ウシオ電機創業者、牛尾治朗:「成功できる類型」とは?

ウシオ電機創業者、牛尾治朗:「成功できる類型」とは?

「成功できる類型」とは?

 

牛尾治朗/ウシオ電機創業者

 

10人の優秀なベンチャーキャピタリストがいたら、その10人がいいと思う人はみんな違うんだから。

成功者のうち世の中でこういう人が成功するだろうなと思う人が6割で、こんなの成功するはずがないというのも4割ぐらい成功しているんですよ。

だから、どうすれば成功できるという類型はない。

地味な何でもない事業にお金を出して、上場している会社もあるんですよ。

合鍵を作る専門家が、盗まれないキーを作るとかね。

逆に言えば、誰にでもチャンスがあるということ。

それが市場主義経済の良さでしょう。

 

 

 

牛尾治朗(ウシオ電機創業者)とは?

 

 

牛尾治朗。

兵庫県姫路市に牛尾家2代目牛尾健治・美津子の次男として生まれる。

 

祖父・牛尾梅吉は姫路商工会議所の2代目会頭を務め、播磨の振興に尽力した。

父・健治は、姫路銀行頭取を務める傍ら中国合同電気→山陽配電(現在は分割されて関西電力・中国電力)を中心に電力・電機事業を手がけた。

 

現在のウシオ電機も、前身は中国合同電気の電球製造部門が独立した姫路電球であり、同社から産業用特殊光源の製造部門が独立したのが現在のウシオ電機に至っている。

1953年に東京大学法学部政治学科を卒業し東京銀行に入行。

 

カリフォルニア大学バークレー校大学院留学後に家業を受け継ぎ、1964年ウシオ電機を設立。

28歳で経済同友会に入会し、中堅企業の経営者ながら早くから財界人として意欲的に発言してきた。

 

1969年1月には日本青年会議所会頭に就任し、「財界の老害」を批判した。

「21世紀は市場経済の時代。

 

民間が自立した社会にする必要がある」として規制緩和や株主尊重の路線を打ち出した。

1984年6月第二電電株式会社(DDI)取締役就任。

 

1985年首相中曽根康弘の意向により民間人特別委員10人の1人として政府税制調査会に入った。

1995年4月に経済同友会代表幹事に就任、1999年4月からは特別顧問(終身幹事)に就いている。

 

1996年2月には日本ベンチャーキャピタル株式会社を設立し、取締役会長に就任。

2000年4月:第二電電株式会社 代表取締役会長就任。

 

2001年には経済財政諮問会議議員、日本郵政・社外取締役に就任。

2002年5月技術研究組合極端紫外線露光システム技術開発機構理事長

 

2003年6月財団法人 社会経済生産性本部(現・公益財団法人日本生産性本部)会長就任。

牛尾の長女・幸子と安倍晋太郎の長男・寛信は夫婦である。

 

 

 

 

厳選!牛尾治朗(ウシオ電機創業者)の珠玉名言

 

 

僕はね、中小企業の経営者には一番なりたくない。というイメージを持っていましたから。だから、軌道にのってきたら俺は会社をやめるぜ~なんて、29歳位の頃から言っていましたね。ただ、仕事をはじめてみると、責任感が増してくるわけです。そして、ああしたほうがいい。こうしたほうがいい。という意見を出すのですが、僕の意見を出しても周りのみんなと食い違うことが多い。どうせやるなら、自分自身が納得のいく会社経営をしたい!と思うようになってきて、33歳で、ある部門だけをもらって独立することにしたんです。それが、現在のウシオ電機株式会社です。スタート時は、従業員が200人くらいで、1億円位の赤字がありましたね。ただ、それから6年。39歳のときに上場したんです。当時、一番早かった。それまでは、借金、借金でね。一生かかっても返せないようなお金。その借金も、みな、個人補償なんですよね。それが、上場すると個人補償が取れるんです。ホッとしましたよね。そして、43歳のときにようやく借金がなくなったんです。

 

 

学生時代から勉強していたサルトルや実存主義の思想は影響していると思います。自分が必要としなくても、相手が必要としてくれるのであれば、それも自分の実存。エグジスタンスの一つ。という思想です。僕は、やる気はないし、やりたいことも特に無かったけれども、周りが必要としてくれるから、その必要のために生きようとしていた。そして、それも一つの自分自身の姿なんだ。という考えがあったんです。ですから割と何事にも前向きになれていたんです。

 

 

 

修行したり修養を積んだりして、自分を鍛えることが疎かになると、自分を見つめることが、少なくなりますから、人間はどうしても自分に甘くなります。謙虚さが失われます。その結果として、自分中心になりがちです。

 

 

 

当然のことだが、企業は利潤を獲得しなければ成り立たない。利潤をつかむとは儲けることだが、自分の企業さえ儲かればいいと思っている間は、大した企業ではない。面白いもので、自分の企業さえ儲かればいい、と企業がエゴ丸出しのころは、よい社員も集まらない。

 

 

 

今の若い人達が読んでいないのは、哲学だね。フィロソフィーが無いんですよ。結果だけを読んで、情報として捉えて、得をするような知識を得ようとするんですけど、人間はなんの為に生きるのか。ということをきちんと考えなきゃいけない。死ぬまでずっと考えなければいけないんじゃないかな。それが、現在では、思考が抜けて、結果だけを求めてしまう人が多いんでしょうね。結果だけだったら、そこに競争力は無いんです。ただ、一方で、ITが発達したことによって、自分で起業する人が多くなってきたから、自分で経営責任を担う。という喜びと辛さを担っている人の数は増えたでしょうね。ちょっと違うのは、5年か、6年で、成功だ!と喜んだり、駄目だったらすぐに職を変えたりと、見切りが早い人は多いですよね。

 

 

 

一度聞いただけでは、わかったように思えても、実際にはわかっていなかったりすることもあるので、確信が持てるまで何度も聞くのもアリ。

 

 

 

成熟した社会は選ぶことが楽しいという人たちの集まりにならなければなりません。

 

 

 

不易として大事にし残すべき部分と、二十一世紀型に変化させる流行の部分の区別を明確にする必要があると考えているのです。守るべき部分を堅持しつつ、常に変わり続けていく。政治も企業経営も、リーダーは目まぐるしい時代の変化に翻弄されることなく、不易流行をしっかり弁えて道を切り開いていかなければなりませんね。

 

 

 

『無名有力』の時代を経ないで有名になるということは、最も危険なことである。

 

 

 

私は1996年に、日本で最大のベンチャーキャピタルの会社をつくりました。これまでに500億円、500社くらいに投資していると思います。うち100社くらいは潰れていますよ。大損です。一方で、いい会社もたくさん出ている。しかし、いまのベンチャービジネスは、お金がないからうまくいっていないというところは、ほとんどないでしょう。企業も国も出す状況ですから。営業能力や開発能力が、まだまだ世界レベルでは低いんですよ。それを他人のせいにしてはいけない。

 

 

 

仕事を天職だと決意してから仕事が楽しくなった。

 

 

 

日本が本当の豊かさを実現するためには、豊かさの意味を問い直すことが求められているように思います。そこに、日本の進むべき方向性が見えてくるのではないでしょうか?

 

 

 

求められるのは、精神的な高さです。人間関係や生活の場面などで、高い精神性が尊ばれるようになる。昔は、備長炭で鍋を炊いてその薫りを楽しんだりしたものですが、そうした心を豊かにするような日々の暮らしを重んじる。あるいは、手作りのぬくもりや自然との調和に価値を見出したりすることではないでしょうか。

 

 

 

青い鳥というのは自分の手のひらの中にあっても、懸命に探さなければ見つけ出すことはできないものなのです。会社でも同じです。目的意識は自分自身で見つけ出さなければいけません。自分の才能の開発も、みずから求めて見つけ出すものです。

 

 

 

果決というのは、果物が小さいうちに間引く決断のことなんです。10ある実のうち、間引いて1個か2個にする。1800年くらい前の中国の言葉ですね。経営というのは果決なんです。色んないい話が世の中にはいっぱいあるでしょ。これもやってみたい。あれもやってみたい。って。いっぱいある中からどれを選ぶか。自分がやって、どれが成功するか。将来も続くかどうかも含め、選ばなければならない。それをみんないくつも手を出してしまうんですけど、選ぶ。というのが大事。それを果決というんですよ。果決というのが一番のポイントなんです。

 

 

 

安岡さんには、節目節目で、本当に適切な言葉をもらいました。父が亡くなった時もそうだし、青年会議所の会頭になる時には、「俗望を捨てて雅望に生きることです」と言ってくれた。俗望というのは、権力とか物欲とか名声欲などです。そういうものを捨ててと。「俗望は分かりましたけれど雅望は?」「それは、あなたが自分で考えることです」って、うまいこと言うんだ(笑)。それが非常に参考になったんです。なるほどなと。

 

 

 

日本企業の強さの秘密は、株主の一票よりも従業員の一票のほうに価値を置く従業員資本主義、いわばヒューマン・キャピタリズムにある。

 

 

 

「よく見ればなずな花咲く垣根かな」という松尾芭蕉の歌があります。垣根の下によく見なければ見過ごしてしまうような小さく可愛らしいなずなの花。それを見る余裕のある目でマーケットの変化を見るのが大事だと、私は自分に言い聞かせています。儲けばかりに走ったら、なずなの花は見えない。芭蕉は何の変哲もない垣根を見ていたら、そこになずなの花が咲いていて、自然は素晴らしいなと思った。そういう感覚が経営者には大事です。

 

 

 

「学びて思わざれば則ち罔(くら)し」という論語の言葉があるんですよ。いろいろなことを勉強しても、「思う」というのは徹底的に考え抜かなければ「罔し」、駄目だと言うんだ。そういう言葉、簡単に分かってもらったら困る。

 

 

 

人生というのはなかなか自分の思いどおりにはいかないものです。けれども、不本意な中でもベストを尽くしていると、その中で僅かずつでも自分のやりたいことが見えてくる。

 

 

 

みんなに聞いて、みんなと同じようにやっていても、絶対に成功はしない。どの情報が自分にとって必要で、どの情報が社会に向かって必要か。自分の考えで決めれるんです。それで失敗して、自分の考えが駄目だったとしても、諦めがつくし、もう一回やり直せばいいわけです。自分で考えるしかないんですよ。

 

 

 

世の中は人とのつながり助け合いでできている。

 

 

 

社会のために役立ちたいという、志を持っている経営者が成功する。

 

 

 

最後の最後まで、1分の可能性を決して捨てない楽観性、強い信念が苦難を切り拓く。

 

 

 

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