株式会社ユーザベース創業者、梅田優祐:7つのルールとは?

株式会社ユーザベース創業者、梅田優祐:7つのルールとは?

7つのルールとは?

梅田優祐/株式会社ユーザベース創業者

 

ユーザベースの価値観として「7つのルール」を掲げています。
仕事において判断に迷った時、意見の相違が生まれた時など、このルールを判断基準として決断してほしいとの思いから作ったものであり、人材採用の際はこれに共感できる人かどうかを見極めているほど、大切にしているルールです。
具体的には、「自由主義でいこう」「創造性がなければ意味がない」「ユーザーの理想から始める」「スピードで驚かす」「迷ったら挑戦する道を選ぶ」「渦中の友を助ける」「異能は才能」の7つになります

 

 

梅田優祐とは?

 

 

梅田優祐。

1981年生まれ。

 

愛知県出身。

横浜国立大学卒業後、コンサルティングファームのコーポレイトディレクションに就職し、製造業、商社を中心とした全社成長戦略、再生戦略の立案・実行支援、食品メーカー等のBPRを中心に従事。

 

その後、UBS証券に転職し、投資銀行本部にて事業会社の財務戦略の立案、資金調達支援、自己勘定投資などに携わる。

2008年、従来の経済情報サービスの問題点を解決すべく、UBS時代の同僚である新野良介と高校時代からの友人の稲垣裕介と共に、株式会社ユーザベースを設立。

 

企業・産業分析のためのオンライン情報サービス「SPEEDA」や経済情報に特化したキュレーションサービス「NewsPicks」などの幅広い事業を展開。

2016年10月、株式会社ユーザベースは東証マザーズに上場。

 

 

厳選!梅田優祐の珠玉名言

 

 

 

高校生のときも、2週間ぐらいで野球部をやめました。何をするわけでもなく、コンビニの前で友達と夜まで話して、お腹が空いたから帰るかみたいな毎日。熱中できるものが欲しいという欲求はずっとあったけど、それが見つからない。いろいろと試しても長続きしない。東京に行ったら何か変わるかもしれないと思ったけど同じだったわけです。

 

 

 

グダグダな学生時代でしたね。大学に入ったときって最初は友達がいないじゃないですか。でも「自分から話しかけるのはかっこ悪い」みたいに思っていたら、気付いたときにはもうグループができあがっていて、あまり友達ができなかった。誘われて体育会のサーフィン部に入ったものの、それもすぐにやめた。ギターを始めたこともあったけど続かなかったし、ビジネスコンテストも準備段階で面倒くさくなって出場せずに終わりました。今、思い出してもイライラするような典型的なダメ学生でしたよね。

 

 

ただ海外旅行にはよく1人で行っていました。熱中できるものは見つからなかったけど、自分で行き先を決め、現地の人たちと仲良くなって楽しんで、解放されている感じ、自由という感覚は好きだなとは感じていました。将来、何か自由にやれる仕事はないかと考えていたとき、たまたま日本に帰る飛行機の中で、マッキンゼーでコンサルタントをしていた波頭亮さんが書いた『プロフェッショナル原論』と出会いました。

 

 

国会図書館に行って大量の資料を印刷してオフィスに持ち帰り、それをひたすら打ち込むという仕事に取り組んだときのことです。そのときにこれはおかしいなと。大学時代に「Google」を知って、これは世界が劇的に変わるぞといたく感動した。それなのに企業ではいまだに非効率、非合理的なことをしている。そのことに社会人になって初めて気付いたんですよね。

 

 

転職したUBS証券でもそれは同じ。ロンドンの同僚も、ニューヨークの同僚も、世界中のビジネスパーソンがこんなに非効率、非合理的な働き方をしていることに衝撃を受けました。仕事でいろいろなサービスを使っていましたが満足できるものがなく、これだったら自分でつくった方がいいんじゃないかという思いがふつふつと沸いてきたんです。

 

 

起業しようと思ったときに、これまでの人生を振り返りました。本当に何かに熱中していたときっていつだったかと考えると、小学生で野球を始めたときでした。当時、本当に熱中していた。一生懸命練習して試合で勝っては泣き、負けても泣くみたいな。このまま人生が終わっていくのは嫌だ。あのときと同じぐらい熱中できるような人生を送りたいという思いがまた強くなってきたのと、人生をかけるのに十分な課題が目の前にあるという思いが重なり、2008年に起業するに至りました。

 

 

新野は前職の同僚、稲垣は高校の同級生です。この点ですごく恵まれていました。分身のように同じ目線で話せる仲間がいたのは絶対的に大きいですね。

 

 

2人も全くやめるという選択肢がなかった。それもあって、このメンバーだったら絶対に大丈夫だ。もうやるしかない、行けるところまで行こうと心から思えた。創業からこれまでいくつもの試練を乗り越えられたのは、世界一の経済メディアをつくるという明確なビジョンがあったことと、全幅の信頼を置ける仲間がいたからだと思っています。

 

 

リーマンショックが起こったことで契約が破棄されてしまった。おかげでまたゼロからのスタートになりました。当時、お世話になっていたアドバイザーの方から「今のまま続けても泥沼にはまっていくようにしか見えない。ここでいったん会社をたたんで再起すべきだ」と助言されたほどです。

 

 

「SPEEDA」の後に「Thinka(シンカ)」というサービスを作り、ホームページでもリリース告知をしていました。「Thinka」は、現在の「Slack」のようにビジネス上のコミュニケーションができるプラットフォームのようなものです。「これは絶対に俺がやりたい。絶対に世の中に求められているはずだ」とスタートを切りました。実際に、エンジニアの中でも選りすぐりのエースを集めプロトタイプを作ったのですが、リリース前に「これではダメだな」と思ってしまい、最終的にリリースを取りやめたんです。失敗の理由はマーケットが無いなどということではなく、私の情熱が続かなかったことでした。本物の情熱ではなくて、「新規事業をやらなきゃ」という偽物の情熱で動いていたために失敗を招いてしまったのです。

 

 

私の場合は、自分が喉から手が出るほど欲しいモノか、泣いて喜ぶほど欲しいモノかどうかという基準だけにしたがって新規事業の可否を決めます。非常にシンプルです。最初のアイデアを考えるときは、あえて人の意見は聞かないようにしていますし、マーケティング調査もしません。「1から100」にしていくフェーズでは仲間の力を借りていく必要がありますが、「0から1」を生み出すフェーズではまずは尖らなくてはいけないので自分の考えだけで進める。これが、持論です。

 

 

オリジナルコンテンツへの課金モデルを決意したのは、自問自答を繰り返した電車を降りた直後のことです。ふとコンビニに入り、雑誌『ブルータス』を買いました。その時の自分の何気ない行動から、「今、僕は紙の雑誌だからお金を払ったのではなく、その中にあるコンテンツ自体にお金を払ったんだ。今の『NewsPicks』にはお金を払ってでも欲しいコンテンツがないだけなんだ」と気づかされたんです。発想が切り替わった瞬間でした。お金を払ってでも欲しいコンテンツが、その当時はスマートフォンの世界、ネットの世界にはなく、コンビニにはあった。それならば、私たちがネットの世界でお金を払ってでも欲しいコンテンツを開発しよう。それには、編集長を採用する必要があるという考えに至りました。既に「SmartNews」や「Gunosy」などのキュレーションプラットフォームはありましたが、その中で私たちだけオリジナルコンテンツを作り始めるという意思決定をしたのです。

 

 

 

私たち人間の一番の強みはモチベーションがあることです。つまり、意思の力こそが人間が生かすべき最強の資産なのです。そうすると、モチベーションを最大限に活かす組織を作ることが、今後間違いなく強みになりますよね。そのために必要なことは、メンバーにビジョンをきちんと共有した上で自由にし、いかに自ら考え、自ら動き、自ら創造するという環境を作るかということです。これが、組織を作っていく上での勝負を決めると思います。まだまだ完璧からは程遠いですが、理想に向けて試行錯誤を続けているところです。

 

 

稲垣と話した後に「こんな素晴らしいことを考えているのに、なんで言ってくれないんだよ。結局コミュニケーションが取れていなかっただけじゃないか」と気がつきました。そして、「これからはどんなに小さなことでも言い合う。言わない方がルール違反。何も言っていないということは、最高に満足している状態であるということの証明である」というオープンコミュニケーションのルールができたのです。

 

 

 

トップが複数いることで意思決定が遅れるというのがその理由ですよね。でも、僕たちにとってそれはまったく逆。むしろスピードアップにつながっている。つまり自分と同じ考えを持った自分の分身があとふたりいるわけです。ひとりで複数のミッションを同時にマネジメントするより、自分の分身と複数の事業を分担したほうが決定は早くなりますよね。

 

 

マネジメントに対する考え方がガラリと変わりました。メンバーを厳しく管理し、指示をすれば、指示通りのモノは上がってくるかもしれないが、それ以上のモノは生まれない。メンバー一人ひとりの自由を尊重すれば、その人の能力が最大限発揮され、想像以上のモノを生み出せるのではないか。そして、何より働く側も、そのほうが断然楽しいに違いない――そう思うようになったんです。

 

 

 

私のリーダーシップ像はこれというものは特にありませんが、ただ経営者として「未来をつくること」「目の前の結果を残す」という2つには必ずコミットしなければいけないと思っています。未来を示すだけでは駄目で、目の前の結果を合わせて残さなきゃいけない。これができなくなったらトップから下りるべきでしょう。

 

 

 

大いに仲間を頼ればいいと思います。私も創業時には新野と稲垣という仲間が、そして現在は社内に100人の仲間たちがいます。彼らが私に足りない部分を補ってくれるからこそ、0から1のものを作り、そして1を100にしていくことができるのです。起業のリスクや自分の欠点に不安になった時は、仲間と共に最強のチームを作ればいい。それが最善だと思います。

 

 

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