U-NEXT創業者、宇野康秀:800億円の連帯保証を引き受けた理由とは?

U-NEXT創業者、宇野康秀:800億円の連帯保証を引き受けた理由とは?

800億円の連帯保証を引き受けた理由とは?

宇野康秀/U-NEXT創業者

 

私がUSENを引き受けるとき、父親から「やれ」と言われたわけですが、当時は父が個人で800億円の連帯保証をしていました。
私がこの会社を引き受けるということは、すなわち800億円の借金を背負うのと同義だったわけです。
そもそもの社長就任自体が、そうした意思決定から始まっていました。
よく私は言っていたんですけど、「自分のミルク代を作ってくれたのはUSENの社員なんだと」。
自分は大学まで出してもらったわけですから、一定のお返しをしていくのは当然と思っていました。

 

 

宇野康秀とは?

 

 

宇野康秀。

「USEN」、「インテリジェンス」「U-NEXT」社長・会長。

3社の株式上場に関わる。

 

1963年、大阪市に生まれる。

父は、株式会社大阪有線放送社(株式会社USEN)創業者の宇野元忠。

 

明治学院大学法学部法律学科卒業後、起業することを前提に会社組織を勉強する目的で、1988年4月、リクルートコスモス(現:コスモスイニシア)に新卒入社。

1989年にリクルート出身のメンバーらと独立し人材派遣業・インテリジェンス(現:パーソルキャリア)を設立し、順調に会社規模を伸ばす。

 

(尚、1998年、当時その社員であった藤田晋に対しサイバーエージェントの創業資金700万円の支援を行い、2006年4月までサイバーエージェントの社外取締役を務めた)

 

1998年、父元忠が病で急逝したことにより、インテリジェンスの社長を辞め、大阪有線放送の社長となる。

2001年にUSEN(大阪有線放送)は大証ヘラクレスに株式上場。

 

2005年4月無料動画配信GyaOを開始、同サービス内において、自身と他社の社長などとの対談を、「Real Business」として放映。

2007年頃からリーマンショックの影響で子会社株式の評価減が続き、USENは急速な財務圧縮へ。

 

2010年にUSENの連結売上高の30%を占める中核会社のインテリジェンスを325億円で譲渡、同時にUSEN代表取締役社長を退任し、取締役も退任する形で経営の第一線から退く。

新設されたUSENグループ会長に就任。また同年12月22日付けでUSENより、自身が代表取締役社長を務める株式会社U-NEXTの全発行済株式の譲渡を受けた。

 

株式会社U-NEXTは2014年12月に東証マザーズに上場。

翌年2015年12月に東証一部へ市場変更。

 

株式会社インテリジェンス、株式会社USENに次ぐ、3社目の株式上場を果たす。

2016年2月にUSEN取締役会長に就任。

 

2017年12月、U-NEXT、USENとの経営統合でUSEN-NEXT HOLDINGSの代表取締役社長CEOに就任。

 

 

厳選!宇野康秀の珠玉名言

 

 

 

リクルートという会社が急成長していった源泉は何かが知りたくて入りましたが、企業カルチャーやその作り方、人の奮い立たせ方といったことは、1年ちょっとの間でもすごく勉強になった。

 

 

レンタルビデオでツタヤが圧倒的なシェアを取ったのは、やはり店舗の工夫や、ユーザーとのコミュニケーションなどを、きちんと行っていたからです。我々もどんな作品をどう並べるか、料金の設定をどう工夫するか、ユーザーとの接点をどう広げていくか、解約をどうやって減らすかといった、細かい努力を積み重ねるしかないと思っています。

 

 

時間軸もスキルも限りなく高い目標を設定して、最初からその目標に向かっていかないと会社は大きくならない。

 

 

リーマン・ショック後の時期。事業を整理することになり、自ら設立したインテリジェンスの経営から退いたのです。当時のインテリジェンスは、私にとってアイデンティティそのもの。売却を決めた時は、子供を手放すような感覚でした。私は元々、ストレスをあまり感じない方ですが、それでも、メンタル的には相当追い込まれましたね。ただ、ものごとは考え方次第だと思うのですよ。他社の傘下に入ることで、インテリジェンスの事業は強化されました。また、そこで働いていた元部下たちは、新しいチャンスを得られたかもしれません。視点を変えれば、あの選択も前向きに捉えられるのです。

 

 

ビジネスは、やってみなければ分かりません。苦手だから、失敗しそうだからと言い訳をして可能性をつぶすのは、あまりにもったいない。

 

 

結局は何を大事にして、何を残すかを決めることが重要。

 

 

ビジネスの壁にぶつかった時期に運動を始めました。最初は部下から皇居ランに誘われたのですが、たったの2kmで持病のぜんそくが出てリタイア。当時は仕事が苦しすぎて(笑)、もっと苦しいことをやれば、仕事が楽になると思ったんです。私はハマリ症。どんどん打ち込むようになり、昨年はトライアスロン世界選手権大会の日本代表に選ばれました。

 

 

世の中に対して意義のあることだと感じればやりますし、感じなければやりません。我々の提供するサービスが社会から必要とされることが、私の理想です。

 

 

当社の一番の強みは、機動的な組織力です。社員がグループで6千人ほどいるのですが、この規模のサイズでありながら、「これをやろう、あれを変えよう」と非常に俊敏に動きがとれる会社なのです。

 

 

我々も「USENはこういう会社だ」という標語を作っては変えて、作っては変えています。どの標語も定着しないくらい変わっているんです。そういう意味では、これから先もおそらく変わっていくでしょう。

 

U-NEXTは後がない状況で再スタートを切った。自分たちで自分たちの運命を切り開いていくしかないという思いの結束感があった。

 

 

事業家というのは、ある程度単純に自己満足を追いかける人種だと思うのですが、その一方で自己満足の空しさもどこかで当然気づくはずです。自己の満足を追いかけることより、自分たちが関わっていることがどれだけ世の中の役に立っているかということを追求したい。

 

 

限りなく高い目標を設定すれば今やらなければいけない仕事に対するスピードのペース感というのが変わってくるんです。

 

 

私の座右の銘は「人間万事塞翁が馬」です。仕事にはうまくいく時期もあれば、そうでない時期もある。ですから、失敗をいつまでも引きずって後悔ばかりしていても仕方ない。

 

 

まずは業界が協力し合いながら、全体パイを増やしていくことと、その中で確実に当社はトップグループとして、ユーザーの選択肢に確実に残るような立ち位置でいるということが今の目標。

 

 

自分はトップダウン方式で組織を引っ張るカリスマ型の経営者にはなれないと思った。だからこそ、有能な人材を登用し、自分はマネジメントに特化する経営手法を身につけたのです。大学卒業後に働いたリクルートコスモスで、その手法に確信を持ちました。

 

 

自分の後輩たちがうまくいったり失敗したりするのを数々見てきた中で、あまり成功の法則というのはないのかなと思います。自分のスタイルでやればいいし、それが新たな経営スタイルになったほうが面白い気がします。

 

 

引きずらず、失敗の痛みを感じながら、将来につながる教訓を探す。そして今の自分を受け入れ、そこからどう立ち上がるのか考える。私が知っている起業家にも、そうした「切り替える力」の持ち主が多い。

 

 

失敗を防ぐためにさまざまな手を打つことは大切です。その上で、今まで手がけたことのない事業にチャレンジを続ける。それが起業家としての「作法」だと、私は考えています。

 

 

どこかで世の中の役に立っていれば、困難なことがあっても、必要とされていれば、誰かが助けてくれる。リーダーとして、私利私欲で動かず、そして苦しい経験をしてきた中でも逃げずに、みんなと共に戦ってきたので、今がある。

 

 

企業は利益を追求する存在ですがそれだけではいずれ社会から見放されてしまいます。前提となるのが社会に貢献できる事業を行うことで利益はあくまで 結果であるべきなのです。

 

 

世の中に対する新しい価値をつくっていかなければ、企業の存在意義もなければ、自分の存在意義もない。

 

 

 



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