宮沢りえの「大切な」言葉たち~宮沢りえの名言・人生・生き方など~

宮沢りえの「大切な」言葉たち

たのしかったことの栄養は早く消耗するけど、たいへんだったことの栄養って長く保たれると思います。

自分を客観視できるのはすごく大事だと思います。もうひとりの自分が、『うわーっ!』っと泣く芝居をしている自分に、『あなたそれ、泣きすぎじゃない?』と思っている自分がもうひとりいることって、なんていうんでしょう……すごくいい。それって、女優の仕事じゃなかったとしても、同じことがあると思います。いろんなお仕事で、それは言えますよ。

優しいお母さんでいることは大切だけど、お母さんが頑張っている姿を見せるってことも、すごく大切だと思う。

(大竹)しのぶさんは50代後半の年齢でいらして。こう、時間とか、からだを自由に操っている。すごいんです。あの自由を手に入れるのにはきっと、たくさんの引き出しを持っていないといけない。そのためにはわたしも、50代へ向かう40代からの10年間では楽をせず、もがいて、たくさんの引き出しを見つけていかなければ……ということを感じていたところです。

『知っている』ということ。苦しみとか悲しみを知っている人のほうが、豊かな気がするんです。

いまは、いろーんなことを知りたい。50になったときに豊かでいるには……もう、その、20代30代のピチピチしたものはないわけです。じゃあ、そのかわりにどういうふうにしたら、魅力的になるんだろうと考えると、やっぱりいろんなことを知って、豊かになること。会話をしていて、相手に豊かさを感じてもらえる。貧相ではない心を持ちたいと、すごく考えます。

あんまりわたし、人生の計画性もなく生きてきたんですけど、初めて目標を持ったんです。『40になったとき、ちゃんと舞台に立っていられる人になろう』と。

苦難は経験したくないかもしれないけれど、じゃあ、まったく経験しないで50歳になったひとと、経験して50歳になったひととだったら、おもしろい話がちゃんとできるのは、やっぱり……。

つらい時間を乗り越えて、みんながよろこんでくれる場所に立っている。それを見せるという、教育。私なりの、私ができる教育です。

毎回の、努力のみですよ。10年後に、ぜったいこの仕事があります、というのはないわけで。今やってることをできる限りの努力で表現しないと次がなくなるっていう恐怖は、ずーっとありますから。

人の『強さ』って振り子みたいなもの。きちんと悲しんでいる人はそのぶん強くなれるし、儚さや切なさを知っている人は燃える力がある。

つらさや、暗さを知ったからこそ、感じられる喜びみたいなものって絶対あると思うんです。

やっぱり経験にかなうものはないじゃないですか。1000個つくった人と10個しかつくっていない人とは、いろんなことがちがうと思います。

最近、よく言っていることなんですけど……。わたし、試練はごほうびだと思ってるんです。

どんな波乱があっても健やかに笑えるのは、1人の人間として私の夢です。

宮沢りえとは?(人生・生き方・プロフィール・略歴など)

宮沢りえ。

1973年生まれ、東京都練馬区出身。

日本人の母親と、オランダ人の父親を持つハーフ。

夫はV6の森田剛。

11歳の頃にモデルとしてデビューし、程なくして雑誌 『週刊セブンティーン』の表紙モデルとなった。

1985年、小学6年生の時に、明星食品「チャルメラ」のCMで芸能活動をスタート。

1987年(昭和62年)、CM『三井のリハウス』の初代リハウスガール“白鳥麗子”役を務めて注目を集め、トップアイドルの一人となった。

1988年、映画『ぼくらの七日間戦争』の主演で女優デビューを果たし、日本アカデミー賞新人賞を受賞。

1989年4月、フジテレビ系『青春オーロラ・スピン スワンの涙』で連続ドラマ初主演。

1990年、セカンドシングル『NO TITLIST』がオリコン最高1位を獲得。

1991年発売の写真集『Santa Fe』(篠山紀信撮影)は人気絶頂時のヌード写真集で大ヒットし、150万部のベストセラーとなる。

1992年11月27日、貴花田(当時関脇、現在の貴乃花親方)との婚約を発表。

当時、国民的な人気を誇っていた2人の婚約は“世紀のカップル誕生”と大きな話題となる。

しかし、1993年1月27日、「人生最高のパートナーになれなかった」とコメントを発表し、わずか2か月間で婚約解消を発表。

婚約や婚約解消、また男性との交際、さらに拒食症の噂など、芸能マスコミからのバッシング報道が相次ぎ、アメリカサンディエゴへの移住を発表するなど、一時期は芸能活動休止状態となった。

2001年、香港映画『華の愛?遊園驚夢』で第23回モスクワ国際映画祭・主演女優賞受賞。

激痩せから回復して来たと見られる頃から、徐々に芸能活動を再開し、2002年(平成14年)の『たそがれ清兵衛』で落ち着いた演技を見せ、映画の成功以降は、女優としての活動の幅が広がり、本格派女優としての評価が定着。

2003年、『たそがれ清兵衛』で日本アカデミー賞・最優秀主演女優賞を受賞。

2005年、『父と暮らせば』で第47回ブルーリボン賞・主演女優賞受賞。

2009年2月、妊娠6か月であることを発表。

40歳代のハワイ在住、日本人実業家で元プロサーファーと4月上旬に婚姻届を提出。

同年5月、第一子となる女児を出産。

同年8月に復帰。

2013年5月6日、天海祐希が舞台『おのれナポレオン』終了後、軽度の心筋梗塞と診断され、1週間から10日の安静治療を要するとしてそのまま入院したため、アルヴィーヌ役に起用される。

宮沢は、この突然の代役要望を快諾したという。

わずか2日間の稽古期間を置いたのち、2時間20分、台詞回しの多いアルヴィーヌ役を見事に演じきった。

2014年、『MIWA』の演技に対して、第39回菊田一夫演劇賞・演劇賞を受賞。

2014年、『紙の月』で7年ぶりに映画主演し、第27回東京国際映画祭・最優秀女優賞を受賞。

日本人女優では11年ぶりの快挙となった。

2016年3月18日に離婚。

2016年10月、湯を沸かすほどの熱い愛で主演・双葉役を演じる。

「湯を沸かすほどの熱い愛」で多数女優賞受賞。

第41回報知映画賞 主演女優賞、第29回日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞 主演女優賞、第31回高崎映画祭 最優秀主演女優賞、
第90回キネマ旬報ベスト・テン 主演女優賞、第40回日本アカデミー賞 最優秀主演女優賞、第26回日本映画批評家大賞 主演女優賞を受賞。

2018年3月、V6・森田剛と結婚。

2019年、第43回日本アカデミー賞 優秀主演女優賞(『人間失格 太宰治と3人の女たち』。

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