすいけれど、民間企業でも同じだし、日本人はみんな根っこの部分では同じです。自分で考え、自己責任で何かをやるというカルチャーはすでにどこかに行ってしまったようにすら思います。官僚を批判しながら、日本人は結局お上を頼っているんです。

 

 

 

 

 

 

 

自由に何でもやっていいといったときにかえって困る人が多いかもしれませんね。自分で考え、自己の責任で、必死で何かやるというのは多くの日本人から消えちゃったのかもしれない。社会学者でもない、単なる実務家の私には良くわからないですが。ただ、みんな何か燃えていないですよね。みんな自分でやりたいことを、好きなことを必死でやればいいと思うんですけどね。必死になって何かやったり、リスクをとって何かしても、社会全体が順調に成長してきていたから、努力した、しないであまり差がない時代が長く続いたせいかもしれませんね。また、追い詰められていないからなのかもしれませんね。戦後の混乱期などは、皆必死にならざるをえないですよね。既成の社会システム、秩序というのが壊れているときはみんな自分の発想で創意工夫で生きるわけじゃないですか。多分今までの日本は本当にいい国だったんですよ、みんな平等に幸せに暮らせて。だって日本ほど皆が平等だった国はないですよね。これからの日本はかってのような成長は見込めないので、泰平の夢を貪っていれば済むというわけにはいよいよいかない時代かもしれませんね。若い世代に大いに期待しています。

 

 

 

 

 

 

我々が世界に提唱しているのが『再生誘導医薬』という新しい概念。物質の投与で、骨髄に存在する外胚葉性間葉系幹細胞を循環血流中に動員し損傷組織に集積させ、人が本来持つ(組織修復)能力を最大限に引き出し、組織・臓器の再生を実現する医薬品。生きた細胞を直接治療に使用しないため、細胞医療とは異なり、品質管理も容易で製造コストも安く、製品輸送上の課題もなくグローバル展開できる。かつ、幅広い適応症をカバーできる可能性がある。

 

 

 

 

 

 

 

ベンチャーは危機意識を持ち、必死になって運営していくものだ。負け惜しみに聞こえるかもしれないが、過去に携わったベンチャーでは土俵際で必死に走りながら考えていた。来年には新しく臨床研究を始める計画で、これは達成できる。

 

 

 

 

 

施設を賃貸するなど工夫すれば開発スケジュールが遅れることはない。二百数十億円という資金があればいいなとは思ったが、危機意識を持って経営するのがベンチャー企業と考えており、走りながら考えるようにしていけば、来年に三つぐらい臨床研究を始められる。ベンチャーはゼロから立ち上げるの基本で借金が増えるわけではない。工夫すれば何とかなると考えている。

 

 

 

 

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