夏目雅子の「大切な」言葉たち~夏目雅子の名言・人生・生き方・性格など~



夏目雅子の「大切な」言葉たち

私の作品には正しい女の人の役がおおいでしょ。だからたまには、こういう悪い役をやりたい。ワイルドで豪快なのを。映画館で拍手がわくようなの。そういうのやると、“あたしそんないい人じゃないもん”という普段のモヤモヤが発散できるでしょ。

好きな男性のタイプですか? 憂鬱という漢字をすらすら書けたり、喫茶店のお勘定をすぐに計算できたりする人が好きです。

夜中ホステスさんがお客さんを送りにでてくるの。厳しさがあるけど、きつい顔じゃない。いい顔だなぁと感激しちゃった。

もともと本を読むことが好きで、こういう女性ってどんな人なんだろうとか、こんな人に自分でもなりたいとか思ってる気持ちがお芝居をしたいっていう方につながってきたから、何をどういう風に演じるというより、そういう人にふれたいから仕事してるっていう方が正確なんです。

この役を演るためにいろいろ考えたことが、これから演る作品に生かせるんじゃないかと思ったの。勉強っていうとおかしいけど、何か悩むために演ったみたい。
『時代屋の女房』(1983年)

自分を見失わず生きようとする駒子という役を演じながら、女優としての在り方を考えさせられました。あの当時にくらべれば今はものがありあまっている時代ですが、自分もその中でおぼれてしまって知らず知らずのうちに社会や他人に対して傲慢になってしまっているのではないかと思いはじめたのです
『瀬戸内少年野球団』(1984年)

私と結婚すると楽しいと思うんだけどな。

舞台もできる息の長い俳優でありたい。死ぬまで女優を続けたいと、今、思っています。

私、日本で一番坊主頭が似合う女優って言われてるのよ。そんなこと気にならないわ。

30歳になってもお嬢さんでいられる女優がいたっていいじゃないかって、開きなおっているんです。

なんとなくというのはいやです。なんとなく流されるんじゃなくて、流されちゃえって流されたいの。

他の出演者の女優さんが何人か脱いでいるのに、自分だけ脱がないのはおかしい、私も脱いで演技します。

キャスティングしてくれるかぎり、私は絶対女優をやめない。

夏目雅子とは?(人生・生き方・性格・プロフィール・略歴など)

夏目雅子:日本の女優。

本名:西山雅子(旧姓:小達)

東京都出身。

元キャンディーズ田中好子は義姉にあたる。

趣味は毛糸の編物、絵(デッサン)、琴、古い食器収集、俳句(東京俳句倶楽部所属、俳号は海童)、生け花(草月流)。

1957年12月17日、東京都港区旧高樹町の日赤病院にて、六本木2丁目の輸入雑貨店・亀甲屋の子として生まれる。

父親は貿易商。

亀甲屋は実際は荒物、金物、石鹸、亀の子たわしなどを扱う日用品雑貨の店だが、芸能界デビュー後は貿易会社社長の娘などと変更。

父は東京オリンピックのための道路拡張後に店をビルにし、貸しビル業などで成功。

3歳上には兄、10歳下に弟。

六本木の亀甲屋、高輪、神奈川県横浜市中区山手と居を移したが、ここはモービル石油の日本支社長の旧宅で敷地は250坪もある豪邸。

千葉県館山にも別荘を持つなど、後にお嬢さんと呼ばれるに相応しい家庭環境。

小学3年生のときにテレビドラマ「チャコちゃんハーイ!」を見て女優を志したのが最初。

この時に子役になりたいと思ったが母親に猛反対されかなわず、後に17歳のときにヴィットリオ・デ・シーカ監督の映画「ひまわり」を映画館で見て衝撃をうけ、ソフィア・ローレンに憧れ、本格的に女優を目指すようになった。

1977年カネボウ化粧品のキャンペーンガールとなり、「クッキーフェイス」のCMで注目を集めた。

芸名を本名の小達雅子から夏目雅子へと改名。

このときのCMディレクターが後の直木賞作家で、後の夫となる伊集院静でした。

1977年東映映画『トラック野郎・男一匹桃次郎』にはマドンナに抜擢され、映画初出演を果たす。

1978年NHK大河ドラマ『黄金の日日』に出演。

日本テレビ系『西遊記』では三蔵法師役を演じて人気を得る。

1980年演出家和田勉によって『ザ・商社』のヒロインとして大抜擢。

1981年『野々村病院物語』に出演。

NHK大河ドラマ『おんな太閤記』にもお市の方役で出演。

1981年バセドウ病の手術を行った。

1982年『鬼龍院花子の生涯』の台詞「なめたらいかんぜよ!」が流行語となる。

迫真の演技が話題になりこの作品でブルーリボン賞獲得。

1983年NHK大河ドラマ『徳川家康』に淀君役で出演。

1984年不倫していた作家伊集院静と結婚

1985年2月15日慶應義塾大学病院に緊急入院し、急性骨髄性白血病と診断される。

1985年9月11日午前10時16分、逝去。

27歳という若さでした。

母スエを代表として小達一雄を中心に、彼女の遺産をもとにして、癌患者へ無料でかつらを貸し出す組織、『夏目雅子ひまわり基金』が、1993年12月に設立された。

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